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大学・研究所にある論文を検索できる 「ヒロミ・ゴトー作品における<人間ならざるものたち> : 日系カナダ人女性作家にみるオルタナティヴ・アイデンティティの探求」の論文概要。リケラボ論文検索は、全国の大学リポジトリにある学位論文・教授論文を一括検索できる論文検索サービスです。

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ヒロミ・ゴトー作品における<人間ならざるものたち> : 日系カナダ人女性作家にみるオルタナティヴ・アイデンティティの探求

岸野 英美 広島大学

2020.03.05

概要

学位論文の要約
岸野英美
論文題目
ヒロミ・ゴトー作品における〈人間ならざるものたち〉
―日系カナダ人女性作家にみるオルタナティヴ・アイデンティティの探求―

論文目次
序章
第Ⅰ部 長・短編小説――多様な主人公と〈人間ならざるものたち〉の表象
第 1 章 身体と自己の再生――『コーラス・オブ・マッシュルーム』
(1994)にみるキノコ表象

1 キノコの象徴性
2 白人と非白人の文化
3 男性と女性、支配と抑圧からの脱却
4 自然と女性の交差
5 キノコの音楽性と感覚規範の崩壊
結び
第 2 章 アイデンティティの重層性――『カッパ・チャイルド』
(2001)における語り手と異種の関
わり

1 不安定な語り手
2 皆既月食の晩に――異種と雌性の交わり
3 カッパの子の役割と女性たちのゆるやかな結束
結び
第 3 章 揺らぐ家族像と不気味なものたち――『ホープフル・モンスターズ(2004)

1 カナディアン・ゴシック文学としての『モンスターズ』
2 家父長的思想の風刺――「キャンプ・アメリカーナ」
3 母親の抑圧と解放――「胸の話」と「川の向こうから」
4 母と子の溝――「漂い」
5 五感の変容と重力からの解放――「臭い少女」

6 異性愛への違和感の始まり――「夜」
7 性の揺らぎ――「ホープフル・モンスターズ」
結び
第Ⅱ部 児童文学・YA 作品――オルタナティヴ・アイデンティティの新たな可能性
第 4 章 北米児童文学のパターン転覆と少女の成長物語――『可能性の水』
(2001)

1 主人公の設定
2 森とヤマンバの象徴性
3 旅の仲間たちの役割
4 タヌキと多文化受容
結び
第 5 章 『ハーフ・ワールド』
(2009)における主人公の自己探求――異界と〈人間ならざるものた
ち〉をめぐって

1 物語の舞台としての「ハーフ・ワールド」
2 語り直されるヒエロニムス・ボスの地獄絵
3 メラニーを支える動物たち
4 グルースキンの執着性
結び
終章
引用文献
付録

論文要約
本論文の目的は、21 世紀にカナダで活躍する日系カナダ人作家ヒロミ・ゴトー(Hiromi Goto,
1966-)の処女作からヤング・アダルト(以下 YA)作品に描かれる〈人間ならざるもの〉に着目し、
ゴトーのエスニシティやセクシュアリティ、エコロジーなどをめぐる問題意識を読み取りながら、
オルタナティヴ・アイデンティティの模索を考察することである。
従来の研究では、日系人としてのゴトーの意識が作品にどのように反映されているかということ
に関心が持たれ、日本に伝わる民話の語り直しや、人間ではない存在について議論されることが多
かった。しかし、ゴトーの作品には、以上のような議論に加えて、人種的、文化的な規範の揺らぎ
や、人間と自然の関係性への問いや、有と無、善と悪といった二元論の脱構築とその変容が描かれ
ているという点と、さらには一部の作品だけではなく、全作品を通して、怪異や人外といった、い
わゆる人間ではない存在が多く登場しているという点で考察を深める必要がある。このような人間

ではない超自然的な存在の表象がゴトー作品の通底するテーマであると捉えたとき、参考になる議
論の一つが、現代環境思想家であるティモシー・モートン(Timothy Morton)の〈人間ならざる
もの(Non-human Being)
〉の思想である。この〈人間ならざるもの〉というキーワードのもとに
作品を読解、分析していくと、全ての作品が有機的、複合的に結びついていく。
以下、本論文の序章から第 5 章の内容の要約を示す。
序章
序章では、カナダにおける日系文学の位置付けを確認し、ゴトーの生い立ちとこれまでの作品、
先行研究を概説した。特に、多様に発展していくカナダ文学の領域で、ゴトーが新しい世代の日系
作家として生きる決意をした背景には、彼女が幼い頃から経験した「文化変容(acculturation)

の影響があるということを確認した。
第Ⅰ部 長・短編小説――多様な主人公と〈人間ならざるものたち〉の表象
第 1 章 身体と自己の再生――『コーラス・オブ・マッシュルーム』
(1994)にみるキノコ表象
ゴトーの自伝的要素の強い処女作『コーラス・オブ・マッシュルーム』
(Chorus of Mushrooms,
1994)の主人公に多大な影響を与えた祖母ナオエの人間の能力を超えた若返りの儀式において、ゴ
トーの幼少期や家族とも深く関わるキノコの象徴性がどのように機能しているか論じる。主にナオ
エとキノコとの官能性に満ちた接触や、
キノコの栽培小屋における神秘的な変身は、
白人と非白人、
男性と女性、支配と抑圧、同性愛と異性愛、有無の二項対立の解体に結びつき、作者であるゴトー
のジェンダーやセクシュアリティへの意識が反映されたものと捉えることができる。その一方で、
本作品には白人中心的な文化の中で、日本の文化を受け継ぎつつも、両文化の折り合いをつけよう
とする登場人物の姿も描かれており、それは日系人としてカナダで逞しくサバイバルしようとする
ゴトーの意識が反映されたものとらえることができる。
第 2 章 アイデンティティの重層性――『カッパ・チャイルド』
(2001)における語り手と異種の関
わり
長編小説『カッパ・チャイルド』
(The Kappa Child, 2001)を取り上げる。本作品はカナダ西部
を舞台とする日系家族の物語であるが、この中には後にゴトーの新たな側面となるセクシュアル・
アイデンティティの芽生えや、異種同性のつながりへの憧れが読み取れる。結論として、本作品に
登場する人間ならざる存在としてのカッパは単にカナダで逞しく生きる日系移民の歴史や文化と繋
がっているだけでなく、性や人間、人間ならざるもの、水を中心とした豊かな自然、そして宇宙を
も繋げる象徴的存在として描かれていると言える。またモートンの「クイア・エコロジー」の議論
を援用して、本作品に描かれるカッパが広く世界にも通じる異性愛肯定の思想や価値観を覆し、人
種・民族、性、自然の多様性を理解することの大切さを伝える作品として読むこともできる。カッ
パは性だけでなく、社会的弱者としてしばしば位置づけられるあらゆる生命の自由と解放を目指す

可能性を示す作品としての読みの可能性を提示しているのである。
第 3 章 揺らぐ家族像と不気味なものたち――『ホープフル・モンスターズ』
(2004)
短編小説集『ホープフル・モンスターズ』
(Hopeful Monsters, 2004)に登場する不気味な化け
物たちが、単に恐怖を表すのもではなく、それぞれの作品で重要な役割を持つものとして登場して
いることを論じる。特にアイデンティティを形成する上で最も影響を受けるとみられる「家族」に
着目する。ほとんどの短編作品には日系あるいは日本人と思われる主人公が登場するが、不気味な
物語になればなるほど、ゴトーのセクシュアリティの意識や、従来の家父長的な思想への抵抗等が
強く表れていることがわかる。そして、その不気味さは、作中で、最も身近な家や家庭から生じて
いる。一例をあげると、ゴトーの描く不気味なものたちは、時に家父長的な思想に傾倒する男の前
に登場する日本の民話にも登場することのある化け猫や、ろくろ首を連想させる化け物、あるいは
男性の身体がデフォルメされた性的欲求の強い化け物など実に多様である。また女性の精神的な脆
弱さを表すノッペラボウや、家庭内の女性の役割を疑問視する自分の乳房を切り離して夫につける
女、読者の一般的感覚意識を大きく転覆させるような臭い女、また従来のセクシュアリティの価値
観を揺るがせる両性具有の女など、実に多様な女性ものも現れる。結論として、このような不気味
なものたちが関わる家族の殆どは、近代を象徴した核家族ではなく、家族としての機能が不完全と
なって崩壊目前の家族である。しかし一方でこれらの不気味なものたちはオルタナティヴな家族像
ともなる可能性を提示しているのである。
第Ⅱ部 児童文学・YA 作品――オルタナティヴ・アイデンティティの新たな可能性
第 4 章 北米児童文学のパターン転覆と少女の成長物語――『可能性の水』
(2001)
アメリカ人の理想と夢が描かれたとみられるフランク・ボーム(Frank Baum)の児童文学作品
『オズの素晴らしい魔法使い』
(The Wonderful Wizard of Oz, 1900)とゴトーの『可能性の水』
(The

Water of Possibility, 2001)を比較し、
『可能性の水』における従来の児童文学の構造パターンの脱
構築を論じる。特に人間ならざるものとして、本作品に登場するヤマンバやヤマンバの物語、日本
の民話に頻出するタヌキ等にも着目しながら、主人公の少女の成長や登場人物や場所の象徴性、環
境を巡る問題、そして異なる文化への深い理解を分析する。結論として『可能性の水』は、様々な
経験を経て、大人へと成長していく少女を通して、読者となる子どもたちに自分らしく生きること
や、自分の存在価値を自らが認め、肯定的なアイデンティティを獲得して欲しいというゴトーのメ
ッセージが示唆された作品であると言える。
第 5 章 『ハーフ・ワールド』
(2009)における主人公の自己探求――異界と〈人間ならざるものた
ち〉をめぐって
『ハーフ・ワールド』
(Half World, 2009)を取り上げる。これはそれまでのゴトーの作品と比較
して最も複雑で混沌とした作品であり、多様な文化や思想の結びつきや、
『可能性の水』同様、従来
の児童文学の物語パターンを転覆がみられる。また、従来の作品以上に、ゴトーが人種や文化の壁

を超越しようとしている意識や、善悪や生死を混在させ、時空を超え、人間が作りだした規範その
ものに対するゴトーの問いが描き込まれており、この点で、従来の作品とは大きく異なっている。
筆者は、作品の舞台となる異界ハーフ・ワールドの象徴性と、そこに君臨する不気味な化け物に付
与された意味を考察し、主人公を全力で守る動物たちにも注目しながら、そこに提示されるオルタ
ナティヴ・アイデンティティを分析する。そして、このような〈人間ならざるもの〉の表象を通し
て、ゴトーが、読者である若者、つまり間もなく社会に出て、自分の足で生きていかなければなら
ない若者たちに、人間の心の闇や現実の厳しさや、自分のあり方の発見や人生目標の検討の必要性
を伝えようとしていることを指摘する。ゴトーは続編の『もっとも暗い光』
(Darkest Light, 2012)
も含めて、私たちに現実や他者との関わりの中で自分をとらえること、自分のアイデンティティを
獲得していくことの大切さを示唆しているのである。
以上のようにゴトー作品における〈人間ならざるものたち〉の表象は決して一様ではなく、常に
変化している。言い換えると、それはゴトーの意識の変化の表れである。第Ⅰ部で取り上げた大人
向けの 3 作品、特に処女作『コーラス』については、第Ⅱ部で扱った子どもや若者向けの 2 作品と
比較して、白人と非白人、男と女、異性愛と同性愛等の二項対立構図を解体しようとする強い意識
が反映されているが、一方でそれは二項対立構図をかえって強調する危険性をも孕んでいる。しか
し、第Ⅱ部の『可能性の水』においては、多文化との結びつきや、二項対立構図ではなく、同等の
ものを横断的に結びつけようとする従来とは異なるゴトーの新たな価値観がみられる。本論文の最
後に扱った『ハーフ・ワールド』
、あるいは続編の『もっとも暗い光』では、二項対立的な構図は殆
ど曖昧なものとなり、
むしろ異なる宗教や様々な価値観や文化が同等のものとして扱われ、
融合し、
固定化された文化や価値観はもはや存在しないというゴトーの新たな思想も読み取れる。
紆余曲折がありながらも、ゴトーは多くの作品において従来の典型的な物語を換骨奪胎し、意外
性のある斬新で新規性に富む場面を盛り込みながら作品を発表し続ける。そして、殆どの作品に登
場するのが、
本博論で着目した
〈人間ならざるものたち〉

あるいは広く中心から外れた存在であり、
それぞれが各作品の登場人物たちのオルタナティヴ・アイデンティティ探求と密接に結びついてい
る。この〈人間ならざるものたち〉を深く考察することは、人種や性、環境をめぐる問題を抱える
複雑な現代社会を生き抜き、新たな時代の社会や人の有り様について考える上で、今後もより一層
重要な試みとなるのではないだろうか。

参考文献

付録

論文要約

本論文の目的は、21 世紀にカナダで活躍する日系カナダ人作家ヒロミ・ゴトー(Hiromi Goto,

1966-)の処女作からヤング・アダルト(以下 YA)作品に描かれる〈人間ならざるもの〉に着目し、

ゴトーのエスニシティやセクシュアリティ、エコロジーなどをめぐる問題意識を読み取りながら、

オルタナティヴ・アイデンティティの模索を考察することである。

従来の研究では、日系人としてのゴトーの意識が作品にどのように反映されているかということ

に関心が持たれ、日本に伝わる民話の語り直しや、人間ではない存在について議論されることが多

かった。しかし、ゴトーの作品には、以上のような議論に加えて、人種的、文化的な規範の揺らぎ

や、人間と自然の関係性への問いや、有と無、善と悪といった二元論の脱構築とその変容が描かれ

ているという点と、さらには一部の作品だけではなく、全作品を通して、怪異や人外といった、い

わゆる人間ではない存在が多く登場しているという点で考察を深める必要がある。このような人間

ではない超自然的な存在の表象がゴトー作品の通底するテーマであると捉えたとき、参考になる議

論の一つが、現代環境思想家であるティモシー・モートン(Timothy Morton)の〈人間ならざる

もの(Non-human Being)

〉の思想である。この〈人間ならざるもの〉というキーワードのもとに

作品を読解、分析していくと、全ての作品が有機的、複合的に結びついていく。

以下、本論文の序章から第 5 章の内容の要約を示す。

序章

序章では、カナダにおける日系文学の位置付けを確認し、ゴトーの生い立ちとこれまでの作品、

先行研究を概説した。特に、多様に発展していくカナダ文学の領域で、ゴトーが新しい世代の日系

作家として生きる決意をした背景には、彼女が幼い頃から経験した「文化変容(acculturation)

の影響があるということを確認した。

第Ⅰ部 長・短編小説――多様な主人公と〈人間ならざるものたち〉の表象

第 1 章 身体と自己の再生――『コーラス・オブ・マッシュルーム』

(1994)にみるキノコ表象

ゴトーの自伝的要素の強い処女作『コーラス・オブ・マッシュルーム』

(Chorus of Mushrooms,

1994)の主人公に多大な影響を与えた祖母ナオエの人間の能力を超えた若返りの儀式において、ゴ

トーの幼少期や家族とも深く関わるキノコの象徴性がどのように機能しているか論じる。主にナオ

エとキノコとの官能性に満ちた接触や、

キノコの栽培小屋における神秘的な変身は、

白人と非白人、

男性と女性、支配と抑圧、同性愛と異性愛、有無の二項対立の解体に結びつき、作者であるゴトー

のジェンダーやセクシュアリティへの意識が反映されたものと捉えることができる。その一方で、

本作品には白人中心的な文化の中で、日本の文化を受け継ぎつつも、両文化の折り合いをつけよう

とする登場人物の姿も描かれており、それは日系人としてカナダで逞しくサバイバルしようとする

ゴトーの意識が反映されたものとらえることができる。

第 2 章 アイデンティティの重層性――『カッパ・チャイルド』

(2001)における語り手と異種の関

わり

長編小説『カッパ・チャイルド』

(The Kappa Child, 2001)を取り上げる。本作品はカナダ西部

を舞台とする日系家族の物語であるが、この中には後にゴトーの新たな側面となるセクシュアル・

アイデンティティの芽生えや、異種同性のつながりへの憧れが読み取れる。結論として、本作品に

登場する人間ならざる存在としてのカッパは単にカナダで逞しく生きる日系移民の歴史や文化と繋

がっているだけでなく、性や人間、人間ならざるもの、水を中心とした豊かな自然、そして宇宙を

も繋げる象徴的存在として描かれていると言える。またモートンの「クイア・エコロジー」の議論

を援用して、本作品に描かれるカッパが広く世界にも通じる異性愛肯定の思想や価値観を覆し、人

種・民族、性、自然の多様性を理解することの大切さを伝える作品として読むこともできる。カッ

パは性だけでなく、社会的弱者としてしばしば位置づけられるあらゆる生命の自由と解放を目指す

可能性を示す作品としての読みの可能性を提示しているのである。

第 3 章 揺らぐ家族像と不気味なものたち――『ホープフル・モンスターズ』

(2004)

短編小説集『ホープフル・モンスターズ』

(Hopeful Monsters, 2004)に登場する不気味な化け

物たちが、単に恐怖を表すのもではなく、それぞれの作品で重要な役割を持つものとして登場して

いることを論じる。特にアイデンティティを形成する上で最も影響を受けるとみられる「家族」に

着目する。ほとんどの短編作品には日系あるいは日本人と思われる主人公が登場するが、不気味な

物語になればなるほど、ゴトーのセクシュアリティの意識や、従来の家父長的な思想への抵抗等が

強く表れていることがわかる。そして、その不気味さは、作中で、最も身近な家や家庭から生じて

いる。一例をあげると、ゴトーの描く不気味なものたちは、時に家父長的な思想に傾倒する男の前

に登場する日本の民話にも登場することのある化け猫や、ろくろ首を連想させる化け物、あるいは

男性の身体がデフォルメされた性的欲求の強い化け物など実に多様である。また女性の精神的な脆

弱さを表すノッペラボウや、家庭内の女性の役割を疑問視する自分の乳房を切り離して夫につける

女、読者の一般的感覚意識を大きく転覆させるような臭い女、また従来のセクシュアリティの価値

観を揺るがせる両性具有の女など、実に多様な女性ものも現れる。結論として、このような不気味

なものたちが関わる家族の殆どは、近代を象徴した核家族ではなく、家族としての機能が不完全と

なって崩壊目前の家族である。しかし一方でこれらの不気味なものたちはオルタナティヴな家族像

ともなる可能性を提示しているのである。

第Ⅱ部 児童文学・YA 作品――オルタナティヴ・アイデンティティの新たな可能性

第 4 章 北米児童文学のパターン転覆と少女の成長物語――『可能性の水』

(2001)

アメリカ人の理想と夢が描かれたとみられるフランク・ボーム(Frank Baum)の児童文学作品

『オズの素晴らしい魔法使い』

(The Wonderful Wizard of Oz, 1900)とゴトーの『可能性の水』

(The

Water of Possibility, 2001)を比較し、

『可能性の水』における従来の児童文学の構造パターンの脱

構築を論じる。特に人間ならざるものとして、本作品に登場するヤマンバやヤマンバの物語、日本

の民話に頻出するタヌキ等にも着目しながら、主人公の少女の成長や登場人物や場所の象徴性、環

境を巡る問題、そして異なる文化への深い理解を分析する。結論として『可能性の水』は、様々な

経験を経て、大人へと成長していく少女を通して、読者となる子どもたちに自分らしく生きること

や、自分の存在価値を自らが認め、肯定的なアイデンティティを獲得して欲しいというゴトーのメ

ッセージが示唆された作品であると言える。

第 5 章 『ハーフ・ワールド』

(2009)における主人公の自己探求――異界と〈人間ならざるものた

ち〉をめぐって

『ハーフ・ワールド』

(Half World, 2009)を取り上げる。これはそれまでのゴトーの作品と比較

して最も複雑で混沌とした作品であり、多様な文化や思想の結びつきや、

『可能性の水』同様、従来

の児童文学の物語パターンを転覆がみられる。また、従来の作品以上に、ゴトーが人種や文化の壁

を超越しようとしている意識や、善悪や生死を混在させ、時空を超え、人間が作りだした規範その

ものに対するゴトーの問いが描き込まれており、この点で、従来の作品とは大きく異なっている。

筆者は、作品の舞台となる異界ハーフ・ワールドの象徴性と、そこに君臨する不気味な化け物に付

与された意味を考察し、主人公を全力で守る動物たちにも注目しながら、そこに提示されるオルタ

ナティヴ・アイデンティティを分析する。そして、このような〈人間ならざるもの〉の表象を通し

て、ゴトーが、読者である若者、つまり間もなく社会に出て、自分の足で生きていかなければなら

ない若者たちに、人間の心の闇や現実の厳しさや、自分のあり方の発見や人生目標の検討の必要性

を伝えようとしていることを指摘する。ゴトーは続編の『もっとも暗い光』

(Darkest Light, 2012)

も含めて、私たちに現実や他者との関わりの中で自分をとらえること、自分のアイデンティティを

獲得していくことの大切さを示唆しているのである。

以上のようにゴトー作品における〈人間ならざるものたち〉の表象は決して一様ではなく、常に

変化している。言い換えると、それはゴトーの意識の変化の表れである。第Ⅰ部で取り上げた大人

向けの 3 作品、特に処女作『コーラス』については、第Ⅱ部で扱った子どもや若者向けの 2 作品と

比較して、白人と非白人、男と女、異性愛と同性愛等の二項対立構図を解体しようとする強い意識

が反映されているが、一方でそれは二項対立構図をかえって強調する危険性をも孕んでいる。しか

し、第Ⅱ部の『可能性の水』においては、多文化との結びつきや、二項対立構図ではなく、同等の

ものを横断的に結びつけようとする従来とは異なるゴトーの新たな価値観がみられる。本論文の最

後に扱った『ハーフ・ワールド』

、あるいは続編の『もっとも暗い光』では、二項対立的な構図は殆

ど曖昧なものとなり、

むしろ異なる宗教や様々な価値観や文化が同等のものとして扱われ、

融合し、

固定化された文化や価値観はもはや存在しないというゴトーの新たな思想も読み取れる。

紆余曲折がありながらも、ゴトーは多くの作品において従来の典型的な物語を換骨奪胎し、意外

性のある斬新で新規性に富む場面を盛り込みながら作品を発表し続ける。そして、殆どの作品に登

場するのが、

本博論で着目した

〈人間ならざるものたち〉

あるいは広く中心から外れた存在であり、

それぞれが各作品の登場人物たちのオルタナティヴ・アイデンティティ探求と密接に結びついてい

る。この〈人間ならざるものたち〉を深く考察することは、人種や性、環境をめぐる問題を抱える

複雑な現代社会を生き抜き、新たな時代の社会や人の有り様について考える上で、今後もより一層

重要な試みとなるのではないだろうか。

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