発光磁場効果に基づく光生成電荷の反応解析と機能開拓に関する研究
概要
磁場が化学反応の速度や収率に影響を及ぼす現象である磁場効果(Magnetic field effect, MFE)は、化学反応中の核及び電子スピンの動的分極(Chemically induced dynamics electron polarization, CIDEP)が発見及び理解されて以降、広くに知れ渡り研究されるようになった。磁場によるこの効果は、我々の日常でよく目にするようなローレンツカに由来する物質移動や、磁気力、磁化率力といった力学的効果の結果として生じるものではなく、電子の磁性に影響を及ぼす量子力学的効果に由来する。本研究で取り扱う磁場効果は電子スピンに深く関与しており、電子スピンを有するラジカル分子が重要な役割を担う。反応に1つのラジカル分子しか関与しない反応では磁場効果が見られず、2つのラジカル分子が関与する時にのみ磁場効果がみられることから、ラジカル対が磁場効果の鍵でありこれはラジカル対機構の枠組みで知られている。
1960年代にラジカル反応中間体や生成物のEPRスペクトルやNMRスペクトルにおいて異常な線形や信号の増大が確認され、これはCIDEPおよびCIDNP (Chemically induced dynamic nuclear polarization)と呼ばれている〇 1969 年に ClossとKapteinらはラジカル対機構を適用することでCIDEPおよびCIDNPの説明を行った。1970年代には、固相・液相・気相における化学反応の磁場効果が発見されはじめ、多くがラジカル対機構で説明された。スピン化学分野はラジカル対機構の導入によって誕生し、1990年代までに多くの基礎的な理論が確立された1-7。
ラジカル対は化学工業における重合反応、生体における光合成などの光化学反応、情報技術やディスプレイ産業における有機半導体の電気化学反応において重要な中間体である。このような背景もあり、現代のラジカル対を取り扱う磁場効果の研究は、様々な分野へと応用・拡張されていった。2000年には、Ritzらによって鳥の網膜中に存在する光受容たんぱく質がラジカル対を形成し、鳥の視野に影響を与えるというモデルが提示された。2002年にはDediuらによって有機半導体の磁気抵抗が報告さ、以後は有機EL・有機太陽電池といったデバイス材料の磁場効果研究が盛んに行われている。2011年にはCohenらによって、磁場効果を応用したミクロ磁気イメージング技術が開発された
一方で、磁場効果に基づいた分析技術や新規材料への展開は研究報告が少なく、まだまだ未開拓の分野である。加えて、有機半導体材料にもラジカル対のスピンダイナミクスが未解明のものが存在する。したがって本論文では、発光に関与する磁場効果に基づいた分析技術の開発を行い、未解明の有機半導体材料のダイナミクス解明と、新規機能性材料の開拓を行うことを目的とした。
2章では、既に構築されたラジカル対の磁場効果に関する基礎的な原理および知識について解説する。3章では、ラジカル対の基礎理論に基づいた磁場効果と蛍光顕微鏡を組み合わせた分析技術の開発を行った。4章では、3章で開発した装置を用いて、長寿命光生成電荷分離対を保持する有機蓄光材料のダイナミクス解明を行った。5章では 4章で得られた知見を基にして、世界で初めて有機分子からのみ構成される輝尽発光材料の開発を行った。以下に各章の概要を示す。
3章では、ラジカル対機構の磁場効果を応用した分析技術の開発を行った。磁場効果を利用した既存のイメージング技術はいずれも磁場に対する応答のイメージングである。本研究では、分子が周囲の極性や分子運動性に依存して磁場効果の特性を変えることを応用したイメージング手法を開発した。
脂質二重膜内部の局所的な分子運動性や構造は、核細胞質輸送、エンドサイトーシス、代謝などの細胞動態と密接に関連している。膜の構造がとる局所的な環境が分子運動性に及ぼす影響は、生細胞系で重要な役割を示すにもかかわらず、これらを観察する手法の多くが光学画像から得られる視覚的な情報に限られている。これまでに脂質二重膜中の分子運動性や粘性といったパラメーターはよく研究されてきたが、光学画像との対応付けをする場合は視覚から得られる情報に頼るものであった。本研究では、リポソームの変形過程において、過渡的な中間状態の磁場効果イメージングに成功した。磁場効果の特性から、リポソーム変形過程ではアセトニトリルの流入によって極性は向上していくが、脂質二重膜の曲率が向上することで分子運動性は阻害されることがわかった。これまでに視覚的情報から判断されていた脂質二重膜の高曲率面における分子運動性の抑制に関して、プローブ分子の磁場効果という物理量との対応付けから証明した。
4章では、有機蓄光材料のダイナミクス解明を行った。2017年に世界初の有機材料を用いた蓄光システムが報告された。有機蓄光材料は、ラジカルイオン対が室温で一時間以上安定に保持されるため、長寿命発光可能な革新的材料として注目されている。しかし、蓄積された長寿命電荷分離対が、どのようなスピン状態分布で存在し、電荷と正孔がどの程度離れていて、ドーパント分子はどのような役割を担うのかといった情報は解明されていkかった。このような情報は、効率向上や新規機能性材料開拓のための重要な情報である。
有機蓄光材料の磁場効果測定を行ったところ、外部磁場は蓄光強度を減少させることが分かった。磁場効果の解析から、蓄光過程において三重項の分布は一重項よりも多いことが判明し、効率向上のためには逆項間交差過程が重要であることを証明した。また、具体的な数値を出すには至らなかったが、電荷と正孔は交換相互作用 が無視できる程度の距離まで離れていることを明らかにした。これは形成される電荷が自由に拡散していることを意味している。加えて、ドーパント分子はトラップサイトとして機能して蓄光寿命を向上させることの間接的な証拠を示した。
5章では、4章で解明されたドーパント分子がトラップサイトとして機能し、磁場応答性を示すことを応用した新規機能性材料の開拓を行った。これまでに輝尽発光を示す材料は金属元素を含有するものしか存在しなかった。無機輝尽発光材料はレアアースを必要とし、作成には高温の焼結過程が必要であった。本研究では、UV光による書き込みと近赤外光による読み出しが可能な有機輝尽発光材料を開発することに世界で初めて成功した。本材料は、室温条件下で1週間以上の電荷の保存が可能であり、トラップ/エミッター梦子を変えるだけで色調を変化させることができる。本材料は、有機物のみを使用した光学ストレージ、生細胞観察におけるプローブ分子、感光板などへの応用が期待される。
また、従来の無機輝尽発光材料では、重原子効果によるスピン緩和速度の高速化により、磁場による発光強度の制御は不可能であった。有機輝尽発光材料は、有機物のみを用いているために比較的遅いスピン緩和速度を有するため、磁場による発光制御を可能とした。磁場による長寿命ラジカルイオン対のスピン状態分布制御は、スピンエレクトロニクス分野に新たな可能性を広げるものである。