確率セルオートマトンで表現される離散的移流現象の漸近挙動の解析
概要
移流現象は, 流体の流れや電流などの物理, 物流や交通渋滞などの社会現象, あるいは, ネットワークにおける情報の移動など, 様々な場面に登場する現象であり, 理論, 応用の両面からの研究が盛んである.移流現象では, 移流の主体である対象が空間内を移動する際に, 経路の途中で生成消滅がなければ対象全体の総和は時間がたっても変化せず, 質量保存則が成立する.また, 対象全体がどのような速さで移動しているかという観測量は第一義的に重要で, 例えば, 平均密度と平均運動量の依存関係などが主要な研究テーマになることが多い.
それら移流現象は, 非線形な偏微分方程式によって記述されることがある.非線形性を持つ偏微分方程式は解析解を求めることが困難である場合があり, このため, 差分法, 有限要素法等の離散化手法を用いて差分方程式を導出し, その解析を行うことで, 偏微分方程式の近似的な解を導くという研究が盛んに行われている.さらに, 連続体の近似としての離散的現象ではなく, 初めから離散的であると想定される移流現象を取り扱う研究分野も存在する.例えば統計力学では, 微視的な物質の運動や状態が各々確率分布に従う変数であるとし, 確率変数の期待値や種々の統計量によって巨視的な物質の運動, エネルギー, エントロピーなどを理解することを目的としている.統計力学における離散的な移流現象を解析するモデルとしては, ASEP(asymmetric simple exclusion process)が挙げられる.ASEPは, 多数の粒子が一次元の格子上を体積排除の原理に従いつつ確率的に移流するような, 多体ランダムウォークモデルである.1970年代から研究が行われているこのモデルは, 確率論だけでなく, ランダム行列, 直交多項式, 量子群などの分野とも関連付けられて議論されている.ASEPでは, 移流の対象同士が排他的であり, 対象の密度が変化すると, 移流の効率について相転移が起こることが観察される.このような相転移現象を明確に示すグラフとして基本図と呼ばれるものがある.基本図は, 系の漸近挙動における対象の密度と流束の空間平均との関係を表すグラフである.このような基本図を用いた工学的応用研究としては, 渋滞学と呼ばれる分野が存在する.例えば一方通行の高速道路において, 車の密度がある転移点を超えると, 自由走行相から渋滞相に転移することが知られており, それら相転移現象を明確に示すグラフとして基本図が用いられる.
このような離散的な移流現象を表現する数学的手法として, セルオートマトン(CA)と呼ばれるものが存在する.CAは非常に単純な構成から成り立ち, かつ, 豊富な現象を再現する非線形力学系である.CAにおいて空間はサイトと呼ばれる離散座標で表され, 時刻も離散である.また, 状態変数の値域は有限集合をなす.この構成の単純性から, 時間発展則は簡便に定義できる.また, 時間発展則に離散確率変数を導入することも容易であり, 確率CAは決定論的CAとともに多くの研究がなされている.燃焼, 結晶成長などの物理化学現象, 流体, ネットワーク伝送などの移流現象, 生態系, 細胞分裂などの生命現象など, 現実の現象を解析するためのシミュレーションモデルや説明モデルに応用されている.
本論文では, 以上のような研究を基に, 確率CAによって表現される離散的な移流現象について, その漸近的性質を解析する.2章では, 高次保存量を持つ系と状態変数が多値に拡張された系について解析を行い, 3章では, 2章とは異なるアプローチを提案したうえで, まず基本的な系に対してその手法を適用し, その後多近傍拡張系, 連立系を提案し, 同様の手法を用いて解析を行う.4章では, 一種の超幾何級数によって表現された系の漸近挙動の, 熱力学的極限を計算する.
移流現象において, 移流対象が外部より注入される, 生成消滅の効果があると移流対象の総量が変化しうるが, このような条件がないと総量は時間に対して一定となる.本研究では, 総量が変化せずに保存量となる系について取り扱う.例えば, 時間発展において1の総数が変化しないルール(これを1次保存量という)を持つ, 決定論的なCAであるECA184に対して, その保存量を保ったまま確率変数を導入した系が存在する.本研究ではこれを過去の例に倣ってSBCA(stochastic Burgers cellular automaton)と呼ぶ.この系に対して, パターン密度, 分解仮設, 平衡方程式の3つの概念が用いられることで, 前述した基本図が理論的に導出される.
ここで, パターン密度とは時間無限大における系の特定の局所的な0と1のパターンの個数の空間平均であり, 分解仮設とは長いパターンの密度を短いパターンの密度の組み合わせに分解する等式である.また, 平衡方程式とは, 時間無限大において, 次の時刻に特定のパターンが生み出されるための現時刻でのパターンと確率変数の条件を方程式としたものである.具体的な導出手順は, まず平均流束をパターン密度で表現し, そのパターン密度に関する平衡方程式を導出した上で, それに対して分解仮設を代入しながら整理することによって, 平均流束を保存量密度と確率パラメータのみで表現するといったものである.ただし, 分解仮設はその存在が未だ数学的に証明されておらず, 各パターン密度に対応する分解仮設を系ごとに数値的検証によって実証的に確かめながら使用する必要がある.
2章ではこれらの分解仮設を用いた手法を利用しながら, まず章の前半において, 粒子数ではなく, より高次の保存量を持つような確率CAに対して, その保存量密度を与えるパターンが移流していく様子を解析する.2次保存量を持つ確率CAは超離散コールホップ変換によって1次保存量を持つ確率CAに帰着させることができ, 帰着させた系に対して前述した手順を施すことで基本図を導出することができる.しかし, 変換後の1次保存量を持つ系は無限和の項を有しており, 境界条件の取り扱いが難しくなる.そこで, 粒子列の左端, 右端にそれぞれ対応する2種類の変数を導入することで, 無限和の項を有限に縮約し, この問題を回避することができ, 基本図を理論的に導出することに成功した.
2章の後半では, 前述したSBCAの状態変数の値域を0, 1から0, 1, 2の3値に拡張した3値SBCAについて解析を行なった.この系の特徴は, 分解仮設の成り立つパターン密度が少ないことである.もし任意のパターン密度に関して分解仮設が全て成立していると仮定した場合, 全てのパターン密度は, 分解仮設により2近傍以下のパターン密度によって表現できる.しかし, 3値SBCAにおいては, 分解仮設が全て成り立つという数値的検証結果が得られておらず, パターン存在密度の中で2近傍以下に縮約することができずに未知変数のままとなってしまうものが多く存在する.すると, その未知変数を解くために平衡方程式をさらに連立させる必要があり, 連立させる平衡方程式の本数が増えていくと, 基本図の導出がより煩雑になってしまう.しかし, 数値的検証により成り立つと仮定できる分解仮設とCAの一般的性質から導出される恒等式をうまく選定しながら利用することによって, 平衡方程式の本数の増加を抑え, 確率パラメータを固定した上で基本図を求めることができた.
2章では空間無限大の設定の下で系の解析を行ったのに対して, 3章では有限の空間サイト数での漸近挙動の解明を目的として, 2章とは異なるアプローチを提案する.これは, 2章における空間無限大の下での局所的なパターンの存在確率の定義の曖昧さを回避するためである.これらの存在確率は, 本来空間無限大の系において, 時間無限大での収束値として与えられる.しかしながら, この条件下での分解仮設の厳密な導出は困難となる.したがって, 存在確率の正当性を担保するためには, 有限の空間サイズおよび有限時間での数値計算に頼らざるを得ない.これでは空間, 時間の二重の意味での近似になってしまう.このことを踏まえた上で3章では, 与えられた有限の長さの全空間サイトにわたる状態変数の列(configuration)を一つの状態とみなし, それらの集合上をconfigurationが確率的に遷移するマルコフ連鎖として, 確率CAの解析を行う.
まず初めに, 粒子系に対して, 具体的な空間サイト数と粒子数を設定したうえで, 確率過程としてのエルゴード性を仮定できるようにconfigurationの状態空間を設定した上で, 実際に十分大きい時刻分の時間発展を測定し, 各configurationがどれほどの頻度で出現したかをヒストグラムとして導出する.その測定を繰り返し行うことで, ヒストグラムが一意的にある分布へ収束することと, それらの分布がある階層構造を持っていることを実証的に示す.
次に, それらの具体的な空間サイト数, 粒子数の下でのconfiguration間の遷移確率を行列で表す.遷移確率は, 粒子がどのような配置と確率的条件によって移流するかの条件を基に, 容易に導出することが出来る.この遷移確率行列を導出することで, 確率CAの時間発展を離散時間のマスター方程式で表す.その方程式の固有値1に対応する固有ベクトルを求めることで, 系のconfigurationの漸近分布を導出する.この時, それらの遷移確率行列の固有方程式が1の単根を持つことを確認することで, 具体的な条件下においてはそれらの固有ベクトルが(定数倍を除いて)時間発展の収束先として一意に存在することを確認する.また, このような解析を異なる空間サイト数, 粒子数に対しても繰り返し適用し, それらの漸近分布をみることで, 導出された固有ベクトルの各成分の比率が, それら成分に対応するconfigurationの特定の局所パターンの個数に関係しているという予想を得た.これを基に, 一般の有限な空間サイト数, 粒子数に対する漸近分布の一般系の予想を立てた.また, 予想により導かれた漸近分布を基に, 基本図を確率変数の期待値として導出した.さらに, このような手法が適用できるような拡張系を探索し, 漸近分布の予想と基本図の導出を行った.具体的には, まず前述したSBCAについてこれらの解析を行い, 空間サイト数が有限な系における漸近分布と基本図を導出する.また, SBCAにおける移流現象が発生するためのパターンの条件を高近傍にまで拡張したもの, そして, 二つのSBCAを連立させた拡張系についても同様の解析が行えることを示す.さらに, 連立拡張系の特殊な初期条件での時間発展における漸近挙動は, 2章において解析を行った高次保存量を持つ系のそれと等価であることを示した.
4章では, 3章で導出した有限空間サイト数における基本図の熱力学的極限を計算した.その際, 基本図がGKZ超幾何関数と呼ばれるGelfand, Kapranov, Zelevinskyが提唱した超幾何関数の一種で表現されることを利用する.GKZ超幾何関数は, 超幾何関数の多変数拡張とも呼べるもので, 一般的な超幾何関数と同様, GKZ超幾何関数が満たす隣接関係式や微分方程式が導出できる.それらの性質を利用することで, 隣接関係式の極限として, 基本図の熱力学的極限の計算を行った.また, ここで導出された結果が, 先行研究における結果と一致することも確認した.
具体的には, 前章で導出したSBCAの有限空間サイト数における基本図が, パラメータを変化させた2つのGKZ超幾何関数の比で表現されていることを確認する.次に, これらGKZ超幾何関数の隣接関係式を, GKZ超幾何関数の一般的性質を用いて求めることで, それぞれのパラメータをとるGKZ超幾何関数の関係を行列の形式を用いて表現する.この隣接関係式を用いて二つのGKZ超幾何関数の比を表現し, 無限級数展開を用いながら極限を計算することで, 空間サイト数無限大における基本図を導出し, 既存の研究結果と等価であることを確認した.
以上に述べてきたように, それぞれ分解仮設, 遷移確率行列という異なる手法を用いて, 空間サイト数が無限であるような系, 有限であるような系における漸近挙動の解析を行ったが, 前述したように, 分解仮設と, 一般のパラメータにおける固有ベクトルの各要素の倍率は数学的には示されておらず, これらの証明は今後の課題である.有限系において, 一般のパラメータにおける固有ベクトルの成分同士の比を予想する際, それらが因数分解された簡潔な形で表現されていることで一般系の推測が容易となった.そのような性質は, 3章において例示するように決して一般的な系の性質として存在するわけではない.しかし, 例えば可積分系の代数的エントロピーのように, 因数分解できることが系の可解性に結びついているという可能性も, 直ちに否定できるものではない.各予想の証明とともに, 予想が成り立つような系に共通する性質を抽出し, 離散的確率移流系の網羅的な解析を行うことは, 今後の展望である.また, それら二つの結果を等価なものであるとして結びつける, 熱力学的極限の手法としてのGKZ超幾何関数が存在していることがわかった.その一般的な数理構造を解明することで, 「可解な粒子系」といった広い枠組みを提唱することの可能性が提示された.