物理研究の思い出 -学生諸君との仕事を中心に-
概要
物理研究の思い出 -学生諸君との仕事を中心に著者
雑誌名
巻
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発行年
URL
島田 徳三
明治大学理工学部研究報告
特別寄稿
1-26
2020-07-01
http://hdl.handle.net/10291/21411
物理研究の思い出
―学生諸君との仕事を中心に
島 田 徳 三
Tokuzo Shimada
.始めに
できなかった理論的な分野―超弦理論,重力,
この
月に定年したあと講義がなくなっ
可解模型で仕事したり,やがて研究室で院生
て,従って(夢での作業を除いて)その準備
が育ってくると一緒に宇宙,カオスと,興味
もなくなり,ずいぶんと身軽になったもので
の 赴 く ま ま に 研 究 を し て き た。世 間 で は
ある。
Higgs 粒子の発見,重力波の直接観測など大
この理工研報告の特別寄稿に際して一つ
謝っておきたいことがある。この寄稿は,
「文
きな発見がなされ,私と学生諸君は物理フロ
ントをずっとフォロ―してきた。
字制限24000文字(原稿用紙60枚)」以外には
何も制限のない緩やかなご依頼であった。明
.商学部時代
治大学では40年の長きにわたり非常に寛容に
英国の Durham 大学では回り持ち講義で S
教育・研究をさせていただいてきた。
(もち
行列理論を講義したが,大学院生が対象だっ
ろんそれに報いるべく不器用ながら多くの学
た。そ の 後,Max-Planck 研(München),
生諸君や同僚諸氏の協力を得て出来る限りの
Lawrence Berkeley 研を経て,明治大学への
努力をしてきた)
。そこで,ここでも,思い出
就職が決まり,帰国のフライト中は S. Wein-
ばなしを交えつつ気楽にどんな風に研究して
berg の The First Three Minuites を読んで
きたか綴らせていただこうと思う。学生諸君
講義の案を練ったのを記憶している。しかし
との研究では,カオス共同研究の始めとその
物理を教えると始めは大変苦労した。受験の
最後に絞って述べたい。
力学ではなく文科系の学生さんに物理そのも
私は商学部で13年(1981-94),生田キャン
のがどんなものかを話したかった 1 。物理の
パス
(一般教育,
物理学科)で25年(1994-2019)
生い立ちが書かれている朝永「物理学とは何
と
だ ろ う か」は,大 い に 自 分 の 支 え に し た。
つの文化を体験した。東大素粒子研の院
生時代とそれに続く
年の海外 Post Doc の
ニュートンの三法則を話すにしても質量の定
頃の研究は素粒子物理の現象論を主体として
義には大いにこだわった。こうして初めての
いたが,
明治に奉職したあとは,それまで中々
講義を考え考えやっていった 2 。当時,平田
1
2
大きな悩みは,一通り話した後なら何であったかを語ることは出来ても,
「何か」から話し始めることは難しい。
等価原理を説明したりコリオリ力に話を広げるとかえって商学部の学生は興味を持ってくれた。また後に生田で
の基礎物理学では外積の説明に大いに工夫したものである。成分で代数的に定義せず,大きさと向きを幾何的に定
義するのが直感的でいいと思うが,これだと外積の分配則を示すのが難しい。そのための傘の様な模型を工作室で
作っていただいたりした。
―1―
邦夫「BASIC による物理ドライラボ入門」が
1981, 同 D25,56,1982)。
出版され,大変おもしろく読んだ。和泉校舎
商学部に特に感謝しているのは,1986に
で PC を講義に利用する環境を作る努力をし
NBI(Niels Bohr 研)での在外研究と,さらに
て,提示実験に PC 実験を加えて講義して行
一年の延長を認めてくださったことである。
くと,だいぶ学生さんとも話が通ずるように
この期間に超弦理論の論文をいくつか書き,
なった。数年後には「自然科学概論」という
後の研究にも大いに役立った。
800名程度の受講者のいる講義を担当するこ
この在外研究までは,高エネルギー物理学
とになり,ここでは力学の生い立ち,原子・
研究所で建設中の電子・陽電子衝突型加速器
原子核・素粒子,宇宙を
本柱にして話して
TRISTAN で ト ッ プ ク ォ ー ク を
年後には原子力の安全問
e e → Z →tt で生成できたと想定して電
題を取り入れるようにした。(超新星爆発で
弱相互作用の full 1-loop での輻射補正計算を
終わる星の一生も平行性のあるおもしろい問
清水,五十嵐,中沢の東大素粒子研の先輩諸
題だった)。1989年の NHK スペシャル「徹
氏とやった 3 。また科研費で格子場ゲージ理
底検証いま原子力を問う。」は反対派の
氏
論での量子化の一方法を研究していた。しか
氏が激論を戦わせる大変優れた
し,1984 年 超 弦 理 論 の 大 進 歩(Green
いった。その
と推進派の
,
番組だった。直前の
回の放送を受けたもの
Schwarz に よ る anomaly cancellation の 証
で,そのまま見せるにはあまりに長時間なの
明)があって,超弦理論の研究を始めた。私
で,さわりを視聴覚教室や自宅で抜粋し,台
の博士論文は
詞も一部タイプして学生に見せて,この講義
析解に関するもので,強い相互作用の理論と
をきっかけに調べたことをレポートしても
しての弦理論にある程度なじみがあったが,
らった。チェルノブイリの事故の後であった
超対称性を組み込むには相当に高度のテクニ
が「日本は文明が異なる」
「日本の原子炉には
―クも使うので,まだ教科書も無い当時,自
自己制御性が組み込まれている」という推進
習では苦労も多かった。NBI では毎週この
派の言葉を良く記憶している。これから22年
分野の講演や研究ゼミがあり,いくつかの研
後,2011年には福島原発の事故で炉心溶融ま
究チームもできはじめていた。私は,NBI で
で起こってしまったのだが,当時の受講者諸
私をホストしてくれた Jens L.Petersen(イエ
君は原発の事故をどう見たであろう。
ンスさん)の薦めてくれた文献 4 で夏くらい
LBL では Higgs 粒子生成の一つの観測法
までは超弦の
の論文を発表している。商学部で初めて発表
していった。
+
重共鳴曲模型と ππ 位相差解
次元共形場理論の側面を勉強
した論文はスピン・パリティが0 の Higgs で
夏 に,Rutherford 研 に 出 か け,David
なく0-の擬 Goldstone 粒子がその役割を果た
Hochberg 君と同室になり,彼の問題の疑問
している場合, どう Higgs と実験で弁別する
点を話してもらった。それは弦理論の内包し
か の 論 文 だ っ た。(Phys. Rev. D23,1940,
ている高次元重力場理論が,弦の張力の逆数
3
4
M. Igarashi, N. Nakazawa, T. Shimada, Y. Shimizu, Electroweak corrections to muon piar production in electronpositron annihilation at high energy, Niucl. Phys. B263 (1986) 347 など。
Friedan, Martinec, Shenker. この論文の計算を NBI の始めに殆どチェックした。生田の研究室を閉じるとき,当
時コピー用紙の束を買って計算した厚いノートを見て感慨を味わった。
―2―
α′ を 展 開 係 数 と し て 摂 動 論 的 に 見 る と,
ていた。それを正しく込めると場の再定義の
Einstein-Hilbert 重力理論に曲率の高次の補
自由度があるので,x のみが決まり y, z は決
正を入れたものであり,その補正項は,作用
定できないという Deser, Redlich の論文が
を
出た。ここで膨大な摂動計算を捨てるのも悔
しいし,D-R は redfinition theorem による抽
S= d x −g {−R+
象的な議論だが,重力計算には固有の点もあ
α′ xR +yR+zR +⋯}
るので,私は正面から曲率
乗項を入れて
と 書 い た と き,x⁚y⁚z=1⁚−4⁚1 の Gauss-
Feynman graph の 計 算 に 必 要 な vertex,
Bonnet 重力(GB)になっているであろうと
propagator を腕力で計算し,振巾からは,
いう Zwiebach 予想を検証しようというもの
y, z 依存性は全 graph を足し上げると見事に
だった。方法は重力子の散乱振巾を弦理論と
キャンセルすることを具体的に示して Hoch-
重力理論でそれぞれ on-shell で計算し結果
berg 君と論文にした 5 。GB 重力が弦理論か
の一致を要求して(onshell amplitude match-
ら導かれる訳ではないが,再定義の自由度に
ing)この比を決める,というものである。
より GB 重力は弦理論と無矛盾である,とい
GB 型の確認には
点振巾の計算がいる。実
う事である。続いて,NBI の若手 Post Doc
は,この問題は私には向いていた。散乱振巾
(Berkeley で Ph.D 取り立て)の Zvi Bern 君
の扱いは専門だったし,修士のころは重力場
と共同して,反対称テンソル場やディラトン
の摂動計算に短期,雑魚の魚交じりをさせて
場などをすべて考慮して,ボソン弦理論全体
もらったのも強みだった。Hochberg 君の疑
と比較した。弦理論の有効理論として期待さ
問は, 元運動量は p+ p= p+ p に従うが
れるのは,GB 型重力であり,反対称場が
振巾を p のいずれで表すかの任意性の問題
tortion 項のものに限る,という
で,これは即座に Mandelstam 変数を使えば
る。我々は,いくら場の再定義の自由度を考
良い,と解決。数日で計算方針を立てること
慮に入れても,この
ができた。しかし,計算を進めると,なんと
ることはない,という結果を得た。これは,
しても matching がとれない,という矛盾に
弦理論の低エネルギー理論がどういうものか
突き当たった。しかも東大の若手たちは GB
探るのに手がかりとなる 6 。さらに対象を超
を検証したという短報を発表した。ロンドン
弦 理 論(特 に heterotic string)に 拡 張 し,
大での弦理論の学校で,Goddard とか Olive
anomaly cancellation で 重 要 な Chern-
の魅力的な講義を聴いているときも,合間に
Simons 項の
は Hochberg 君と議論したものである。そう
分析したが,結論は同様であった 7 。
項目であ
項目が同時に満たされ
様の形をつなぐ場の再定義も
こうしているうちに丁抹に戻る日が来て,私
この一連の仕事は,Princeton の Gross,
は NBI で単独で仕事を続けた。見直してい
Sloan, Imperial College の Tseytlin 等と,激
くと実は我々は,ある相互作用項を見落とし
しい競争で行われたが,論文の後書きに書い
5
6
D. Hochberg and Tokuzo. Shimada, Ambiguity in Determining the Effective Action for String-Corrected Einstein
Gravity, Prog. Theor. Phys. 78 (1987) 680. https://doi.org/10.1143/PTP.78.680.
Z. Bern, T. Shimada and D. Hochberg, Incompoatibility of torsion with the Gauss-Bonnet combination in the bosonic
string, Phys. Lett. B191 (1987) 267.
―3―
たように,Zvi 君と私の結果は彼らの結果を
く,場の理論の計算をやっている,というの
すべて包含していた。在外研究のここまでで
で,当 時,orbifold construction と か fer-
弦理論の研究の一線での仕事が発表出来る様
mionic construction とか弦の理論の構築にも
になったのは喜ばしいことであった 8 。
おもしろい可能性が見えていること,Mün-
ところで,この重力場の理論の摂動計算と
chen の Max-Planck 研の長年の友人の Ochs
弦理論の振巾のマッチングを通して,つくづ
氏 9 が Humbolt の fellowship で招聘してく
く感じたのは,前者は実に膨大な項をぶちま
れていることもあり,結局,最後の半年は
けてくるのに対し,後者はきちんと整った結
München に移ってマイペースで研究するこ
果を与えてくれることである。前者のジャン
とにした。話は巡って,相当の年月がたって
クを足し上げて,そして計算がいちいち正し
から,Zvi 君を明治大に招いて 10 ,一夏,集中
いときに初めて,多数の相殺の結果で後者と
的に,再び,重力の仕事を一緒にやった。私
一致する。こ の 認 識 に かぶってくる のは,
が NBI を離れてから,ずっと彼は,何人かの
TRISTAN のための Full one-loop 輻射計算
共同研究者とともに弦理論に対比させながら
で,これも膨大なジャンクを生成する。振巾
QCD の摂動論を開発してきたが,それの重
について場の摂動計算を弦理論から導いてし
力版を一緒にやろうというのである。これは
まったらどうだろう。張力無限大の極限で弦
成功し NBI 当時のやはり Post Doc だった友
の散乱振巾は粒子の散乱振巾に帰着するのだ
人 Dave Dunbar 君も後で参加して,論文に
から。この考えで重力子の散乱振巾のヘリシ
まとめた。背景には,京都大学の川合光氏た
ティ則を弦の振巾のルールから確認しつつ単
ちの優れた弦理論の論文が与えた KLT 関
名の論文を準備始めた。ちょうどこのあたり
係 11 というものがあり,これは閉弦振巾を開
でイエンスさんが,重力-Boson 弦の match-
弦振巾
ing をあなたはやっているけれど,QCD(強
新たな摂動論のコンテクストに持ち込んだも
い相互作用の色ゲージ理論)-Boson 弦の
ので,重力= QCD と主張をしている 12 。こ
matching もあり得るねえ,と示唆してくれ
の仕事はその後に Zvi Bern, Dixon, Witten,
た。これは NBI に
年半足らず滞在した頃
Cachazo, Arkani-Hamed, Damgaard 等 の 多
である。Zvi 君に Boson 弦振巾から QCD 振
くの研究者によって超重力中心に大きく発展
巾を導くこの可能性を話したところ,彼もま
し弦理論の国際会議で「振巾分野」というも
た visitor の Kosower も大いに乗り気になっ
のになっている。
個の積で表すものであるが,これを
た。一方で,私はまだ超弦理論そのものでな
7
8
9
10
11
12
Z. Bern and T. Shimada, Field redefinitions and Chern-Simons terms in the heterotic string, Phys. Lett B197 (1987)
119.
特に Hochberg 君に私の重力場の摂動計算での再定義確認成功のノートを送ったのち,Sweden の小都市 Kalmar
の対岸の島に 週間ほど息抜きの家族旅行をしたのは嬉しい限りであった。
このときも一つおもしろい論文(Phys. Lett. B215 (1988) 757)を共著したが,その後,QCD jet の研究を長く一緒
に続けた。Wolfgang Ochs 教授の短期招請について 25-Dec-2003. http://hdl.handle.net/10291/4784.
Zvi Bern カリフォルニア大学助教授の短期招請について. 20-Mar-1994. http://hdl.handle.net/10291/4752.
H. Kawai, D. C. Lewellen, and S. H. H. Tye, Nucl. Phys.B269 (1986) 1.
Z. Bern, D.C. Dunbar, T. Shimada, String based methods in perturbative gravity, Phys.Lett. 312 B (1993) 277-284.
―4―
.素粒子物理学研究室のアクティビティの記録(1995-2019)
学生諸君との仕事の記録である。それぞれに思い出が深いが,紙幅の関係で論文一覧を上げ
るにとどめる。
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博士論文はピンク,修士論文は空色,卒業論文は山吹色である。
なお学科として卒研発表会,卒論提出を既定にする前の数年は,私の研究室ではこの分野の
理論をこなすべく卒業寸前まで専念してもらい論文提出は義務付けなかった。しかし黛,山崎
両君の tetrado 形式を駆使した重力レンズ設計,藤垣,西両君のカオス研究(卒業後,私との
Phys. Rev. E 発表論文に結実,脚注13),鈴木秀彦君(現在学科准教授)の宇宙ジェット機構に関
連した電磁流体力学の考察など自発的に提出された良いレポートもあったが以下の卒論リスト
には入れていない。
[カオス]は,カオス素子の同期現象,流れ素子,写像素子,それらの間の Universality. 及び,
AKP を中心とする力学系の問題である。
[量子カオス]は,AKP の量子カオス,カオスを含む量子輸送現象,Kicked Rotator 等での
Chaos の Web など。
[宇宙,星]は,素粒子物理を駆使した Inflation 宇宙史,星でのパイ凝縮,宇宙ジェットなど。
[ゲージ理論]は,Kalza-Klein 理論,磁気単極子,余剰次元,Holography,共形場理論。
[弦理論]は,超弦理論のソリトンである D ブレーンの物理。AdS-CFT 対応(Holography)
。
[Black Hole]は,BH での量子場理論。量子エンタングルメント,BH エントロピー,情報問
題,Hawking 蒸発,ジェット機構も含む。
[素粒子・物理現象]は,単光子実験の試み,Schwinger 効果,重力波検出装置などから,素粒
子物理のトピック,ニュートリノ振動,CP 非保存等に亘る。 ...