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大学・研究所にある論文を検索できる 「ムスクの香りをモデルとした匂い知覚の個人差や順応現象への嗅覚受容体の関与」の論文概要。リケラボ論文検索は、全国の大学リポジトリにある学位論文・教授論文を一括検索できる論文検索サービスです。

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ムスクの香りをモデルとした匂い知覚の個人差や順応現象への嗅覚受容体の関与

悪原, 成見 東京大学 DOI:10.15083/0002004907

2022.06.22

概要

【背景】
 ムスクはその魅惑的な香りから,古くから香料として高い需要を得てきた.その代表格であるmusconeは,最初に構造が同定された天然ムスク香料であり,大環状ケトン構造をもつ.現在天然ムスクは非常に希少であり,様々なムスク香料がこれまで開発されてきたが,合成の困難さ,安全性,匂いの質等今なお課題が残る.また,これらの合成香料は様々な化学構造をもつにもかかわらず,似たようなムスク香を呈することは長年謎とされてきた.
 生物は,匂い分子を受容するのに嗅覚受容体(OR)というセンサータンパク質を用いる.ヒトでは約400のORを持ち,数十万種類といわれる匂い分子を認識している.通常,ORは複数の匂い分子と結合し,匂い分子もまた複数のORを活性化することから,匂い分子とORは「多対多」の関係にある.しかし中には特定のORのみを活性化する匂い物質と,特定の匂い物質にのみ応答するORのペアも報告されている.そのようなORの中には,その遺伝型が,リガンドとする匂い物質の感じ方に影響を及ぼす例もある.
 匂いに纏わるよく知られた現象として,同じ匂いを嗅ぎ続けているとその匂いを知覚しづらくなる,匂いの順応がある.順応により,生物は周りの環境の変化に適応し,新たな匂い情報を知覚しやすくなると考えられている.しかし,どのような神経活動の変化により順応が起きているのか,その機構はほとんど解明されていない.また,ある匂いを嗅ぎ続けた後に異なる匂いの知覚が鈍くなる交差順応という現象も知られている.これまで官能試験により「交差順応を起こす匂い物質は,共通するORによって認識されている」という仮説が提唱されてきたが,実際に受容体レベルでそれを示した例はなかった.
 近年当研究室において,マウスmuscone受容体MOR215-1が同定され,配列の相同性からヒトmuscone受容体OR5AN1が同定された.MOR215-1は,muscone様の大環状ケトンにのみ応答する特異的な受容体であった.本研究は,ヒトOR5AN1とムスク香料に着目し,応答特異性の解析,遺伝型による知覚への影響を検証した.さらに,その応答特異性を用いて,匂いの交差順応の受容体レベルでの検証を目的とした.

【結果】
1.ムスク香料とムスコン受容体の構造活性相関
 先にmuscone受容体が同定されたマウスとヒトに加え4種の霊長類のゲノムデータを用いて,系統樹解析から候補遺伝子を絞り,musconeへの応答性を検証した.その結果,新たにチンパンジー,オランウータン,マカク,マーモセットのmuscone受容体を同定した.これらの受容体の応答性を調べるために,様々なムスク香料並びにmuscone構造関連化合物に対する構造活性相関をluciferase assayを用いて行った.その結果,同じmuscone受容体であっても異なる応答特異性を有することがわかった.特に,ヒトOR5AN1は,musconeの他,不飽和大環状ケトンやニトロムスクなど,ヒトが実際に匂いを嗅いで強くムスク香を感じる化合物に対して強く応答した.
 Musconeの鏡像異性体は,L体では優れた強いムスク香をもつのに対し,D体は”poor”なムスク香をもつ.これらに対するOR5AN1の応答性を調べた結果,L体へはラセミ体に比べて約1.5倍大きい応答強度を示すのに対し,D体には約4割程度の応答強度を示した.さらに,花王株式会社の協力を得て,約400種のヒトORスクリーニングをmuscone並びにニトロムスクに対して行った.その結果,どのムスク香料でも最も高い応答性を示したのはOR5AN1であった.
 以上の結果から,ヒトOR5AN1はヒトのムスク香感知に大きく寄与していると考えられる.一方マウスでも,MOR215-1をノックアウトしたマウスでは,muscone感知能が著しく低下することが行動実験により示された.このことから,MOR215-1はマウスにとって主要なムスク受容体であることが予想される.このように,ジャコウジカの性フェロモンであり,人間社会でも古くから媚薬や漢方として用いられてきたmusconeは,哺乳類間で受容体が高度に保存されていること,フェロモン物質の受容体のように受容体の応答選択性が高いことが示された.

2.匂いの知覚に対する嗅覚受容体の遺伝型の関与
 ムスクの香りのみを特異的に嗅ぐことができない人の存在が古くから報告されている.このようなムスクの香りの感知能の違いに,OR5AN1の遺伝型が関与していると仮定し,OR5AN1の配列による応答性の違いや,遺伝型によるムスクの感知能の違いを検証した.
 OR5AN1は,4つのSNPと参照配列を含む5つのhaplotypeが報告されている.これら5つのhaplotypeのムスク香への応答性をluciferase assayを用いて検証した.参照配列と同様に大環状ムスクやニトロムスクに応答したhaplotypeは,L289F(289番目のアミノ酸がLeu(L)からPhe(F)に変異しているSNP)をもつ0001と,L289Fに加えてG3Rをもつ1001の2つであった.特に0001(L289F)は,参照配列に比べてより大きな応答強度を示していた.
 次に,L289F変異を持つ人とそうでない人との間でムスク香の感知に差があるか,人に実際に匂いを嗅いでもらう官能試験で検証した.米Rockefeller大学のKeller博士及び同Monell研究所のMainland博士,Trimmer博士らの協力を得て,500人を超える被験者のOR5AN1の遺伝型並びにムスク香料に対して感じる匂い強度の結果を得た.ムスク香料は,OR5AN1の配列によって応答性の差が見えたた muscone, ambretone, cyclopentadecanone, ethylene brassylate, exaltolide (以上大環状ムスク)と,配列による差がほとんどないmusk ketone(ニトロムスク),OR5AN1が応答せず受容体未知であるgalaxolide, tonalide(多環式ムスク)を用いた.強度評定の結果,OR5AN1L289F変異により有意に知覚強度に差が出た香料は,ethylene brassylateとexaltolide, galaxolideであった.他の大環状ムスクは,OR5AN1 haplotypeによって応答性に差があるものの官能試験では差がつかず,傾向が見えるにとどまった.強度評定において差が見えたムスク香料のうち,ethylene brassylateとexaltolideは,配列の応答性においても参照配列に比べて0001(L289F)は4倍以上の応答強度を示しており,一方で有意差の付かなかった大環状ムスクでは,応答強度の差は2倍以下と小さかった.強度評定は,このような応答性の違いの大きさが反映された結果といえる.
 この強度評定は,ムスク香料だけでなく100種類近くの匂い物質に対する匂い感覚を大規模に調べた網羅的な実験であり,被験者一人ひとりに対して細かな違いを評定するのは困難であった.そこで当研究室で,より詳細な違いを調べるために,どれだけ薄い濃度で匂いを検知することができるかを調べる閾値試験を行った.用いたムスク香料は,代表的な天然ムスク香料かつ強度評定で差の付かなかったmusconeを選んだ.Musconeの2倍希釈系列を用いて閾値試験を行った結果,L289F変異を持つ人はより閾値が低い,すなわちより低濃度からmusconeを検知できることがわかった.このように,大規模な強度評定では大まかな傾向を把握できる利点があり,一方で閾値試験を詳細に行うことで確証を得られることもある.以上の結果から,OR5AN1の遺伝型はムスクの感知能に影響を及ぼすことが示された.

3.嗅覚受容体の脱感作の匂いの順応現象への影響
 Musconeは経験的に順応しやすい匂いであることが知られており,交差順応を起こすムスク香料の組み合わせも知られていた.さらに,ムスク香料はほぼ単独の受容体OR5AN1を主に活性化するため,受容体の脱感作の検証がしやすい.そこで,ムスク香料とOR5AN1に焦点を当て,受容体レベルで匂いの交差順応を検証した.実験系には,リアルタイムに細胞の発光強度を測定することができ,cAMP経路を利用した高感度な,96-wellplateを用いるハイスループットな系であるGloSensor cAMP assayを用いた.OR5AN1を発現させた細胞を,musconeを含む6種のムスク香料のいずれかで刺激し(前刺激),一定の時間が経過したら培地を置換して洗浄した後,musconeで刺激(本刺激)する.匂い物質で前刺激した細胞群と匂い物質を含まない培地で刺激した細胞群とで,musconeの本刺激に対する応答を比較することにより,ムスク香料とmusconeの交差順応度合いを検証できる.
 その結果,OR5AN1を活性化するムスク香料ではmusconeへの応答性の低下が見られた一方で,OR5AN1が応答しない匂い物質で前刺激を行った細胞群では見られなかった.これにより,ムスク香料の交差順応は共通する受容体OR5AN1の脱感作により,受容体レベルで起きていることが示された.また,応答性の低下度合いは,OR5AN1の応答性とほぼ相関しており,官能試験における順応しやすさもほぼ同じ傾向にあったことから,ムスク香料の順応及び交差順応にはOR5AN1の脱感作が大きく寄与していると考えられる.
 悪臭成分の一つであるp-cresolに関しても,その類似化合物と交差順応を起こすことが官能試験によって示された.最も応答性の高い受容体OR9Q2を介して,p-cresolと類似化合物との交差順応が起こるか検証したが,p-cresolどうしの順応は観察されたものの,類似化合物の前刺激によるp-cresolへの応答性の低下はほとんど起きなかった.これは,ムスク香料に比べてp-cresol系化合物はより多くの受容体を活性化することや,分子量が小さく水溶性が高いことなど匂い物質の特性によるものと考えられる.
 同様に,苦味のあるスモーキーな香りguaiacolの主要な受容体であるOR10G4を介して,同じ受容体を活性化するethylvanillinとの交差順応を検証したが,応答性の低下は見られなかった.この場合,官能試験においても前述の2つの香料ほどは順応が見られなかったことから,比較的順応や交差順応が起こりにくい匂い物質であり,受容体の脱感作による寄与はほとんどないと考えられる.
 以上の結果から,匂いへの順応はその受容体レベルで起きており,匂いの交差順応現象には共通する受容体の脱感作現象が影響を及ぼすことが示された.しかし,匂い物質の特性や,受容体のリガンド結合性によりその程度は大きく異なる.

【総括】
 本研究は,ムスクという興味深い匂いに着目し,長年謎とされてきたムスク香料の匂いと構造の関係を,その受容体の構造活性相関によって解明し,その遺伝型が実際にヒトのムスク香の感知に影響を及ぼすことを示した.さらにムスクをモデルとして,匂いの交差順応が受容体レベルで起きること,そしてその受容体の脱感作が知覚レベルにまで影響を及ぼすことを示した.本研究によりムスクの香りの認識メカニズムが解明され,匂いの交差順応機構が初めて示された.これらの結果はヒトの嗅覚に関する新たな知見となり,新規ムスク香料の開発や,交差順応を用いた消臭技術などの応用に繋がると期待される.

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