完全人工光型植物工場での栽培植物の生育を診断する手法の提案
概要
1.1.植物工場の概要と課題
日本の食料自給率は1965年以降減少しており、2017年度では供給熱量ベースで38%まで減少している1 . 1 ) .この原因の一つとして、農業従事者人口の減少が挙げられる. 農業を主として従事する基幹的農業従事者は減少し続けており、2010年から2018年で260.6 万人から168.1 万人まで減少している1 . 2 ) .従事者の平均年齢は66.6歳であり、7割近くが65歳以上の高齢者と高齢化が進んでいる.また、冷夏、日照不足、大雨など異常気象による不作や豪雨、台風などの自然災害の増加なども、食料自給率低下の原因として挙げられる.
一方、古くは公害による化学物質の食品への混入1 . 3 )や、近年では食品メーカーの製 造工程上での化学物質の混入などの食品事故1 . 4 ) 、また細菌混入による食中毒事故1 . 5 )などが発生している.2001年以降、残留基準値を超過する中国産の生鮮野菜や冷凍野菜の残留農薬、無登録農薬の販売など農薬に関する事件が続発した1 . 6 ).2011年の東日本大震災の際に発生した福島第一原子力発電所事故では、農作物や土壌への放射能汚染が問題になった.一方、アメリカから多く輸入しているダイズ、トウモロコシにおける遺伝子組み換え作物の割合は、2000年から2005年の間に、ダイズは54%から87%に、トウモロコシは25%から52%と増加している1 . 7 ) .2014年に行われた消費者への意識調査では、「輸入食品、食品添加物、放射性物質、遺伝子組み換え食品に不安を感じる」という回答が50%を超えていた1 . 8 ) .このように、近年食品の品質や安全性についての関心が増加している.
食料自給率の低下や食品の品質や安全を保障する解決策の一つとして、閉鎖環境で安全に農作物を栽培できる植物工場に、注目が集まっている.植物工場は、施設内で光、温湿度、CO2濃度、養分、水分などの生育環境を制御することができる.そのため、作物は台風などの自然災害による被害を受けず、生育環境を一様にすることで品質を揃えやすいという特徴がある.また、閉鎖空間での栽培のため、外部からの虫や微生物の侵入を妨げることができ、付着微生物が少なく、残留農薬もない清潔な野菜を栽培できる. 露地栽培の野菜より長持ちする特徴があるが、これは付着微生物が少ないためと考えられる1 . 9 ).近年では、野菜を周年で栽培するだけでなく、露地栽培された野菜よりも高品質、栄養価が高いなどの付加価値をつけることも目標とされている.
植物工場は、温室などで太陽光を利用する「太陽光型植物工場」、工場や倉庫などの閉鎖環境で太陽光の代わりに人工光を利用する「人工光型植物工場」に分けられる.「太陽光利用型植物工場」は、温室でエアコンなどの空調機器を用いて室内の気温を制御して、促成栽培を行う施設である.太陽光利用型植物工場ではトマトやパプリカなどの果菜類、果実、花きなどが栽培されている.太陽光を利用するため、気候により収穫量が左右される.「人工光型植物工場」では、生産性を高めるために水耕栽培を採用し、光源付きの5~15段程度の多段棚で栽培される場合が多い.「人工光型植物工場」は、立地場所を選ばず、非農地、栽培不適地での農業生産が可能である.そのため、空き店舗、 空きオフィス、空き工場、空き倉庫などへの設置でき、不況による遊休資産の活用を目 的として植物工場を建設した企業もある.人工光型ではレタスなどの葉菜類が栽培されている.なお、「太陽光型植物工場」のうち、補光のため人工光を併用する工場は「太陽光人工光併用型植物工場」と呼ばれる.
海外での植物工場としては、オランダがかけての第 2次ブームでは国が「先進的農業生産総合推進対策事業」を導入したことで企業の参入が促進された.これを受けてキューピーが植物工場を作り工場産野菜を販売した.2010年頃に第 3次ブームが到来し、LEDなどの光源の革新やエネルギー効率の改善などにより産業として植物工場が注目されたが、高いイニシャルコストおよびランニングコスト、低い収益性のため、普及は停滞していた.2011年の東日本大震災での津波による農地の塩害化や農地の放射能汚染が問題となり、その対応として場所を選ばず、土壌汚染等の影響を受けずに栽培できる人工光型植物工場のメリットが注目されるようになった.有名である.オランダでは太陽光型植物工場が主流であり、これは日本ほど高温な夏季ではないため夏季における温室内の冷却負荷が小さく、また安い天然ガスを利用することでエネルギーコストを小さくできるためである1 . 1 0 ).日本や東アジアでは人工光型植物工場が多く建設されており、季節による温度差が大きいことと土地を有効利用するためであると考えられる.日本での植物工場の研究は日立製作所から始まった.1980年代に第 1次ブームが始まり、つくば科学万博で回転式レタス工場が展示された.1990年代の前半から後半にかけての第 2次ブームでは国が「先進的農業生産総合推進対策事業」を導入したことで企業の参入が促進された.これを受けてキューピーが植物工場を作り工場産野菜を販売した.2010年頃に第 3次ブームが到来し、LEDなどの光源の革新やエネルギー効率の改善などにより産業として植物工場が注目されたが、高いイニシャルコストおよびランニングコスト、低い収益性のため、普及は停滞していた.2011年の東日本大震災での津波による農地の塩害化や農地の放射能汚染が問題となり、その対応として場所を選ばず、土壌汚染等の影響を受けずに栽培できる人工光型植物工場のメリットが注目されるようになった.
現在、日本で稼働している植物工場の施設数は、人工光型植物工場が2011年から2015年で64件から185件に、太陽光型植物工場は13件から195件に急増し、それ以降も増加している.また、太陽光利用型植物工場で施設面積が1ha以上の施設は、2015年は79か所であったのが2018年では160か所まで増加している1 . 11 ) .植物工場における収益として、黒字・収支均衡であった事業者は全体の51%であり、太陽光型植物工場が57%と高く、太陽光人工光併用型植物工場、人工光型植物工場では、赤字の事業者が半数を超えていた.年間売り上げが1千万未満の工場が約 5割、1~5千万未満、5千万~ 1億未満の工場が約 2割ずつという現状である.
以降では、主に人工光型植物工場に着目して述べることとし、単に植物工場と略記する.植物工場での生産工程は、まず種子を播いて発芽させる播種、一定の大きさまで苗を育てる緑化、隣り合う苗と葉が当たらないように間隔をあけて移植した後生育させる育苗、生育させた苗を栽培パレットへ移植する定植、そして収穫の5工程である.植物工場において、栽培室の温湿度、風速などを制御するための空調設備として、空 調機、ファンなどがある.栽培室の壁面には、夏季や冬季での外気からの熱の侵入を妨げるため防熱を施す必要がある.太陽光の代わりとして蛍光灯やLEDなどの照明機器がある.水耕栽培を採用しているため、養液のポンプなどの循環装置、養液の成分調整装置などが挙げられる.生育を促進するためにCO2を施肥する工場では、CO2濃度の制御装置なども必要である.また、塵、雑菌、害虫などの侵入を防ぐため、前室にエアシャワーを設けている工場もある.また、水耕栽培であるため、養液を循環させるためのポンプや成分調整のための機器の必要である.その他、効率化のため様々な工夫が行われている.大規模な植物工場では、定植後の栽培パレットを栽培棚へ搬送する自動搬送 装置や自動収穫装置などの機械を導入することで省人化が図られている.効率よく栽培するため、IoT機器による環境モニタリングが行い、モニタリング結果をAIによって最適な制御条件を調べることも行われている.大規模な完全人工光型植物工場では、リフトやコンベヤーなど自動搬送装置の導入によって、坐位作業のみに制限する可能である.このことにより、高齢者や障がい者の就労場所として期待できる1 . 1 2 ) .
植物工場におけるコストで大きく占めるものとして、1)人件費、2)減価償却費、3)光熱水費が挙げられる.光熱水費として、太陽光代わりの照明、空調機器の電気代、養液に用いる水道代などが挙げられる.減価償却費は植物工場の初期設備費用である.
1.2.植物工場における植物の生育予測や空調制御に関する研究
植物工場の課題である収益向上およびコスト削減のためには、適切な栽培計画が必要である.正確な栽培計画を立てるためには、栽培環境に応じた生育予測手法が必要であると考える.そのため、栽培環境が植物の生育におよぼす影響を調べる必要がある.
植物の葉には気孔と呼ばれる通気孔があり、外気との相対湿度差(飽差)により開口度が変化することが報告されている.その開口度に応じて外気より植物が吸収するCO2の量が変化する.つまり、光合成に用いるCO2 量に、飽差が影響をおよぼすことになる.また、図1.1に示すように葉の表面には葉面境界層と呼ばれるごく薄い空気層が存在する.光合成に用いるCO2や蒸散による水蒸気をこの境界層を通して葉内と外気との間で交換する.矢吹ら1 . 1 3 )は風速と光合成速度の関係を調べる実験より、風速が低い範囲では風速の増加に伴って光合成速度も増加するが、最大値に至るとその後は風速の増加に伴って減少する傾向を示すことが報告している.これは、風速の増加に伴って葉面境界層が薄くなって抵抗が減少するため、CO2の吸収量が増加するため光合成速度が増加したと結論付けている.さらに風速が増加した場合、葉面境界抵抗が減少するが、 蒸散による水蒸気の放出も促進されるため、光合成速度が抑制される.このように、植物の生育は、風速の増加に伴って増加し、一定値に達するとその後は減少する傾向を示す1. 1 3 ).
日差しが強く光量子の量が多いほど光合成速度が増加し、重量が増加することが知られている.一方、光の波長の違いでも生育が異なり、長い波長(青色光)では生育初期の成長量が増加し、短い波長(赤色光)では生育中期の成長量が増加することが知られている.また、赤色光と青色光を組み合わせ、その比率を調整することで、レタス中の抗酸化成分を増加できると報告されている.
完全人工光型植物工場では照明機器としてハロゲンランプやHf 蛍光灯が用いられていたが、近年はLED照明を使用する工場が増えている.植物工場における照明機器は、 一般の建物よりも使用される台数が多いため、点灯時に発生する熱量により工場内の気温に影響を及ぼすことが考えられる.そのため、空調設備の容量を選定する際には照明機器より生じる熱量も考慮して選定する必要がある.また、植物は葉温調節のため蒸散を行うため栽培室内の相対湿度が上昇するが、結露による機器の漏電やショートを防ぐため湿度を制御する必要がある.
植物の生育予測手法として、さまざまな手法が用いられている.川崎ら1 . 1 5 )は栽培中の気温を積算した値から開花日や収穫日を予測する積算温度法を提案した.岩田 1 . 1 6 )や江畑ら1 . 1 7 )は生育下限温度を設定しそれ以上の有効温度を積算した値から生育を予測する有効積算温度法を提案している.また、気温のみでなく日照時間による影響も考慮したDVR(DeVelopmental Rate)法による生育予測手法を堀江ら1 . 1 8 )が提案している.これらは露地栽培についての研究であり、気温や日照以外の植物の生育に影響を及ぼす要 素について考慮されていない.また、伊藤らは成長解析と呼ばれる乾燥重量(以降では、 乾重量と呼ぶ)の変化より導出した相対成長速度を比較して栽培環境による生育量の違いを調べる手法を示している.伊藤ら1 . 1 9 )は植物工場においては栽培期間中の気温、湿度、光強度、CO2濃度、養液pH、養液濃度、養液温度の計測結果を重回帰分析による解析式より、収穫重量を予測する手法を提案している.これは計測した栽培条件における解析結果であるため、我々の生育予測手法には適用できない.小松ら1 . 2 0 )は空調シミュレーションツールに植物活動を反映した成長解析手法を提案している.栽培環境による植物生理を連動させた生育予測手法が可能である.一方、柴田ら1 . 2 1 )は栽培中の生育 状況のモニタリング手法として、レタス栽培中の水平投影画像から線形回帰モデルによりレタス地上部の重量の経日変化を近似する手法を研究している.これは栽培初期でのレタスの水平投影画像から生育状況の確認および収量を予測する手法である.また、坂井ら1 . 2 2 )は葉のクロロフィル蛍光を画像で計測することで、栽培植物の光合成機能診断を行う試みも行われているが、この手法は光合成機能の活性を判定するものであり、収穫重量には適用できない.
庄子ら1 . 2 3 )の栽培実験では、照明に用いるLEDにおける赤色光と青色光の割合によりレッドリーフレタスに含まれるアントシアニン量が増加することより光の質によって栽培植物の機能性成分を増加することができることを示した.同様に前田ら1 . 2 4 )によってブロッコリースプラウトのポリフェノール量が光質により増加することが報告されている.
1.3.本研究の目的と意義
完全人工光型植物工場において、効率よく運営するには栽培環境に対応して生育を予測し、栽培環境を診断する手法が必要であると考える.植物工場における栽培環境の診断とは、まず栽培環境の実測もしくはCFDによる解析結果に基づいて、栽培植物の収穫量を予測する.次に予測した収穫重量から生育状況を評価し、生育状況がよくない場合は収穫重量と栽培環境の分布から生育を向上させるための改善項目を挙げることである.栽培環境の診断結果に基づいて、照明の配置や空調機器の制御条件などの改善点を見つけることができる.植物の生育予測手法はこれまでにいくつも提案されているが、実際の栽培環境では生育におよぼす影響が複雑に重なり合っていると考えられ、既往の研究だけでは対応できないと考える.完全人工光型植物工場に適用するには、光強度、 CO2濃度、気温、相対湿度、風速など複数の要素による影響を考慮する必要がある.それらが植物生理に基づいたものであるならば、実験で使用されなかった栽培条件でも生 育量を予測することができる.植物の成長は光合成などの植物生理に基づくものと、植物の葉や茎の大きさの成長が連動していると考えられる.前述したように気温や日照時間や光の強度、波長が生育におよぼす影響に関する研究は多い.しかし、実際の植物の生育環境は、既往の研究では網羅できていないと考えられる.そのため、環境診断手法は光合成や蒸散などの植物生理、気温や光強度などの植物の生育に影響をおよぼす複数の要素、加えて植物の葉の成長量による影響も組み込む必要があると考える.また、植物の成長曲線はS字曲線で近似されるが、植物工場における定植から収穫までの期間における植物の茎や葉の大きさの成長は、S字曲線の初期の指数関数的に成長する部分である.これまで光合成速度と葉の指数関数的な成長の両方を扱っている手法はみあたらない.そのため、光量子を受光する葉の面積の成長速度が組み込むことで、より正確な生育量が算出できると考える.また、栽培植物からの蒸散により栽培室内の相対湿度が上昇することが考えられる.そのため、栽培室内の空調制御条件を検討する際には、植物からの蒸散量を考慮する必要がある.
上記のことより、本論文では完全人工光型植物工場における栽培環境を診断できる手法として空調シミュレーションツールの開発を行う.このツールは、植物活動を組み込んだCFDと、光合成速度と葉面積の成長曲線とを連成させた生育予測手法を組み合わせたものである.植物活動を組み込んだCFDにより、植物による蒸散や光合成を考慮した気温、風速、相対湿度およびCO2濃度などの栽培環境分布を解析することができる. 生育予測手法は、CFDによる解析結果や植物工場における計測値に基づいて栽培植物の収穫重量を算出することができる.この手法を用いることで植物工場の設計時に、植物工場内の空調分布や栽培植物に適した空調および証明設備の選定や空調設備の制御条件を決定することができると考える.また稼働中の植物工場に適用して、気温、相対湿度、風速、CO2濃度などの条件から植物の生育状況を予測し、照明機器の設置箇所や空 調設備の制御条件の変更などの改善案を検討することが可能になると考えられる.
1.4.本論文の構成
本論文では、植物工場における照明機器の設置箇所や空調設備の制御条件の変更などの改善案を検討するため、空調や照明による環境制御に応じた生育予測法を提案する.まず、2 章で実稼働中の植物工場における栽培環境や植物の収穫重量の分布を調べる.実稼働工場におけるレタスの収穫重量や光量、空調環境を計測し、収穫重量と栽培環境の関係について考察する.3 章では、CFDに光合成速度、蒸散、成長曲線を組み込んだ空調シミュレーションツールを作成する.4 章では前章で作成したツールを用いるために、照明装置における光と熱のエネルギー分配比率を調べるための照明実験や、生育に及ぼす気温や風速、CO2濃度の影響を調べるためレタスの栽培実験を行う.実験結果を分析して、空調シミュレーションツールに用いる諸定数の同定を行う.5 章では、空調シミュレーションツールの植物工場への有用性を示す.まず、植物活動をCFDに組み込んで植物による栽培室内の空調環境への影響を調べる.次に2 章の実稼働工場での計測値をツールに適用して、空調シミュレーションツールの予測精度を確認する.