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大学・研究所にある論文を検索できる 「インスリン受容体基質2の欠損が脳内のアミロイドβ動態に及ぼす影響の解析」の論文概要。リケラボ論文検索は、全国の大学リポジトリにある学位論文・教授論文を一括検索できる論文検索サービスです。

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インスリン受容体基質2の欠損が脳内のアミロイドβ動態に及ぼす影響の解析

佐野, 俊春 東京大学 DOI:10.15083/0002005004

2022.06.22

概要

【序文】
アルツハイマー病(Alzheimer’s disease: AD)は緩徐進行性の認知機能障害を呈する神経変性疾患であり、加齢に伴い発生率が上昇する。AD患者脳の神経病理学的特徴である老人斑は、主にアミロイドβペプチド(amyloidβ:Aβ)から構成される。Aβは凝集性が高く、アミロイド線維を形成し、老人斑として蓄積する。Aβはアミロイドβ前駆体タンパク質(amyloid-beta precursor protein: APP)がプロテアーゼによる2段階の切断を受けて産生される。家族性ADの原因遺伝子はいずれもAβの産生、凝集に関連する遺伝子であることが証明されたことに基づいて、Aβの蓄積がAD発症の最上流の原因だと考えるアミロイド仮説が提唱されている。

糖尿病がAD発症リスクを高めることやAD患者の死後脳にはインスリン抵抗性が存在することなどから、脳のインスリン抵抗性がAD病態の増悪因子となる可能性が考えられてきた。一方、インスリン受容体の主要な下流シグナル伝達タンパク質であるインスリン受容体基質2(insulin receptor substrate-2: IRS-2)を欠損したマウスは、糖尿病病態を示すにもかかわらず、ADモデルマウスにおいてIRS-2を欠損させるとAβの脳への蓄積が抑制される。インスリン受容体やIGF-1受容体の欠損もADモデルマウス脳内のAβ量を減少させることを考慮すると、インスリン/IGF-1シグナル(insulin/insulin growth factor-1signaling: IIS)の阻害はAβ蓄積を抑制すると考えられる。また糖尿病においては、インスリン抵抗性それ自体ではなく、インスリン抵抗性を引き起こす小胞体ストレス、炎症などの上流の要因がAD病態の増悪を招く可能性も示唆されている。IISは寿命や老化を制御するシグナルと考えられており、IIS分子の遺伝学的な抑制は生物種を超えて寿命延長効果を示すことが知られている。加齢がAD発症の最大の危険因子であることも、IISの阻害による抗老化作用がAβ蓄積の抑制に寄与している可能性を想起させる。しかし、IISの阻害がAβ動態に与える影響に関しては一貫した見解が乏しく、IISの下流でAβ動態に影響を与える分子・経路に関する知見も乏しい。そこで本研究において申請者は、IRS-2欠損により起こるAβ動態の変化を明らかにすると同時に、IISの下流でAβ蓄積抑制効果に寄与する因子を同定することを目的として、ADモデルマウスを用いて検討を行った。

【方法】
ADモデルマウスとして、2種類の家族性AD変異を有するヒトAPPを、神経細胞特異的に過剰発現するA7マウスを用いた。まず、IRS-2欠損がA7マウスの脳内Aβ量に与える影響を明らかにするため、脳内のAβ量が少量である6ヶ月齢と、アミロイド斑は観察されないものの不溶性Aβが顕著に増加している9ヶ月齢の2段階の月齢で、脳内の可溶性、不溶性Aβ量をELISAにより測定した。続いて、IRS-2欠損A7マウスのAβ産生能を評価するため、イムノブロット解析でAPP断片及びAPP切断酵素の量を調べた。次にAβ除去能を評価するため、in vivo微小透析法を用いて海馬の間質液中Aβの濃度を経時的に測定し、γセクレターゼ阻害剤投与下でAβ産生を抑制した際のAβ濃度の減少速度から半減期を算出した。Aβ凝集能をin vivoで評価するために、高齢A7マウス脳の可溶性抽出画分をAβシードとして3ヶ月齢のマウスの海馬に注入し、3ヶ月後に誘発されるAβ沈着を調べた。更に、Aβシードの除去能をin vivoで評価するために、合成ヒトAβからプロトフィブリルを調製し、海馬に注入3時間後の残存Aβ量を調べた。

IRS-2の下流でAβ動態を変化させる分子を同定するために、IISの代表的な下流因子の活性化状態についてイムノブロット解析で評価した。また、RNA-Seq解析を用いて脳における遺伝子発現の変化を網羅的に調べた。エンリッチメント解析により、IRS-2欠損が細胞外マトリックス(extra cellular matrix: ECM)の遺伝子発現を上昇させる可能性が示唆されたため、RNA-Seq解析で発現上昇遺伝子として同定されたECMの遺伝子について、IRS-2欠損A7マウスの大脳皮質のmRNA量をRT-qPCRで測定した。その一部の遺伝子に関しては、脳で発現するタンパク質量をイムノブロット解析で調べた。ECMの遺伝子発現の上昇にTGF-β/Smadシグナルが関与している可能性を検証するために、IRS-2欠損A7マウスの大脳皮質におけるSmad2とSmad3のリン酸化をイムノブロット解析で調べた。

【結果】
脳内のAβ量は、6ヶ月齢ではIRS-2欠損A7マウスとA7マウスで同レベルであったが、9ヶ月齢ではIRS-2欠損A7マウスでより低値を示した。この結果は、IRS-2欠損によるAβ蓄積抑制効果は、不溶性Aβ量が上昇した時期に一致して生じることを示すものと考えた。このとき、APP断片やAPP切断酵素の量はIRS-2欠損による影響を受けなかった。また海馬間質液中のAβ量および半減期もIRS-2欠損により変化しなかった。一方、IRS-2欠損A7マウスでは、シード誘発性のAβ沈着の量がA7マウスよりも少なかった。また、Aβプロトフィブリルの除去能は2群間で同等であった。これらの結果から、IRS-2欠損はAβの産生能や除去能には影響を与えずに、線維伸長を抑制する可能性が示唆された。A7マウスの大脳皮質においてはIRS-2の欠損により、IISの主要なシグナル伝達分子であるAktのリン酸化レベルが低下したが、寿命延長や抗老化に関与すると考えられるFoxO、HSF1、NRF2、mTORなどの下流因子の活性化状態については、IRS-2欠損による変化はみられなかった。RNA-Seq解析で得られた遺伝子発現プロファイルからエンリッチメント解析を行ったところ、ECMに関連する遺伝子オントロジーの遺伝子セットのエンリッチメントスコアが高かった。この結果は、IRS-2欠損A7マウスではECMの遺伝子の多くが発現上昇することを示唆するものと考えた。RNA-Seq解析で発現上昇遺伝子として同定されたECMの遺伝子の大部分について、RT-qPCR法でもIRS-2欠損に伴うmRNA量の増加が確認された。一部の遺伝子に関しては、IRS-2欠損に伴いタンパク質の量も増加していることを確認した。TGF-β/SmadシグナルはECMの遺伝子発現を制御するシグナルとして知られており、インスリンやIGF-1がSmad3の活性化を阻害するという知見に基づいて、Smad2、Smad3のリン酸化状態を定量的に評価したところ、IRS-2欠損A7マウスの大脳皮質ではいずれのリン酸化レベルも上昇していた。これらの結果から、IRS-2欠損によりSmad2/3シグナルが活性化され、ECMの遺伝子の発現上昇を引き起こす可能性が示唆された。

【考察】
本研究において申請者は、IRS-2の欠損がADモデルマウスにおいてAβの線維伸長を抑制する可能性を示した。また、IRS-2欠損が脳内においてSmad2/3シグナルを活性化し、ECMの遺伝子発現を上昇させる可能性を示唆した。以上の結果から、IRS-2の欠損によるIISの低下は、ADモデルマウスにおいてSmad2/3シグナルの活性化を介してECM遺伝子の発現上昇をもたらし、それによる脳内の細胞外環境の変化がAβの線維伸長を抑制した結果、最終的にAβ蓄積の抑制に寄与する可能性を提唱した。今後、ECM分子のAβ凝集に対する作用や、Smad2/3シグナルをin vivoで制御することにより、Aβ動態への影響を検証し、この仮説を検証したい。

本研究及び既報の動物実験の結果を考え合わせると、IISの阻害はAβ蓄積を抑制すると考えられ、この過程はアルツハイマー病の治療標的となる可能性も想定される。しかし、インスリンは認知機能に関与するとの知見もあり、IISの阻害は認知機能に悪影響を及ぼす可能性がある。IISの下流においてAβ蓄積抑制効果に寄与する分子・経路を同定することにより、認知機能への悪影響を避けつつ、Aβ蓄積の抑制が達成できることも期待される。本研究において申請者が見出したSmad2/3やECM分子群は、そのようなポテンシャルを有する分子の候補と考える。