文化財輸送時に生じる振動と衝撃の評価手法
概要
博物館施設における文化財の活用形態の中で最も活発なのは展示による活用である。自館の収蔵品を常設展示等で展示する場合には、収蔵庫から展示室までの間、文化財が輸送される。特別展覧会等で外部の保管先から借用する場合には、国内外の経路を経る長距離輸送が発生する。いずれにせよ、文化財がどこかで展示される場合には文化財の輸送が必ず伴うことになる。このような文化財の活用に伴う動きからは、収蔵庫あるいは展示室が文化財の主な所在場所であり、両者は輸送によって繋がれているという形が見えてくる。従って、文化財をより長期的に安定した状態で保存するには、収蔵庫内の環境(収蔵環境)、展示室内の環境(展示環境)、輸送中の環境(輸送環境)の 3 つの環境を、文化財にとって安全な状態に保全することを考えるべきである。文化財が接する環境を保全し、劣化を抑制するという考え方は予防保存と呼ばれ、修理保存のみに依存しない考え方として、現在の文化財保存における主流となっている。予防保存の実践には、各環境の特徴を把握した上でそれに応じた対策を実施する必要があり、その対象の一つが輸送環境である 1)。
各種の交通網が発達した現代では、日本から海外への輸送も数日程度で終えられる場合が大半を占めており、輸送環境は文化財との接触時間が最も短い環境であることは間違いない。したがって、輸送環境中に発生する文化財の損傷は自ずと短時間で劣化進行した結果のものに限定される。その原因となりうる環境因子の中で、振動と衝撃は輸送環境における最も特徴的な環境因子として挙げられる。これらは文化財に物理的な損傷を発生させ、損傷発生までの時間経過は短くても、その被害は甚大なものとなる 2)。振動によって周期性を持った加速度変化が連続して文化財を加振することで、文化財の各部位が共振し、共振によって亀裂や断裂、変形といった損傷を引き起こす。また、衝撃によって単発の大きな加速度が文化財に加わり、それが素材の強度を上回る場合に、振動と同様に亀裂や断裂、変形といった損傷を引き起こす。物理的な原理としては明確であるが、振動と衝撃が実際の文化財に及ぼす影響は定量化が難しく、例えば温湿度における推奨範囲といったものは現状では存在しない。
文化財輸送がどのくらいの頻度で発生しているのかについて、「平成 29 年度独立行政法人国立文化財機構 概要」3)には、国立博物館がどれだけの文化財を活用していたのかを示す数値が記載されており、一つの目安となる。まず、国立博物館の展示活用による統計として、平成 28 年度の国立博物館4館の総来館者数は 3,663,777 人とされている。うち来館者が最多である東京国立博物館(1,907,647 人)では常設の展覧会(総合文化展)においては約 7,200 件余りの文化財を展示し、年間展示替え回数はのべ 370 回程度に上る(いずれも平成 29 年度)。さらに、同館では平成 29 年度に館内で 6 回、海外で 2 回の特別展覧会を開催している。このデータから、特別展覧会の開催に際して多くの文化財の借用や長距離輸送が発生していることと、同時に館内展示替えに伴う館内輸送の物量も相当な規模であることが分かる。一方、収蔵品の外部機関への貸与については、「自己点検評価報告書」3)にその詳細が公開されており、平成 28 年度は国内の博物館等 103 機関に 750 件の作品を貸与し、海外の博物館等 4 機関に 34 件の作品を貸与しており、さらに海外交流展として 2 機関に 162 件を出品したとされている。過去の推移(平成 14年度は 154(うち海外 14)の博物館施設へ 1,241 件の文化財の貸し出しが行われた。10年後の平成 24 年度は 159(うち海外 5)の博物館施設へ 1,295 件。)と照らし合わせても、概ね毎年 1,000 件程度の文化財の貸与を実施しているが、貸与先機関数は年によってばらつきがあり、100 から 150 機関の範囲である。以上から、往路と復路の輸送をそれぞれ 1 回とカウントすれば、東京国立博物館では敷地内の単距離輸送および敷地外の海外を含めた長距離輸送がそれぞれ平均すると 1 年を通じて毎日行われているという状況となる。特別展覧会のような長距離輸送を伴う事業について、国内の全体的な状況は「日本の博物館総合調査報告書」4)に詳細にまとめられている。同書によると、国内の博物館施設全体の統計として平成 25 年に実施した 2,258 館へのアンケート調査では、うち77.4%が特別展覧会を開催しており、開催頻度は平均で年 3 回であったとされ、過去 10年でいずれの数値も上昇傾向が認められている。文化財輸送は社会的な要求を反映しており、輸送回数で考えた場合に膨大な数に上ることが分かる。
文化財輸送が促進するような国内の制度的側面について参考となるのは、文化庁が通知した「国宝・重要文化財の公開に関する取扱要項」の改訂(2018 年 1 月 29 日)5)である。まず同要項の位置付けについては、前文に「指針」という表現がされているものの、所管官庁が発した文化財保護に関する具体的な留意事項であり、文化財の所有者等にとって大きな影響力をもつものである。さて、上記改訂における重要事項は、従来までは最大公開日数が延べ 60 日であったところを、材質や保存状態によっては 150 日あるいは 100 日までという指針へ改訂されたことである。その背景として「展示設備等の技術的な進歩」「公開ニーズの多様化」が挙げられており、同庁から発せられた 2018 年度予算の概算要求事項に「文化財活用のためのセンター機能の整備」といった新規事業が盛り込まれた。こうした状況から、文化財を積極的に活用しようという動きは今後も拡大されることはあっても縮小傾向にはないと考えられる。公開に関する指針がある意味柔軟性を持って緩和され、行政が活用を促進するという状況であれば、文化財の輸送機会もそれに乗じて増加することが大いに見込まれる。
国際的に見ても、特別展覧会の開催に伴う文化財輸送回数は相当な数となっており、例えばドイツでは年間約 9,000 回の開催がここ 20 年間続いており、特別展覧会だけの入場者数はのべ 8,000 万人に届く勢いであることが統計として出ている 6)。
以上から文化財輸送は制度的あるいは社会的要求という点からも今後も増えていく傾向にあると考えられ、輸送環境をいかに安全に保つかは、文化財を長期的に安定した状態で活用するための大きな鍵となる。