麹菌Aspergillus oryzaeにおける新規コウジ酸生産制御因子の探索と機能解析
概要
麹菌Aspergillus oryzaeは清酒,味噌,醤油などの製造に使用されており,日本の伝統的な発酵文化に欠かすことのできない重要な微生物である。麹菌の安全性は長い食経験により証明されているが,近縁種であるA. flavusが二次代謝産物としてアフラトキシンなどのカビ毒を生産することから,更なる安全性の証明が求められている。また麹菌は,チロシナーゼ阻害剤であるコウジ酸や抗生物質であるペニシリンなど有用な生理活性物質も生産するため,麹菌A. oryzaeの二次代謝産物生産の制御機構の解明は,醸造食品だけでなく,医薬品や化粧品などの幅広い分野へ貢献が期待される。
近年,麹菌の二次代謝産物に関する分子生物学的な研究が精力的に行われており,特に生合成酵素についての研究は進展が著しく,合成酵素や遺伝子クラスターが同定されている。一方で,二次代謝の制御については近縁種のモデル糸状菌で多くの制御因子が発見されているが,その全容は明らかにされていない。Aspergillus属の二次代謝制御因子は,遺伝子クラスター特異的な制御因子と複数の二次代謝を制御する広域制御因子に分別される。遺伝子クラスター特異的な制御因子は通常,Zn(II)2Cys6型のDNA結合モチーフを持つ転写因子であり,クラスター内の標的遺伝子のプロモーター領域に結合することで遺伝子発現を制御する。一方,広域制御因子はヒストンのメチル化や脱アセチル化などのクロマチンリモデリングを介したエピジェネティックな制御を行い,光や温度,栄養源などの環境シグナルに応答して複数の二次代謝を制御する。
コウジ酸(KA)は,麹菌A.oryzaeの代表的な二次代謝産物であり,その誘導体を含め,化粧品,医薬品,食品,農業などの分野で広く利用されているが,KA生産を制御する基礎的な分子機構は不明である。そこで本研究では,A.oryzaeの転写制御因子遺伝子破壊株ライブラリーから新規KA生産制御因子をスクリーニングし,その機能解析を行った。
1. コウジ酸生産制御因子のスクリーニング
KA生産に関わる新規制御因子の選抜と培養条件によるKA生産制御の変化を網羅的に解析するために,A. oryzae転写因子遺伝子破壊株ライブラリー50株に対して,液体培養及び平板培養におけるKA生産量を指標としたスクリーニングを行った。KA生産に強く関わると予想された遺伝子は13遺伝子選抜され,その内8遺伝子は窒素代謝,炭素異化抑制,分生子形成,ヒストン修飾などの特徴付けが既にされた遺伝子であった。残りの5遺伝子の内,Gene ID: AO090003001186の遺伝子はすべての生物種において全く特徴付けされておらず,この破壊株は平板培養においてコウジ酸生産量が顕著に増加したことからkpeA(kojic acid production enhancement A)と名付けられた。KpeAは配列解析から,通常タンパク質のN末端側に存在するZn(II)2Cys6型DNA結合ドメインを配列中央にもつユニークな構造の制御因子であると予想された。また,Gene ID: AO090012000864の遺伝子はBLAST解析からヒストンシャペロンHIR複合体のサブユニットであるHirAと予測された。HIR複合体は酵母からヒトに至るまでの真核生物に進化的に保存されており,様々な生物種で多くの研究が行われているがAspergillus属を含む糸状菌での知見は少なく,また二次代謝との関係はどの生物種においても報告されていなかった。そこでこの2つの新規KA生産制御因子について,更なる機能解析を行った。
2. KpeAの機能解析
2-1.KpeAのジーンモデル
kpeAは5’-RACE及び3’-RACEとcDNAのシーケンス解析から,DNA結合モチーフであるZn(II)2Cys6モチーフをアミノ酸配列中央に保持するが,そのコード領域はイントロンにより分離されていることが明らかになっている。しかし,このジーンモデルの妥当性は転写レベルでの確認であり,翻訳レベルは確認されていない。そこで蛍光タンパク質であるGFPを融合したKpeA(GFP::KpeA)を高発現プロモーターであるP-amyB下で発現するGFP::KpeA高発現株を作製し,ウェスタンブロッティングにより,KpeAの分子量の推定を行った。KpeAの推定分子量は85.5kDa,GFPの分子量は27.0kDaであり,GFP::KpeAの分子量は112.5kDaと予想される。GFP::KpeA株をMaltoseをC源としたCD培地で,30°C,180rpm,24時間振とう培養した菌体内容物を試料としたウェスタンブロッティングにおいて約120kDa付近に強いシグナルが検出されたことから,KpeAのジーンモデルは妥当であると考えられた。
2-2.KpeAのZn(II)2Cys6モチーフの解析
典型的なZn(II)2Cys6型転写因子にはN末端から順にZn(II)2Cys6モチーフ,リンカー領域,二量体化ドメイン,middle homology region(MHR)と複数のモチーフが並ぶ構造をとる。しかしKpeAはDNA結合モチーフがアミノ酸配列の中央に存在し,二量体化ドメインと考えられるcoiled-coilがモチーフの上流に予測され,さらにMHRは予測されなかった。また,典型的なZn(II)2Cys6モチーフ中の5番目と6番目のCys残基の間隔は6-9残基なのに対し,KpeAは11残基であった。以上よりKpeAは典型的なZn(II)2Cys6型転写因子とは異なる,非常に珍しい構造をもつことから,Zn(II)2Cys6モチーフに似た配列が偶然存在するだけでDNA結合モチーフとして機能しないことが懸念された。そこでKpeAのZn(II)2Cys6モチーフ内全てのCys残基をAla残基に置換したkpeAAla株を作製し,その表現型解析からモチーフが機能を有するかを確認した。
Malts寒天培地上でのkpeAAla株の形態は,対照株であるE-F1+株と比較して気中菌糸が長く,分生子数が少ないといったkpeA破壊株(ΔkpeA株)と同様の表現型が観察された。またコウジ酸検出培地の培養4日目においてE-F1+株は培地呈色を示さなかったのに対し,kpeAAla株とΔkpeA株は同程度の培地呈色を示しており,コウジ酸生産量が増加していた。以上のようにkpeAAla株がΔkpeA株と同様の表現型を示したことから,KpeAのZn(II)2Cys6モチーフは機能を有しており,タンパク質の機能に必須であることが明らかになった。
2-3.アミノ酸欠失解析によるKpeAの機能領域の推定
KpeAは機能的なZn(II)2Cys6モチーフをアミノ酸配列中央に持つ,モチーフのN末端側が長い,ユニークな構造のタンパク質であることが明らかになった。一方で,配列相同性解析からはZn(II)2Cys6モチーフ以外の機能性ドメインの存在は予想されず,KpeAのZn(II)2Cys6モチーフのN末端側領域及びC末端側領域の機能は不明であった。そこで,KpeAのアミノ酸配列を部分的に欠失させた株を作製し,そのアミノ酸欠失株の表現型から機能領域を推定するアミノ酸欠失解析を行なった。
まずKpeAのC末端側から数十アミノ酸ずつ欠失させた株であるΔ707-762株,Δ636-762株,Δ530-762株,Δ403-762株を作製し,寒天培地上での形態の比較を行ったところ,すべてのアミノ酸欠失株がΔkpeA株と同様の形態を示した。よってKpeA707~762aaに機能領域の存在が予想された。典型的なZn(II)2Cys6型タンパク質には,Zn(II)2Cys6モチーフのC末端側領域に二量体化に関わるcoiled-coil構造が存在することから,PEPCOILによるKpeAのcoiled-coilを予測したところ,324~337aa,611~624aa,721~734aaの3つの領域がスコア1.30以上で予測された。以上より,Δ707-762株は721~734aaに存在が予測されたcoiled-coilを欠失したことにより,KpeAのホモ二量体を形成できず,機能が失われ,ΔkpeA株と同様の形態を示したと考えられた。
次にKpeAのN末端から数十アミノ酸ずつ欠失させた株をいくつか作製し,寒天培地上での形態の比較を行ったところ,Δ2-177株はE-F1+株と同様の表現型を示したのに対して,Δ2-205株はΔkpeA株と同様の形態を示したことから,KpeA178~205aaに機能領域の存在が予想された。しかしこの領域のみを欠失させたΔ178-205株は,ΔkpeA株ではなくE-F1+株と同様の表現型を示したことから178~205aaに機能領域の存在が予想されたことと矛盾した。そこでより細かい欠失解析を行ったところ,Δ173-185株はE-F1+株と同様の表現型を示したのに対して,Δ173-191株はΔkpeA株とE-F1+株の中間的な形態を示した。このKpeA173~191aa周辺領域のアミノ酸残基とその保存率を確認したところ,タンパク質のリン酸化に関わるSer/Thrリッチな領域が高度に保存させており,この領域がKpeAの機能に関わることが予想された。
3. HirAの機能解析
3-1.insilico解析によるHirAの特徴付け
第1章においてKA関連遺伝子としてスクリーニングされたGene ID: AO090012000864の遺伝子はAspergillus属において特徴付けされていない因子であった。そこでこの遺伝子がコードするタンパク質配列を,organismをSaccharomyces cerevisiaeとしてBlastp検索を行ったところ,S. cerevisiae Hir1がE-value: 3e-141で双方向ベストヒットした。興味深いことにS. cerevisiae Hir 2もE-value: 4e-55でBlastp検索によりヒットした。Hir1とHir2は共に,S. cerevisiaeのヒストンシャペロンHIR(histone regulatory)複合体のサブユニットであり,他のサブユニットとしてHir3とHpc2が存在する。この複合体はHomo sapiensにおいて,HIRA,Cabin1,Ubinuclein1の3つサブユニットから構成されており,S. cerevisiae Hir1のWD40ドメインとHir2のHiraドメインは,H. sapiensのHIRAという単一のタンパク質に存在している。Pfam解析によりA. oryzae HirAはHir1オルソログのN末端側領域とHir2オルソログのC末端側領域からなるタンパク質をコードすることが予想され,酵母よりヒトHIRAに構造的に近いことが示唆された。また,HIR/HIRA複合体は酵母からヒトに至るまでの真核生物間で進化的に保存されていることから,生物学的に極めて重要な役割を担っていることが示唆された。
3-2.HirAの形態形成への影響
HirAの糸状菌での知見は担子菌Pleurotus ostreatusにおいてリグニン分解に関与する因子としてのみ特徴付けられているのみである。そこでA. oryzaeにおけるHirAの役割を明らかするためにhirA破壊株(ΔhirA),hirA高発現株(OEhirA),対照株(E-F1+)のコロニー形態,生育,分生子形成などの特徴を調べた。各株は栄養培地としてPD,最少培地としてCD,KA生産培地としてKA寒天培地を用いた。7日間培養した各菌株のコロニー形状を比較したところ,ΔhirAはCD培地においてコロニーサイズと形状に明確な変化が生じた。コロニーの生育速度は,ΔhirAはCD及びKA培地において低下し,OEhirAはPD及びKA培地でわずかに増加した。分生子数は,ΔhirAはすべての培地においてE-F1+の約半分に減少し,OEhirAはPD培地においてのみΔhirAと同程度に減少した。以上より,HirAは正常な菌糸成長と分生子形成に必要であることが示唆された。
3-3.HirAのコウジ酸生産への影響
第1章でhirAは液体培養におけるKA生産関連遺伝子としてスクリーニングされた。そこでまず液体培養におけるE-F1+,ΔhirA,OEhirAのKA生産量の定量と,KA生合成推定酵素をコードするkojAと,kojAの正の制御因子をコードするkojRの発現量を調べた。E-F1+では,KA液体培地,30°C,180rpmにおける培養4日目から9日目までKA生産量とhirA遺伝子発現の両方に時間依存的な増加が見られた。また5日目にはkojAとkojRの発現量の増加が確認され,この発現レベルは9日目まで維持された。よって5日目以降のkojAの連続的な発現が,培養液中へのKAの連続的な蓄積に繋がったと考えられた。ΔhirAでは,培養液中へのKAの蓄積はあったが,蓄積速度はE-F1+と比較して低く,KA生産量は減少した。kojA及びkojRの遺伝子発現はE-F1+の半分程度に減少していたことから,ΔhirAにおけるkojAの発現の低下がKA生産量の減少に繋がったと考えられた。OEhirAについては,液体培養4日目と7日目のみ調べた。4日目と7日目ともにOEhirAのhirA発現は強く誘導されており,kojAとkojRの発現も4日目のE-F1+と比較して高く,これが4日目のOEhirAのKA量の増加に繋がったと考えられた。以上より,液体培養においてHirAはkojRとそれに続くkojAの発現を正に制御し,その結果,培地中のKA生産量が増加することが示唆された。
次に平板培養中でのKA生産におけるHirAの役割を明らかにするために,液体培養と同様に,培地中のKA生産量と遺伝子発現を調べた。寒天培地で培養した菌体からのRNAの抽出が困難であったため,YPD液体培地で24時間振とう培養した菌体を寒天培地にセットしたナイロン膜上で培養した。この培養条件ではE-F1+は4日目で完全に生育し,4日目以降のKA生産量の増加は確認されなかった。そこでナイロン膜に移してから4日間のサンプルを分析したところ,従来の平板培養と比べてKA生産量が1桁増加したがΔhirAがE-F1+よりも多くのKAを生産する傾向は変わらなかった。4日目にはΔhirAのKA生産量はE-F1+の約2倍となった。OEhirAではhirAの発現が強く誘導されていたが,kojA及びkojRの発現はE-F1+とほぼ同じであった。OEhirAのKA生産量もE-F1+とほぼ同様の傾向を示し,平板培養でのhirAの過剰発現はKA生合成遺伝子やKA生産量に影響を与えないことが示された。
4. 醸造環境における形態及びコウジ酸生産への影響
通常実験室では,水に原料や栄養素を添加した液体培地をフラスコに入れて培養する液体培養や,寒天を添加した液体培地をシャーレに展開し培養する平板培養が,微生物の培養方法として用いられる。一方で醸造発酵産業において麹菌A.oryzaeは,米や豆などの穀物上に生育させる固体培養が用いられている。固体培養では,実験室条件である液体培養や平板培養とは培養環境が大きく異なり,醸造発酵産業において重要な酵素は固体培養でしか生産されないものも多い。そこで醸造環境におけるhirAの機能を調べるために,醸造現場における培養工程である種麹製造と米麴製造(製麹)中での機能解析を行った。
まずE-F1+,ΔhirA,OEhirAを玄米上で培養し,種麹を作製した。各株の種麹の状貌を観察したところ,ΔhirAはE-F1+と比較して気中菌糸が短く,分生子数が減少した。分生子形成の中心的な制御因子であるbrlAの発現量は,培養48時間のΔhirAで減少していたが,brlA発現の減少は通常,気中菌糸の伸長と分生子数の減少を引き起こすため,表現型が完全には一致しない。よってhirAの破壊はbrlAだけでなくより下流の遺伝子発現にも変化が生じていることが予想された。次に,作製した各株の種麹を用いて製麹し,培養46時間の米麴のα-アミラーゼ,グルコアミラーゼ,α-グルコシダーゼ,酸性プロテアーゼの活性測定を行った。麹菌菌体量あたりで換算した酵素活性は,ΔhirAにおいてすべての項目でE-F1+より高かった。また米麴中のKA量を定量したところ,ΔhirAはE-F1+と比較して有意に増加しており,またkojA,kojRの発現量も増加していた。よってHirAは醸造発酵産業における培養環境である固体培養においてもKA生産制御に関与し,分生子形成や酵素活性にも影響を及ぼす重要な因子であることが示された。
5. 総括
A.oryzae転写制御因子遺伝子破壊株ライブラリーに対するスクリーニングからKA生産における新規制御因子としてKpeAとHirAを見出した。KpeAは新規構造のZn(II)2Cys6型制御因子であり,変異株の表現型解析により,DNA結合モチーフは機能的かつKpeAの機能に必須であることが明らかになった。またアミノ酸欠失解析により,C末端領域に二量体化ドメインと考えられるcoiled-coil,N末端側領域にKpeAの機能に重要なSer/Thrリッチな領域を予想した。HirAは酵母からヒトに至るまでの真核生物に進化的に保存されたヒストンシャペロンHIR複合体のサブユニットであり,そのタンパク質構造は酵母よりヒトに近いことが示された。代謝物および遺伝子発現解析から,HirAは液体培養では正に,固体培養では負に,KA生産を転写レベルで制御する因子であり,KA以外にも,分生子形成や酵素活性にも影響を及ぼすことが示唆された。本研究は,糸状菌に高度保存された新規構造のZn(II)2Cys6型制御因子HirAと,真核生物に広く保存されているヒストンシャペロンHIR複合体のサブユニットHirAの2つの異なるタイプの因子についてKA生産制御への関与をタンパク質構造,形態,遺伝子発現などから特徴付けたものであり,麹菌A.oryzaeの二次代謝制御の包括的な理解に寄与する重要な知見を提供する。また,真核生物に高度に保存されたヒストンシャペロンが糸状菌において培養環境に応じた代謝制御に関わることを初めて示し,基礎生物学としても興味深い知見である。また米麹における特徴付けからは,長年未解明であった米麹における代謝制御にヒストンシャペロンが関与することが示され,産業的観点からも新しい知見を提供する成果が得られた。