ドーパミン添加によるヒト精子の運動性向上~神経伝達物質受容体を利用した新たな治療改善~
概要
ドーパミン添加によるヒト精子の運動性向上
~神経伝達物質受容体を利用した新たな治療改善~
東北大学大学院農学研究科
応用生命科学専攻
B9AD1201 菅野弘基
指導教員
種村健太郎
教授
目次
第1章
緒論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4-7
第2章
ヒト精子における神経伝達物質受容体発現率の違い
および精子所見との関係
第 1 節 緒言・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8-10
第 2 節 材料および方法・・・・・・・・・・・・・・10-13
第 3 節 実験結果・・・・・・・・・・・・・・・・・13-14
第 4 節 考察・・・・・・・・・・・・・・・・・・・14-18
第3章
ドーパミン添加によるヒト精子機能賦活化の臨床応用
第 1 節 緒言・・・・・・・・・・・・・・・・・・・19-21
第 2 節 材料および方法・・・・・・・・・・・・・・21-24
第 3 節 実験結果・・・・・・・・・・・・・・・・・24-25
第 4 節 考察・・・・・・・・・・・・・・・・・・・25-28
第4章
総括・・・・・・・・・・・・・・・・・・・29-30
2
引用文献・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・31-36
付図・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・37-48
謝辞・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・49
3
第1章
緒論
4
1983 年、本邦初となる体外受精児が誕生してから体外受精・胚移植などの高度生
殖医療は、不妊症患者への福音となった[1]。日本産科婦人科学会は、不妊症の定義を
生殖年齢の男女が妊娠を希望し、一般的に 1 年間避妊することなく通常の性交を継続
的に行っているにもかかわらず、妊娠の成立をみない場合としている。同学会による
と、日本における不妊治療件数は年々増加しているが、その成績は 2009 年以降大き
な変化はなく、治療法の改善が望まれている。臨床において、男性の精液所見に問題
がなくかつ女性側へ不妊原因が見当たらない場合も長期に渡り妊娠に至らない症例
も多く、従来の精液所見では判断不能な精子機能不全の存在が疑われる。
男性不妊症は不妊原因の約 50%を占め[2-4]、中でも造精機能障害が最も多い男性
不妊原因となっている。男性不妊症は、世界保健機関(WHO)が定めた精液分析パラ
メータを用いて診断される[5]。臨床において、射出精子は運動・形態良好精子の回収
を目的に精子調整を実施するが、それと同時に精子の質的な評価指標として用いられ
る DNA fragmentation 割合が低下する。よって、精子調整により良好精子が回収され
るが、従来法による精子回収では、治療成績へ大きな変化をもたらすことができてお
らず、新たな治療改善へのアプローチが必要と考えられる。精子の運動性は、妊娠に
おいて必要不可欠な能力である。生体内受精では、精子が子宮頸管、子宮、卵管を通
過して卵管膨大部に到達し、卵子と受精することが必要である。精子無力症では、精
子が受精の場である卵管膨大部へ到達できないため、不妊症となる[6]。不妊治療の受
精方法は体外受精(cIVF)と顕微授精(ICSI)があり、精液所見不良の男性不妊症例
では、ICSI が選択される。cIVF では、生体内受精における子宮頸管から卵管膨大部
への到達がバイパスされるため、精子は卵丘細胞に囲まれた卵子に容易に到達するこ
とが可能であり、精子自身が卵子へ侵入することが必要となる。従って、運動性を含
む精子受精能が重要となる。ICSI は高度生殖医療の中でも、男性不妊症治療の有効な
方法の一つであり、精子は顕微鏡下の目視により選択、卵子へ注入される。治療改善
5
における精子側の重要なポイントの一つは、➀ 顕微授精時の新たな良好精子選別法
の作出である。従来の運動性・形態へ重点を置いた精子調整・精子選別に加え、異な
る評価法の精子選別を加えることで治療改善へ繋がる可能性がある。また cIVF は
ICSI に比べ、胚の質が高いことが報告されている[7-10]が、精子無力症の受精率は、
ICSI と比較し cIVF が低いことが報告されている[11]。したがって、男性不妊の精子
は、受精能獲得、ハイパーアクチベーション、先体反応などの受精機能が低下してい
る可能性がある。よって、➁ 特に男性不妊症例に対して、精子の受精能賦活化を促
し、体外受精を挑戦することが治療成績改善となる可能性がある。
射出直後の哺乳類精子は受精能を持たず、雌性生殖器内を移動する際に多様な因子
によって受精能を獲得する[12]。精子が受精の場である卵管膨大部に到達すると、精
子の先体反応やハイパーアクチベーションが誘起され、卵子へ侵入・受精に至る。よ
って、受精能獲得やハイパーアクチベーションといった精子機能は哺乳類の受精現象
に必要不可欠である。先行研究により、精子は体外培養により受精能獲得を誘導する
ことが可能であることが実証され、現在の生殖補助医療技術へ世界中で応用されてい
る[13]。射出あるいは人工的に注入された哺乳類の精子は雌性生殖器内にてホルモン、
酵素、イオンなど様々な因子に曝され[14]、いくつかの因子は、特定の精子受容体を
介し受精能獲得を誘導される。興味深いことに、gamma-aminobutyric acid(GABA)、
ドーパミン、ニューロテンシンなどの主に中枢神経系で働く神経伝達物質の受容体が
精子上に発現していることが多くの哺乳類で明らかとなっている[15-19]。
脳と生殖器官の類似性は多くの報告があり、脳と精巣は他の組織と比較し、遺伝子
発現パターンが最も類似していると報告されている[20]。また卵管では、主に中枢神
経系で作用するドーパミン、ノルアドレナリン等の神経伝達物質が存在することが報
告されている[21]。体外培養実験において、精子の神経伝達物質受容体を介した受精
機能の賦活化が多くの動物種で報告されている[15-19]。そのため生体内において、卵
6
管の神経伝達物質と精子の神経伝達物質受容体による精子機能の制御が示唆されて
いる。ヒト精子においても同様に GABA、ドーパミン、ニューロテンシン等、多くの
神経伝達物質による精子受精能への関与が in vitro の実験により示されている。よっ
て、ヒト精子神経伝達物質受容体の発現や精子機能への影響を解析することで、未だ
不明な点が多い神経伝達物質受容体に関し重要な知見となるだけでなく、ヒト不妊治
療への様々な応用が考えられる。
そこで本研究では、ヒト精子における神経伝達物質受容体を利用した新たな治療改
善方法を見出すことを目的とした。まず第 2 章では、ヒト精子の神経伝達物質受容体
の発現率へ着目し、➀ 従来の運動・形態とは異なる顕微授精時の新たな良好精子選
別因子への可能性を検討した。続いて第 3 章では、第 2 章の結果を踏まえ、ドーパミ
ンを用いたヒト精子への影響を解析し、➁ ヒト精子への神経伝達物質添加が受精能
賦活化の臨床応用へ有用であるか検討を行った。
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第2章
ヒト精子における神経伝達物質受容体
発現率の違いおよび精子所見との関係
8
第 1 節 緒言
哺乳類の精子形成は精巣の精細管内を外側から内側へ向かい周期的に分化、形成さ
れる。膨大な数の精子形成は、幹細胞である精原細胞から精母細胞、減数分裂を経て
半数体となり精子へ至る。分化した精子は精細管腔内を移動し、精巣網へ集められ、
精巣上体における成熟により潜在的な受精能を得る。ヒトにおいて、射出される精子
は一様ではなく、運動性や形態に違いが認められる。また症例によって精子運動率や
正常形態率などの精子パラメータは大きく異なり、WHO による妊孕能のある男性精
子パラーメータ調査から男性不妊症の診断基準が定義されている[5]。
体外実験において、GABA、ニューロテンシンなどの神経伝達物質が、受精能獲得、
先体反応などの精子機能賦活化を引き起こすことが報告されている[17-19]。神経伝達
物質は、アミノ酸類、ペプチド類、モノアミン類の 3 種類に大きく分類される。中枢
神経系における神経伝達物質の作用は、種類や部位により大きく異なり興奮または抑
制的に作用し、機能制御している。一方、精子における神経伝達物質の作用は、多く
が精子機能を向上させ、これらは精子に発現する神経伝達物質受容体の種類に起因す
ると考えられる。また精液中精子の運動性や形態が不均一であることと同様にヒト精
子において、GABA 受容体の発現率が約 60%へ発現しているとの報告[22]があり、射
出精子における神経伝達物質受容体発現の不均一性が明らかとなっている。しかし、
GABA 受容体以外の神経伝達物質受容体について、同様の発現差異が見られるかは不
明である。また神経伝達物質受容体の発現している精子の割合と個体間の差異や従来
の精液所見との関係は明らかではない。
そこで本章は、ヒト精子の神経伝達物質受容体の発現率へ着目し、従来の運動・形
態とは異なる顕微授精時の新たな良好精子選別因子への可能性を目的に、ヒト精子に
おける各神経伝達物質受容体の発現率や精液所見との関係を検討した。着目した受容
体は、神経伝達物質の分類のうち、アミノ酸類である GABA の受容体(GABAARα19
6)、モノアミン類であるドーパミン(D2DR)
、アセチルコリン(nAChRε)の受容体、
ペプチド類であるニューロテンシンの受容体(NTR1)とした。
第 2 節 材料と方法
ヒト精子検体の準備
仙台 ART クリニックにて体外受精時に使用されず廃棄となる調整後余剰ヒト精子
を実験に供した。なお、対象患者へは仙台 ART クリニックにて、インフォームドコ
ンセントを得て、書面にて研究協力の同意を得た。またヒト精子の研究に際して、本
学および仙台 ART クリニックのヒトを対象とする研究に関する倫理委員会の承認を
受けて実施した(受付番号:17-B-01 および 02)
。
ヒト精液は、2-7 日間の禁欲期間後、マスターベーションにより採取した。20 分間
の液化後、精液検査を行い、WHO の精液基準値(精子濃度>1500 万/mL、精子運動
率>40%、精子形態>4%)を満たす、正常精液所見を検体へ用いた[5]。
精子調整後ヒト精子における神経伝達物質受容体発現率と精液所見との関係
➀ 免疫細胞染色
精子調整は、密度勾配遠心法を用いた。28 歳から 48 歳の 11 人の精液を単層密度
勾配液である 5 mL Sepa Sperm(KITAZATO, Shizuoka, Japan)へ重層し、1500 rpm、20
分間で遠心分離した。上清を捨て、管底の精子懸濁液を 5% Human Serum Albumin
(HSA; Vitrolife, Västra Frölunda, Sweden)添加の Quinn’s Advantage Fertilization Medium
(QF; CooperSurgical, Målov, Denmark)に再懸濁させ、2 回洗浄した。
精子調整後の検体へ 10%中性緩衝ホルマリン(Nacalai Tesque, Kyoto, Japan)1 mL
を加え、室温で 15 分間固定を行った。その後、遠心分離(4000 rpm、4℃、5 分)し
上清を廃棄後、1 mL リン酸緩衝生理食塩水(PBS, pH 7.4 , Nacalai Tesque)を加え洗
10
浄し、再び PBS 1 mL を加え、透過処理を行うまで 4℃で保存した。保存した検体を
遠心分離(7000 rpm、4℃、5 分)し、上清を捨て精子をペレット状にした。1% Triton
X-100(Nacalai Tesque)を含む PBS により 15 分間透過処理を行った。遠心分離(7000
rpm、4℃、5 分)後、上清を捨て、PBS を 1 mL 加える処理を 3 回繰り返すことによ
り洗浄を行い、Blocking One(Nacalai Tesque)または 1% ウシ血清アルブミン(BSA,
Nacalai Tesque)を含む PBS を加え、1 時間ブロッキング処理を行った。その後、遠心
分離し、上清を捨て、Blocking One と PBS を 1:4 で混合した液を溶媒とし、一次抗
体反応として、anti- GABAARα1-6 antibody(sc-14005, Santa Cruz Biotechnology, Dallas,
Texas, USA)、anti-D2DR antibody(sc-9113, Santa Cruz Biotechnology)、anti-nAChRε
antibody(sc-376747, Santa Cruz Biotechnology)を 100 倍希釈、または 1% BSA を含む
PBS を溶媒とし、一次抗体反応として、anti-NTR1 antibody(sc-374492, Santa Cruz
Biotechnology)を 100 倍希釈して反応させた。反応は、4℃の冷蔵庫内で振とうさせ
ながらオーバーナイトさせた。PBS にて 5 分間の洗浄を 3 回行ったのち、二次抗体反
応および核染色を行った。二次抗体反応には、Alexa Fluor 555-conjugated anti-donkey
immunoglobulin G(1:500, Thermo Fisher Scientific, Waltham, Massachusetts, USA)または
Alexa Fluor 555-conjugated anti-mouse immunoglobulin M(1:500, Thermo Fisher Scientific)
を用い、核染色には Hoechst33342(1:2000, Thermo Fisher Scientific)を使用した。希釈
液として上記の Blocking One と PBS の混合液(1:4)または 1% BSA を含む PBS を
用いた。反応は室温で揺らしながら 1 時間行った。反応後 PBS で十分に洗浄したの
ちに、BZ-X710 オールインワン蛍光顕微鏡(Keyence, Osaka, Japan)にて観察を行い、
付属ソフトウェアの BZ-X Analyzer を用いて画像取得を行った。また、各検体におけ
る 200 個の精子に対し各神経伝達物質受容体発現の有無を判定し、神経伝達物質受
容体の発現している精子の割合(%)を算出した。
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➁ 精液検査
精液検査はクリニックにて用手法により採取された精液を 20 分間液化処理後実施
された。精液 20 µL を Proiser 2 chamber(CooperSurgical)へ滴下し、倍率 400 倍の BX41 倒立顕微鏡(Olympus, Tokyo, Japan)下で、目視により精子濃度、精子運動率、総
精子数を算出した。正常形態率は、精液 3 µL をスライドガラス(Matsunami Glass
Ind.,Ltd, Osaka, Japan)へ塗抹・風乾後、Diff-Quik 染色法により標本を作製した。倍率
1000 倍の倒立顕微鏡下にて、WHO laboratory manual の評価基準に基づき、200 個の
精子をカウント、精子形態を正常・異常に分類し、正常形態精子の割合(%)を算出
した[5]。
精子調整後の除去・回収ヒト精子における神経伝達物質受容体の発現率比較
6 人の精液を単層密度勾配液である 5 mL Sepa Sperm(KITAZATO, Shizuoka, Japan)
へ重層し、1500 rpm、20 分間で遠心分離した。遠心分離後、密度勾配液を通過できな
かった上清精液(除去精子)と管底の精子懸濁液(回収精子)をそれぞれ回収し、5%
HSA 添加の QF に再懸濁させ、2 回洗浄した。
各調整サンプルを前節と同様の方法・抗体を用いて免疫細胞染色および神経伝達物
質受容体の発現している精子の割合(%)を算出した。
精子調整後のヒト精子における NTR と他神経伝達物質受容体との関係
4 人の精液を前節と同様に密度勾配遠心法にて精子調整を行い、固定・透過処理を
実施した。遠心分離(7000 rpm、4℃、5 分)後、上清を捨て、PBS を 1 mL 加える処
理を 3 回繰り返すことにより洗浄を行い、1% BSA を含む PBS を加え、1 時間ブロッ
キング処理を行った。その後、遠心分離し、上清を捨て、1% BSA を含む PBS を溶媒
とし、一次抗体反応として、anti-NTR1 antibody(1:100)と anti- GABAARα1-6 antibody
12
(1:100)、anti-D2DR antibody(1:100)または anti-nAChRε antibody(1:100)を反応
させた。反応は、4℃の冷蔵庫内で振とうさせながらオーバーナイトさせた。PBS に
て 5 分間の洗浄を 3 回行ったのち、二次抗体反応および核染色を行った。二次抗体反
応には、Alexa Fluor 555-conjugated anti-mouse immunoglobulin M(1:500)と Alexa Fluor
555-conjugated anti-donkey immunoglobulin G(1:500)または Alexa Fluor 555-conjugated
anti-mouse immunoglobulin M(1:500)を用い、核染色には Hoechst33342(1:2000)を
使用した。1% BSA を含む PBS を用いた。反応は室温で揺らしながら 1 時間行った。
反応後、前節と同様に BZ-X710 オールインワン蛍光顕微鏡にて観察を行い、各検体
における 100 個の精子に対し NTR1 と他神経伝達物質受容体発現の有無を判定し、
各検体における神経伝達物質受容体の発現している精子の割合(%)を算出した。
統計解析
各試験は独立した検体を用い、少なくとも 3 回以上繰り返された。統計解析におけ
る有意差検定は、相関解析については、Spearman's rank correlation coefficient、2 群間
比較については Wilcoxon signed-rank test を用い、P < 0.05 を有意とした。統計検定に
関してはすべて EZR(https://www.jichi.ac.jp/saitama-sct/SaitamaHP.files/statmed.html)を
用いて行なった。
第 3 節 結果
ヒト精子における神経伝達物質受容体の発現解析
免疫細胞染色により、精子調整後のヒト精子へ GABAARα1-6、D2DR、nAChRε、
NTR1 の発現が認められた。GABAARα1-6 は、ヒト精子頭部の後先体領域へ発現し、
発現率は 64.5 %から 89.0 %と比較的症例差が大きいことが示された(図 1)。D2DR
は、ヒト精子の中片部へスポット状に発現し、特に終末部への発現が多くを占め、発
現率は比較的に症例差が小さいことが示された(図 2)。nAChRε は、精子頸部へス
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ポット状に発現し、発現率は全ての症例で 85.0 %以上であることが示された(図 3)。
NTR1 は、ヒト精子頭部の赤道部へ発現し、発現率は 24.5 %から 65.0 %と 4 種の中で
最も症例差が大きいことが示された(図 4)。
各神経伝達物質受容体と精子濃度、精子運動率、正常形態率、総精子数の精液所見
に有意な相関関係は認められなかったが、NTR1 において、精子濃度、精子運動率、
総精子数は弱い正の相関関係の傾向が認められた(図 5)。
ヒト精子における神経伝達物質受容体の発現解析
ヒト精子調整後の除去精子と回収精子における神経伝達物質受容体発現率の解析
では、
D2DR の発現率は除去精子と回収精子に有意な差は認められなかった(図 6B)
。
一方、GABAARα1-6、nAChRε、NTR1 の発現率は、回収精子と比較し除去精子が有意
に低くなった(図 6 A,C,D)。
ヒト精子における NTR と他神経伝達物質受容体との関係
精子調整後のヒト精子における NTR1 と GABAARα1-6、D2DR 、nAChRε を用いた
2 重免疫細胞染色では、NTR1 と他神経伝達物質受容体を共発現する精子が認められ
た(図 7 A,B,C)。神経伝達物質受容体発現比率の解析から NTR1 と他神経伝達物質
受容体のいずれも発現しない精子が確認され、発現比率としては GABAARα1-6、
D2DR、
nAChRε を単独で発現する精子が最も多く認められた。 NTR1 発現精子では、
GABAARα1-6、D2DR、nAChRε を共発現する比率の平均がそれぞれ 79.5 %, 87.7 %,
100.0%と大多数を占めることが示された。
第 4 節 考察
本研究は正常精液所見の症例を対象に、精子調整後の余剰精子を検体へ用いた。に
14
もかかわらず、本研究に用いた 4 種の神経伝達物質受容体は一部の精子へ発現し、神
経伝達物質受容体の種類により個体差が異なることを示した。精子調整は運動性、形
態良好精子回収のため実施され、精子調整後の精子群は運動率・正常形態率が高くな
る。一方で、従来の精子調整後の精子運動性・形態は不均一であり、神経伝達物質受
容体の発現においても同様に精子へ不均一に発現していることが明らかとなった。ま
た NTR1 において精子濃度、精子運動率、総精子数と精子調整後の神経伝達物質受容
体発現率の関係に弱い正の相関関係が認められたが、各神経伝達物質受容体発現率と
精液所見との関係は低いことが示された(図 5)。このことから神経伝達物質受容体
の発現は、運動性や生存性に関わらず一定の割合で発現していることが示唆されたた
め、精子調整時、除去される運動・形態不良、不動精子を含む除去精子と回収精子の
神経伝達物質受容体発現率を比較検討した。本研究で用いた密度勾配遠心法は、ヒト
射出成熟精子の密度(1.11 ~ 1.12 g/mL)が、未熟精子や死滅精子の密度より高いこと
を利用し、密度勾配液による良好精子を分離する方法である。通常、密度勾配遠心法
を用いた調整精子は、非常に運動性が高く、白血球、非生殖細胞、変性した生殖細胞
を含まない。本研究においても除去精子と回収精子の運動率(範囲)は、10.0 – 37.9%
と 92.7 – 100.0%と精子調整後の回収精子は著しく精子運動率が高かった。除去精子
と回収精子の神経伝達物質受容体発現率比較の結果、GABAARα1-6、nAChRε、NTR1
の発現は回収精子である運動性・形態良好精子に発現が多く、D2DR は不動精子を含
め、ヒト精子へ広く発現していることが明らかとなった(図 6)。これらの結果から
NTR1 の発現率は症例差が大きく、運動性・形態良好な精子への発現率が高いことが
示され、他 3 種の神経伝達物質受容体と比較し、限られた精子にのみ発現することが
示唆された。そこで NTR1 発現精子へ着目し、GABAARα1-6、D2DR、nAChRε の発現
との関係を免疫細胞染色の 2 重染色により検討した。免疫細胞染色の結果、NTR1 と
他神経伝達物質受容体を共発現している精子が確認された(図 7 A,B,C)。 ...