開花予測モデルを利用した時間的隔離による遺伝子組換えダイズとツルマメの交雑リスク評価手法の確立
概要
ダイズ(Glycine max)は世界で最も栽培されている遺伝子組換え作物の一つであるが(ISAAA 2015)、その祖先種と言われているツルマメ(Glycine Soja Sieb and Zucc.)(Kim et al. 2010)は、日本をはじめ、東アジアに広く分布しており、その中間的形態を持つ Glycine gracilis はダイズの雑草型または半野生型と言われており、2種間で繁殖能力のある交雑個体を得ることは容易であるとされている(OECD 2000)。Ellstrand et al.(1999)や、Bartsch(1999)などは、主要な作物種とその近縁野生種の交雑は世界各地で報告されており、作物種からの遺伝子流動は、野生種の遺伝的多様性や進化に対して、除草剤抵抗性の伝播による雑草性の増加や、作物種遺伝子による適応度の低下、または繁殖干渉などの重要な影響を与えることを指摘している。Stewart et al.(2003)は、特に作物が遺伝子組換え作物である場合に、除草剤抵抗性の遺伝子などが同所的に存在する野生雑草に定着することが起これば、強害雑草となる恐れがあるとして、警戒が必要であるとしている。
Kaga et al.(2005)は秋田県で、Kuroda et al. (2005)は佐賀県でそれぞれダイズとツルマメの交雑個体発見を報告している。これらの報告はツルマメの分布する地域において、ダイズ由来の遺伝子がツルマメの個体群に定着する可能性があることを示唆しているが、Kuroda et al. (2006)による野外交雑個体を発見した個体群のモニタリングや Kitamoto et al. (2012)によるシミュレーションなどの報告によれば、現在のダイズの形質であれば、その確率はそれほど高くないと考えられる。しかしながら、Hooftman et al. (2008)は、特に、病虫害耐性や乾燥耐性などの形質をもたらす遺伝子が、作物種から野生種に移入することにより、その適応度が上昇し、より大きな生態学的影響をもたらす可能性も指摘している。ダイズとツルマメの場合、実際に野外で交雑個体が観察されていることから、今後開発される遺伝子組換えダイズが持つ形質によっては、交雑個体の適応度が高まり、ツルマメ個体群への遺伝子浸透が起こる可能性もあると言える。 Bartsch et al. (1996)はウイルス抵抗性を導入したテンサイと野生種の交雑個体の栄養生殖体のバイオマスが増加したことを、Stewart et al.(1997)はセイヨウナタネで、Snow et al.(2003)は、ヒマワリで、GM 品種との交雑個体が Bt 遺伝子が入ることによって、虫食害が減少し、種子生産量が増加したことを報告している。Gepts and Papa(2003)は、ナタネやヒマワリ、テンサイに関する前述の Stewart et al.や Snow et al.の結果から、遺伝子組み換え作物を近縁野生種の近傍で栽培する場合には、その影響評価を行うことや、交雑親和性、開花フェノロジーの評価の結果、遺伝子流動リスクがあると判断された場合には、遺伝子流動リスクの低減措置を講じる必要があるとしている。
また、野生種と遺伝子組換え作物の交雑は、生物多様性保全の観点からも注目されている。例えば、中山・山口(2001)は、ツルマメのような作物種の生物資源となりえる野生種の近傍で遺伝子組換え作物を栽培することが、野生種を含めた作物の遺伝的多様性にとってリスクと成りえることを指摘し、慎重な対応が求められるとしている。国際的には生物資源の持続可能な利用のために、生物の多様性を包括的に保護することを目的とした、生物の多様性に関する条約 (1992)に基づいて、2000 年にバイオセーフティーに関するカルタヘナ議定書が採択された。同議定書は、2003 年に、遺伝子組換えなどの生物多様性に悪影響を及ぼすおそれのある生物の移送、取り扱い、利用の手続きについて、それらの輸出入時に輸出国が輸入国に対して、情報提供を行うこと、事前同意を得ることなど義務付けた国際協定として発効した。日本においては、2004 年に遺伝子組換え生物等の規制による生物の多様性の確保に関する法律(通称:カルタヘナ法)が施行され、遺伝子組み換え作物の輸入や栽培の承認において、生物多様性影響評価が行われる体制が作られた。
また野生種との交雑のみならず、非遺伝子組換え品種と遺伝子組換え品種の交雑リスクについても大きな関心が持たれている(Bucchini and Goldman 2002、 Cartar and Smith 2007)。2000 年には飼料用遺伝子組換えトウモロコシの種子が、食用栽培用種子に混入していた、いわゆる「スターリンク問題」が起こり、遺伝子組換え作物の流通過程での混入とともに、交雑による組換え遺伝子が流出している可能性が指摘され、遺伝子組換え作物と非遺伝子組換え作物の交雑リスクについて関心が高まった(Bucchini and Goldman 2002)。スターリンクの混入問題によって、トウモロコシの世界的な価格を少なくとも1年間 6%以上低下させたことが報告されるなど(Carter and Smith 2007)、一度混入問題が起きた場合には、大きな経済的損失が起こる危険性もある。Watanabe et al. (2004)が、
遺伝子組換え作物がもたらす長期的な影響が評価されていないことや、消費者、生産者、企業などのステークホルダーの間での信頼構築が不十分であるために、日本の社会で遺伝子組換え作物への拒絶反応が強くなっているかことを指摘しているように、遺伝子組換え作物の場合においては、生態学的影響のみではなく、社会的な不安やリスクコミュニケーションのためにも、交雑実態を監視する精緻なモニタリング調査と結果の公表が求められていると言える。このような状況から作物種と近縁野生種の場合だけでなく、同じ作物種間でも、意図しない遺伝子組換え品種由来の遺伝子の拡散を低減させる措置が求められるようになり、日本の場合でも、国によって栽培実験指針(農林水産省 2004)が定められているほか、北海道(北海道 2005)、新潟県(新潟県 2006)で遺伝子組換え作物の栽培等による交雑等の防止に関する条例が定められている。
Ellstrand (2003)は、遺伝子流動リスクにもっとも強く影響するものは種子親の交雑率であるとしており、交雑率に影響を与える要因として、集団間の物理的距離、開花期の類似度、自殖率、個体群のサイズ、媒介昆虫の訪問頻度、風向きなど様々な要因を挙げている。なかでも、二つの集団の開花期が重なり、交雑可能な適切な物理的距離の範囲内に存在しない限り、その他の要因がいかような条件を取ろうとも、交雑は起こりえないため、種子親の交雑率にとって、時空間的に、種子親と花粉親が同時同所的に開花することが、最も本質的であるとしている。従って、この時間と空間の2条件のうちのどちらかを阻害する対策として、物理的距離をあける、遮蔽物で覆った状態で栽培するといった空間的隔離、開花が重複しないように栽培する、あるいは開花期が異なる品種を利用するといった時間的隔離の2つの手段が用いられる。
農林水産省による栽培実験指針、北海道や新潟県の条例では、出穂時期が比較的よく知られているイネの場合を除き、交雑、またそれによって引き起こされる遺伝子流動リスク管理のためには、種子親と花粉親の距離を一定以上に設定する空間的隔離の手法が用いられている。これらの基準は Lu and Snow (2005)などによる花粉飛散距離に関する報告、各自治体が行った交雑試験の結果、交雑個体が発見された最大距離に基づいている。Rong et al. (2006) は、イネの交雑試験において、交雑率が距離の2乗に比例して減少していくために、たとえ小さな隔離距離設定でも大きな交雑率の抑制効果を持つことを示している。また Walklate et al. (2004)は、セイヨウアブラナの花粉飛散モデルを用いて、隔離距離と交雑率の関係が指数関数的に減少することを説明している。
一方で、時間的隔離による交雑抑制研究はそれに比べると非常に少なく、栽培における実用化には至っていない。しかし、遺伝学、生態学分野においては、交雑のタイミングが異なる時間的隔離が種の分化に強く影響することは、 Dobzhansky (1937)や Mayr(1942)、Clausen(1951)らによって古くから指摘されている。また近年、植物では、ミゾホウズキ属の2種間で、開花期が異なることで生殖隔離が起こっていることを確認した Lowry et al(2008)、動物ではキングサーモンの遡上、発情のタイミングの違いなどによって、集団間の遺伝的隔離が起こっていることを報告した Quinn et al.(2000)のように、遺伝的構成と時間的隔離の相関を実際に確認した研究も増えつつあり、その効果は実証されている。
作物栽培においても、時間的隔離を用いることで、物理的距離の設定が難しい 狭隘な圃場においても、交雑を忌避したい2種を共存させることが可能であり、作物と野生種の交雑のケースのように、2つの集団間の距離を開花前に把握することができない場合にも、交雑リスクを低減することができると挙げられる。これらのメリットにも関わらず、現在のところ利用されていない大きな理由の一つに、時間的隔離の効果が正確に評価されていないということが考えられる。前述したように、空間的隔離の場合には、ナタネやイネの研究で共通して交雑率は距離の2乗に比例して減少していくことが確認されており、花粉の空間的拡散を記述するモデルによってそれらの減少原理もうまく説明されている。しかし、時間的隔離の効果については、様々な報告の間では必ずしも一致していない。例えば Della Porta et al. (2007)では、トウモロコシの開葯開始日の差と交雑率の差を用いて、3日以内では交雑率に差は出ないが、5日でほぼ半減し、7日以上でほぼ0になったという結果を示しているが、Halsey et al. (2007)は、同じくトウモロコシで前後に1週間ずらして作付けした場合では交雑率にあまり変化がなく、前後に2週間ずらして作付けをした時に、交雑率が顕著に低下したと報告している。また自殖性のイネの例ではあるが、Shivrain et al. (2009)のように、開花の類似度がほとんど交雑率と相関しなかったという報告も存在する。 Shivrain et al. (2009)では、開花の類似度を示す指標が正確ではないという点が、Della Porta et al. (2007) と Halsey et al.(2007)では開花時での開花期の差異ではなく、作付け時の差異を基準にしているという点がそれぞれ影響していると考えられる。
従来の開花の類似度の評価は、中山・山口(2002)では開花の重複日数が、Simard and Legere (2004)や Roumet et al. (2013)では種子親の開花期全体のうち、花粉親の開花期と重複していた日数の割合を利用していた。例えば、開花期の重複日数では、種子親の開花日数が5日間で全期間が花粉親の開花期と重複していた場合と、種子親の開花日数が20日で、そのうちの5日間で花粉親の開花期と重複していたとした場合とで、重複日数は同じ5日であるが、種子親の交雑率は大きく異なるであろう。種子親の開花期全体のうち、花粉親の開花期と重複していた日数の割合はこの問題を改善するために導入された指標であるが、花粉親の開花期の終期と、種子親の開花期の全期間が重複していた場合と、開花の推移が完全に一致した場合とで、重複の割合はともに最大値の1となるが、期待される交雑率は大きく異なると考えられる。このような指標を使って交雑率との関係を調査した場合、開花のパターンによって結果が大きくバラつくのは避けられない。
イネなどでは、出穂期以降の高温障害を避けるため、出穂期の予測研究が盛んに行われている。例えば東北地方では、移植時期の気温が低く、1月程度移植日を遅らせても、出穂期の差は8日から23日と移植日の差ほどは出穂期の差は開かず、年次間変動も大きいことが報告されている(佐々木ら 2009)。このように、作付け時期を一定程度ずらしたことによって、開花期にどの程度の差が生じるかは、品種や、気象条件によって大きく左右されることとなる。イネの出穂のように関心が高い現象に対しては、中川ら(2011)のように、発👉指標モデルを用いて、品種の違いや、気象条件の変動を考慮しながら十分な生👉期間が確保できる最も遅い移植日の推定や、移植日操作による高温期出穂の回避が試みられている。しかしながら時間的隔離の効果を検証する時に、作物の開花期予測モデル等を併用した研究は行われていない。これらの要因が、先行研究において、時間的隔離の効果に関する報告の結果が一致していないと考えられる。
これらの問題を解決するために、開花期の類似度と交雑率との関係をよりよく記述する開花の類似度を示す新たな指標の開発し、作期の移動や作付け時期そのものが、開花時期に与える影響できる開花予測モデルを利用することで、時間的隔離の効果はより正確に評価できるようにする必要がある。そこで本研究では、世界で最も広く栽培されている組換え作物であるダイズと、我が国に広く分布するその近縁野生種であるツルマメを材料として、時間的隔離手法を用いた交雑リスク評価手法を確立することを目的とした。
第2章では、ツルマメとダイズの交雑実験において、開花の類似度を正確に評価するため、それぞれの種の開花数の推移を確率密度分布として扱い、2種間の開花の類似度を2つの確率密度分布間の距離として取り扱う、新しい指標を提案する。
第3章では、ダイズとツルマメでは確認が難しい、開花類似度と交雑率の関係を評価するために、イネのウルチ・モチ系統の交雑によるキセニアを用いた実験結果について報告する。
第4章では、作付け時期を変えた時に開花の類似度に与える影響を評価するために、日本5地域のツルマメ系統の開花予測モデルを構築し、広域での開花予測の可能性を評価する。
第5章では、正確な開花の類似度指標と、気象情報を用いた開花予測モデルによる、時間的隔離手法の実現について考察する。