「語り手」としてのマーロウ―レイモンド・チャンドラー『大いなる眠り』論
概要
レイモンド・チャンドラー(Raymond Chandler)は、ダシール・ハメットと共に、20 世紀アメリカのハードボイルド探偵小説を代表する作家である。ハメットは、『赤い収穫』(1929 年)と『マルタの鷹』(1930 年)という 2 つの長編小説で、タフな探偵を主人公として、善と悪の入り乱れる混沌とした現代世界を非情な文体で描くハードボイルド探偵小説のジャンルを確立し、ミステリの分野に革新をもたらした。
チャンドラーは、私立探偵フィリップ・マーロウ(Philip Marlowe)を主人公とした一連の長編小説を書くことにより、ハメットの系譜を引き継ぐとともに、さらに文学的な陰影を加え、ハードボイルド探偵小説のジャンルを発展させ、新しい可能性を切り開いたとされる。
なお、チャンドラーの作品は、ミステリの分野にとどまらずに広い影響を与えている。例えば、 20 世紀アメリカ文学を代表する作家であるウィリアム・フォークナーは、ハメットやチャンドラーのハードボイルド探偵小説に影響を受け、とくに、チャンドラーの『大いなる眠り(The Big Sleep)』がハワード・ホークス監督によって映画化されたときには、脚本を共同執筆している。
チャンドラーの影響という点で特に注目されるのは、村上春樹に対する影響であろう。村上春樹は自分に最大の影響を与えた 3 つの作品として、スコット・F・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』やドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』と共に、チャンドラーの『ロング・グッドバイ』を挙げている。とくに、村上の長編小説『羊をめぐる冒険』は、村上自身が『ロング・グッドバイ』を下敷きにしたと語っていることもあり、「自分の分身ともいえる友との別れ」という共通した物語構造をもっている。
本論では、チャンドラーの最初の長編小説である『大いなる眠り(The Big Sleep)』(1939 年)を扱い、その特徴を論じていきたい。