Functional Renormalization Group Study on Kitaev Quantum Spin Liquid
概要
論文審査の結果の要旨
氏名
福井
毅勇
近年、トポロジカルに非自明な構造を持った量子状態が物性理論研究の一つの中心的テーマとなっ
ている。なかでも、キタエフ模型はそのスピン液体状態を含む厳密解が知られている模型として盛ん
に研究がされてきている。当初は数理モデルとして提案されたが、その後、固体や光格子での実現可
能性が議論され、現実の物理系でキタエフスピン液体を実現しようとする試みが現在多くなされてい
る。提出された論文は、擬フェルミオン汎関数繰り込み群と呼ばれる新しい数値的手法を用いて、キ
タエフスピン液体相の在否に関心が持たれているいくつかの模型を解析し、その性質を明らかにして
いる。
本論文は6つの章と3つの付録から構成されている。第1章から第3章までは、関連した先行研究
の概説になっており、第4章と第5章が本論文のオリジナルな部分になっている。第1章は、本論文
の中心的な研究テーマである量子スピン液体、とくにキタエフスピン液体に関する概説である。第2
章は、本論文で利用された数値的手法である汎関数繰り込み群に関する概説であり、一般のフェルミ
オン系ハミルトニアンを対象として、そのグリーン関数の生成関数についての繰り込みフローを記述
する方程式の導出までが述べられている。第3章は、第2章で示された方法論を量子スピン系の場合
に応用する仕方についてのレビューであり、そこでは、量子スピンハミルトニアンをフェルミオン演
算子で表現するところから出発して、帯磁率の計算の定式化までが述べられている。また、第5章で
用いるために1/2より大きなスピンの場合への拡張についても述べられている。第4章は、光格子にト
ラップされた極低温分極分子系のモデルとして導かれた量子スピンハミルトニアンに対して、第3章
までで示された汎関数繰り込み群法を適用した結果が議論されている。第5章は、近年固体中での実
現可能性が議論されているスピンが1/2より大きいキタエフ・ハイゼンベルク模型に対して、汎関数繰
り込み群法を適用した結果が議論されている。
以下では、この論文のオリジナルな部分である第4章、第5章の内容について述べる。
第4章では、2013年の Gorshkov、Hazzard、Reyによる先行研究で提案された光格子にトラップされ
た極低温分子系模型が研究されている。この模型は、蜂の巣格子上で定義されたスピン1/2 の量子スピ
ン系であり、極性分子間の双極子相互作用に対応する長距離相互作用を持ち、キタエフ模型と同様
に、スピン交換相互作用は SU(2) 対称性を破るスピン空間異方性と3回対称性を破る空間異方性を持
つ。異方性の大きさを制御パラメータとして変化させ、汎関数繰り込み群を用いて帯磁率を繰り込み
エネルギースケールΛの関数として計算を行っている。2016年のIqbal らの先行研究では、Λは定性的
に温度に対応するものとされている。本論文では、帯磁率のΛ依存性に有限のΛにおいて発散や特異
性が見られるか否かで相転移の存在・不在が判定されている。また、特異点における帯磁率の波数依
存性がδ関数的ピークを持つ場合には、そのピーク位置に対応した磁気秩序が存在すると判定してい
る。このような数値計算と解析の結果、異方性パラメータがどんな値であっても、強磁性相と反強磁
性相の2種類の磁気秩序相のいずれかのみ出現するという結論を得た。さらに、本論文では結果の相
互作用到達距離依存性についても、系統的に調べている。すなわち、上記の双極子キタエフ模型の相
互作用は、到達距離無限大であるが、有限距離で打ち切った場合の数値計算も行っている。到達距離
が1の場合が通常のキタエフ模型に対応するが、この場合、基底状態がスピン液体相であることを反
映して、帯磁率はブリルアン域において特定の1点でなく広がった領域で最大値付近の値を取る。こ
れに対して、相互作用到達距離を長くすると、単一の点でピークを取る構造に変化する様子が観察さ
れた。これらのことから、短距離相互作用しかもたない通常のキタエフ模型で実現される量子スピン
液体相は、長距離相互作用の導入によって、不安定化することが示唆される。
第5章では、スピンが 1/2 よりも大きい場合のキタエフ模型が研究されている。この場合、厳密解
は存在しないが、厳密解が存在する スピン1/2 の場合と同様に、具体的には局所的に定義される Z2
フラックスと呼ばれる量が保存し、その個数は系のサイズに比例する。現実の磁性体でもいくつか候
補物質が挙がっている一方で、理論的にも、スピン1 の場合の計算結果の比熱の温度依存性に特徴的
なダブルピーク構造が現れる点がスピン1/2の場合と共通しているため、通常のキタエフ模型との関連
に関心が高まっている。本論文では、ハイゼンベルク模型とキタエフ模型の2つのハミルトニアンの
和で書かれるキタエフ・ハイゼンベルク模型を汎関数繰り込み群の方法で取り扱い、第4章と同様に
帯磁率の繰り込みエネルギースケールΛ依存性から、このモデルの相図を決定している。スピン1/2の
キタエフ・ハイゼンベルグ模型には申請者と同様の方法による2011年のReuther, Thomale, Trebstによる
先行研究があり、本論文は、それを 1/2より大きなスピンの場合に拡張したものになっている。また、
スピン1の場合の基底状態については、2020年のDongとShengによる密度行列繰り込み群法を用いた先
行研究によって、相図が知られている。本論文では、スピンが1/2, 1, 3/2, 2, 5/2 の5つの場合と、古典
極限に近い50 の合計6つの場合について計算を行い、各スピンの場合について異方性パラメータとΛ
の2次元相図を求めた。その際、上述のように転移点 Λc における帯磁率の波数依存性のピーク位置
などに基づいて相の同定を行っている。特に、基底状態における相図が得られ、スピンが1/2と1の場合
は、それぞれの先行研究結果と概ね一致している。スピン液体相と磁気秩序相の相境界については、
スピン1/2と1の場合に先行研究の結果と比較すると、スピン液体相がより広がった結果になっている
が、スピン2 以上では有限の幅で観測されなかった。このことから、2 以上のスピンのキタエフ・ハ
イゼンベルグ模型ではスピン液体相が存在しない、または極めて狭いパラメータ領域に限定されるこ
とが示唆される。
以上のように、論文提出者は本論文において近年提案された数値計算手法の応用に成功し、それを
利用してキタエフ模型から派生するいくつかの量子統計力学的問題の性質を明らかにした。これらの
問題は物性理論のなかで中心的な課題となっているトポロジカルに非自明な構造をもつ量子多体状態
の研究において重要であり、光格子や磁性体における現実の物理系での実現を伴って、注目を集めつ
つある問題である。本論文の成果はこれらの問題に対して有用な知見を与えるものであり、物性理論
としての価値と独創性は十分と認められる。本論文は共同研究者等との共同研究の成果であるが、構
想、数値計算、結果の解析の主要部分は論文提出者が中心となって遂行されたものと判断された。ま
た、論文の内容と形式は東京大学大学院理学系研究科における博士論文に関する指針に則っているこ
とを確認した。以上により、博士(理学)の学位を授与できるものと審査員全員が認定した。