農業法人における経営理念の特性と経営成果との関係性に関する実証的研究
概要
1.本研究の背景
我が国の農業経営を牽引する存在である農業法人は増加しており,中小企業と類似した企業的経営も増えつつある。こうした企業的経営が増加する中で,農業法人の経営成長を促していくためにも,外部環境の変化に対応した上で,適切な資源配分を行う経営戦略を策定し,継続的に利益を上げることが必要である。この経営戦略は経営目的である経営理念を達成するための方策を示すものとされる。規模拡大や経営の多角化を通じて,これまで以上に企業的な経営体が増加していくことが見込まれる農業法人において,適切な経営理念を策定・活用する必要性は高まることが考えられる。
また,農業法人において,従業員の職務満足度を向上させることにより,長期勤務志向や経営参画志向へ影響を与え,生産技術の底上げ,安定化への貢献を通じて,経営成果に一定の影響を与えることが示されている。慢性的な人手不足の状態である我が国の労働市場の状況を踏まえると,農業法人が継続的に経営を成長させるためにも,従業員の職務満足度を向上させる取組の重要性は増すものと考えられる。
今後,農業経営体の成長を促していくためにも,適切な経営理念の策定や浸透策を実施することで,経営理念に基づく,経営戦略を実行することが重要になると考えられる。
2.本研究の目的と課題
本論文の目的は,農業法人の経営理念の特性と経営成果の関係性について,一般経営学の手法を援用しながら,詳細に解明することで,農業法人における経営理念の指針や有用性を示し,今後の企業的な農業経営体の育成・発展に寄与するための知見を提供することである。
この課題を解明するため,具体的には,(1)農業法人における経営理念の策定実態と特性の解明と(2)農業法人における経営理念と経営成果の関係性の解明の 2 つの課題を設定した。
(1) 農業法人における経営理念の策定実態と特性の解明
近年では,中小企業を対象として経営戦略論の有用性が検討されている。具体的には,中小企業の経営戦略の特質の一つとして,創業者や経営者の強烈な事業意欲が成長への引き金となっており,大企業と比較して経営理念に基づく経営戦略の実践度合いが高くなることが指摘されている。
農業構造の変化により,規模拡大や経営の多角化が進展し,農業法人は我が国の農業経営を牽引する存在として,中小企業と類似した企業的経営も増えつつあり,こうした一般経営学での議論について農業経営体への適用可能性が示唆されている。しかし,農業経営体を対象とした経営戦略を規定する経営理念を踏まえた研究はまだ少ない。
こうしたことから,これまで農業法人においても,経営理念の重要性が理解されていたが,具体的にどのような内容を盛り込んで表現するべきか明確な指針がなく,経営者は経験や一部の先進事例を参考に手探りで経営理念を策定していたと考えられる。また,農業経営は多様性があり,営農類型ごとに置かれている経営環境は異なり,経営理念の内容もひとくくりにすることは適切でないといえる。
そこで本論文では,農業法人の経営理念の策定実態と内容について,営農類型別に特性を明らかにすることを目的にする。これにより,農業法人における経営理念の指針が営農類型別にその理由と共に示されることで,適切な経営理念の策定につながり,今後の企業的な農業経営体の育成・発展に寄与することが期待される。
(2) 農業法人における経営理念と経営成果の関係性の解明
企業が組織体として生存するためには,経営成果(業績)を上げる,あるいは組織の目標を達成することが重要であり,そのために,経営理念や経営戦略がどのように影響を及ぼしているのかを明らかにすることは,それらの有用性を示すことにつながる。
本論文では,経営成果について,以下の観点から,財務的成果と主観的成果,労務的成果を指標として設定した上で,経営理念との関係性について明らかにする。
経営成果については,企業財務論に基づく財務的成果である財務比率分析(売上高経常利益率など)が活用されることが多い。農業経営においても,経営の法人化に伴い,財務的成果を導き出すことが可能となり,組織内部及び組織外部の利害関係者にとって経営改善を図る上で有益な情報となることが指摘されている。
次に,経営理念は,経営者個人の信念や信条であることからも,自身の経営がその経営理念をどの程度達成しているのかという達成度の評価も経営成果の一端と考えられる。この点については,経営成果の評価手法として,主観的評価による分析も実施されていることからも指標として設定することは妥当なものと考えられる。
一方,経営資源の主体は,ヒト・モノ・カネとされ,特に企業はヒトの結合体であり,一人ひとりが組織として結合して一つのチームを作って仕事をしていると指摘されている。規模拡大を通じて雇用型の経営体が増加している農業法人においても,人材の確保・育成が経営成長に及ぼす影響は無視できない。農業法人を対象とした先行研究において,労務的成果といえる,従業員の職務満足度を向上させることにより,長期勤務志向や経営参画志向へ影響を与え,生産技術の底上げ,安定化への貢献を通じて,経営成果に一定の影響を与えることが示されている。
以上のことから,本論文では,経営成果として,財務的成果と主観的成果,労務的成果を指標として設定し,第一に企業的な農業法人を対象としたアンケート調査により,経営理念の成文化と財務的成果と主観的成果との関連性を網羅的に分析すること,第二に,企業的な農業法人の従業員を対象として,経営理念の浸透レベルと労務的成果との関係性を詳細に解明する。これにより,一般中小企業と同様に農業分野においても経営理念の有用性の有無が明らかになるとともに,農業経営体の経営者が従業員の職務満足度の向上を図る際の留意点を示すことで,今後の企業的な農業経営体の育成・発展に寄与することが期待される。
(3) 本論文の構成
各章の関係は次の通りである。まず,第 1 章では,経営理念に関する先行研究からこれまでの論点について,一般経営学及び農業経営学での取り組み状況を整理する。
第 2 章では,農業法人における経営理念の策定実態や公表実態を明らかにするとともに,経営理念の文言(内容)からみた,営農類型別の特質(経営理念の機能)との関係性を明らかにする。
次に,第 3 章では,経営者のものとされ,主体的なリーダーシップが重要とされる経営理念について,先進的な農業法人の経営者へのヒアリング調査を通じて,第 2 章の研究結果を検証する。これらにより,農業法人における経営理念の策定実態と特性を解明する。
第 4 章では,経営理念の策定実態と営農類型や経営属性について,経営成果との関連性を網羅的に分析し,一般中小企業と同様に農業経営体においても経営理念策定の有用性を有しているのかを明らかにする。
第 5 章では,企業的な農業法人を対象に理念の浸透レベルが労務的成果である職務満足度にどのような影響を及ぼしているのかを明らかにする。これらにより,農業法人における経営理念と経営成果の関係性を解明する。
最後に,終章では,我が国の農業法人における経営理念の特性と経営成果の関係性について,研究面及び実務面での貢献について総合的な考察を行うとともに,今後の課題について整理を行う。
なお,本論文の各章の表題は以下の通りである。序章研究の背景と目的
第1章 経営理念研究の展開
第2章 農業法人における経営理念の公表実態と内容第3章 農業法人が重視する経営理念の機能
第4章 農業法人における経営理念と財務的・主観的成果との関連性第5章 農業法人における経営理念と労務的成果の関連性
終 章 本研究の成果・貢献と残された課題
3.主な研究成果
(1) 農業法人における経営理念の公表実態と内容
企業的な農業法人における経営理念の策定実態とその内容について,一般中小企業を対象として蓄積されてきた経営理念に関する研究成果を適用し,営農類型別の特性を明らかにした。
その結果,営農類型によって,経営理念の自社のホームページでの公開率が異なる傾向にあり,野菜法人や稲作法人が比較的高いのに対して,果樹法人は低い傾向にあることが明らかにされた。
また,営農類型ごとに経営理念に使用されている単語に特徴があり,さらに経営理念の役割として重視する機能が異なることが明らかにされた。
本研究の成果として,これまで農業法人が経営理念を策定する際に,明確な指針がなく手探りであったと考えられる中で,自身の営農類型で重視される経営理念の原理と機能,さらに具体的な単語を踏まえた,一定の指針を提示することで適切な経営理念策定の一助とできる点である。これにより,経営戦略を規定する経営理念を適切に策定することが可能となり,我が国の企業的な農業法人の育成に寄与することが期待される。
(2) 農業法人が重視する経営理念の機能
先進的な 6 農業法人を対象としたヒアリング調査を実施し,経営者が経営理念で重視する機能と浸透対象について明らかにした。
まず,第 2 章との比較検証を行った結果,果樹の正当化機能,畜産の成員統合機能と動機づけ機能は,第 2 章と同様に重視する機能であることが明らかになった。一方で,事例数も限られており,一般化することに留意する必要があるが,稲作法人や野菜法人(露地・施設)については,第 2 章とは異なる経営理念の機能を重視していることが明らかになった。
また,農業法人が置かれている経営環境によって,重視する経営理念の機能が異なり,借地等の土地条件や都市部などの立地面により,組織外部のステークホルダーとの信頼関係の構築を重視すること,販売先との関係性により,組織外部へ良好なイメージの創造よりも,組織内部の一体感や従業員のやる気を引き出すことを重視するなど,組織外部向けの機能に影響を及ぼしていることが示唆された。
(3) 農業法人における経営理念と財務的・主観的成果との関連性
農業法人における経営理念の策定実態と経営成果との関連性をアンケート調査により解明した。その結果,売上高や常時従事者数などの経営規模が比較的大きい経営体や家族経営の延長でない経営体,さらに加工部門等の多角的な経営体が経営理念を成文化している傾向にあることが示唆された。
さらに,ロジスティック回帰分析により,経営理念の成文化率への影響について,施設野菜と露地野菜,設立母体や常時従業員数,加工部門有の限界効果が比較的高いなど,営農類型や経営属性によって経営理念の成文化の重要性が異なることが認められた。
また,理念有の農業法人は,短期的な収益性である売上高当期純利益率との関連性は見られなかったが,長期的な利益の蓄積状況を示す自己資本比率と主観的成果である達成度との関連性が認められた。
本研究の成果としては,これまで農業分野においてその重要性が認識されてきた経営理念について,企業的な農業法人を対象とした網羅的な実態把握を行い,営農類型や経営属性による理念の成文化の実態を解明したこと,さらに,理念の成文化と長期的な経営成果や主観的成果が関連性を有していることを解明したことである。
(4) 農業法人における経営理念と労務的成果の関連性
農業法人の経営者と従業員を対象に経営理念の浸透レベルや理念の行動への影響度と不満・動機づけ要因の相関分析から,一般経営学の実証研究と同様に従業員へ理念の浸透レベルや行動への影響度と職務満足度の関係性を有していることを明らかにした。
具体的には,経営理念の浸透レベルが高まることで,給与比較等の理念的インセンティブや将来展望の満足度を高めること,人事評価に関する満足度を高めることにより,理念の行動への影響度を高めるなどの効果を発揮させること,さらに,これらの項目は総合的な職務満足度との関係性も認められ,理念の浸透を図ることにより,総合的な職務満足度へ効果を及ぼしていることが示唆された。
また,総合的な職務満足度と経営者が重視する経営理念の機能や従業員への理念の浸透レベル,職務満足度の各項目との関係性について,重回帰分析により明らかにした。
具体的には,経営者が内部向けの機能を重視している経営体ほど,総合的な職務満足度が高いことが認められ,経営者が,従業員をより重視した経営理念を掲げることで総合的な職務満足度を高めることが期待できること,総合的な職務満足度を高めるためには,単に理念の浸透レベルを高めだけでなく,それを現場での判断や具体的な行動につなげる段階まで定着させることが重要であること,総合的な職務満足度を高めるためには,動機づけ要因のやりがいや長期就社などの項目の満足度を高めることの重要性が示唆されたことである。これらの項目については,人的資源管理施策の取り組みを農業法人においても実践することが重要であると考えられる。
4.本研究の成果と貢献
(1) 研究面での成果・貢献
本論文の研究面での成果・貢献としては,次の 4 点があげられる。
まず第 1 に,これまでの一般経営学の経営理念研究において,業種の特性などは十分に検証されていない中,農業経営を対象に営農類型別の特性を詳細に分析した上で,異なる経営理念の特性を有していることを明らかにしたことである。これにより,経営理念研究において,業種の特性を考慮することが必要であることを示すことができた。
第 2 に,経営理念の特性として,その機能が営農類型によって異なること,営農類型以外に経営理念に影響を与える要件として,立地や販売先との関係性が考えられることを解明した。これは,農業経営体を対象とした経営理念研究において,営農類型や立地,販売先との関係性を踏まえた上で,その策定経緯や内容を検討する必要性を示したものである。また,経営理念は経営戦略を規定する要素であることからも,農業経営戦略研究において,本研究で明らかになった研究成果を踏まえた分析を行うことの重要性を示した。
第 3 に,経営成果については,財務的な成果と主観的成果について,アンケート調査を活用し,これまでの一般経営学では十分に検証されていなかった経営理念と自己資本比率との関係性や主観的成果にも影響を与えていることを解明したことである。
第 4 に,経営成果の労務的成果として,これまで農業経営学では十分に検証されていない 経営理念の浸透レベルや行動への影響度と職務満足度の関係性について解明した点である。これらの研究面での成果・貢献は,今後の農業経営理念研究及び農業経営戦略研究において,新たな研究手法や論点を提示するものであると考える。
(2) 実務面での成果・貢献
次に本論文の実務面での成果・貢献としては,次の 3 点があげられる。
第 1 に,農業法人における経営理念の特性として,営農類型によって求められる機能が異なることから,自身が生産する品目を踏まえた,経営理念の策定が重要となることを示したことである。これにより,自らの生産する品目を踏まえてどのような経営理念を重視しつつ,経営することが望ましいのか認識することができる。
第 2 に,経営成果として,経営理念の成文化と自己資本比率に関係性があることからも,財務面の成果を上げるために,経営理念を成文化することの有効性を明確化した。これは,一般中小企業と同様に,農業経営体においても,経営理念の成文化することが重要であることを示しており,今後,企業的な農業経営体が増加する中で,行政や関係機関を含めて,経営理念の成文化を図る取組みを推進することが重要といえる。
第 3 に,経営理念が労務面に与える効果として,経営理念の浸透レベルをあげること,さらに理念が行動に反映させる段階まで浸透させることと,職務満足度の関係性が認められたことである。これは,経営理念を単に成文化するだけでなく,それを組織内に浸透させることの重要性を示唆しているものである。
これら実務面の成果・貢献は,既存の企業的な農業法人や今後,規模拡大や経営の多角化を志向する農業経営体において,自身の営農類型を踏まえた上で,経営理念の成文化を図ることやそれを組織内で浸透させることの有用性を示すことができ,今後の企業的な農業経営体の育成や経営発展に寄与することができる。