回転下固体ヘリウムの弾性に関する研究 (本文)
概要
本論文は、固体 4He が低温で示す物性について調べた実験の結果をまとめている。本実験は、固体 4He に回転場を加えた際の弾性について調べるため、回転希釈冷凍機という特殊な実験系で行った。同冷凍機を用いた実験には、2010 年に固体 4He の特異な挙動を観測した実験があり、本論文に示した実験はその後継にあたる。本論文の導入としてこの章では、4He 研究の流れを述べた上で固体 4He について概要を示す。各項目についてより詳しい話は第 2 章以降に述べる。なお、 He の安定同位体は 4He と 3He が存在するが、本論文で示した実験は専ら 4He の固体であるため、以降は 4He の話として進める。
4He が長年、研究対象とされてきた背景には、この元素が他の元素と比べ突出した特徴を持っていることにある。これを端的に確かめるには、図 1.1 に示した 4He の温度圧力相図がわかりやすい。図からもわかるように、4He の特徴として、まず沸点がおよそ 4 K という極めて低い温度であることが挙げられる。他の元素が液化する温度よりもさらに低温にしても気体であり続けることから、1908 年にオランダの H. Kamerlingh Onnes により液化が成功するまでは 4He は「永久気体」とも呼ばれていたほどである。液体の 4He は、低い沸点という特性が活かされ寒剤として利用されることが多い。例えば、Onnes が 1911 年に水銀の電気抵抗が 4.2 K 付近で急激に減少することを見つけ、超伝導研究の基礎を築いた際にも、液体 4He は冷却に用いられている。低温環境を実現するための材料として用いられる一方で、4He の液化に成功して以降、液体 4He 自身の性質の研究も盛んに行われた。
実際、他の元素と比べずっと低い温度にしないと液化しない 4He は、興味深い物理的性質を持つことがわかっている。例えば、4He は、その質量の軽さおよび原子間引力の弱さによって、絶対零度付近においても常圧では固化できずに液体として存在する。しかし、熱力学の第三法則によって、絶対零度でのエントロピーは 0 にならなくてはいけない。エントロピーが 0 であるということは、統計力学に従えば系がとり得る状態の数が唯一ひとつになっていることを意味する。4He がボース粒子であることを踏まえて量子力学的に考えれば、系がとり得る状態の数が一つになるという現象は、ボース粒子の凝縮と関係があると考えられる。これは絶対零度近傍の極低温で、多数の原子が最低エネルギーの単一状態を占めているとして記述される状態で、ボース-アインシュタイン凝縮(BEC)と呼ばれる。BEC を起こすと、液体 4He はあたかも系の粒子全体が一体となっているかのような性質を示すようになる。例えば、個々の原子同士が全く同じ運動状態を持っていることにより原子同士の摩擦がなくなることが推察され、実際に液体の粘性の消失という巨視的な現象として表れる。この粘性が消失した特異な液体状態は通常の流体(常流動)と区別され、超流動状態と呼ばれる。実際に理論的にボースアインシュタイン凝縮を起こす温度 Tc の計算に、 4He のパラメタを代入すると、液体 4He が超流動転移を起こす Tλ = 4.2 K と近い Tc 3.1 K が得られ、超流動とボースアインシュタイン凝縮は大きな関係を持つことがわかる。常流動から超流動への相転移は 4He の場合 2.17 K 付近から徐々に進み、絶対零度では全ての液体部分が超流動となる。
上記を踏まえ超流動転移したことが粘性の消失として表れたことを言い換えれば、量子力学で記述されるようなミクロな世界での事象が、実験的に観測可能なマクロな世界の現象として表れたことになる。そのため、超流動状態を記述する波動関数は「巨視的波動関数」と呼ばれる。また、超流動では粘性の消失以外にも、フィルムフローや熱機械効果といった現象を観測することができる。通常の音波とは異なる波の伝播といったことも挙げられ、理論と良い一致を見せた。このように実験、理論、両面の発展を伴いながら、液化の成功以降、液体 4He の超流動現象の理解が進んできた。
さて、常圧下では絶対零度でも上記のような興味深い超流動状態として液体の状態を保っている 4He も、25 気圧以上の圧力をかけることで固体を生成することができる。その結晶構造は相図上大部分の固相領域が hcp 固体となっており、融解圧曲線近傍で比較的高い温度(1.6 K)で bccとなる。あるいは常温であっても、1000 気圧という非常に大きな圧力をかけた場合には fcc の結晶構造をとることが知られている。これら各結晶構造の分布は図 1.1 で確認できる。固体となった 4He も液体同様、非常に興味深い性質を持つことが昔から知られてきた。特殊な極限環境でしか生成できないにもかかわらず、この固体が研究対象として扱われていた理由には、例えば格子欠陥の研究にふさわしかったことが挙げられる。鈴木秀次は、固体 4He の利点として
(1) 同位体以外の不純物が混入しない高純度な固体である。
(2) 圧力を変化させることで格子定数、弾性定数などの物質定数を広く連続的に変えられる。
(3) 多粒子系の運動を古典力学で記述できる状態から量子力学で取り扱わなければならない状態まで連続的に変えられる。
といった特徴を挙げている [1]。これらの特徴が、固体中の格子欠陥の様子を研究するのに固体 4Heが適しているとされる理由である。そして本論文はこの欠陥の物理に深く影響される固体 4He の弾性を調べた実験について論じる。
弾性を調べる実験含め、固体 4He の実験が特に盛んに行われるようになったきっかけには、先述した超流動が深く関わっている。そのきっかけとは「超流動固体」の存在の予言であり、既に知られた 4He 相図の固相の領域が、この特異な相の存在によって書き変わるのではないか、という議論が 1970 年代からなされてきた。直感的に考えると、超流動とはその名が示すように流動性を持つ物質に当てはまる性質であり、一方、固体とは「固い」物体であって流動性を考えることは矛盾しているように思われる。しかし、理論家たちは液体 4He の超流動が見つかって間もないころから固体 4He も超流動を示すだろうという予想を立ててきた。液体 4He が超流動性を有する理由の一つである原子の軽さによって、4He は固体となった状態において、格子点周りで激しい振動をしている。この激しさの度合いは、ゼロ点での振動振幅が最近接原子間距離の 26 % 程度にもなるほどである。そのため、仮に結晶を組んだ固体中に空孔子が存在している場合、この空孔子は、大きな振動振幅を持つ周りの原子と位置交換を起こす可能性がある。もし一箇所にとどまらず「非局在化」した空孔子が BEC を起こすことがあれば、系全体としては超流動性の発現とみなせる。初期の超流動固体の研究はこのようなモデルを基に発展していった。上記のようにこのモデルを適用するのに、古典的に考えた場合にはゼロ点で各格子点位置に静止してしまうため位置交換を起こせないが、量子力学的過程を考えるとゼロ点振動のおかげで位置交換を行うことが可能である。これを踏まえると、ゼロ点振動の振幅が大きく最近接原子間距離の 30% 程度にもなる固体 4He は超流動性を示す可能性があるとされ、量子性が強く表れる量子固体として恰好の実験対象となってきた。現実には実験による観測への取り組みは多くの失敗があったものの、2004 年に超流動の兆候と思われる観測の成功がなされた後にこの超流動が本物かどうかを見極める実験が活発に行われてきた。
今日に至るまで、固体 4He が液体の超流動と同じ性質を示すという確定的な証拠は見つかっていない。それどころか最近の固体 4He を調べた実験結果は、超流動性以外の理由で説明されることが多い。超流動固体 4He は興味深いトピックであるものの、これを見つけるための一つ一つの実験結果を理論的に考察しようとしても、包括した理解を「拒む」ような結果が次々に出てくる発表されてきた。実際、2003 年にノーベル賞を受賞した A. Leggett も、”the enigma of supersolidity continues to defy agreed theoretical explanation”と語っているほどである [2]。これらの謎を解き明かすのに理論的にも実験的にも有力とされているのが、固体 4He が極低温で示す特異な弾性変化である。そんな固体 4He についてより深く理解する為の一端として、回転により固体 4He の弾性がどのような影響を受けるのかを研究した結果を本論文で紹介する。
なぜ特殊な冷凍機を用いてまで固体 4He への回転場の影響を調べる必要があるのか、その動機については、固体 4He が示しうるとされた超流動様の現象の解釈を進めることが挙げられる。2010年に Science 誌に”Evidence of Supersolidity in Rotating Solid Helium”と題され発表された回転に対する固体 4He の反応 [3] は当初、固体 4He が超流動性を示す強力な証拠とされた。その結果を巡っては、2012 年に行われた国際学会中の、固体超流動に関するワークショップでも最初に議論に上がるほど注目された。この実験のより前に行われていた固体 4He が超流動を示したと解釈された多くの実験が、実際は固体 4He の弾性の変化で説明される中、この回転場を与えた時の結果を解釈するには、実験を行うのに回転冷凍機という特殊な装置を必要とすることもあって実験事実が不足しており、そのため理論的に結果を解釈する際の問題となっていた。本論文は同実験およびこれに関連し出された論文 [4, 5] に関連して行った実験結果を示している。
本論文では、これまでに前例のない二つの実験を行っている。それらの特徴を簡潔に記すと次のようになる。
・ピエゾ素子を用いて行った直接的な弾性測定を初めて回転下で行った。結果、与える歪みが大きい際に回転の速度による弾性率変化の抑制を観測した
・通常剛性を高めて固体 4He の弾性の影響を抑える振り子実験を、あえて固体 4He の弾性の影響を受けやすいセルで行い、さらに回転場を加えた場合での挙動を調べた。結果、先行研究とは異なる、固体 4He の回転への反応を観測した
これらの結果から、不純物の効果が弾性に影響を及ぼす固体 4He の性質が、従来考えられてきた理論だけでは十分に説明することが難しく、また先行研究を含め、単純な固体 4He の弾性変化のみでは説明できないような結果が得られた。回転場を与えるという特殊な実験環境で初めて得られたこれらの結果は、どのような特性を反映しているのか説明できるような理論的な考察の発展を促し、固体 4He の性質のより深い理解につながるものと考える。ここに述べた内容について、以降の章で詳しく記していく。
本論文の構成は次の様である。まず第 2 章では超流動液体 4He 中に見られる現象の例を簡単に紹介する。一見固体 4He の弾性とは関係のないトピックであるが、弾性の研究が行われる発端となった固体超流動の実験の手法は私の実験の一部で使用されており、またこれらの実験は私の実験の背景を理解するうえで不可欠である。続く第 3 章で、固体 4He を対象としてこれまで行われてきた研究について述べる。第 4 章では、これら固体 4He 研究の結果が、現在どのように解釈されているかを示す。その後、第 5 章から第 7 章ではそれぞれの章ごとに私が行った実験の背景、方法、そして結果を示す。そして第 8 章でそれら実験の結果についての考察を行った。なお、付録には対照実験として行った実験の結果や、メインとなった実験の補足資料、および実験全般に関わる内容をまとめている。これには各実験に用いたセルの図面、回転冷凍機についてとその回転安定性を含んでいる。