発光磁場効果に基づく光生成電荷の反応解析と機能開拓に関する研究
概要
本研究全体を通しての目的は以下に示すように、発光に関与する磁場効果に基づいた分析技術の開発を行い、未解明の有機蓄光材料のダイナミクス解明と新規機能性材料の開拓を行うことであった。
1. ラジカル対機構の磁場効果を応用した分析技術の開発 (3 章)。
2. 有機蓄光材料のダイナミクス解明 (4 章)。
3. 解明されたダイナミクスに基づく新規材料の開拓 (5 章)。
3 章では、ラジカル対機構の磁場効果を応用した分析技術の開発を行った。磁場効果を利用した既存のイメージング技術は、ミクロな磁性材料の磁束密度のマッピングや、磁場に応答する化学種の空間イメージングなどがあげられる。これらはいずれも磁場に対する応答のイメージングであった。本研究は、磁場応答のイメージングではなく、磁場の応答に付随した情報 (極性・分子運動性) を可視化するものであり、磁場効果を応用した分析技術の一つの可能性を示した。また、これまでの有機半導体の磁場効果研究は、マクロ系で測定された結果に基づくものであり、ミクロな構造の影響などは全て平均化されていた。本手法は有機半導体における構造欠陥や材料の粒径、結晶性と磁場効果特性の対応付け、もしくは構造的要素の影響を排除することが可能である。したがって、磁場応答のイメージングという観点からは固体材料へ適用が可能であり、固体材料の磁場効果分析の一つの手段として用いられることが期待される。
また、これまでに脂質二重膜中の分子運動性や粘性といったパラメーターはよく研究されていた。これらのパラメーターは、光学画像との対応付けをする場合は視覚から得られる情報に頼るものであった。蛍光寿命などの物理量から算出された粘性情報はマクロ系で測定されているため、光学画像と対応付けが可能な手法はほとんどなかった。本研究では、発光磁場効果という物理量から得られた分子運動性と光学画像の対応付けから、脂質二重膜の高曲率面における分子運動性の抑制を証明した。本手法は脂質二重膜のみならず、多孔質材料などの固体系にも適用できる。
一方で、本測定手法は電磁石ないし永久磁石を利用しているために印加可能な磁束密度には限界がある。今後、本測定手法で超電導磁石などを用いた高磁場印加が可能となれば、レベルクロッシング機構や高磁場効果のような現象と光学画像との対応付けが可能となり、有用性は更に広まることが予測される。本測定は EM- CCD の取り込み時間の技術的な問題により、ナノ秒やマイクロ秒といったタイムスケールで生じた過渡種の磁場効果測定を行うことができない。このような技術的な問題にブレイクスルーがあった場合、発光寿命などの物理量と磁場効果を対応付けしたイメージングが可能になり、光学画像情報の更なる深化が望まれる。
4 章では、有機蓄光材料のダイナミクス解明を行った。これまで有機蓄光材料に蓄積されたラジカルイオン対が、どのようなスピン状態分布で存在し、電荷と正孔がどの程度離れているのかといった情報は解明されていなかった。有機 EL 材料における 75% の三重項の有効活用のために重原子効果や熱活性による逆項間交差が利用されてきたことからも、スピン状態分布は非常に重要な情報である。本研究では磁場効果の解析から、蓄光過程において三重項の分布は一重項よりも多いことを示し、逆項間交差過程が重要であることを証明した。また、具体的な数値を出すには至らなかったが、電荷と正孔は交換相互作用 J が無視できる程度の距離まで離れていることを明らかにした。これは形成される電荷が自由に拡散していることを意味している。
ドーパント分子はトラップサイトとして機能して蓄光寿命を向上させることが示唆されていたが、m 値から推測されたものであった。本研究によって、ドーパントがトラップサイトとして機能していることの間接的な証拠や、脱トラップ速度のタイムスケールがスピン緩和速度よりも遅いことを示した。加えて、蓄光過程においてドーパント分子は FRET によってのみ励起されると考えられていたが、超交換機構のホール移動による発光過程の存在が明らかにされた。
本研究は蛍光顕微鏡を活用することで蓄光ブレンド膜の構造的影響を排除し、純粋な膜中でのラジカルイオン対のダイナミクス解明を行った。有機蓄光材料は結晶化やポリマー化がされるなどして、ミクロな構造因子的要素は多様化している。磁場効果の蛍光顕微鏡イメージングは、結晶性・膜厚・粒径・クラックのような構造的特徴と磁場効果の相関を調べることで、更に発展していくことが予測される。また、現状の蛍光顕微鏡系では温度の変調範囲が限られているため、磁場効果の活性化エネルギーを求めるまでには至らなかった。クライオ蛍光顕微鏡を用いた磁場効果測定が開発されれば、より詳細な磁場効果のメカニズムが明らかになると予測される。
5 章では、4 章で解明されたダイナミクスに基づいて新規機能性材料の開拓を行った。これまでに輝尽発光を示す材料は金属元素を含有するものしか存在しなかった。無機輝尽発光材料はレアアースを必要とし、作成には高温の焼結過程が必要であった。本研究では有機輝尽発光材料を開発することに世界で初めて成功した。 UV 光による書き込みと近赤外光による読み出しは、有機物のみを使用した光学ストレージ、生細胞観察におけるプローブ分子、感光板などへの応用が期待される。加えて、トラップ/エミッター分子を変えるだけで色調の変化が可能である。
また、従来の無機輝尽発光材料では、重原子効果によるスピン緩和速度の高速化により、磁場による発光強度の制御は不可能であった。有機輝尽発光材料は、有機物のみを用いているために比較的遅いスピン緩和速度を有するため、磁場による発光制御を可能とした。磁場による長寿命ラジカルイオン対のスピン状態分布制御は、スピンエレクトロニクス分野に新たな可能性を広げるものである。
蓄光材料の観点からは、低温条件下では脱トラップが抑制されることが推測されていたが、PSL による読み出しによってこれを証明した。PSL による電荷量の読み出しは、蓄積された電荷の長期保存を研究する上では、中心的な役割を果たすことが予測される。
有機輝尽発光材料の更なる発展としては、結晶化・粒子化などが考えられる。 本研究で取り扱った有機輝尽発光材料は大気条件下で酸素による酸化が生じてし まう。有機蓄光材料では結晶化による酸素に対する耐性を獲得することが報告され ているため、結晶化によって酸素に対する耐性の獲得が成されれば、汎用性が向上 することが見込まれる。同様に、メモリ材料への応用展開を考える場合は、粒子化 による単一素子化などが期待される。また、刺激光の波長はトラップ分子のラジカ ルアニオンの吸収に依存するため、複数の吸収波長が異なるトラップ分子を用いる ことで、ラジカル種の選択励起による発光色制御が可能な材料の開発が期待される。
本研究を通して、発光磁場効果と顕微鏡を組み合わせた技術が、脂質二重膜や有機半導体材料のダイナミクス解明に有用であることが示せた。また、有機蓄光材料における磁場効果解析から得られた情報は、効率向上や有機輝尽発光材料以外の新規材料開拓にも役に立つと考えられる。そして、長寿命ラジカルイオン対のトラップ分子を用いた長期保存、赤外光による電荷の取り出し、磁場によるスピン状態分布の制御は大きな可能性を有しており、今後の有機半導体に大きなインパクトを与えると考えられる。