書き出し
「ヘブライ語で言った」 : ヨハネ20:16におけるマリアの言葉の史的背景
概要
ヨハネ福音書における復活物語の中に、マグダラのマリアが復活したイエスと出会う場面がある(20 : 11-18)。マリアが空の墓の外で泣いていると、イエス が現れたが、マリアはそれがイエスだと認識せず、園丁だと思っていた。イエ スが「マリア」と呼びかけると、彼女は振り向いて、「ヘブライ語で」ラボニ、と言った。ここには「『先生』という意味である」という注釈がつけられている。
ここで「ヘブライ語で」(実際にはアラム語であるが)と注釈がつけられているのはなぜであろうか。ヘブライ語やアラム語の単語はすでに繰り返し現れているし、注釈もつけられている(例えば1 : 38、1 : 41、1 : 42など)。しかし言語について言及されているのは20 : 16のみである。
本小論は、「ヘブライ語で」という表現について、福音書の文脈の中でどのような意味を持っているのか、またこれがどのような機能を果たしており、どこに由来する表現であるのか、という点を検討する。
過去の研究について、多くの注解書ではこの部分について、「ラボニ」という 単語の方に注目し、それがヘブライ語ではなくアラム語の誤りであるという点、その言語的由来、その神学的意味について言及する1。しかし「ヘブライ語で」 という表現そのものへの言及は僅かであり2、またその社会的文脈に関する言及は管見の限り存在しない。本論文はこの欠落を埋めようとするものである。