Ti-Ni合金における変位型相変態の動的観察による組織形成機構の解明
概要
Ti-Ni 合金は変形後の加熱によって形状を回復する形状記憶効果,外力の負荷によって変形し除荷によって形状を 回復する超弾性特性を示す機能材料として,湯水混合水栓の温度調節素子などの住宅機器からカテーテル,ガイド ワイヤー,ステントなどの低侵襲性医療デバイスにわたる幅広い分野で実用に供されている.形状記憶効果,超弾 性特性の素過程は熱弾性マルテンサイト(M) 変態と呼ばれ,金属・合金の相変態において変位型相変態の範疇に 入るものであり,温度や圧力などの外場の変化に対して物質内部の原子が拡散を伴わず協同的かつせん断的に移動 して起こる現象である.熱弾性 M 変態に由来する金属組織の形成において最も特徴的なものが自己調整構造である.自己調整構造とは,結晶対称性の高い高温(母)相から低い低温(M)相への変態に伴い導入される晶癖面バリア ント(HPV)が互いの変態歪みを効率的に緩和できるように結合しあって構築されるクラスター組織であり,原子 レベルから結晶粒径程度のスケールに渡る階層構造を持っている.
Ti-Ni 合金の自己調整構造は 1980 年代以降様々なモデルが提案されてきたが,2012 年に階層的顕微技術と結合部界面でのKinematic Compatibility(KC)条件および双晶関係からの偏差に基づく理論解析を駆使した研究によって, 2,3,4,6 個の HPV が結合した 4 種類の HPV クラスターが存在することが示された.しかしながら,自己調整構造の形成過程を明らかにするためには,上述した階層的顕微技術に加えて“その場観察”に代表される動的顕微技術による観察と解析が不可欠である.
そこで本論文では,Ti-Ni 合金の変位型相変態動的に顕微鏡観察する技術を確立し,それを基に熱弾性 M 組織の形成機構を解明することを目的とした。
第 1 章では,本研究の背景である Ti-Ni 系形状記憶合金における相変態の組織および結晶学的特徴,熱弾性 M 変態,自己調整構造を概観し,目的と論文の構成を述べた.
第 2 章では,本論文の第 3 章から第 6 章において共通する実験方法である,試料調製法,変態温度の測定法,組織観察法などを述べた.
第 3 章では,Ti-Ni 合金の母(B2)相から M(B19’)相への熱弾性 M 変態の過程を透過電子顕微鏡(TEM)と走査電子顕微鏡(SEM)内その場冷却・加熱観察によって比較した。TEM その場観察においてはこれまで指摘されてきた変態点の低下のみならず,自己調整構造における HPV の形態と HPV 内に格子不変変形として導入される双晶幅比の観点から,バルク状態とは異なる組織が形成されることを明らかにした.さらに,電解研磨によって試料膜厚が 75 nm から 50 μm まで傾斜した試料を作製し,SEM 内その場冷却観察よってバルク状態と同等の自己調整構造が形成されるためには 20 μm 以上の膜厚が必要であることを示した.以上のことから,SEM 内その場冷却観察は変位型相変態に伴う組織形成過程を高分解能で広範囲に観察できることを結論付け,試料作製技術,結像条件を含めた動的観察技術を確立した.第 4 章以降ではこの手法を動的顕微技術として採用することとした.加えて本章で得られた知見は形状記憶合金のマイクロおよびナノ電気機械システムへの応用において,膜厚による作動温度の変動などが起こり得ることを示唆した.
第 4 章では,SEM 内冷却・加熱観察を行い B2→B19’変態おける自己調整構造の形成過程の詳細を明らかにした.まず,順変態と逆変態では M 組織の形成と消滅がほぼ可逆的に起こることを見いだし,核生成サイトが M 変態において一般的とされている粒界や母相/母相介在物界面などではなく結晶粒内であることを明らかにした.また,変態初期においては理想的な自己調整構造である 6 個の HPV が結合した 6HPV クラスターが優先的に核生成し,変態の進行に伴って 2 および 3HPV クラスターが現れることを示した.また,本合金においては冷却・加熱サイクルにおいて組織の再現性がないことが知られた.
第 5 章では,Ti-Ni 合金における B2→B19’等温変態を電気抵抗測定によって調査し,その存在を明らかにするとともに,等温変態に伴う組織変化を世界に先駆けて可視化した.本章および上述の第 4 章で得られた知見によって変位型相変態の動的顕微解析技術における SEM 内その場観察の有用性を実証した.
第 6 章では,B19’相の自己調整構造に及ぼす合金組成,変態熱サイクル,母相粒径の影響を系統的に評価した.合金組成の影響においては Ti-50.0 ~ 51.0 mol. %Ni 合金を調製し,自己調整構造の組織観察と母相および M 相の格子定数の精密測定し,KC 条件および双晶関係からの偏差に基づく理論解析との比較を行った.組織観察においては Ni 濃度の増加に伴い 6HPV クラスターの出現頻度が高くなったが,理論解析では 6HPV クラスター形成のための双晶関係からの偏差が増大する傾向を示し,観察結果との間に矛盾が生じた.そこで母相の強度に着目し,同一組成において母相を強化する手法として,変態熱サイクルを施し転位を導入することによる加工強化,結晶粒径を制御することによる微細化強化を行い,サイクル数の増加と結晶粒径の微細化によって 6HPV クラスターの出現頻度が高くなることを見いだした.すなわち,自己調整構造に影響を及ぼす因子は理論解析において母相と M 相の格子定数から導かれる KC 条件および双晶関係からの偏差のみならず,母相強度に関連していることを明らかにした.
第 7 章では、本研究で得られた知見をまとめて総括とした。