低重力下における不飽和多孔質体中の浸潤速度低下機構の解明
概要
1 問題意識と目的
日本を含む24か国の宇宙機関が参画する国際宇宙探査協働グループ(ISECG)は、2028年までに月とその周辺に人類が持続的に滞在できる環境を構築するアルテミス計画を進めている。地球外環境下における植物栽培は、食料生産、空気のリサイクル、廃水処理、宇宙飛行士のストレス緩和環境の提供という4つの理由から必要不可欠である。しかし、国際宇宙ステーションにおいて栽培したレッドロメインレタスは水ストレスによって枯死したことから、植物を安定的に生育させるためには、低重力下における培地中の水の動きを理解し、水ストレスを回避することが不可欠である。
1990年代前半まで、1G下における水平方向の水分フラックス密度は重力の影響を無視できるので、微小重力下における水分フラックス密度は、1G下における水平方向の水分フラックス密度と変わらないと考えられていた。実際に、密に充填された飽和多孔質体中では、飽和透水係数はほとんど重力に依存しないことが報告されており、微小重力下における飽和多孔質体中のマクロな水分移動シミュレーションにダルシー式が適用可能である。一方で、不飽和多孔質体中をマトリックポテンシャル勾配によって駆動される水分フラックス密度は1G下よりも小さくなるか、0であると報告されている。そこで、本研究は、不飽和多孔質体中の水分フラックス密度が微小重力下において低下する理由を明らかにすることを目的とした。
不飽和多孔質体中の水分フラックス密度の重力依存性は以下の2つの仮説によって発現すると考えられる。第1の仮説は水の見かけの物性が重力に依存する可能性である。不飽和多孔質体中の水分フラックス密度を記述するダルシー・バッキンガム式によると、水分フラックス密度は接触角、水の表面張力、水の粘度の関数である。これらの見かけの物性が重力に依存して変化すれば、水分フラックス密度も重力に依存すると考えられる。第2の仮説は多孔質体の複雑な間隙形状によって水分フラックス密度を制御する成分である固有透過率が重力に依存する可能性である。固有透過率の重力依存性を明らかにしようとする試みは、多孔質体中の浸潤をマクロスケールで観察することで行われているが、未だ原因の特定には至っていない。そこで、第3章では多孔質体よりも形状が単純であるガラス管中に拡張、収縮、分岐、屈曲を作成し、微小重力下において間隙の複雑な形状が水分フラックス密度に与える影響を評価した。また、第4章では、微小重力下、1G下において不飽和多孔質体中の浸潤を、先行研究によって着目されてきたマクロスケールよりも小さい、間隙スケールで観察することで、間隙形状が水分フラックス密度の重力依存性に与える影響を評価した。
2 構成及び各章の要約
第2章では、接触角、水の表面張力、水の粘度の重力依存性をそれぞれ評価した。接触角は平板上を静止する半径2.0mmの蒸留水の液滴について測定した。マイクロピペットによってポリカーボネート板上に蒸留水を2μL滴下し、マイクロスコープによって液滴を水平方向から撮影した。液滴を滴下したポリカーボネート板とマイクロスコープは実験カプセルに格納し、全長2.85mの落下施設から自由落下させることで、約0.6sの微小重力環境を作出した。落下前(1G下)と落下中(微小重力下)の接触角を2倍角法によって計測した。微小重力下における液滴の接触角は半径が毛管長よりも小さい場合、1G下とほとんど変わらなかった。多孔質体の間隙半径は一般的に蒸留水の毛管長である2.7mmよりも小さい。従って、多孔質体の間隙中では接触角は重力に依存しないことが分かった。
水の表面張力は溶液中に鉛直に挿入した細管内の気体に外部から圧力をかけ、気泡を連続的に形成した際に発生する最大圧力から算出した(最大泡圧法)。航空機を用いた放物線飛行により微小重力、月重力、火星重力および1G下において表面張力を測定したが、表面張力と重力加速度の間に有意な相関関係はなかった。
水の粘度は先行研究によって2種類の測定方法で評価されており、音叉型振動式粘度計で測定した粘度は重力と負の相関があった一方、圧損式粘度計で測定した粘度は重力に依存しなかった。即ち、どちらかの測定方法では微小重力下における粘度を正しく評価できなかったと考えられるので、それぞれの粘度計の測定原理について考察した。音叉型振動式粘度計は検出部が振り子運動をしているので、固有振動数が重力に依存して変化する可能性があることを指摘した。一方、圧損式粘度計には、重力によって変化する可能性がある変数はなく、微小重力下において正しく粘度を評価できたと考えられる。また、飽和透水係数は重力によって変化しないこと(Heinse et al., 2005)や、微小重力下における真っ直ぐな毛管中の水分移動速度がシミュレーション値と一致すること(Sell et al., 1984)も粘度が重力に依存しないことを支持する。従って、水の粘度は重力に依存しない可能性が高いと結論付けた。
第3章では多孔質体よりも形状が単純であるガラス管中に拡張、収縮、分岐、屈曲を作成し、毛管上昇を観察することで、微小重力下において間隙形状が水分フラックス密度に与える影響を評価した。ガラス管をガスバーナーで熱することで直管、凹凸管、拡張管、縮小管、Y字管、T字管、螺旋管の7種類の形状の管を作成した。これらの管は塩ビ管を加工した水源の上に設置し、50m落下塔から自由落下させることで得た約2.4s間の微小重力下において、毛管上昇を観察した。界面は凹凸管の緩やかな拡張部を越えることができたが、拡張管の急な拡張部を越えることができなかった。また、界面はすべての縮小部を越えることができたが、急な縮小部を越えた後約0.28s間、水分フラックス密度が低下した。Y字管、T字管では、分岐の前後で水分フラックス密度は約半分に阻害された。これは根元の立ち上がり管内における摩擦力と水の粘性が分岐前後の毛管上昇圧力よりもはるかに大きいためであると考えられる。螺旋管中の水分フラックス密度は同じ管径の直管とほとんど変わらなかった。しかし、螺旋管の水分移動経路が屈曲していることで、管の高さ方向の水分フラックス密度は低下した。即ち、多孔質体中においてもフィンガー流が発達し、水分移動経路に分岐や屈曲が存在すると、水分フラックス密度は低下すると考えられる。
第4章では微小重力下、1G下において、密に充填した不飽和多孔質体中の間隙スケールの浸潤を観察し、間隙形状が水分フラックス密度に与える影響を評価した。先行研究と本研究の第3章の結果から、「間隙中の空気の補足」、「動的な間隙径の変化」、「間隙拡張部における浸潤前線の停止」の3つの原因によって固有透過率の重力依存性が発現すると仮説を立てた。本章では多孔質体を密に充填することで、「動的な間隙径の変化」を抑制し、「間隙中の空気の補足」と「間隙拡張部における浸潤前線の停止」の重力依存性を評価することを目的とした。「間隙拡張部における浸潤」は単一粒子上の間隙拡張部と粒子層境界に形成される間隙拡張部の2種類を観察した。アクリル製のヘレショーセルに直径0.8mmと1.0mmのガラスビーズを層状に充填した。落下塔からの50mの自由落下によって得た約2.4s間の微小重力下において、ヘレショーセル内を脱気蒸留水が浸潤する様子をハイスピードカメラで撮影した。また対照実験として1G下におけるヘレショーセル内の水平浸潤を観察した。マクロな水分フラックス密度は微小重力下では0.46mm/s、1G下では0.47mm/sであり、有意差は見られなかった(p=0.30)。即ち、多孔質体が密に充填されている場合、不飽和多孔質体中の水分フラックス密度は重力に依存しないことが分かった。また、「間隙中の空気の補足」は観察されなかった。「間隙中の空気の補足」は微小重力下において、ボトルのような巨大な空間が不飽和である場合に発生する。多孔質体中の間隙のように小さな空間では水は間隙全体を濡らし、「間隙中の空気の補足」は起こらなかった。さらに、単一粒子上の間隙拡張部と粒子層境界に形成される間隙拡張部の2種類の「間隙拡張部における浸潤」は、どちらも重力に因らず、一時的に浸潤を阻害した。即ち、「間隙中の空気の補足」と「間隙拡張部における浸潤前線の停止」は固有透過率の重力依存性の発現に関与しないことが分かった。本研究で得られた結果は、微小重力下において、不飽和多孔質体中では水分フラックス密度が1G下よりも小さくなるか、0であった先行研究の結果と矛盾する。これは、多孔質体粒子が移動できるほど間隙率が大きい場合に、間隙径が動的に変化することによって、固有透過率の重力依存性が発現するからだと考えた。また、微小重力下、1G下ともに、間隙スケールの浸潤過程について以下に示す興味深い現象が観察された。即ち、間隙スケールの浸潤過程では、浸潤前線が振動、前進、後退を繰り返した。また、浸潤に必要な水は水源だけでなく、周囲のすでに濡れた間隙からも供給されることが分かった。さらに、濡れた間隙はマトリックポテンシャルによって「綱引き」の関係にあり、間隙25個分離れた位置にある浸潤前線の動きが互いに同期することが分かった。また、「綱引き」によって発生する慣性ポテンシャルは水が間隙拡張部を越えるために重要であることが示唆された。
本研究の成果を総括すると、低重力下における不飽和多孔質体中の水分フラックス密度の低下は固有透過率の重力依存性によって発現する。多孔質体の間隙率が十分に大きく、粒子が多孔質体間隙中を移動できる余地があるとき、「動的な間隙径の変化」によって、固有透過率は重力に依存する可能性がある。また、「間隙中の空気の補足」と「間隙拡張部における浸潤前線の停止」は固有透過率の重力依存性の発現に関与しなかった。また、間隙径が水の毛管長である2.7mmより小さい多孔質体中では、接触角、水の表面張力は重力に依存せず、水の粘度も重力に依存しない可能性が高いことが分かった。従って、水の見かけの物性は、不飽和多孔質体中の水分フラックス密度の重力依存性に関与しないことを明らかにした。