日本の首都圏における街区面積分布
概要
1. 背景・目的
人間の社会的営みが生み出す現象を物理現象ととらえ、研究対象とする分野を社会物理学という。社会物理学で扱う社会現象は多岐にわたるが、その中に都市(構造)があげられる。都市構造の構成要素の中で私は、「道路で囲まれた領域 ( 以下これを街区と呼ぶ ) の面積」に着目した。
街区の面積分布の研究についても過去に研究のなされた例がいくつか存在する。まずドイツの都市 Dresden の街区面積が調査された。その調査の結果得られた面積分布はべき分布によく従うことがわかった。その後の研究において、ドイツ全土、フランス全土、イギリス全土それぞれの都市全体の街区面積が調査された。このとき高面積領域においてはべき分布によく従い、低面積領域においては対数正規分布によく従うという結果が得られた。街区構造の時間変化という要素から面積分布を調査しているものもある。 GLA(Greater London Area) における街区面積分布を 1776 年、1880 年、2010 年の 3 つの異なる時間で求めると、いずれも対数正規分布によく従うという結果が得られた.江戸時代と明治時代それぞれにおける東京 23 区地域の街区面積が調査された例では、それぞれ分布が対数正規分布によく従うことが分かっている。都市構造の違いは時代背景・文化・都市計画の相違など様々な要素の複雑な関係性によって特徴つけられるが、その違いを街区面積分布が従う関数という視点から端的に表現することができると示唆される。
そこで私は首都圏中を複数区域に分割し、その様々な位置における街区面積を調査することとした。このような研究手法とすることで、いくつかのモチベーションを得ることができる。まず一つ目は、「東京都心における街区面積分布がべき分布によく従うかを確かめることができる」というものである。これは、街区面積分布の先行研究の中で東京都心面積と面積が最も近く元データの取得年代も近いドイツの Dresden の結果から強く示唆されるもので、本研究の最大の動機となった。もう一つは「都市から地方への過渡的な地域について調査することで、街区面積分布に関するさらなる理解が得られるのではないか」というものである。
2. 理論
対数正規分布 (lognormal distribution) という確率分布を導くことができる確率過程に Gibrat 過程 (Gibrat’s process) というものがある。時刻 t を 𝑡 ≥ 0 の離散時間とし、時間発展する確率変数(物理量) 𝑋t が確率変数(成長率) αt に対して 𝑋t = 𝑋t–1αt , (𝑡 = 1,2, … ) の関係を持ち、𝑋t, αt が互いに独立であり、αt が同じ分布に従うとき、この確率過程を Gibrat 過程と呼ぶ7。この式を再帰的に適用し、両辺の対数をとると、十分に時間 𝑡 が経過したとき、中心極限定理により、確率変数 ln(𝑋t) は正規分布に従うことがわかる。このことから確率変数 𝑋t は対数正規分布に従う。ここで、Gibrat 過程に従っていると解釈できるシミュレーションにより作成された仮想都市について、その結果が対数正規分布に従うことが報告されている。このGibrat 過程に「物理量の下限が存在する」という条件を加えるモデルを考える。このとき得られる分布がべき分布に従うことが報告されている。
一つの分布中にべき分布的な範囲と対数正規的な範囲が共存するケースがしばしばあることが分かっている。ある現象において一つの分布中にべき分布的な範囲と対数正規的な範囲が共存するケースがあったとき、べき分布と対数正規分布の閾となる値が存在することになる。このとき「ベースとなる現象は Gibrat過程がかかわっていて、べき分布の下限値が閾値になっている」という背景を強く示唆できることがある (Mitsugu, M., et al., 1988 も参照)。
3. 結果
首都圏の一部を 29 区画に分け、2048 ピクセル四方、1 ピクセルあたりの面積 𝐴pixel ➟ 4.175 ≒17.43 [𝑚2/𝑝𝑖𝑥𝑒𝑙] の地図を取得し、地図都市中心からの 4 方角に対して分布の傾向の変化を視覚的に確認した ( 図 1 ) 。その際、モデル関数として対数正規分布 ( 式(3) )を最小二乗法で適用し、この関数がもたらす曲線からの変化をみた。いずれの方角についても都市中心から地方に向かうにつれて対数正規分布によく従う傾向をみることができた。顕著な方角は北方向 ( 図 1 の橙色の矢印 ) であった。この結果を図 2 に示した。
次に、得られた 29 か所の地図を視覚的特徴から 3 種 ( A : 対数正規分布から直線的に乖離している分布、B : 対数正規分布によく従う分布、C : 対数正規分布から曲線的に乖離している分布 ) が現れていた。そしてこれら 3つの結果それぞれに対して最も顕著な例を挙げた ( A : ㉔浅草、B : ⑫草加市、C : ⑧守谷市 ) に分け、それらから最も顕著な例をそれぞれ選り抜き詳細に解析した。この分布に関してより詳しく結果を与える。具体的には ㉔浅草 にはべき分布の累積分布関数を、⑧守谷市 については二重対数正規分布の累積分布関数を適用しフィッティングを再度行い、その結果のグラフとパラメーターを与える。
フィッティング関数として設定したべき分布、二重対数正規分布のそれぞれの累積分布関数 𝐹power(𝐴c) , 𝐹doublelnorm(𝐴c) の定義を以下の式 (4), (5) に示す。
𝐹power(𝐴c) はパラメーターを a と 𝛽 にとり最小二乗法を適用し、𝐹doublenorm(𝐴c) は ln(¯𝐴¯¯c )1 , 𝜎1 , ln(¯𝐴¯¯c)2 , 𝜎2 , 𝑊 をパラメーターにとり最小二乗法を適用した。ここで 𝛽 はスケーリング指数に相当し、𝑊 は対数正規分布の線形結合における重み付けに相当している。𝑊 は二重対数正規分布全体のデータの総数が保存されているように設定される。具体的には 𝑁𝑊 + 𝑁(1 − 𝑊) = 𝑁 となり、確かに保存されていることが分かる。フィッティングの結果は 図 3 に示した通りである。
みると、2 オーダー程度にわたりスケーリング指数 𝛽 ≒ 1.43 のべき分布に従っている様子が分かる。また、対数正規分布的なふるまいを見せる街区規模とべき的なふるまいを見せる街区規模のあいだに滑らかでない境界性を確認することができる。この境界に位置する規格化面積を閾値面積 𝐴threshold と呼ぶことにすると、𝐴threshold ≒ 400[𝑚2/𝐴pixel] ≒ 7000[𝑚2] であることが確認できる。図 3 における中央のプロットは B の性質を持つ分布の典型例である ⑫草加市 の結果である。プロットの全体において非常によく対数正規分布に従っていることがわかる。図 3 における右端のプロットは C の性質を持つ分布の典型例である ⑧守谷市 の結果である。ベースラインではプロットの全体にしたがう結果にはならなかったが、二重対数正規分布には非常によく従っていることがわかる。
4. 考察
解析した地図の中で⑫草加市の街区面積分布は全体として非常によく対数正規分布に従っていた ( 図 3 参照 ) 。この結果に対して実際の道路網の成長と Gibrat 過程との関連性から考察を行う。
今昔マップというサイトを用いると、同じ地点における複数時代の地図を閲覧することができる。このサイトを用いて草加市長栄に着目し、道路網の時代変化を観察すると、もともとあった道路で囲まれた街区を分割する操作が再帰的に繰り返されている様子を見ることができる。学校などの比較的大きな街区が分割されずに残っている様子も確認できる。この様子はGibrat 過程の存在を強く示唆していると考えられる。
解析した地図の中で ㉔浅草 の街区面積分布は対数正規分布とべき分布の共存がみられた ( 図 3 参照 ) 。また対数正規分布とべき分布の閾において滑らかでない様子がみられた。そしてその閾値面積は 𝐴threshold ≒ 400[𝑚2/𝐴pixel] ≒ 7000[𝑚2] 程度だった。この結果に対して道路網の成長や再開発の基準との関連性から考察を行う。
閾値面積 𝐴threshold を境に、地図上における街区の様子をみることを考える。すると、対数正規分布によく従う街区は浅草やその周辺で構成された碁盤状の地域に集約されていることが分かる。またこの地域は大正 12 年 (1923 年) に発生した関東大震災で焼失した区域とその範囲がほぼ重なる( 図 4 参照 )。対数正規分布によく従う浅草やその周辺を構成する地域の一部に着目して街区構造の変化をみると、草加市長栄と同様の傾向がみられ、明らかに Gibrat 過程を示唆するものであった。一方でべき領域に従う領域では大街区化が散見された。大街区化は国土交通省が推進している事業の一つとなっていてガイドラインが設けられている。そしてこの事業による大街区化の事例が東京都内においてみられている。さらに、東京都内では独自に「特定街区」という街区を指定し都市機能の更新や歴史的要素の保全、住宅地の供給などを図っている。これによると特定街区の対象となる街区面積の下限基準が決まっていて、これが 0.5[ha] (= 5000m2) となっている。これは閾値面積である 7000m2 に近く、べき分布の発生要因 ( Gibrat 過程に下限の存在を加えた確率モデル ) の存在が示唆される。