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戦間期ヨーロッパにおける有機農業運動の史的研究―土壌・家畜・身体をめぐって―

御手洗, 悠紀 京都大学 DOI:10.14989/doctor.k24682

2023.03.23

概要

戦間期ヨーロッパにおける有機農業運動の史的研究
―土壌・家畜・身体をめぐって―
御手洗悠紀
本論文は、有機農業理論が早期に確立され、初期有機農業運動が生じた戦間期のドイツ語圏および
イギリス帝国に着目し、運動を支えた有機農業従事者および消費者の特徴や論理を明らかにする。戦
間期は、第二次世界大戦後にヨーロッパで成立する有力な有機農業団体の基盤となる、都市化や農業
の近代化に対抗する社会運動が生じた時期であった。これらの運動は、近代の都市生活を批判し、そ
して都市と対置される農村や自然の中に理想の生を求めた。言い換えれば、自らの健康を自省する形
で、自然との関わり方を問い直したのである。
従来の有機農業史研究は、主として中心的な役割を担う有機農法提唱者を対象とする思想史の形で
蓄積されてきたため、実際の有機農業実践については、ほとんど着目されてこなかった。そこで本論
文では、戦間期に登場した科学者や農法提唱者によるグローバルな自然保護主義の議論を有機農法支
持者がいかに受容し、実践へと落とし込んだかを明らかにする。また、本論文の特徴は、農と深く結
びつく食にも焦点を当てる点にある。食事は身体を構成する要素であるため、健康を自省する有機農
業運動内では、その改善が主張された。その際には、消費方法だけでなく、生産方法にも議論が及
び、食行動が農業実践を規定することもあり得た。
本論文は、両大戦間期ドイツ語圏の自然農法、バイオダイナミック農法、およびイギリス帝国のイ
ンドール方式、清潔な栽培法という具体的な実践を取り上げ、冒頭部に示した目的を達成するため
に、各有機農法支持者が発行していた書籍および月刊雑誌や内部向けの会報に掲載された記事の分析
を行った。記事を分析する際には、以下、三つの着眼点を利用した。①各有機農法の「担い手」の具
体化である。その際に、とくに自然観に光を当て、どのような自然の状態を理想とみなしたのかを示
す。②「土壌」に対する考え方の相違を明確化することである。各有機農法が当時の土壌問題をいか
に捉え、どのような代替案を提示したのか、とくに肥料と土壌耕作方法に着目して明らかにする。③
従来のヨーロッパ農業において重要な役割を担う「家畜」がいかに捉えられていたのかに焦点を当て
る。家畜は役畜、糞畜として重要であると同時に食資源でもあるが、家畜は管理コストや倫理的な面
で様々な課題を農業従事者にもたらした。
第一章では、戦間期ドイツ語圏に広まった生改革運動を基盤とする自然農法について、従事者が発
行した月刊雑誌『大地を耕せ!』に掲載された記事や広告の分析から、その実践の特徴を明らかにし
た。①自然農法の担い手は、都市に住む教養市民層が中心であり、農業ロマン主義的な都市批判を展
開した。②当時発展した土壌生物学の見解を動員し、土壌肥沃度が保たれていること、特に微生物の
活性化を重要視した。③菜食主義の理念から、家畜飼育を動物の搾取と見なして、家畜のいない農業
を目標とした。
第二章では、ドイツの人智学の中で生まれたバイオダイナミック農法の支持を訴えた論理および、
それに呼応した実践者の取り組みを明らかにするために、有機農業団体の内部報である『人智学協会
の農業試験サークル通信』(1926-1929)および機関紙『デメター』(1930-1941)の記事および投書を分

析した。①同農法は、思想家ルドルフ・シュタイナーの農業講座を基盤とするもので、当初は人智学
徒を中心に担われた。神秘主義的な性格から排外的な取り組みを行っていたが、その農業実践は人智
学団体外部の人々の関心を集め、1930 年以降は月刊雑誌や講演会を通して、非人智学徒にも門戸を
広げた。②土壌劣化をもたらす人造肥料を利用することは、収穫物の量や質を不安定にするだけでな
く、化学肥料メーカーや農学者に依存した営農をしていることを意味した。③家畜は、農場内の物質
循環を考える上で必要不可欠な要素とされ、家畜のいない農業は不自然な状態と批判された。
第三章は、イギリス本国の都市で見られた代替医療運動の清潔な栽培法の特徴を農業従事者の側か
らではなく、食と健康を重視する消費者の側の視点から明らかにするものである。そのために、代替
医療運動の月刊雑誌である『健康と生活』(1934-1967)および、その前身である『健康生活』
(1911-1928)の創刊当初から第二次世界大戦開戦前までの記事や投書を分析した。①その担い手
は、都市に住む教養市民層や学生、自営業者などの中間層であり、健康問題への関心から有機農業を
求めた。②未開拓地の状態を理想として、ミネラルの補給を重要視した。土壌中のミネラルの不足が
作物を弱らせ、病気にすると考え、ミネラルを補完する独自肥料を開発した。③ドイツの自然農法と
同様、菜食主義の立場から家畜のいない農業を求めた。さらに、身体の健康を獲得するためには、農
場や庭地も衛生的で清潔でなければならないとし、人間を含む動物の糞尿の利用を否定的に捉えた。
その際、イギリス領インドで生まれたインドール方式は自らの有機農業理論を支持するものとして受
容された。
また、インドール方式をイギリス本国や植民地で取り組んだ農場経営者や植民地官僚による書籍お
よび論考の分析によって、その実践を明らかにしたものを、補論として付した。
以上の分析を踏まえて、終章では三つの着眼点に即して、考察を行うとともに、新しい「科学・技
術」への態度についても言及し、戦間期有機農業の特徴および限界を提示した。健康を追求する中
で、有機農業支持者は、土壌・作物・家畜・人間それぞれの健康が相互に連関しあい、循環している
と考えた。つまり、人造肥料、誤った施肥や土壌耕作方法などによる土壌劣化によって、農作物や家
畜の質が低下した結果として、健康が脅かされていると捉えられたのである。自然への収奪性を抑え
た農業として考案された有機農法は、自らの身体を自然と強く結びつけ直すことで健康を取り戻そう
とする食農実践であったことが明らかになった。 ...

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