ヒルベルトマース形式に対するJacquet-Zagier型レゾルベント跡公式
概要
本論文では Jacquet-Zagier 型の総実代数体上のヒルベルトマース形式に対するレゾルベント跡公式を、杉山-都築らの手法や、Jacquet-Zagier らの手法を用いて明示的に記述する公式を初めて得た。ここで、Jacquet-Zagier 型の跡公式とは、GL(2)に対する Arthur-Selberg 跡公式を変数付きで一般化したものであり、Rankin-Selberg の方法を用いることにより、スペクトルサイドに対称 2次 L 関数の値が出現するという特徴がある。
本研究により得られた明示的公式は、Zagier の有理数体上のマース形式に対する Jacquet-Zagier型跡公式の総実代数体上のヒルベルトマース形式への拡張になっており、テスト関数として、上半平面上のラプラシアンのレゾルベント核関数を扱った場合の明示的な表示を与えるものになっている。
本論文の先行研究として、杉山-都築のヒルベルトモジュラー形式に対する結果があるが、そこではテスト関数として、PSL(2,R)の離散系列表現の行列係数を用いて、アデリックな手法のもとで、Zagier、水本、高瀬らの公式を、素数2が完全分解するような総実代数体へ一般化した。また、彼らはその一つの応用として、ヒルベルトモジュラー形式に対する対称2次 L 関数の非消滅性を証明した。
本研究では、テスト関数として上半平面上のラプラシアンのレゾルベント核関数を用いることで、パラレルウェイト0のヒルベルトマース形式に対応する、杉山-都築の公式の類似となる明示的な跡公式を主定理として得た(本論文、定理 1.1、系 1.2)。杉山-都築の跡公式との異なる点として、GL(2)の Selberg 跡公式を用いる際に、正則な場合には出現しないアイゼンシュタイン級数の積分の項が出現するため、スペクトルサイドで得られる公式がより複雑な形になっている点に注意する。
本研究で証明された跡公式の従来に見られなかった新たな特徴として、スペクトルサイドには、ヒルベルトマース形式に対する対称 2 次 L 関数の特殊値の和と、アイゼンシュタイン級数の積分の項の寄与により現れるヘッケ L 関数の積分の和が出現する。また幾何サイドには、杉山-都築の場合に用いられた、ルジャンドル関数の代わりに、Appell の超幾何関数 F_3 のある種の一般化になっているような二変数の超幾何関数を用いて表される項が出現する。特にこの二変数の超幾何関数については、既知の明示的な跡公式には現れなかった項のため、整数論的にも表現論的にも大変興味深い新しい結果となっている。
この論文の主結果として得られた明示的な跡公式は、有理数体上のマース形式に対する Zagierの結果をアデリックな手法のもとで、総実代数体へ拡張したものになっており、ヒルベルトマース形式に対する対称2次 L 関数の非消滅性の証明への応用ができるということ、また他への数論的応用が大いに期待できる。
本論文は以下の章より構成されている。
第1章では、今回の研究の背景、動機、記号の導入、そして主結果について述べる。
第2章および第3章では、関数の収束に関するいくつかの準備をしたあと、テスト関数の定義を以下のように与える。
・有限個の有限素点に対しては、ヘッケ作用素のレゾルベント核関数を用いる。
・無限素点に対しては上半平面上のラプラシアンのレゾルベント核関数を用いる。
また、それらの解析的、表現論的な性質を述べる。
第4章では、スペクトルサイドを計算する。杉山-都築らの手法を元にカスプ形式のパートを計算し、Jacquet-Zagier の手法を元に、アイゼンシュタイン級数の積分のパートを計算し、それら明示的な表示を与える。カスプ形式のパートは対称 2 次 L 関数の和で表せ、アイゼンシュタイン級数の積分のパートはヘッケ L 関数の積分の和で表せることを証明する。
第5章〜第7章では、幾何サイドをアイゼンシュタイン級数の周期積分を用いて具体的に計算する。双曲元および楕円元の計算の際に、Appell の超幾何関数 F_3 の一つの一般化となる二変数の超幾何関数が出現する。
第8章では、これまで証明した公式をもとに主定理(本論文、定理 1.1、系 1.2)を証明する。