17世紀フランスの女性作家たち
概要
17 世紀のフランスでは、文学はベル・レットルと呼ばれ、韻文では叙事詩つまり戯曲が、散文では雄弁が高貴なジャンルとして君臨し、小説は散文の中でも卑俗なジャンルだとされていた。しかし、実際には、小説は多くの読者を獲得していた。主だった小説の出版記録を見ると、17 世紀前半はゴンベルヴィル、オノレ・デュルフェ、シャルル・ソレル、ジャン・ピエール・カミュら、男性作家の名が並ぶ2。ところが 17 世紀後半になると、マドレーヌ・ド・スキュデリーの『クレリー』を皮切りに、女性作家の作品が一気に増えていく。これは、17 世紀前半から始まった貴族の女性によるサロンと呼ばれる社交場が全盛期を迎えたことと無縁ではないだろう。サロンは、女性たちが洗練された言葉遣いを身に付ける知的訓練の場となっていた3。大貴族ランブイエ侯爵夫人の「青い部屋」と呼ばれたサロンで当代一流の文人たちとの知己を得たスキュデリー嬢は、自ら「土曜会」と呼ばれるサロンを主宰し、詩の朗読や文学談議を楽しんでいた。
一方、ちょうどこのころ、貴族によるフロンドの乱の失敗により、社会が一気に中央集権へと向かい始め、ルイ 14 世の絶対王政が確立していく。当然、戦う場を失い政治的な力を失った男性たちの行動様式や心理も過去のものから変化していくはずだ。また、貴族の衰退とともに、経済力を持った新興勢力が台頭し、文化の担い手の裾野が広がっていく。フランス社会の大きな変革期に、女性作家たちはどのように社会をとらえ、どんな試みをしたのだろうか。この論考では、いくつかの観点から女性作家たちの共通点を探り、彼女たちが小説の姿をどう変えていったかについて考察する。