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大学・研究所にある論文を検索できる 「心理的ストレスにより誘発される情動行動の変化とその神経基盤の解明」の論文概要。リケラボ論文検索は、全国の大学リポジトリにある学位論文・教授論文を一括検索できる論文検索サービスです。

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心理的ストレスにより誘発される情動行動の変化とその神経基盤の解明

中武 優子 Yuko Nakatake 東京理科大学 DOI:info:doi/10.20604/00003685

2022.06.17

概要

慢性的なストレスは、大うつ病性障害をはじめ様々な精神疾患の発症率を高める要因の1つである。大うつ病性障害は抑うつ気分、興味・喜びの消失、認知機能の低下などの精神症状と、睡眠障害、食欲不振、体重変化などの身体症状を特徴とする精神疾患であり、生涯において約6人に1人が罹患するといわれるほどの身近な精神疾患である。大うつ病性障害の発症には、遺伝要因と環境要因の両方が重要であると考えられており、昨今の新型コロナウイルス感染症の感染拡大に伴う社会生活の変容なども、我々の心の健康に多大な影響を及ぼしつつある。今後さらに精神疾患の患者数が増加することが予想されるが、現状の薬物療法では一定数の治療抵抗性の患者が存在するため、ストレスに関連した精神疾黒の病熊と病因の理解に基づく新規治療法の創出が希求される。


精神疾患の病態解明や新規治療法の開発には、病因仮説に基づく疾患モデル動物や、治療薬の効果を判定する行動のモデル動物など、実験動物を使用する基礎研究が必要不可欠である。近年、「社会的敗北ストレスモデル」が妥当性の高いモデルとして大うつ病性障害の病態解明や新規治療薬の開発研究に利用されている。げっ歯類では、慢性的なストレス負荷により情動に関連した行動変化や生理的変化が生じることが知られているが、「社会的敗北ストレスモデル」は体格の優位な他個体からの慢性的な攻撃を利用したモデルであり、いじめや理不尽な扱いを受けるなどのヒトの社会的なストレスを模倣している。また、その繰り返しの曝露は、動物に抑うつ様行動や不安様行動などを生じさせる。さらに、これらの行動変化はSSRIや三環形抗うつ薬などの反復投与により改善することから、社会的敗北ストレスモデルは表面妥当性、構成概念妥当性、予測妥当性に優れたモデル動物とされている。しかし、このモデルでは心理的な苦痛と同時に創傷による身体的苦痛などが生じるため、ストレスの心理的な側面のみを研究対象とすることができない。一方、大うつ病性障害をはじめとする精神疾患においては、心理的苦痛が発症の引き金となる事例が多い。このように、ヒトが精神疾患を発症する過程と、社会的敗北ストレスモデルとの間には乖離が存在しており、より妥当性の高いモデル動物の構築が求められていた。


近年、同種他個体が社会的敗北を受ける様子を別個体に目撃させることで、身体的ストレスを与えずに動物に心理的ストレスを負荷できる手法が報告された。敗北場面を繰り返し目撃した動物では、抑うつ様行動や、不安様行動、血中CORT値の上昇など、ストレスに関連した様々な変化が生じることが示された。その一方で、社会的敗北により主に身体的ストレスを負荷される動物とその目撃により心理的ストレスが負荷される動物とでは、ストレス負荷後の反応に一部違いがみられ、両ストレスが動物に及ぼす影響は異なることが示唆される。一方、ストレスに応答して活性化する脳部位や未梢免疫系への影響に関しては詳細な検討はなされておらず、社会的敗北の目撃が心理的ストレスとして生体に影響を及ぼす神経基盤は不明である。

そこで本研究では、心理的ストレスがマウスの行動や末梢免疫系、および脳内に及ぼす影響について、身体的ストレスが及ぼす影響と比較し、両者の違いを明らかにすることを目的に研究を進めた。その結果、心理的ストレスは血中CORT値を上昇させることが示されたが、身体的ストレスと比較してその値は小さく、またエピネフリン濃度には影響を及ぼさないことが示された。両ストレスは、マウスに社会性の低下や後のストレス曝露に対する感受性の六進を誘発させたが、身体的ストレスのみが不安様行動の充進を生じさせた。一方、興味深いことに、大うつ病性障害の中核症状の1つである報酬感受性の低下は、心理的ストレス負荷によってのみ誘発された。両ストレスは、共通した多くの脳領域を活性化させたが、心理的ストレスのみが島皮質前部と腹側夜蓋野を活性化させた。さらに、ストレス負荷から1ヶ月経過後に心理的ストレスによる梢免疫系への影響が頭在化し、高齢うつ病患者で低下が報告されているCXCL16濃度の低下がみられた。

次に、他個体の夜攻撃場面に曝露された際に、マウスはどのような感覚モダリティを通して不快情動を喚起されるのか検討するため、ビデオ録画した社会的敗北場面を動画にてマウスに提示した。その結果、動画の提示により血中CORT値が上昇する一方で、仕切りにより動画を見えなくする、あるいはモザイク加工により動画を不明瞭にするという操作により、CORT値の上昇が見られなくなることが判明し、マウスは視覚を通じて他個体の情動状態を把握していることが示唆された。また社会的敗北動画への反復曝露は報酬感受性を低下させ、前帯状皮質や島皮質前部を含む脳領域を活性化させることが示された。実験1および2より、同種他個体の社会的敗北場面の目撃は、報酬感受性に頭著な影響を及ぼすこと、およびヒトの共感に関連するような脳内ネットワークの活性化が心理的ストレス受容に関与する可能性が示唆された。

げっ歯類には、他個体の情動表出がそれを観察する個体に同様の情動状態を表出させる「情動伝染」と呼ばれる現象が存在する。情動伝染は、他者の感情状態を理解し、共有する能力として定義される「共感」の最も基本的な要素である。げっ歯類は情動伝染を介して他個体の恐怖や痛みなどを共有することにより、集団として環境に適応してきたと考えられる。数多くの研究から、恐怖や痛みの情動伝染には、前帯状皮質や島皮質などの脳部位が関与していることが示されている。この2つの領域は、ヒトを対象とした研究において、自己の痛みの経験時と他者の痛み場面の目撃時の両方の条件下で活性化することや、共感尺度による共感性の得点と脳の活動に相関がみられることから、他者の痛みへの共感に関与する領域であることが示されている。一方、神経ペプチドであるオキシトシン(OXT)は、ヒトにおいて他者の表情からの感情認知を充進させ、共感性を促進させることが知られているが、げっ歯類においてもOXTが情動伝染を促進させる作用を有することが示された。すなわち、げっ歯類における恐怖や痛みの社会的伝達に関わる神経回路は、ビトの痛みや苦痛などの共感に関与する神経回路と共通した要素を有している可能性が考えられる。

そこで、本研究では社会的敗北場面の目撃による心理的ストレス負荷が生体にストレス反応を生じさせるメカニズムに、情動伝染と共通した神経基盤が存在すると仮説を立て、OXT神経系に焦点を当てて検証を行った。その結果、OXT受容体阻害薬(1-368,899)の前処置により、社会的敗北場面目撃時のすくみ反応の表出が抑制され、社会性の低下や報酬感受性の低下など、反復曝露後の抑うつ様行動の発現も抑制された。また、島皮質が目撃によるストレス伝達に関与する部位であるのか検討するため、島皮質へL-368,899を局所投与した。その結果、島皮質内L:368,899投与は目撃時のすくみ反応と血中CORT値の上昇を抑制した一方、身体的ストレス負荷によるすくみ反応や血中CORT値の上昇を抑制しなかった。また、10日間の反復ストレス負荷期間におけるストレスセッション中に島皮質内のOXT受容体発現細胞の活動を光遺伝学的操作により抑制したところ、後の抑うつ様行動の発現が抑制された。これらの結果から、OXTおよび島皮質内のOXT受容体は、他個体の受けた社会的敗北の伝達を仲介することにより、伝達されたマウスのストレス反応を惹起させ、後のストレス関連行動変化を発現させることが示唆された。

一方、OXTには、向社会的行動を元進させ、HIPA系の過活動を抑制し、ストレスの影響を緩和する作用があることも知られている。そこで、他個体の存在によりストレスが緩和される「ストレスの社会的緩和の実験系」を確立し、ストレス緩和を担うOXT神経の同定を行った。その結果、マウスがストレスを受けると、ケージメイトから受ける毛繕い時間が延長することが明らかになった。ストレス負荷後にケージメイトから毛繕いを受けたマウスは、血中CORT値の上昇が抑制され、後の抑うつ様行動や不安様行動の発現も抑制された。また、ストレス負荷後にL-368,899を視床下部室傍核へ局所投与すると、毛繕い藤露によるストレス緩和作用は抑制されたが、島皮質へ局所投与しても毛繕い曝露によるストレス緩和作用は抑制されなかった。

本研究により、社会的敗北場面の目撃による心理的ストレスが、従来の社会的敗北負荷による身体的ストレスとは異なり、①報酬系に強い影響を及ぼすこと、②異なる脳部位を活性化させることが明らかとなった。心理的ストレスが身体的ストレスとは異なる行動パターンや脳活動を惹起させることは、大うつ病性障害の病態を検討する上でも重要な知見である。さらに、島皮質のOXT受容体が、社会的敗北場面の目撃によるすくみ反応の発現や反復曝露後の抑うつ様行動の形成に寄与していることが明らかとなった。一方で、室傍核のOXT受容体は、仲間から毛繕いを受けることによるストレス緩和を仲介していることが明らかとなった。これらの成果から、他者の不快情動の表出は一部情動伝染に関わるOXT神経系を介して自己のストレス反応を形成するが、情動伝染とは異なるOXT神経系がストレス緩和作用を担うことが示された。本研究により、大うつ病性障害などのストレス誘発性精神疾患の治療薬開発に向けて、OXT神経系に焦点を当てた新たな論理的基盤の構築に
繋がることが期待される。