マンゴー樹(Mangifera indica)の耐冠水性と接ぎ木部水没の関係
概要
1 問題意識と目的
(第1章)
近年進行している地球温暖化により,降水量の増加とともに,極端な降雨現象のリスク増加(Christensenら,2013)が危惧されている.極端な降雨現象の増加は,洪水多発の原因となりうるが,果樹生産では同じ樹体を長期間にわたり利用することから,洪水被害は長期間に及ぶ(World Bank, 2012)ことが指摘されている.
マンゴー樹は熱帯果樹の中でも耐冠水性を有する果樹である(Schaffer, 1992)と考えられているが,地下部水没による被害は各所で発生しており,多くの研究が行われている.Larsonら(1991a)は,マンゴー実生樹の地下部が水没すると,純光合成速度(A)や気孔コンダクタンス(gs)の低下,根の成長量の減少が示されることを報告している.また,地下部水没時,幹に形成されることが知られている肥大皮目については,水温(Larsonら,1991b)や溶存酸素量(Larsonら, 1993)が影響することが報告されている.
一方,近年洪水が多発している熱帯アジアのマンゴー生産地域では,同じ圃場条件で洪水の被害に遭遇した場合,接ぎ木樹では枯死するが,実生樹では枯死しないことが経験的に知られている.そのため,接ぎ木樹と実生樹では,地下部が冠水条件におかれた際の応答が異なる可能性がある.しかしながら,マンゴー接ぎ木樹が枯死する原因を調査した例は少ないのが現状である.そこで本研究では,マンゴー接ぎ木樹の枯死機構を解明することを目的とした.
2 構成及び各章の要約
(第2章)
マンゴー接ぎ木樹と実生樹における地下部冠水耐性の違いを調査することを目的とした.
無処理の対照区に加え,2段階の湛水条件を設定した.土壌表面から30cmまで幹を水没させた30cm湛水区と,土壌表面から10cmまで幹を水没させた10cm湛水区の2段階を設けた.30cm湛水区における接ぎ木樹では,接ぎ木部上,約5cmまで幹が水没していた一方,10cm湛水区では台木部のみが水没していた.30cm湛水区における接ぎ木樹では,処理期間中に葉の最大量子収率および根糖含量が減少し始め,処理終了後に枯死に至った.また,接ぎ木樹および実生樹ともに,どちらの湛水処理区でも根の呼吸活性やデンプン含量の低下が示された.しかしながら,10cm湛水区における接ぎ木樹や10cm湛水区および30cm湛水区における実生樹では,根の活力やデンプン含量は処理終了後2か月以内に対照区との差が見られなくなる程度まで回復,樹体は枯死に至ることはなかった.これらの結果から,接ぎ木部の水没が接ぎ木樹枯死の原因となっている可能性が考えられた.
(第3章)
前章の結果より,接ぎ木部水没が接ぎ木樹の枯死原因となっているものと考えられたが,接ぎ木部が水没する湛水処理を行った樹のすべてが同様に枯死するのではなく,穂木部が枯死しても台木部が枯死しない樹があるなど個体差が見られた.なお,台木部も含めて枯死した接ぎ木樹では穂木部が先に枯死し,その後台木部が枯死することから,光合成産物の転流が関与している可能性が考えられた.そこで本章では,接ぎ木部まで水没させた接ぎ木樹の根の呼吸活性と炭水化物の分配および落葉の程度について調査し,樹体の枯死機構について検討することを目的とした.
前章同様に,マンゴー接ぎ木樹を接ぎ木部上まで水没させたところ,湛水処理開始直後は,根の呼吸活性が低下することから根糖含量は増加するが,湛水処理が継続する間は根の呼吸活性が回復することがないにも関わらず,根糖含量は徐々に減少して対照区との差はなくなった.落葉の程度は個体差が大きく,根および台木木質部の糖含量と相関が見られた.湛水処理期間中の根の呼吸活性は根糖含量と正の相関が見られたことから,湛水処理による根の呼吸活性の低下は酸素不足のみに起因するのではなく,炭水化物の分配も関与するものと考えられた.
(第4章)
植物の地下部が冠水条件におかれると,根圏は酸素不足に陥ることから,溶存酸素量と樹体の生育との関係について盛んに研究が行われている(Wample・Reid, 1975; Harmsら, 1973; Pezeshki, 1991; Larsonら, 1993).しかしながら,マンゴー接ぎ木樹の場合,第3章より,根の呼吸活性の低下には,酸素不足のみでなく炭水化物の分配の減少も関与することが明らかとなっていることから,溶存酸素条件のみでは地下部冠水耐性を説明できない可能性もある.そこで本章では,湛水中の溶存酸素量の差異がマンゴー接ぎ木樹の生存に及ぼす影響について検討するとともに,接ぎ木部上まで水没させた場合の幹における,同化産物分配への影響について検討した.
本章では,無処理の対照区に加え,2段階の溶存酸素条件を設定した.処理期間中を通じて水中に通気し溶存酸素量を維持した湛水+通気区(溶存酸素量は6.35mg/L)と,極端に低下した時を除き通気を行わなかった湛水区(溶存酸素量は2.63mg/L)を設定した.なお,どちらの処理区でも幹は接ぎ木部上まで水没させた.
湛水中の溶存酸素量の減少は,葉の萎れを促進させたものの,正常な葉における水ポテンシャルに違いは見られなかった.水ポテンシャルの低下が示された時期は,溶存酸素量の違いに関わらず同時期であったことから,枯死に対してはあまり影響していないように思われた.幹穂木部における全糖および非還元糖量は,溶存酸素量の違いに関わらず,地下部冠水処理により増加した.このことから,地下部が冠水条件におかれたマンゴー接ぎ木樹では,接ぎ木部において転流糖であるスクロースを含む非還元糖の分配が制限されている可能性が考えられた.一方,還元糖については個体差が大きく有意差は示されなかったが,葉の萎れの程度と還元糖量の間には,有意な正の相関が示された.還元糖については,糖の分配の変化というよりも樹の被害の進行に伴い増加しているものと考えられた.また,溶存酸素量の違いに関わらず,穂木部皮部では組織崩壊も生じていたことから,マンゴー接ぎ木樹が水没した場合,台木部より穂木部でより被害を受けている可能性が示唆された.
(第5章)
果樹は一般に接ぎ木繁殖を行うことが可能なことから,地下部の湿害の軽減を目的とし,台木部に耐湿性を有する品種や近縁種を用いることが検討されている.バラ科を中心に有望な近縁種が見出されており(Tamuraら, 1995; Robbaniら, 2006; Pimentelら, 2014),果樹の地下部冠水耐性の向上に期待されている.マンゴー樹でも,近縁種にあたるM. gedebeやM. griffithiiは耐湿性があること(Eiadthongら, 1999)が知られていることから同様の取り組みが可能かもしれない.そこで本章では,タイ王国におけるマンゴー栽培において実際に利用されている穂木-台木の組み合わせにおいて,台木品種の違いが接ぎ木樹の耐冠水性に及ぼす影響について調査した.
台木‘ギャーオ’/穂木‘ナムドクマイ’および台木‘タラップナーク’/穂木‘ナムドクマイ’とした,2種類の接ぎ木樹を接ぎ木部上まで幹を水没させ,その耐冠水性を比較した.
台木品種の違いにより,接ぎ木樹の生存日数には違いが見られたものの,56日間の地下部冠水処理により,すべての樹体が枯死した.また,穂木部のみが枯死した樹もあったことから,地下部冠水害は,台木部に比べ穂木部で先行して被害を受けていたものと考えられ,台木品種を変更しても,接ぎ木部上まで幹が水没するような条件では,樹体の枯死を防ぐことは困難であると考えられた.
(第6章)
第4章において,接ぎ木部上まで幹が水没した場合,穂木部皮部が崩壊していたが,地下部が冠水条件におかれた場合,植物種によっては,皮部に破生通気組織が形成され,根とのガス交換の役割を有する(Chirkova・Gutman, 1972)ことが知られている.また,破生通気組織の形成にはペクチンをはじめとした構造性炭水化物の分解が関与する(Gunawardenaら, 2001)ことが知られている.そこで本章では,マンゴー樹の幹皮部崩壊とペクチン分解との関連性を明らかにするとともに,幹から放出される二酸化炭素の由来を明らかにすることを目的とした.
接ぎ木部上まで幹が水没した場合,穂木部皮部において,ヘキサメタリン酸画分のペクチンが有意に減少しており,構造性炭水化物の分解が穂木部皮部の崩壊に関与しているものと考えられた.また,地下部が冠水条件におかれると,幹からの二酸化炭素放出量が増加した.根のTTC還元力および穂木部皮部のペクチン含量と二酸化炭素放出量の関係を解析したところ,TTC還元力との間には一貫した傾向が示されなかった一方,穂木部皮部のペクチン含量が少ない樹では幹からの二酸化炭素放出量が増加していた.したがって,マンゴー接ぎ木樹の場合,幹からの二酸化炭素放出量増加の原因は,根とのガス交換の結果というよりも,幹におけるペクチン分解に伴う代謝活性の変化が影響しているものと考えられた.
(第7章)
前章において,穂木部皮部の崩壊にはペクチンの分解が関与している可能性が示唆された.また,第3章・第4章より接ぎ木部の水没は,穂木‐台木間の糖分配を変化させる可能性が示唆された.そこで本章では,穂木部で先行して皮部が崩壊する原因を明らかにすることを目的とし,接ぎ木部を介したオーキシンの穂木‐台木間の分配に着目し,接ぎ木樹が枯死に至るメカニズムを検討した.
約1か月の地下部冠水処理により,根の呼吸活性,幹からの二酸化炭素放出量および葉の気孔コンダクタンスの値に変化が見られた.この段階で樹を収穫したところ,穂木部皮部においてオーキシンが蓄積していた一方,第3章や第4章で示されたような糖の分配の変化や,第6章で示されたようなペクチンの分解はみられなかった.したがって,糖の分配の変化やペクチンの分解が生じる以前から,オーキシンの分配は地下部冠水処理の影響を受けているものと考えられた.茎に傷害が生じると,受傷部より上部でオーキシンが蓄積する(Asahinaら,2011; 朝比奈,2013)ことが知られており,細胞壁における壁タンパク質であり細胞壁構造を緩める作用をもつエクスパンシンを誘導し細胞壁多糖類の構造変化に関与する可能性(Asahina, 2015)が指摘されている.したがって,接ぎ木部の水没が穂木-台木間のオーキシン分配の変化が起因となり,穂木部皮部におけるペクチン分解や組織崩壊へとつながっている可能性が考えられた.
(第8章)
本研究から考えられるマンゴー接ぎ木樹の枯死メカニズムとしては,接ぎ木部の水没により,接ぎ木部を介した穂木‐台木間の物質分配に変化が生じ,穂木部にオーキシンが蓄積することが引き金となっている可能性が考えられた.モモ品種とユスラウメ台木の組み合わせでは樹体衰弱が発生するが,接ぎ木部の物質流動性の良否(矢野,2004)が影響すると考えられており,接ぎ木不親和性の一種と考えることもできる.マンゴー接ぎ木樹の場合は,通常生育条件下では顕在化しない一方,接ぎ木部が水没することにより,接ぎ木部における物質流動性に異常が生じている可能性が考えられた.また,蓄積したオーキシンが原因となり,穂木部皮部組織において構造性炭水化物の分解が生じ,穂木部皮部が崩壊,穂木部で先行して地下部冠水害の影響を受け,炭水化物が台木部に分配されなくなることで,台木部を含めた植物体全体の枯死に至っている可能性が考えられた.なお,マンゴー接ぎ木樹の枯死を防ぐためには,接ぎ木部を水没させないことが肝心であり,接ぎ木時に接ぎ木部の高さを確保することや,平坦地で栽培する場合には,高畝とすることで,接ぎ木部の高さを確保し,接ぎ木部の水没を防ぐことが現段階で対応可能な対策法であると考えられる.