水やアルコールを求核剤として用いた相間移動触媒によるエステル類の不斉変換法についての研究
概要
相間移動触媒(Phase-Transfer Catalyst, PTC)は脂溶性の有機溶媒と水溶液のようなお互いに混合しない相を用いた反応系において、一方の相からもう一方の相への物質移動を促進させることで反応を加速させることが可能な触媒である。代表的な PTC として四級アンモニウム塩、ホスホニウム塩などが知られており、自身の対イオンとしてアニオン性の反応剤を二相の間で移動させることで反応を触媒する。これらの触媒系は水や空気に対して安定である点や有毒な金属を必要としないといった特徴を有しており、実験室から工業スケールでの合成において利用されている。
また、シンコナアルカロイドから調製されるキラル四級アンモニウム塩を始め、不斉を有する相間移動触媒を用いた不斉反応についても精力的に研究が行われてきた。これまで、炭素求核剤や窒素求核剤を用いた種々の不斉反応が報告されている一方で、酸素求核剤を用いた相間移動触媒による不斉反応は例が非常に少なく、研究の余地が残されている。利用可能な求核剤のカテゴリを拡張することができれば、合成可能な光学活性化合物の種類を大きく広げることが可能となり、有機合成化学の発展に寄与することができると考えられる。
そこで著者らは、酸素求核剤を利用した不斉相間移動触媒による不斉変換法の開発を行った。塩基水溶液に含まれる水酸化物イオンを求核剤として利用した研究として、N-保護アミノ酸エステル類の不斉塩基加水分解反応を開発し、対応する N-保護アミノ酸を最大 96:4 のエナンチオマー比(er)で動的速度論分割的に得ることが可能であることを見出した。また、基質のラセミ化がエステルの分子内環化によって生じるアズラクトンを介して起こり、系中で生じるアルコキシドによってアズラクトンの加アルコール分解が起こっている可能性が示唆された。この知見を基に、不斉塩基加水分解反応の条件に当量のアルコールを加えることでアミノ酸エステルやアズラクトンといったアミノ酸誘導体の不斉加アルコール分解反応を開発し、目的とするアミノ酸エステル類が高収率、高立体選択的に進行することを見出した (最大 99%収率、99:1 er)。これら不斉塩基加水分解や加アルコール分解反応について配座探索プログラム (ConFinder)と密度汎関数理論 (DFT)計算を組み合わせた詳細な計算化学実験を行い、水素結合やπ-πスタッキングといった非共有結合性の相互作用が立体選択性の発現に寄与している可能性が示唆された。さらに、チオウレア/ホスホニウム二官能性相間移動触媒を用いたエノールエステルの不斉プロトン化において、添加剤であるアルコールによる加アルコール分解が中間体であるエノラート生成に大きくかかわっていること、ホスホニウム塩触媒の脱プロトン化によるベタイン中間体の生成、チオウレア部分の重要性を実験から明らかにすることに成功した。