InSbトレンチゲート量子ポイントコンタクト
概要
1.1 研究背景
トランジスタの発明以来、半導体デバイスはムーアの法則に従って微細化と集積化が進み、飛躍的な発展を遂げてきた。しかしながら従来型 Si-MOSFET の微細化は限界を迎えつつあり、新たな作動原理のデバイス実現が求められている。新原理のデバイス実現のためのプラットフォームとして低次元半導体が注目されており、研究が進められている[1]。電子をナノメートルスケールの空間に閉じ込めると、量子力学の要請により電子の持つ波動性が顕著に現れるようになる。また電子間相互作用やスピンといった物性も現れ、制御できるようになるため、これらの物性を活用したデバイスの研究が行われている。低次元半導体の例として、半導体ヘテロ接合や量子井戸構造により生まれる二次元電子ガス (2-Dimensional Electron Gas: 2DEG)、自己形成ナノワイヤや量子ポイントコンタクト (Quantum Point Contact: QPC) などの擬一次元系、量子ドットなどのゼロ次元系が挙げられる。
インジウムアンチモン (InSb) は III-V 族化合物半導体の一種であり、バンドギャップがとりわけ狭い (0 Kで0.23 eV[2])。このバンドギャップの狭さにより、InSb は室温での電子移動度が非常に高く (80000 cm2/V · s[3]) 有効質量が小さい (0.014 me[2]) という特徴を持つ。また有効 g 因子 (|g∗| = 52[4]) が大きく Rashba のスピン軌道相互作用 (例: α = 3.0 × 10−12 eVm[5]) も強いため、磁場や電場によって InSb 中の電子スピンを制御することが比較的容易である。以上の特徴的な物性から、InSb 低次元系は様々な用途で研究が進められている。InSb が直接遷移型の狭ギャップ半導体であることから中赤外線領域の光を効率的に吸収することができ、この特性を活かした InAsSb/InSb ヘテロ構造の中赤外線検出デバイスが研究されている[6]。InSb の室温における高い電子移動度を利用して、Si-MOSFET に代わる高速・低消費電力のトランジスタを生み出すべく InSb-QWFET の研究が進められている[7][8]。また InSbは大きな有効 g 因子を持つことから印可可能な磁場の範囲で大きなゼーマン効果を引き起こすことができ、InSb の 2DEG を利用した量子 Hall 効果の研究が行われている[9]。さらに大きな有効 g 因子と強いスピン軌道相互作用を有するという特徴から、擬一次元系の InSb ナノワイヤを使用してマヨラナフェルミオンを検出するための研究が近年盛んに行われている[10]。
マヨラナフェルミオンとは反粒子が粒子と同一となる特異なフェルミオンである。1937年に E. Majorana によりその存在が予言され[11][12]、以来実証に向けた研究が続けられてきた。このマヨラナフェルミオンはトポロジカル超伝導体の物質界面に出現することが予想されている。トポロジカル超伝導体とはトポロジカル絶縁体の類似物質である。トポロジカル超伝導体はバルクにおいて通常の超伝導体と同じく超伝導ギャップが開いており、一方でエッジにおいてはバルク内部と外部のトポロジカル不変量が異なるためにバンドギャップが閉じている。バンドギャップが閉じているためにエネルギーゼロのモード (ゼロモード) が存在 し、電子正孔対称条件が成り立つ超伝導体ではゼロモードの解の存在はマヨラナフェルミオンの存在を意味する。トポロジカル超伝導体の二次元系では外周のエッジと内部の渦状態の双方にマヨラナゼロモードが出現する。そして一次元系では系の両端にマヨラナゼロモードが出現しうることが 2001 年 A. Y. Kitaev により示されている[13]。この Kitaev 模型ではスピンレスの一次元超伝導体を仮定している。しかし現実の電子はスピン 1/2 を持っており、電子がシングレット対を形成するとゼロモードが両端に形成されることはない。一方で時間反転対称性を有するトリプレット対を形成する場合はマヨラナゼロモードがトポロジカルに守られる。スピン軌道相互作用の強い半導体一次元系を用いるとトポロジカル超伝導状態を実現でき、その結果マヨラナフェルミオンが出現しうることが 2010 年 Y. Oreg らにより示されている[14]。ナノワイヤに超伝導電極を取り付けると近接効果によりナノワイヤ内部が超伝導状態となる。このときナノワイヤ内の電子が Rashba のスピン軌道相互作用によって感じる有効磁場の方向と垂直な方向に外部磁場を印加すると、Rashba のスピン軌道相互作用と Zeeman 効果の組合せによりトポロジカル超伝導状態が実現し、ナノワイヤの両端にマヨラナゼロモードが出現する。
以上の理論的な背景に基づき、2012 年に V. Mourik らにより InSb ナノワイヤを使用したマヨラナフェルミオン検出実験が行われ、マヨラナフェルミオンの出現を示唆する観測結果が得られた[15]。しかしながらデータが不明瞭であったことから存在を実証するには至らず、理論的な検証や InAs を使用した実験などが多数試みられた[16][17][18][19][21][22][23][24][25][26]。マヨラナフェルミオンの存在に起因する伝導特性はトポロジーの要請により本質的に安定しており、整数量子 Hall 効果と同様にロバストな測定結果が得られるはずである。そこで InSb ナノワイヤの伝導特性改善や実験セットアップの再検討が行われ、ゼロ磁場での量子化コンダクタンスの観測[27] や Al 超伝導薄膜電極を組み合わせたデバイスによる明瞭な超伝導ギャップの観測[28] が達成されている。そして 2018 年 H. Zhang らによるマヨラナフェル ミオン検出実験によりその存在を強く示唆する観測結果が得られている[10]。
マヨラナフェルミオンの特異な性質として、非可換統計に従うことが挙げられる。擬一次元ナノワイヤの両端に出現するマヨラナフェルミオンは非局所的量子相関を有しており、そのため粒子を組み替えることで元の状態と異なる状態を生み出すことができる。この性質を利用した量子ゲート方式の量子コンピュータが提案されており[29][30][31][32][33][34][35]、トポロジカル量子コンピュータと呼ばれる。一般に量子ゲート式の量子コンピュータは外部ノイズに対して脆弱であり、エラー訂正を行うために多数の量子ビットを実装する必要がある。一方トポロジカル量子コンピュータでは非局所的量子相関の存在がトポロジーに起因するため外部ノイズに対して安定であると考えられ、大量のエラー訂正用ビットを用意することなく安定した量子計算を行うことが可能になると期待される。
以上、InSb の特性と InSb 擬一次元系の利用法についてマヨラナフェルミオン検出という観点から紹介したが、ここで実際の擬一次元系デバイス作製手法について説明する。擬一次元系デバイスを作製する手法は大きく分けてボトムアップ法とトップダウン法の 2 種類が存在する。ボトムアップ法とは半導体を結晶成長させてナノワイヤなどの擬一次元系デバイスを作製する手法であり、トップダウン法とは半導体ウエハを加工して擬一次元系デバイスを作製する手法である。前述したように InSb 擬一次元系デバイスにおいてはボトムアップ法による InSb ナノワイヤを使用した研究が現状進んでいる。しかし、トポロジカル量子コンピュータの開発やマヨラナフェルミオンの物性研究など、より発展的な研究を進めるためには複雑で集積化したデバイスを作製する必要がある。そのような複雑なデバイスを作製する場合はボトムアップ法よりもトップダウン法が適していると考えられるため、ボトムアップ法だけでなくトップダウン法による擬一次元系デバイスを作製し、その電気伝導特性を把握することが必要である。
トップダウン法による擬一次元系デバイスは、チャネル長の長いナノワイヤ構造とチャネル長の短い量子ポイントコンタクト構造の 2 種類が考えられる。ボトムアップ法の自己形成ナノワイヤに相当する形状はチャネル長の長い構造である。しかし、InSb ヘテロ構造を持つウエハの結晶成長技術は発展途上であり、GaAs など他の半導体材料を用いたウエハに比べて電子移動度が低いため、チャネル長の長い構造ではチャネル内部における後方散乱が増え理想的な電気伝導特性を測定することが困難となる。そこで本研究ではチャネル長の短い量子ポイントコンタクト構造に着目する。
トップダウン法による量子ポイントコンタクトデバイスの構造として、GaAs などの半導体においては金属製スプリットゲートを使用した構造が一般に用いられる。これは量子井戸層やヘテロ接合による 2DEG を有する GaAs ウエハの表面に金属製ゲートを取り付け、金属-GaAs 半導体界面の Schottky 障壁を利用してリーク電流を抑えつつゲートに負電圧を印加し、2DEG を一部空乏化させることで擬一次元系を実現する構造である。しかし InSb や AlInSb はバンドギャップが狭いため Schottky 障壁によるゲートはリーク電流が大きくなり、InSb ウエハに対して Schottky スプリットゲート型の構造は適用できない。また、金属と半導体の界面に絶縁膜を挟んだ金属-絶縁体-半導体 (Metal-Insulator-Semiconductor: MIS) 構造のゲートを使用することも考えられる。だが、InSb ウエハに対する絶縁膜の成膜手法は最適化されておらず、トップゲート付 Hall bar におけるゲート電圧による電子密度の操作は可能なものの、2DEG の空乏化は達成されていない。そのため MIS 構造のゲートによる量子ポイントコンタクトデバイスは実現できていない。そこで InAs・InGaAs などバンドギャップの狭い半導体ウエハに対しては、トレンチと呼ばれる溝をエッチングによって掘り、2DEG のある量子井戸層を切断することでゲートを作製する手法が用いられることが多い。これはトレンチゲート量子ポイントコンタクトと呼ばれる構造である。
InSb においてもトレンチゲート量子ポイントコンタクトが作製され、2005 年 N. Goel らによりコンダクタンスの量子化が報告されている[36]。しかし、デバイスのゲートに対する応答が不安定であり、詳細な電気伝導特性については調べられていない。これはドライエッチングによりトレンチゲートを作製したためにトレンチ表面のダメージが大きくなり、トラップが多数発生したためと考えられる。マヨラナフェルミオン検出実験においては、Zeeman効果と Rashba のスピン軌道相互作用を制御してマヨラナフェルミオンが発生する環境を整える。トップダウン法の擬一次元系デバイスでこの実験を行うためには、トレンチゲート量子ポイントコンタクトにおける有効 g 因子の大きさやスピン軌道相互作用が電気伝導に与える影響を予め把握する必要がある。本研究と同時期の 2016 年に F. Qu らによりトレンチゲート量子ポイントコンタクトにおける有効 g 因子の大きさが測定され報告されている[37]。しかし量子ポイントコンタクトの擬一次元チャネルの構造や Rashba スピン軌道相互作用の電気伝導への影響など更なる調査が必要である。
1.2 研究目的
以上の背景から、InSb トレンチゲート量子ポイントコンタクトデバイスを作製し、その詳細な電気伝導特性を観測することを本研究の目的とした。N. Goel らの研究ではドライエッチングに起因するゲートの不安定性が存在したことから、本研究ではウエハへのダメージの少ないウェットエッチングによりトレンチゲートを作製することとした。InSb トレンチゲート量子ポイントコンタクトにおける有効 g 因子の大きさを評価するために、コンダクタンスの磁場依存性を測定することとした。また、量子ポイントコンタクト内の擬一次元チャネルの構造を調べるために、左右のサイドゲートに独立に電圧を印加する非対称ゲート電圧測定を行うこととした。
InSb ウエハの結晶成長技術は未だ発展途上であり、GaAs ウエハなどと比べると電子移動度が低い。そのため InSb トレンチゲート量子ポイントコンタクトにおいて明瞭な量子化コンダクタンスプラトーを観測することは難しい。また、使用する InSb ウエハにはバックゲートがかけられないため、デバイスの電子密度を変化させることができない。そこでデバイス中央にセンターゲートを加え、センターゲートによって電子密度を制御可能なデバイスの作製を試みた。GaAs の低移動度ウエハを用いたセンターゲート付きスプリットゲート量子ポイントコンタクト (トリプルゲート量子ポイントコンタクト) において、センターゲートに正電圧を印加すると量子ポイントコンタクトの閉じ込めポテンシャルが変化し、コンダクタンスプラトーが明瞭になることが報告されている[38][39]。InSb センターゲート付量子ポイントコンタクトにおいても同様の効果が期待される。さらに、センターゲート電圧によって Rashba スピン軌道相互作用の大きさを制御できる可能性がある。Rashba のスピン軌道相互作用は半導体ヘテロ構造の非対称性によって生まれる作用であり、その大きさは量子井戸層に加わる電場の大きさに比例する。ウエハのトップゲートやバックゲートに電圧を加えることで量子井戸層の電場勾配を変化させることができ、これによって Rashba のスピン軌道相互作用を変調可能である[40][41]。
したがって、InSb センターゲート付量子ポイントコンタクトデバイスを作製し、その電気伝導特性における Rashba のスピン軌道相互作用の影響を調べることを第二の目的とした。センターゲートに電圧を印加することで Rashba のスピン軌道相互作用を増幅し、コンダクタンスにどのような変化が現れるかを観測することとした。