南西中国ミャオ族の服飾に関する文化人類学的研究 : 中国貴州省施洞鎮ダンプウの事例を中心に
概要
―
博 士 論 文
南西中国ミャオ族の服飾に関する文化人類学的研究
――中国貴州省施洞鎮ダンプウの事例を中心に――
2022 年 3 月
広島大学大学院総合科学研究科
肖凌翬
⽬次
南西中国ミャオ族の服飾に関する文化人類学的研究 ........................................... 错误!未定义书签。
凡例..................................................................................................................................................................... 3
第1章 序論 ...................................................................................................................................................... 4
1 服飾――衣装と装飾品を包含する概念として .................................................................................... 5
2 少数民族の服飾実践研究の現代的意義 .................................................................................................. 8
3 本論文の研究対象と研究主旨 ..................................................................................................................... 9
4 先行研究と本研究の位置付け ................................................................................................................... 11
第2章 フィールドと調査の概要 ............................................................................................................19
1 フィールドの概要 .......................................................................................................................................... 19
2
調査方法と調査協力者の概況 ................................................................................................................. 36
第3章 ミャオ族の服飾の過去と現在――ダンプウの生活から―― .............................................42
1 ダンプウの歴史的立地性と服飾の関係 ................................................................................................ 43
2 ダンプウの衣装の過去と現在 ................................................................................................................... 48
3 銀装飾の過去と現在 ..................................................................................................................................... 71
4 人々の服飾の使用状況(所有状況の提示) ....................................................................................... 95
第4章 商品化・観光化・学術研究の進展によるダンプウの服飾実践の変容 ........................... 110
1 定期市と市場概念の浸透 ......................................................................................................................... 110
2 施洞鎮の観光開発と発展 ......................................................................................................................... 135
3 観光化の服飾のあり方への影響 ........................................................................................................... 161
4 施洞鎮における学術研究の発展 ........................................................................................................... 165
第5章 服飾に影響を与える諸アクターと服飾の行方 ................................................................... 175
1 各章の概要 ..................................................................................................................................................... 175
2 諸アクターの関係 ....................................................................................................................................... 177
3 ダンプウの服飾文化の行方..................................................................................................................... 185
4 現代中国の少数民族の服飾研究への示唆 ......................................................................................... 186
1
付録1 『ミャオ族史詩』
:
「金銀歌」一部抜粋 ................................................................................ 193
付録2 国立民族学博物館(日本)所蔵のダンプウの服飾 ........................................................... 198
謝辞................................................................................................................................................................ 203
2
凡例
1. 本論文中の写真は全て筆者が撮影したものである。
2. 本論文の日本円対中国元の為替レートについて。2017 年〜2018 年調査当時のお
およそのレート、100 円:6元とする。
3. 本論文のミャオ語は、ダンプウのミャオ語方言であり、ミャオ語表記は調査地の
発音に沿ってアルファベットで表記している。
本研究は中国建設高水平大学公派研究生
項目の助成をうけたものである。
3
第1章 序論
中国南西地域に居住しているミャオ族は、長い移動の歴史によって複数のサブ・グ
ループに分化してきた。独自の文字を持たなかったミャオ族は、過去の物語や言い伝
えなどを刺繍の形で衣装の上に綴り、刺繍で歴史を唱える伝統を持つ1。ミャオ族刺繍
の典型的パターンのいくつかは、古代ミャオ族の伝統物語が描かれる。そのほか、数
十種類の刺繍技法、特別な布製法などが知られ、その豊富さは中国南方少数民族の中
でも有数である。ミャオ族は、儀礼時に、そのような複雑かつ華麗な刺繍が入った民
族衣装を纏い、さらにきらびやかな装飾品を身に着けることで知られる。とりわけ、
本論文が対象とする、貴州省黔東南ミャオ族トン族自治州台江県施洞鎮を中心に居住
しているミャオ族のサブ・グループ、自称ダンプウの人々の銀装飾は、その豊かさと
華麗さで特に有名である。そして独特の衣装と夥しい数の銀装飾品を身に着けるダン
プウの儀礼は、近年、多くの観光客や研究者の注目を集めている。本論文の目的は、
このようなダンプウの人々による、衣装と装飾品を身に着ける実践の変容を、
「服飾実
践」という概念を提起し、フィールドワークにもとづきトータルかつ詳細に描き出す
こと、併せてそれを、出稼ぎの拡大、観光開発の進展、ダンプウの人々の服飾実践へ
の学術的関心の高まりといった現代的文脈との関連で考察することである。
中国の少数民族の装いに関する人類学的研究では、後に詳しく見るように、しばし
ば衣装に注目が集まり、その材質や文様の研究が行われてきた。少数民族独自の装飾
品の研究も行われてきたが、衣装の研究とは別個に行われる傾向があった。本論文が
対象とするミャオ族の装いについても、これまで衣装や装飾品などに関する多数の研
究がなされてきたが、それらの研究は、衣装のみ、もしくは装飾品のみに注目するこ
とが一般的であった。本論文では、中国の少数民族の装いの人類学的研究における、
こうした民族衣装に傾斜した研究動向、および衣装と装飾品とが別個に考察されてき
た研究動向とを踏まえ、人々が様々な場面において衣装と服飾品を選び、それらを組
み合わせて身に着ける実践を指す、
「服飾実践」という概念を用い、衣装と装飾の両
面から、人々の装いを記述分析することを試みる。とりわけ、本論文の研究対象とな
るミャオ族のサブ・グループであるダンプウの人々は、その中心的儀礼・行事におい
1
出典:中国民俗文化資料庫:ミャオ族刺繍の歴史および伝説
http://www.minzunet.cn/mzwhzyk/674771/682476/748178/756981/index.html(最終閲覧日:2021 年 12 月 31 日)
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て、衣装と装飾品の両方を重視する姿勢が顕著である。そのため、ダンプウの人々の
装いを考察するためには、両者を結びつけて見ることが不可欠となる。
以下では、まず、本論文が提起する「服飾実践」という概念について説明する。そ
のうえで、本論文が、ダンプウの人々の服飾実践を現代的文脈との関連で考察するこ
との実証的理論的意義を、中国における少数民族、とりわけ多くの研究者の注目を集
めてきたミャオ族の装いに関する先行研究との関連で説明する。
1 服飾――衣装と装飾品を包含する概念として
衣装を研究するにあたっては、被服、服飾、装飾などのキーワードがよく使われて
いる。ローチとアイカーは、上記の言葉の違いを以下のように説明している。
被服はしばしば、広義には、何らかの身体被覆と定義される。これと関連した概念
として、身体装飾(personal adornment)があるが、こちらは身体を装飾したり身
体を変形したりする何らかの形態(例えば、衣服、ペイント、メイキャップ)を含
む概念である。装飾とは、通常、美学と結びついた広い概念である。既知のあらゆ
る文化圏の人々が常に自らを装飾しているが、それは必ずしも衣服を用いてではな
い。服装という用語は、しばしば装飾という用語と区別されずに用いられている
(すなわち、他の装飾形態を含めるのと同様に、衣服も含めて用いられている)
。
だが服装という用語は、被服とアクセサリーを用いて身体を覆う(covering)過程
やそうした行為を意味している(Roach & Eicher,1965;カイザー1994:5−6 より
再引用)
この引用からは、被服、身体装飾、服装などの用語は、特定して別々の意味で用いら
れることがあると同時に、しばしば区別されずに曖昧に用いられてきたことがわか
る。装飾という広い概念で特定の民族の装飾を研究する際には、その装飾が身体を覆
うのか、それとも直接身体に変形を加えたりするのかによって、同じ用語でも中身が
異なってくる。衣装の研究が装飾の一種として研究されることもあるが、専ら直接身
体に身に着ける装身具などを装飾として研究するケースも見られる。東アジアの民族
においては、身体の変形、あるいは身体に直接ペイントするような装飾が稀にしか見
られなかった。東アジアの少数民族研究において、民族衣装の研究が多数見られるの
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には、おそらくそうした背景がある。
衣装を身に着ける目的として考えられるのは、身体の保護作用や慎み(学習された
身体の羞恥、文化・宗教による慎みなど)であろう。現代社会では、もちろん身体保
護や慎みによる目的で衣装を選択していることもあるだろうが、むしろ、衣装を身に
着けることは、自分自身と自らの社会的価値を表現する手段、すなわち自己を表現す
る手段としての側面が強調されているように見える。
「自由」と「個性」をいつの時
代よりも強調する現代社会では、衣装は身体保護と慎みという目的を持ちつつも、自
己表現の媒体となっていると考えられる。
S.B.カイザーは、衣装の装飾目的について以下のように論じている。
すべての文化で広く行われている装飾のプロセスは多目的なものであり……装飾の
背後にある基本的な考えは、美しさを自分自身に与え、それによって他の人々に受
け取られる印象を操作することで、自分自身をより魅力的にするということであ
る。身体を装飾することの基本的動機は、種々の社会的目的によって説明されてき
た。例えばそれらは、身体的自己拡張、性的魅力の表出、地位の表示である。
[カ
イザー1994:39]
カイザーが述べるように、衣装の装飾性、すなわち装いによって自らの印象を操作
することは現代社会で特に強く求められるものであり、時代の移り変わりのなかで、
実態的にも観念的にもその目的と手段は多様化し、また変化し続けてきた。しかしど
れだけ目的と手段を変えても、あくまでその結果を見せる主たる相手は人間であり、
衣装は社会的な産物であると言えよう。衣装を身に纏うことで、自分がどう映ってい
るか、他人から見てどう思われるかという問いかけが絶えずなされる。衣装の背後に
いるのは、社会的な人間である。
P.G.ポガトゥイリョフは衣装を「物」であると同時に、
「記号」でもあると考
え、
「ひとつの機能は<物としての>衣装そのものとも関係付けられるだろうが、ま
た一方で<記号としての>衣装が表している生活の様々な側面とも関係付けられる」
[P.G.ポガトゥイリョフ 1989:2]と述べる。彼は、人間は、身分、年齢、性別な
どの要素を衣装の生地、素材などの具体的特徴を用いて表現していると指摘する。
衣装の記号としての側面は、
「民族衣装」と西洋起源のいわゆる「洋服」の世界を
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対照させるとより明瞭となると思われる。洋服が全世界広域的に受け入れられ、衣装
の「標準」とさえなっているようにみえる現代社会では、民族衣装を着用する人々
は、すでに「民族文化」
、
「伝統」
、
「手作芸術」などを思い浮かばせる記号と関連する
ようになった。宮脇[2017:19−21]は西洋由来のファッション概念と非西洋の伝統衣
装は常に対立する立場に置かれ、民族衣装は固定的なもの、不変なものとして捉えら
れてきたと指摘した。しかし宮脇も述べるように、こうした民族衣装こそ、現代化が
進行するなか、大きな変容を遂げているといえる。例えば、衣装を着用する人々の生
活の変容より、彼らがファッションを吸収し、
「伝統」と「ファッション」が相互に
影響しあい、共存する現状が本研究の事例中でも出現している。宮脇の研究対象であ
る、ミャオ族のサブ・グループであるモンの人々の間でも、化繊布や服飾小物を利用
した「新しい」衣装を作り出す試みがなされていた[宮脇 2017:195]
。そのことは、
衣装が代表する記号も絶えず変化していること、そしてそれを着用する人々も、衣装
が表現する意味合いの変化のなかで、自らの衣装を選びながら、あるいは改変しなが
らその都度、自己を表現していることを示唆している。
このように衣装の記号性に多くの研究者たちが注目してきた一方で、装飾品は装身
具などとして衣装と別個に研究されることが多かった[松嶋 2020,中島 2020,田嶋
2021 など]
。飾りについて、西江は身体付加行為、身体除去を論じるなかで、あらゆ
る文化の中で、身体に何かを付け加えたり、飾ったり身体の一部を除去したりするこ
とが求められていると論じている。文化的違いがあるため、何を着るのが適切である
かはそれぞれ文化で異なるが、何かを「着る」
「加工する」という社会的義務は誰も
が求められる[西江 1980:164]
。したがって、広い意味での衣装と装飾、および身
体変工などは、同等の役割を持つと言えるだろう。にもかかわらず、衣装と装飾品、
アクセサリーの研究を総合的に考察し、分析を行う研究文献は稀である。とりわけ現
代社会では、人間の外見を形成する2つの重要な要素として、衣装と装飾品があると
筆者は考えている。
本論文で用いる「服飾実践」という概念は、人間が衣装を着用している状態を、美
的・心理的・社会的観点からとらえる表現である。高田は、
「今日、ファッションは
身に着ける「もの」としての物質的な概念ではなく、ヘアスタイリングやメイクアッ
プなど身に施す「こと」である美容、姿勢・ 身振り・表情・話し方も含めたトータ
ルコーディネートを指し、さらに社会現象のひとつとしてとらえるのが適当である」
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[高田 2013:7]と述べる。この装飾された身体は、衣装と装飾品の両方の要素を一
体としつつ、意味を伝えていくのであり、ここに、装飾をトータルに、そして実践の
うちに捉えていく必要性があるといえる。以上から、筆者は、衣装あるいは装飾品単
独での研究では装飾された身体として捉えるのでは不十分であると考える。そこで本
研究では、装飾品を装身具として単独的に見るのではなく、行為者の実践のうちに、
装飾品が衣装と一体化している様相に注目したいと考えている。
本論文では、構成上、衣装と装飾品の2つの要素について、それぞれがどのように
生産流通し、どのような場面でいかに身に着けられているのかを、個別に説明してい
くことになる。しかし、本論文の意図するところは、あくまで、人々が、衣装と装飾
品を様々な場面でいかに選択し、組み合わせていくのかを服飾実践としてトータルに
捉えていくことであり、人々の服飾実践がいかなる現代的構図のもとで生成している
のかを明らかにすることである。なお、調査対象となるミャオ族のサブ・グループで
あるダンプウの人々については、上述したように、特に精巧な刺繍の入った民族衣装
と重厚かつ華麗な銀装飾が注目を集めてきた。そうしたダンプウの人々の服飾の特徴
を踏まえて、本研究においては、ダンプウの服飾として、民族衣装と銀装飾を特に重
視して考察していく。
2 少数民族の服飾実践研究の現代的意義
『広辞苑』は「服飾」という言葉を以下のように解釈する。
「①衣服と装身具。②
衣服のかざり」
。
「服飾品」は「服装に装飾的効果を添える物」と解釈されている。
「服」と「飾」を組み合わせて人前に出ると初めて、
「服飾」としての相乗効果が見
られると言えよう。人々は毎日着衣するのは当たり前のことであるが、
「特別な日」
には普段日常生活で着る簡単で動きやすい普段着より、より装飾性の強い、周囲の目
を惹きつける衣装を選択し、その上に美しい装飾品を飾り、盛装してその特別な日を
迎える。盛装を身に着ける際には、美しさを優先し利便性は二の次に置かれることが
一般的である。特別の日のために特別な服飾品を用意するのは文化を超える人類の共
通意識であるとさえ言えるだろう。このような服飾品は、一般的には、普段の衣装や
装飾品より精緻な作り方と複雑なデザインを持ち、コストも高い。かつて、人類が祭
日、祝日などに盛装するのは、祭日への敬意、祖先や祀る対象の特別さを演出するた
めであったと考えられる。時代の移り変わりによって、個人的に特別な日、イベント
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などのためにもしばしば盛装を凝らすようになっている。本研究では、特に祭りや儀
礼の際の盛装として着飾る服飾に注目するが、同時に、普段着や洋服をも服飾として
捉え、人々の服飾実践の記述分析を行う。なお、人々がいかなる歴史的、政治的背景
の下に服飾を選び、身に着けるのかは、かなり複雑な情報と感情が織り込まれている
ことを無視して描きだすことができない。したがって、筆者は「服飾」の実態を考察
するのみではなく、服飾を身につける人々を取り巻く、歴史的・経済的・政治的文脈
も視野に入れて考察を行い、
「服飾実践」の動態を把握していく。
3 本論文の研究対象と研究主旨
3.1本論文の研究対象
ミャオ族の服飾実践を研究対象にした直接のきっかけは、筆者が修士課程在学中
に、人類学研究の「重要参考地域」として、中国南西地域一帯に居住する少数民族を
訪れた時に、ミャオ族の民族衣装が強く印象に残ったことであった。とりわけ、目を
奪うような華やかな盛装に精巧な刺繍が織り込まれていること、加えて全身に隙間な
く銀装飾を飾っていることに衝撃を覚えたのは、貴州省黔東南ミャオ族トン族自治州
台江県施洞鎮を中心に居住しているミャオ族のサブ・グループ、自称ダンプウの一族
であった。
ミャオ族は中国全土および世界での分布が幅広く、かつ定住後に言語、環境などの
変遷が顕著であるため、そのサブ・グループの分布を統計的に語ることは非常に難し
い。古代文献「百苗図」は、民族衣装の色により「紅苗」
「青苗」
「花苗」
「白苗」な
どと区分したり、もしくはその衣装のデザインにより、
「鍋輪苗」
「披袍仡佬」
「剪頭
仡佬」などと区分したりしていた。 ...