疾患メカニズム解明のためのウイルス感染動態の定量的・予測的研究
概要
ウイルス感染による疾患は時間とともに進行する。ウイルスの感染動態を数理モデリングによって理解する研究は“Virus Dynamics”と呼ばれ、2000 年前後から、疾患メカニズムの理解や標準治療の確立に大きく貢献をしてきた。時系列データと数理モデルを用いることで、スナップショットでの観測からは得難い感染動態の知見を、時間軸を含めて評価することが可能になった。
本論文は、数理モデリングと感染実験という、異なる分野のアプローチを組み合わせた異分野融合研究で、同じウイルスのなかで、異なる感染動態を示す2株について、その違いを生むメカニズムを解き明かすことを目指すものである。 第一章では、 ヒト/ サル免疫不全ウイルス(simian/human immunodeficiency virus, SHIV)に着目した。高病原性で感染によって免疫不全を引き起こす SHIV-KS661 株と、低病原性の SHIV-#64 株をそれぞれ培養細胞に感染させ、未感染細胞数、感染細胞数、ウイルス量、感染力価の時系列データを取得した。感染細胞から産生されるウイルスについて、感染性の消失を考慮したウイルスダイナミクスを記述する数理モデルを用いて、実験データの定量的な解析を行った。ベイズ推定によって得られた感染動態を表すパラメータの分布の比較から、高病原性の SHIV-KS661 と低病原性の SHIV-#64 で、ウイルス粒子の産生効率に違いはなかったものの、SHIV-KS661 の方が効率的に感染性のあるウイルスを産生していることを示した。その結果、1つの感染細胞が生み出す二次感染細胞の数と、細胞死までに産生する感染性のあるウイルスの量が SHIV-KS661 で高いことを見出した。病原性の違いを生むメカニズムを明らかにすることは、効率的な抗ウイルス治療の標的の決定など、ウイルス疾患の制御に新たな知見を与える可能性がある。第二章では、C 型肝炎ウイルス(hepatitis C virus, HCV)に着目した。HCV JHF-1 株と HCV Jc1-n 株は、同じ HCV でありながら、細胞内の異なる場所で粒子会合を行い、産生されるウイルス粒子の量が異なる。それぞれの HCV 株の培養細胞への感染実験で、未感染細胞数、感染細胞数、細胞内ウイルス量、細胞外ウイルス量、感染力価の時系列データを取得した。第一章で用いた数理モデルを拡張した、細胞内のウイルス複製と細胞感のウイルス感染を同時に記述するマルチスケールモデルを構築し、実験データの解析を行った。2株の比較から、HCV JFH-1では細胞内でのウイルスの蓄積率が高く、結果として、感染サイクル全体でのウイルス増殖率が高いことを示した。反対に、HCV Jc1-n は、効率的に標的細胞に感染し、多くのウイルスを細胞内から子孫ウイルス粒子として放出していることを示した。さらに、細胞内ウイルスの放出率が、ウイルスが細胞内にとどまるか、細胞外へ出ていくかを決めると考え、ウイルス増殖率と累計新規感染細胞数の感度解析を行った結果、JFH-1 はウイルス増殖を最大化しており、Jc1-n は感染の伝播を最大化していることを見出した。感染実験とマルチスケールモデルの組み合わせることで、ウイルスの感染戦略を議論するフレームワークを構築することに成功した。