耐放射線性を向上させた半導体前置増幅器の開発
概要
半導体素子は以前から放射線に弱い素子だと考えられてきた。そのため、原子炉あるいは宇宙環境のように放射線環境での利用が避けられない対象に関しては耐放射線性の高い半導体集積回路の開発も行われてきた。ところが半導体集積回路の開発速度は耐放射線半導体の研究よりも早く、半導体素子は一層集積回路化が進み、個々の能動素子はさらに小型化し、近年の半導体素子は極端に放射線に弱いものになっている。
ところが近年、半導体の放射線損傷が再び注目されるようになっている。福島の原子炉事故での処理では、使用したロボットの撮像素子あるいは制御装置の放射線損傷が大きな問題となっている。宇宙開発分野でも地球から遠く離れた飛行を長期間行う静止衛星、惑星間宇宙機などでは放射線損傷が大きな問題となることが予想されている。そのため耐放射線の半導体の回路技術の開発が強く求められるようになっている。
本研究では、放射線に晒されることが不可避である放射線モニターのプリアンプを対象として、耐放射線性を持った直流増幅器回路を開発した。さらに本モニターは、2019 年に強化された放射線障害防止法の防護措置に対応するために、通常の線源使用時の放射線モニター以外に、線源格納時の漏洩線量測定も同時に行うことを目的としている。その結果、 Gy/h からμGy/h までの線量を測定することが必要となり、6桁に及ぶダイナミックレンジが要求される。そもそも大線量放射線モニターは強い放射線の照射を避けることができないこともあり、その直後に置かれるプリアンプにも耐放射線性が要求される。ところが半導体素子の大半は放射線に弱く、特に集積回路化された素子は 100Gy 程度の照射しか堪えられないとされてきた。近年のプリアンプは集積回路化されていることから、大半が同程度の放射線耐性しか持たないと考えられる。これでは大線量放射線モニターとして使用することは困難である。プリアンプを検出器から離し、プリアンプを遮へいするということも考えられるが、この場合、伝送線路の浮遊容量、誘導ノイズ等が問題となり、特に微弱線量測定が困難となる。広いダイナミックレンジを得るためには、検出器に直結したプリアンプが不可欠である。そのため本研究では、新たに耐放射線性の高いプリアンプを開発することを計画した。
回路の主要な要素である増幅素子には、半導体素子の中で最も放射線に強いとされる接合型 FET (J-FET)を中心に回路を構成することを考えた。第3章では、この素子単体のγ線照射を行い、放射線照射による特性の変化を評価した。その結果、J-FET の増幅度である相互コンダクタンスは 100kGy 程度の照射では、それほど変化しなかった。2MGy を超える照射で、約2割の減少を観測しているが。それでも増幅素子として働いていることを意味しており、J-FET が、他の素子、例えばバイポーラトランジスタや MOSFET に比べて桁違いの耐放射線性を有していることが示された。
他方、J-FET の放射線照射による特性変化の中で、最も有害な変化は、J-FET の遮断電圧の変化であることが本照射試験で明らかとなった。この変化は kGy 程度の低い照射線量でも発生する。相互コンダクタンスのみに注目すると J-FET は MGy の照射に耐える素子であるが、遮断電圧の変化から見ると kGy 程度の耐放射線性であることが明らかとなった。耐放射線性の高い半導体回路を開発する場合、この遮断電圧変化の影響を、どのように軽減するのか、ということが開発のポイントとなる。ことに直流増幅器の場合、各増幅段は直流結合されることから、バイアス電圧の変動は、回路全体に影響を及ぼすことになる。さらに微弱電流を測定するプリアンプでは、検出感度に直結する問題ともなる。
そこで第4章で、この遮断電圧の変化の影響を抑制するための回路設計を行った。回路設計では、シミュレーションソフトである SPICE を用いて評価検討を行いながら回路の開発を行った。SPICE は回路設計のためのソフトウエアであり、モデル化した回路要素を組み合わせて回路をコンピュータ上で構成し、様々な応答を解析するものであり、これによって回路設計の時間が大幅に短縮される。ただし、現存する各種の SPICE プログラムに放射線影響を評価する機能は存在しない。そのため本研究では、前述のγ線照射時に得られた J-FET の動作パラメータの変化データを SPICE のモデルに代入するという方法で、放射線照射の影響を評価した。
最初に、2つの J-FET を差動型に配置することを考えた。これは放射線の照射によって J-FET の遮断電圧が変化した場合でも、差動配置のためにその影響が相殺され軽減されることを期待したものである。しかしながら、この回路の放射線照射応答をSPICE で評価した結果、低線量照射時でも、回路のオフセット電圧が、遮断電圧の変化に対応して大きく変化することが明らかとなった。これは、差動 J-FET ペアに共通するソース電圧が、放射線照射による遮断電圧の変化に対応して変動することが原因であることが推定された。そこで、解決策としてJ-FET のバイアス電流を定電流化するという回路を検討した。SPICEでの評価では、放射線照射によるオフセット電圧の変化は数十分の1程度に圧縮された。また 100kGy 程度の照射までは、緩やかな変化となっており、実用に耐えるものと考えられた。
実際に設計開発したプリアンプは、分離された2つの部分で構成されている。前段は入力段であり前章で開発設計した J-FET による増幅回路で構成され、放射線検出器に直結される。前段は高い耐放射線性を有し、100kGy 程度のガンマ線照射でも使用できるものである。検出器から出力される微弱電流はここで増幅され、インピーダンスを変化させた上で後段に送られる。後段は通常の演算増幅器 IC で構成されており、100Gy 程度の照射が限界である。このため後段は検出器から離れた、放射線線量率の低い場所に設置する必要がある。引き続き、この開発したプリアンプの評価を行った。定電流源を用いた応答評価では、 nA から pA にわたって十分な線形応答が得られていた。応答の揺らぎから推定されるアンプの検出感度は約 2pA であった。
さらに第5章では、試作したプリアンプ回路の耐放射線性を評価するため、コバルト 60線源を用いて放射線照射実験を行った。実験では、回路の前段部分のみを照射し、その後、前段部分を後段と接続し、入力の電流と出力の電圧の関係を調べた後、さらに前段部分を照射し、測定を繰り返した。その結果、アンプのゲインの変化は 100kGy 程度の照射では数パーセント以下に収まっており実用上の問題は少ないと考えられた。これに対してオフセットの変化は、50kGy の照射までは数パーセントの変動で収まっているが、照射量が 100kGy を超えると、かなりの変動が予想される。この場合、定期的にオフセット補正する必要があると考えられる。いずれにしても、実用上は許容できる範囲の変化であった。
最後に、第6章では、今回試作した前置増幅器と電離箱を組み合わせた放射線モニターシステムの検出感度の評価を行った。小線源を用いた試験で、この測定体系の検出感度は約 4μSv/h と評価された。この値は今後改良の余地はあるが、線源使用時のモニターと線源格納時の漏えい線量のモニターが可能なダイナミックレンジであると考えられた。