論文の公開元へThiel’s embalming method with additional intra-cerebral ventricular formalin injection (TEIF) for cadaver training of head and brain surgery
概要
序論
高度な外科手術の開発や安全性の向上には解剖実習が有用である．昨今の 3D シミュレーション技術の発展の中にあっても，御献体を用いて，実際の手術機器を用い手術操作を行なうことは深度や位置関係を習得する上で欠かせず，かつ医師としての精神的成長に極めて重要である．このため日本外科学会と日本解剖学会が合同で「臨床医学の教育及び研究における死体解剖のガイドライン」(日本外科学会・日本解剖学会, 2018)を公開し，卒後教育の解剖実習が定義された．
脳神経外科では，「脳，脳神経，血管を保護しつつ頭蓋骨を細小ドリルで掘削し，深部脳表面の髄膜のみを顕微鏡下に切開し脳実質へ至る」極めて精緻な技術が要求される．この技術の習得には頭蓋外（軟部組織の展開）と頭蓋内（深部・脳実質の展開）を連続して実習することが求められる．これに対し従来行なわれてきたホルマリン固定とチール法固定には一長一短あり，特にホルマリン固定による脳の硬化とチール法固定による脳の軟化という固定法の限界が頭蓋内の実習を制限してきた．(Thiel, 2002, Hayashi et al., 2014)
これに対し我々は，脳室内にホルマリン投与を追加するチール法変法を開発した．本研究は，「軟部組織および色調の保存で優れるチール法に，硬膜内のホルムアルデヒドによる浸漬固定を組み合わせる新たな固定法の開発により，軟部組織の柔軟性と脳の適度な硬度と弾性を両立させることが出来るか？」をテーマとした．本固定法が確立されることで，医学生のみならず外科医の技術向上に寄与し，高度な外科治療を安全に施行することで国民福祉に寄与することを目的とした．
実験材料と方法
脳室内にホルマリン投与を追加するチール法変法はチール法による灌流固定に加え，髄液腔をホルマリンに置換することで脳および脳神経の浸漬固定を促す点で全く新たな方法である．本研究では，脳室内にホルマリン投与を追加するチール法変法による固定について脳神経の色調，脳の硬度，脳の膜構造を評価した．
御遺体及び動物モデルにおいて，ホルマリン固定，チール法固定，脳室内にホルマリン投与を追加するチール法変法の 3 種類の固定を行なった．ホルマリン固定は 10%ホルムアルデヒドを用いて固定した．チール法固定は固定液 A，B，C（A.S.ケミカルより購入）および飽和ホルマリン液（40%ホルムアルデヒド）を混合して使用した．脳室内にホルマリン投与を追加するチール法変法では，灌流固定はチール法と同様に行ない，10%ホルムアルデヒドを側脳室前角に注入した．
固定された脳は三叉神経の状態，表面硬度計および超音波硬度測定を用いた硬度測定によって評価した．ラットを用いた動物モデルでは硬度測定のみを行なった．
結果
2019 年 8 月に実施した頭頚部解剖実習において，ホルマリン固定 5 体，チール法固定 1体，脳室内にホルマリン投与を追加するチール法変法 1 体の合計 7 体の御献体を用いた実習を実施した．
ホルマリン固定では従来通り軟部組織及び脳の硬化のため術野は限られたが，チール法では軟部組織は良好に翻転された．一方で脳は軟化し，脳の圧排および保持は困難であり脳神経の軟化も著明であった．脳室内にホルマリン投与を追加するチール法変法ではこれらが解決され，軟部組織の柔軟性と脳の弾力性を認め，脳深部の露出にも適していた．
続いて固定脳の硬度測定を行なった．脳の硬度は表面硬度計および超音波硬度測定共に大脳半球（テント上），小脳半球（テント下）で共に脳室内にホルマリン投与を追加するチール法変法ではホルマリン固定より柔らかく，チール法固定より硬化していた．
最後に，ラットを用いて固定法による硬度の違いを検討した．無固定の脳を対照とし，ホルマリン固定では 3 日から 1 ヶ月にかけて硬度が増加する傾向だった．一方でチール法固定では 3 日から 1 ヶ月にかけて軟化を認めた．脳室内にホルマリン投与を追加するチール法変法では，チール法で 1 ヶ月固定した後にラットの脳室内にホルマリンを注入し 2 日後に硬度を測定したところチール法の 1 ヶ月に比べ硬化を認めた．
考察
本研究より，脳室内にホルマリン投与を追加するチール法変法は軟部組織の柔軟性と脳の適度な硬度と弾性を両立させることが出来ることが示された．脳室内にホルマリン投与を追加するチール法変法を用いた御献体は，頭頚部解剖実習を実施するに当たり軟部組織の柔軟性及び脳の弾力性を兼ね備えていたため，良好な術野を展開して充実した実習が可能であった．
脳室内にホルマリン投与を追加するチール法変法は脳の硬度を増すことで，容易に頭頚部解剖実習の質を向上できる可能性がある．今後，脳室内ホルマリン投与による脳の硬度について経時的変化を評価することで固定条件の最適化を行なうことで本固定法の一般化に寄与する可能性がある．さらに，最適な固定法を用いて脳微小解剖を解明することで，研究成果を臨床に還元する可能性がある．
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