論文の公開元へGray Matter Volume Differences between Transgender Men and Cisgender Women: A Voxel-Based Morphometry Study
概要
【目的】
トランスジェンダーは,性同一性が身体的性別と一致せず,様々な手段で性別を移行する人々を指し,精神医学の診断基準では性別違和と呼ばれている。
これまでのトランスジェンダーの脳科学研究は,生物学的な男性であるトランスジェンダー女性(性同一性は女性)に関するものに偏る傾向があり,なおかつその結果も十分な一致を見ていない。結果が一致を見ない理由としては,トランスジェンダー女性が,違和感の発現時期や,恋愛の対象となる相手の性別において均一ではない当事者で構成されており,それぞれが脳に別々の影響を及ぼす要素となっている可能性が考えられる。それとは対照的に,トランスジェンダー男性はこうした経過や特徴において,トランスジェンダー女性よりも均一性の高い集団であることが知られている。
本研究の目的は,生物学的女性であるトランスジェンダー男性(性同一性が男性)の脳が,同じく生物学的女性であって性別に対する違和感のないシスジェンダー女性(性同一性も女性)に対して,どの領域に灰白質体積の差異を有するかを全脳レベルで探索することである。
【対象と方法】
2013年から2018年にかけて,トランスジェンダー男性の参加者は,岐阜大学医学部附属病院への受診者,当事者コミュニティーへの呼びかけやウェブサイト上での広告を通じて,シスジェンダー女性の参加者は,ウェブサイト上や医療系機関へのポスター広告を通じて募集した。両群の診断には,精神疾患の診断・統計マニュアル(DSM-5)の性別違和の診断基準を用いた。
両群の参加者に対して,内分泌疾患や中枢神経系に影響するような重篤な医学的疾患の既往,重篤な精神障害等の既往,向精神薬の使用を除外規定とした。また,ホルモン治療や性腺に関する手術などによる人工的なホルモン動態の変化は脳形態にも影響をもたらすことが知られているため,これらの治療歴のある参加者も除外した。登録された参加者は全て,血清ホルモン値を測定してその異常がないことを確認するとともに,MRI (Achieva 3.0 Tesla TX, Philips)にてT1強調画像を撮像した (T1W, 3D, TFE: TR=8.0ms, TE 4.6ms, field of view=256mm, acquisition matrix=256 × 256, flip angle=8° , voxel size=1 × 1 × 1mm 3, 200 contiguous sagittal slices)。最に, Statistical Parametric Mapping12 software上にて,これらの画像に対する全脳を対象としたvoxel-based morphometry(VBM)解析を行った。
【結果】
上記の規定に基づき,トランスジェンダー男性21人とシスジェンダー女性21人の合計42人が本研究に登録された。トランスジェンダー男性のテストステロン値はシスジェンダー女性よりむしろ低く(ρ=7.07x10-3),問診での申告通り,ホルモン療法などによる人工的なホルモン動態の変更を行っていないことを示唆した。また,教育年数(ρ=0.034)を除いて,その他の臨床的指標に差はなかった。
トランスジェンダー男性の灰白質体積は,シスジェンダー女性と比較して右後部帯状回(PFWEcorr=3.06×10-6)と左後頭極(PFWE-corr=0.017)において増大し,左中側頭回(PFWE-corr=0.017)において減少していた。ここで,灰白質体積に影響を与えることが知られている性ホルモン(エストラジオールとフリーテストステロン) で統制すると, 左後頭極 (PFWE-corr =0.097)と左中側頭回 (PFWE-corr=0.064)の有意差は消失したが,統制後もなお,右後部帯状回から右舌状回に至る領域における有意差は残存していた (PFWE-corr=5.83×10-5)。
【考察】
本研究で確認された,トランスジェンダー男性の右後部帯状回から右舌状回に至る灰白質体積の増大という結果は,生物学的男性であるトランスジェンダー女性について,シスジェンダー男性と比較した先行研究のうちの,いくつかと一致していた。
後部帯状回とその周辺は大脳皮質正中内側部構造と呼ばれ,感情,顔面,社会領域における自己言及過程に関与すると考えられている(Northoff et al., 2006； Northoff and Bermpohl,2004)。また,内的自己知覚と外界知覚の間の不均衡には,自己言及過程の変調が関与していることが指摘されている(NorthoffandPanksepp,2008)。さらに,この構造における皮質の増大と安静時fMRIにおける活動低下が,自己身体知覚の違和感を表す生物学的マーカーになりうる,との仮説もある(Manzouri et al.,2017)。以上を踏まえると,我々の所見が示す大脳皮質正中内側部構造の後部における灰白質増大は,トランスジェンダー男性の自己身体知覚の違和感,すなわち自らを男性であると感じる内的自己知覚と,現実の自己身体が女性であるという視覚による外界知覚との不均衡,すなわち自己言及過程の変調に関わっている可能性がある。
本研究には考慮すべき限界がある。サンプルサイズが比較的小さい(n=42)こと,MRI撮像時に生物学的女性である参加者のホルモン動態を左右する月経の状態を統制できなかったこと,参加者の性的指向を決定するにあたりキンゼイスケールなどの指標を使用しなかったこと,性別違和の脳構造の変化が必ずしも機能的な変化を反映しているとまでは言い切れないこと,最後に,我々の所見は横断研究に基づいているため,性別違和の発現時期特定のためには縦断研究が必要となること,である。
【結論】
本研究の所見は,トランスジェンダー男性がシスジェンダー女性と比較して,脳の構造において変化していることを示唆している。特に大脳皮質正中内側部構造の後部における灰白質体積の増大は,トランスジェンダーの人々における自己言及過程の変調に関与している可能性がある。
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