チェーンソーによる安全な伐木作業のための技能習得に関する研究
概要
日本の森林の多くが急峻な地形に立地するため,伐木作業については機械化が進まず,ほとんどの伐木作業はチェーンソーを使用して行われている。そのため,林業の死亡災害の多くは伐木作業中に発生しており,作業全体のうちチェーンソーによる伐木作業中の死亡災害の発生率は,平成12年から29年までの間で,最も多い年で70%,最も少ない年でも41%である。また,チェーンソーを使用する作業では,技能の指導が定量的な評価に基づいて行われておらず,未だ指導の効果を検証できるような指導方法の確立には至っていない。チェーンソーによる伐木作業の労働災害防止対策に関する既往の研究を纏めると,災害の分析は十分になされ,発生の傾向とそれを防止するために求められる対策については明らかになっている。しかし,それを作業現場へ効果的に取り入れる方法や,取り入れた場合の効果についての研究は十分でない。これは,教育に関しても同様で,教育が労働災害防止対策においてどのような位置づけであるか,またどのような影響を及ぼしているのかが明確になっておらず,教育を行った場合の効果と課題の内容についての情報が不十分である。特に,林業技術者の育成機関である林業大学校の開校が相次ぐ中,林業の労働災害防止対策において最も重視するべき作業であるチェーンソーによる伐木作業を,安全に行うために必要な受口と追口切りの効果的な技能教育については,技能の習得状況の評価およびトレーニング方法の検討と評価が急務であると考える。
本研究は以上の状況を踏まえ,チェーンソーによる伐木作業を安全に行うために重要な受口と追口切りの作成技能の習得が労働災害の防止に与える影響を明らかにすることを目的に国内の災害事例分析をおこない,さらにこれらの作成技能の習得状況の評価およびトレーニング方法を検討し,それらの効果と課題を明らかにすることで,林業の労働災害防止に資することを目的とするものである。
まず第1章では,チェーンソーによる伐木作業の労働災害防止対策に関する既往の研究を,労働安全,労働衛生および技能教育に分類し概観した。これらを,当該作業以外の労働科学の分野における既往の研究およびその成果と照らし合わせ,チェーンソーによる伐木作業の労働災害を減らすために取り組むべき課題を整理することで,本研究の位置付けを明確にした。
第2章では,教育プログラムが事故防止にどの程度影響を及ぼすかを評価するための基礎的研究として,チェーンソーによる伐木作業中に発生した死亡災害の傾向を確認するとともに,発生要因を抽出し,伐木作業を安全に行うために重要な,受口と追口切りの作成技能の習得が労働災害の防止に与える影響を明らかにした。分析対象となるデータから15種類,合計830の死亡災害の発生要因が抽出された。受口と追口切りの作成技能に関係する要因が含まれる死亡災害は全体の63%を占めていた。これらの要因のみで構成される死亡災害は全体の1%であるものの,受口と追口切りの作成技能に関係する要因は,死亡災害の起因物となる立木の挙動と関係しており,これらの要因の発生を防ぐことは,その要因が含まれる死亡災害の防止と深く関係していると考える。よって,受口と追口切りの作成技能の習得は,チェーンソーによる伐木作業中に発生した死亡災害の防止に深く関係しており,これらの技能の教育は労働災害の防止に与える影響は大きいことが示された。
第3章では,チェーンソーによる伐木作業を安全に行うためには技能等の習得状況の適切な評価が必要であると考え,「評価項目の設定」と「評価の客観化」の二つの課題に着目し,求められる評価項目とその方法について提案した。さらに,ここで提案した内容を基に,技能を定量的に評価することで,受口と追口切りの作成技能にどのような影響が表れるかを確認し,チェーンソーによる伐木作業の教育への適用に関する効果と課題を明らかにした。チェーンソーによる伐木作業の教育には,受口と追口切りの作成技能,チェーンソーの基本操作,保護具の着用や作業の安全性を定量的に評価することが望ましい。チェーンソーの操作技能の競技会である世界伐木チャンピオンシップ(WLC)の伐倒競技における技能評価項目とその方法は,これらの条件を満たしており,チェーンソーによる伐木作業の教育において利用することが可能であると考え,教育への活用を提案した。また,定量的な技能評価により効果的に技能教育を行うためには,作業の感覚と結果を一致させることができるような評価方法の検討が必要であること,技能を結果だけでなく作業を構成する技術項目をそれぞれ評価することで,教育を受ける生徒の技能の得手不得手が分かり,効果的な指導を行うことが可能になると考えられた。
第4章では,第3章で提案した項目のうち,倒伏過程の樹木を支え,狙いどおりの方向に倒すための蝶つがいの役割を果たすツルの幅と高さおよび伐倒方向を定める技能が,安全に伐倒を行うために特に重要であると考え調査の対象とし,受口と追口切りの作成技能を習得することを目的とした模擬資材を使用したトレーニングの効果と課題の検証を行った。まず、従来の研修で多く採用されている立木を使用したトレーニングと比較して,模擬資材を使用したトレーニングの効果と課題の検証を行った。さらに,被験者ごとの技能差の影響をなくした条件下で,模擬資材を使用したトレーニングの効果と課題の検証を行った。どちらの調査でも,教育対象の技能レベルの差を減らし全体の技能レベルを底上げするという点において,模擬資材を使用したトレーニングは伐倒方向を定める技能の教育に有用であると推察する結果が得られたが,ツルの作成技能については同様の結果が得られなかった。伐倒方向を定める技能の教育に有用であるという結果が得られた要因として,模擬資材を使用したトレーニングは,従来の研修で行われている立木を使用したトレーニングと比較して,研修時間内に対象となる鋸断作業を多く行うことができることが挙げられる。繰り返し鋸断作業ができることで,鋸断の成果を定量的に評価しながらトレーニングを行うことの効果が表れたと推察された。そのため,限られた時間内で鋸断作業を多く行うことができることは,模擬資材を使用したトレーニングの利点の一つであると考える。また,ツルの作成技能について同様の結果が得られなかった要因として,伐倒方向を定める作業で使用するガンマークのような作業の結果と作業中の感覚を明確に結びつけるツールがツルの作成作業に用いられていないことが挙げられる。このようなツールがないことで,作業の結果と作業中の感覚を明確に結びつけづらく精度が上がらなかったと推察される。ツルの作成技能については,技能の習得を目的としたツールの検討と,それを用いてトレーニングを行うことで,技能の向上に効果があるか検証の必要があると考える。
以上の結果を踏まえ第5章では,林業の労働災害防止を考えるうえで重要なチェーンソーによる伐木作業を安全に行うために明らかにするべき課題に対して,本研究で得られた結果を述べた。受口と追口切りの作成技能の習得は,チェーンソーによる伐木作業中に発生した死亡災害の防止に深く関係しており,これらの技能の教育は労働災害の防止に与える影響は大きい。チェーンソーによる伐木作業の教育には,受口と追口切りの作成技能,チェーンソーの基本操作,保護具の着用や作業の安全性を定量的に評価することが望ましく,チェーンソーの操作技能の競技会である世界伐木チャンピオンシップ(WLC)の伐倒競技における技能評価項目とその方法は,これらの条件を満たしており,チェーンソーによる伐木作業の教育において利用することが可能である。また,技能を結果だけでなく作業を構成する技術項目をそれぞれ評価することで,教育を受ける生徒の技能の得手不得手が分かり,効果的な指導を行うことが可能になる。教育対象の技能レベルの差を減らし全体の技能レベルを底上げするという点において,模擬資材を使用したトレーニングは伐倒方向を定める技能の教育に有用であることが示された。伐木作業中に発生した死亡災害発生要因の上位を占める,“かかり木”や“伐倒方向が変化”など,適切な位置に伐倒する技能が関わる要因が多いことが分かっている。また,人工林の大径木化が進む中,伐木作業を安全に行う上で伐倒方向を定める技能の習得は更に重要になると考える。そのため、模擬資材を使用したトレーニングは伐倒方向を定める技能の教育に有用であると推察する結果が得られたことは、チェーンソーによる伐木作業の安全性の向上に繋がると期待される。
本研究は,以上の結論をもって,チェーンソーによる伐木作業を安全に行うために重要な受口と追口切りの作成技能における効果と課題を明らかにすることで,林業の労働災害防止に資するものであると考える。