柱脚滑り挙動を有する木造建築物の地震応答推定手法に関する研究
概要
本論では、地震動による柱脚の滑り量を考慮した最大応答変形性能を再現することを目的として、震動台実験に用いられた実大伝統構法木造住宅の試験体を対象とした時刻歴応答解析をDEM(個別要素法:Distinct Element Method)で行い、実験結果の再現を試みた。そして、観測地震波によるDEMと、本研究で提案する「柱脚滑り応答スペクトル法𝐶𝑠𝑙𝑖𝑝」の精度検証を、11種類の建物モデルと巨大観測地震5波、及び3種類の動摩擦係数別の計224ケースによるDEMと比較検証した。さらに、復元力特性作成時の増分解析における、計算の演算時間と容量が膨大となる実務的ではない課題について、「定点変位固有変形モード法」を適用した𝐶𝑠𝑙𝑖𝑝を提案し、DEMと比較検証した。また、上部構造のみならず、柱脚滑り層の滑り量クリアランスを簡易に算出可能とする定式化を試みた。柱脚滑り応答スペクトル法を拡張させた提案手法「柱脚滑り応答スペクトル法𝐶𝑏𝑎𝑠𝑒」について論じ、11種類の建物モデルに適用した𝐶𝑏𝑎𝑠𝑒の精度検証を、動摩擦係数別、巨大観測地震波によるDEMと比較検証した。最後に、提案する𝐶𝑠𝑙𝑖𝑝のアスペクト比と摩擦係数によるRocking効果を検証し、損傷制御設計可能な適用範囲を明らかにすることを目的とする。
第1章では、建築物に要求される性能として、地震動が1Gを超越するような巨大地震動レベル、繰返し地震動に対しても、損傷制御設計の概念が重要であることを示した。伝統構法で言えば石場建て構法に代表される「基礎上を滑動」させる方法により、地震力を軽減させることが可能である。即ち、鉛直方向の柱脚の浮上り、水平方向の滑動による3次元動的安定挙動性を備えた基礎構造形式により、入力地震動には上限が生まれ、上限を超越する様々な周波数特性の巨大地震動から免れることが可能になることを示した。
第2章では、基礎と柱脚の緊結に関する既往の研究を示した。基礎と土台の緊結について、戦前は現在とは全く逆で、「基礎は固定すべきではない」というのが建築構造界の一致した見解であった。佐野利器や武藤清、真島健三郎をはじめ錚々たる構造学者が異口同音に提唱し、戦前期には、「木造建築の基礎と土台とは緊結すべからず」というのが、建築構造学界の共通認識であった。一方、実大震動台実験で、耐震的剛木造の極みともいえる200年住宅、長期優良住宅が激しく倒壊した。その理由を考えるうえでも『基礎と土台の緊結』問題は多くの教訓を与えてくれるため悉皆調査を整理した。
第3章では、個別要素法の概要を示した。実物大の木造建築を用いた大規模な震動台実験で実際の地震動による損傷程度を実験観測値として得る研究も最近行われるようになってきたが、非常に多くのコストと時間がかかるため、本研究で検証しようとする提案法の実験観測値を得ることは極めて不可能に近い。このような問題を解決する1つの大きな武器・ツールになるのが数値解析法である。ここに、DEMを用いて、連続体から非連続体に至るまでの破壊現象のシミュレーションを行う意義が生まれる。本章ではDEMに関する概要や解析理論、数値解析手法について概要を示した。
第4章では、柱脚滑り挙動を伴う上部構造の応答推定手法を提案した(図1)。地震動による柱脚の滑り量を考慮した最大応答変形性能を再現することを目的として、震動台実験に用いられた実大伝統構法木造住宅の試験体を対象とした時刻歴応答解析をDEMで行い、実験結果の再現を試みた。そして、観測地震波によるDEMと、本研究で提案する「定点変位固有変形モード解析法」を適用した「柱脚滑り応答スペクトル法𝐶𝑠𝑙𝑖𝑝」の精度検証をDEMと比較検証した。柱脚別に摩擦係数が違う場合や、異なる復元力特性を有する建物モデルに対しても、各階の変形量は地震波によらず概ね近似値を示し、設計クライテリアを満たした。本提案手法である「柱脚滑り応答スペクトル法𝐶𝑠𝑙𝑖𝑝」は、異なる復元力特性、動摩擦係数別に応じたDEMとの整合性を示し、高い汎用性を明らかにした。
表1、図3にJMA神戸波加振、摩擦係数μ=0.4の計算結果を、2種類の解析法を比較して示す。貫板壁構法モデル(図2)では1階の変形量は地震波によらず概ね近似値となっている。1階応答変形角が1/60rad以下であり、修復可能な損傷変形角である「損傷制御設計」を可能としている。さらに、2階の変形量の差が変位増分法に比べて定点変位法は著しく改善されている。定点変位増分法により、手計算レベルでも精度の高い応答値が得られ、実務レベルでも非常に有益であることを示した。
第5章では、柱脚滑り挙動を伴う基礎滑り量の推定手法を提案した。上部構造のみならず、柱脚滑り層の滑り量クリアランスを簡易に算出可能とする定式化を試みた。柱脚滑り応答スペクトル法を拡張させた提案手法𝐶𝑏𝑎𝑠𝑒について論じ、11種類の建てモデルに適用した最大柱脚滑り量評価法「柱脚滑り応答スペクトル法𝐶𝑏𝑎𝑠𝑒」の精度検証を、動摩擦係数別、巨大観測地震波によるDEMと比較検証した。柱脚滑り量を考慮した「柱脚滑り応答スペクトル法」、および、不規則振動理論から導き出される剛体モデル簡易柱脚滑り量予測式の2手法を提案し、複数の巨大観測地震波によるDEM解析と比較検証を実施した。柱脚滑りクリアランス量として1mを設計クライテリアとすれば、概ね過去の巨大地震動によるDEM解析結果も包含することを示した(図4,5)。
第6章では、本論文の結論について述べた。アスペクト比が高くなるとロッキング現象が顕著となることが想定される。この場合、柱脚滑り量に対するロッキング効果の検証が必要不可欠となる。即ち、アスペクト比が1.0を超える伝統構法木造建築(図6)に対し、提案する「柱脚滑り応答スペクトル法」𝐶𝑠𝑙𝑖𝑝、𝐶𝑏𝑎𝑠𝑒の適用範囲の検証を行う必要性が生じる。そのため、柱脚滑り応答スペクトル法のアスペクト比によるRocking・Sway効果を検証し、損傷制御設計可能な適用範囲を考察した。アスペクト比をパラメータとして、各種巨大地震波に対する貫板壁構法の応答について、DEMによる数値解析を行い、柱脚滑り応答スペクトル法の適用範囲の検証を行った。
柱脚滑り量(Sway)に対する柱脚浮上り量(Rocking)の比率(Rocking/Sway)を検証した結果を図7に示す。アスペクト比が1.79以下の4種類の建物モデルでは、各種巨大地震波に対して、いずれも20%以下の比率となっている。
一方、アスペクト比が2.61の3階建てモデルでは各種巨大地震波に対して、20%以上の比率を示し、益城町波では171.55%、BCJ-L2×2倍波では247.34%の比率を示し、Rockingの影響が顕著となっている。特にBCJ-L2×2倍波では比率が200%を超え、滑り量以上に浮上り量が支配的であることを示している。
アスペクト比が2.61の3階建てモデルでは摩擦係数が0.3以上から、アスペクト比が1.79の2階建てモデルでは摩擦係数が0.5以上から、DEMでは絶対座標系によるロッキングにより生じる回転変形成分が含まれている。そのため、絶対座標系から回転変形分を減じ、ローカル座標系での層間変形を求める必要性がある。ロッキング挙動によって生じる回転変形分を減じた解析結果をDEM2と定義し、提案手法である𝐶𝑠𝑙𝑖𝑝の精度検証を行った。なお、アスペクト比が2.61を超える建物は倒壊を免れるが、柱脚浮上り着地時にはRCベタ基礎との衝突による衝撃力で、強い衝撃加速度が発生することが懸念され、家具・什器の下敷きや衝突による死傷事例が想定される。よって、アスペクト比が2.61を超える建物は適用範囲外とした。
表2、図8にDEM2と𝐶𝑠𝑙𝑖𝑝の変形モード分布図、応答値𝐶𝑠𝑙𝑖𝑝を、図9に1階のDEMとDEM2の荷重変位履歴曲線図を、アスペクト比1.79、動摩擦係数0.5の2階建てモデルにおける、ロッキング挙動によって生じる回転変形分を減じたDEM2(重心)と、提案手法である𝐶𝑠𝑙𝑖𝑝の建物応答変形量を、絶対座標系のDEM(重心)と比較して示す。1,2階の変形量はDEM2(重心)と概ね近似値を示した(表2、図8)。1,2階変形角が1/60rad以下であり、修復可能な損傷変形角となっており、「損傷制御設計」を可能としている。DEM2では、絶対座標系からロッキング挙動によって生じた回転変形分が減ぜられ、ローカル座標系での荷重変形履歴曲線が形成され、DEMでは1階で最大1/17radを示したものの、靭性に富んだ貫板壁・地長押梁構法により復元力が働き、最終変形では自立を保ち倒壊しない(表2、図9)。各種巨大地震波に対して、いずれも応答変形角が1/60rad以下の値を示し、『損傷制御設計』の可能性を示した。
以上の考察より、「柱脚滑り応答スペクトル法」𝐶𝑠𝑙𝑖𝑝の適用範囲として、アスペクト比は1.7以下(安全性を考慮すると1.5)、柱脚はダボ等で緊結しない等を明らかにした。𝐶𝑠𝑙𝑖𝑝および𝐶𝑏𝑎𝑠𝑒を検討することで、動的解析を実施せずとも建物の滑り効果に伴う上部構造の応答と、柱脚滑り量が簡易に計算できることを明らかにし、従来には存在しなかった新しい実務的な手法であることを示した。柱脚滑り挙動を有し、せん断力係数(𝐶𝑠𝑙𝑖𝑝)を向上可能な貫板壁構法等は、あらゆる極大地震動に対しても損傷を制御しうる強度型耐震構造のフェールセーフ設計が可能であり、極大地震動の特性や上限を本質的に気にしない、「損傷制御設計」の可能性を秘めていることを明らかにした。