甲状腺癌細胞増殖におけるアデニル酸シクラーゼ6の役割
概要
甲状腺癌は、濾胞上皮由来の乳頭癌が約90%・濾胞癌が約5%とこの2つが大半を占めている。いずれも進行は緩徐で、10年相対生存率90%以上と予後も良好である。乳頭癌では主にBRAFの、濾胞癌では主にRASの点突然変異が認められ、これらの遺伝子変異がMAPK経路を始めとする増殖の情報伝達経路を恒常的に活性化させていると考えられている。正常の甲状腺濾胞上皮細胞ではTSH受容体からG蛋白・アデニル酸シクラーゼ(AC)を介するcAMP経路が主な増殖の情報伝達経路と考えられている。しかし、甲状腺癌についてはACの非特異的活性化剤であるForskolin(FSK)の投与で逆に増殖が抑制されること、BRAFV600E変異を持たない癌細胞ではMAPK経路の直接阻害では増殖抑制効果がないことが報告されている。
ACにはisoformが10種類知られている。甲状腺濾胞上皮には主にAC3・6・9が発現していること、甲状腺機能性結節においてAC6の発現に変動が見られることなどが知られているが、甲状腺癌細胞におけるAC6の発現や機能を解析した研究はほとんど報告されていない。
本研究ではACのisoformの発現を解析するとともに、特にAC6の甲状腺癌細胞の増殖における役割を、BRAFV600E変異を持たない細胞株のAC6ノックダウンを通して解析した。
<方法>
1. 杏林大学医学部附属病院にて治療された10例の乳頭癌および9例の濾胞癌の術後標本に対して免疫組織化学染色を施行し、AC3・6・9の発現を検討した。
2. 甲状腺癌細胞株として乳頭癌由来でBRAFV600E変異陽性のKTC-1とRET/PTC再構成陽性のTPC-1、濾胞癌由来でBRAFV600E変異陰性のWROを対象としてFSKの作用を検討した。各細胞をDMSO群(D群)とFSK群(F群)に分け96hの培養を行った。まずFSKを種々の濃度に設定して増殖を比較した。次にFSK10µMおよびSorafenib(SOR)10µMを投与し、96hまで培養し増殖を時系列で評価した。増殖分析にはWST-8法を用いた。
3. AC6に対するmiRNAを設計し、WROおよびTPC-1に対しAC6のノックダウンを行った。対照とした野生型のWRO、negative controlのmiRNAを導入したWRO-miNCと、AC6をノックダウンしたWRO-miAC6についてウェスタンブロットを施行しAC6の発現量を比較した。
4. WROとTPC-1およびそれぞれのmiNCとmiAC6について、免疫細胞化学染色を施行し、AC6の発現パターンの変化を確認した。
5. 同6細胞をそれぞれD群とF群に分け、FSKの濃度を種々に設定し96hまで培養し、増殖率を比較した。
6. 同6細胞をそれぞれD群とF群(10µM)に分け96hまでの増殖率をWST-8法により時系列で比較した。また、トリパンブルーを用いた染色によってFSK添加による細胞死が増加するかを検討した。
7. WROとそのmiNC・miAC6をD群とF群(10µM)に分け、24h培養し、mRNAレベルでのAC3・6・9の発現量の変化を半定量PCRによって比較した。また、WROとWRO-miAC6についてはマイクロアレイ解析による比較も施行した。
8. 同6細胞をそれぞれD群とF群にわけ、試薬添加後30分または24時間で蛋白質を抽出し、AKT・ERK・CREBのリン酸化およびCyclinE2の変化をウェスタンブロットで評価した。併せて細胞周期の変化についてフローサイトメトリーも施行した。
9. WROにおけるBRAFV600E変異の有無をsequencingで確認した。
10. KTC-1・TPC-1・WROについて正常甲状腺不死化細胞(Nthy)を対照としてTSH受容体の発現量を半定量PCRで解析した。
<結果>
1. 乳頭癌症例・濾胞癌症例のいずれにおいても、癌細胞はAC6の免疫染色で強陽性を示し、正常濾胞細胞と比較し明瞭な差がみられた。AC3の染色は全くみられなかった。AC9も染色されたがAC6ほど強くなく、正常濾胞細胞との強い差は生じなかった。
2. KTC-1・TPC-1・WROのいずれもFSK10µM以上で対照のD群と比較し有意に増殖が低下した。時系列で比較した所、いずれの細胞もF群はD群に比べ有意に増殖が低下した。F群に対するSORの同時投与による増殖抑制効果の増強はいずれの細胞でも認めなかった。
3. AC6のmiRNAをトランスフェクトしたWRO-miAC6は、ウェスタンブロットにてAC6のバンドが著明に低下した。
4. WRO・TPC-1ともにmiAC6では細胞質の染色性が他の2群に比較し著明に低下した。
5. WRO・TPC-1ともにmiAC6の増殖率はFSK10µM以上で他の2群に比較し有意に低下した。
6. WROとWRO-miNCの比較ではD群同士・F群同士いずれも有意差は見られなかった。WRO-miAC6は、D群同士の比較でWROとWRO-miNCのD群より有意に増殖率が低下していた。miAC6-FはWRO-Fより有意に増殖率が低下したが、miNC-Fとはわずかに有意差がつかなかったがほぼ同様の傾向であった。TPC-1についてもmiAC6-Fは最も抑制された。96時間後時点での死細胞率は、WROやWRO-miNCよりもWRO-miAC6で、またF群の方が多くなる傾向は見られたものの、96hでの死細胞率は多くても6%程度であった。TPC-1でも死細胞の増加は認めなかった。
7. いずれの細胞においてもFSK添加によりAC3とAC6は発現が低下したが、AC9は発現が上昇していた。マイクロアレイ解析でもAC6・AC9の順に発現が多くAC3の発現は著明に低値であった。
8. FSK添加により、WROとWRO-miNCはAKT・ERK・CREBのリン酸化の亢進が生じたが、AC6をノックダウンしたWRO-miAC6ではこの亢進は消失した。FSK添加により、ノックダウンの有無によらずCyclinE2の低下がみられたが、p27には明らかな変化が見られなかった。フローサイトメトリーでは明らかな変化は認めなった。
9. WROにおけるBRAFV600E変異は認めなかった。
10. Nthyに比較しいずれの細胞株もTSH受容体の発現は著明に低下していた。
<考察>
甲状腺癌術後標本の免疫染色でAC6は正常濾胞細胞と比較して強陽性を示し、マイクロアレイでもAC6の発現が最も高かったため、AC6は乳頭癌と濾胞癌といった高分化癌で重要な役割を持つと考えられた。FSK添加に伴いAC3やAC6はmRNA発現が低下したことは、FSKによる持続的活性化の結果としてnegative feedbackが生じていたことが推測される。AC6はAC5と共に、PKAによるリン酸化を受けて抑制されるというnegative feedback loopの存在が報告されている。AC9は構造上FSKによる刺激を受けないことが知られており、FSKで細胞増殖は全体として抑制されることから、代償的に上昇したと考えられる。
WRO・TPC-1ともにmiAC6はWRO・TPC-1および其々のmiNCに比べ増殖率が低く、通常の培養条件下でAC6は増殖促進的に働いていることが示唆された。WROやWRO-miNCでは、FSK刺激によるAKT・ERK・CREBのリン酸化亢進が見られたが、WRO-miAC6では消失していた。AKTやERKもCREBのようにPKAの標的となりうることが知られている。よって、AC6はPKAからMAPK経路やPI3K経路も介して細胞増殖に関わると考えられた。
FSK添加による増殖抑制はAC6の発現に関わらずいずれの細胞にも生じ、増殖抑制効果はAC6ノックダウンと相加的であると考えられたことから、AC6を介する作用機序とFSKによる作用機序は独立していると考えられた。なお、FSK添加後の死細胞率は正常レベルを超えて増加しなかったため細胞死の増加ではないと考えられた。FSKによる増殖抑制機序として直接的な細胞周期の抑制が考えられており、今回CyclinE2も低下することが示された。FSKによる細胞周期の抑制が、AC刺激によるcAMP経路の活性化による増殖促進作用を凌駕するため全体として増殖を抑制すると考えられた。
BRAFV600E変異のない細胞株に対しては直接的なMAPK経路の抑制では増殖抑制効果がほぼないことが報告されており、SORもFSKに追加的な効果を認めなかったが、BRAFV600E変異を持たないWRO・TPC-1に対しAC6のノックダウンは大きな増殖抑制効果を示した。AC6の抑制によりAKT・ERK・CREBといった複数の蛋白質を抑制することが有用と考えられた。
甲状腺癌細胞ではACレベル以下のシグナル伝達は保持されているが、TSH受容体レベルでは伝達されないこと、かつ発現量も低下しておりことが知られている。今回用いた甲状腺癌細胞株でTSH受容体発現量は著明に低下していた。よってTSH抑制療法の効果は限定的である可能性があり、AC6のノックダウンが有用と考えられた。
但し、ACの各isoformの成す経路は複雑に絡み合っており、単純なAC6ノックダウンによる機能の検討には限界がある。miRNA導入によるoff-target効果にも注意が必要である。
本研究によりAC6は甲状腺癌細胞において高度に発現していること、そのノックダウンによりBRAFV600E変異を持たない細胞株でも増殖が抑制されること、AC6はcAMP経路のみならずMAPK経路やPI3K経路を通して増殖促進的に作用する可能性が示された。