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三陸に回帰するサケ親魚の行動生理に関する研究

阿部, 貴晃 東京大学 DOI:10.15083/0002004267

2022.06.22

概要

サケは，⽇本⼈にとってはもっとも⾝近な⿂種の⼀種であり，北⽇本を中⼼として古くから⾷糧として利⽤されてきた．サケは秋鮭と呼ばれるように9⽉からその産卵が始まり、2⽉まで続く．早い時期に産卵を⾏う系群を秋サケ，後期に産卵する系群を冬サケと呼ぶ．これらの2系群のサケの存在は⽇本だけでなく，サケの産卵が⾏われる地域を通して⾒られ，前期群，後期群と呼ばれることもある．

この2系群は回帰時期の他にも産卵場所選択や，仔稚⿂の発⽣・成⻑速度，回遊のタイミングを始めとした⽣活史形質に違いがあることが報告されており，これらの違いはサケが各々の河川環境に適応してきた結果であるとされる．本研究の調査地域である岩⼿県と宮城県は⼀般的に三陸地⽅としてまとめられ，近年のマイクロサテライトDNAをもちいた集団解析から三陸地⽅のサケは少なくとも北上川集団と沿岸河川前期集団，沿岸河川後期集団の3つの集団構造に分かれることが報告されている．その遡上時期から北上川集団と沿岸河川前期集団は前期群，沿岸河川後期集団は後期群に属すると考えられているものの，三陸のサケの⽣物学的特性については⼗分に理解されていない．特に三陸では⽔温環境が秋から冬にかけて⼤きく変動するため，前期のサケと後期のサケでは異なる⽔温を経験すると考えられているが，2系群の適⽔温については調べられてこなかった．

そこで本研究では，三陸のサケの温度適応の実態を明らかにすることを主な⽬的とし，前期群が主な遡上群である北上川と後期群が主な遡上群である甲⼦川で遡上⽣態調査と代謝測定⾏い，どのような適⽔温範囲もったサケがそれぞれの河川環境でどのような⽔温を経験するのかを調べた．加えて，代謝測定を通して得られた代謝パラメーターを⽤いて遊泳モデルを構築し，三陸のサケの温度適応様式の⽣態学的意義を検討した．

北上川と甲⼦川のサケの遡上⽣態について
2016年から2017年にかけて，電波発信機による追跡調査を北上川と甲⼦川で⾏なった．また，遡上，産卵時の経験⽔温を明らかにするために⼀部の個体に⾏動記録計を装着し，経験⽔温を記録した．北上川⽔系での追跡調査は10⽉上旬から11⽉下旬にかけて実施した．遡上時期によって遡上場所が異なり，早い遡上時期の個体ほど上流に遡上する傾向にあった．追跡個体の中でもっとも上流まで追跡した個体は10⽉1⽇に放流した個体で，6⽇間で放流地点よりも93km上流まで追跡した．⼀⽅でもっとも遡上距離が短かった個体は11⽉の下旬に放流した個体で，翌⽇に放流地点の13km上流で産卵⾏動を⾏なっていた．また，北上川を10⽉に遡上したサケが経験していた⽔温の中央値は15.1°Cだった．10⽉の下旬にかけて北上川の⽔温は12°C前後に低下し，2016年の11⽉の下旬には6°C前後まで低下していた．

甲⼦川⽔系での放流実験は11⽉下旬から12⽉下旬にかけて⾏なった．遡上時期によって遡上場所が異なった北上川⽔系に対して，甲⼦川⽔系のサケの産卵場所は放流地点(河⼝より約2km上流)より0.5–1.5kmの範囲に集中していた．本流と同じ⽔温を経験していた北上川⽔系のサケに対して，甲⼦川⽔系のサケは放流地点より2km上流地点で定点観測を⾏なっていた⽔温よりも1–4°C⾼い⽔温を経験していた．また，11⽉の下旬に放流したサケの経験⽔温の中央値は9.8°Cであったのに対して，12⽉の下旬に放流したサケの経験⽔温は7.5–9.6°Cであり，遡上時期に由来する経験⽔温の差は北上川⽔系のサケと⽐較して相対的に⼩さかった．

北上川と甲⼦川のサケの温度パフォーマンスについて
北上川を10⽉に遡上するサケは，12–1⽉に甲⼦川を遡上するサケと⽐較して⾼い⽔温を経験していた．そこで，次に10⽉上旬から中旬に北上川を遡上するサケと12–1⽉に甲⼦川を遡上するサケを⽤いて遊泳実験によって代謝速度を，昇温実験によって臨界⽔温(Critical temperature maxima, CTmax)を測定し，2群の温度パフォーマンスを推定した．北上川のサケでは12–24°C，甲⼦川のサケでは8–22°Cの⽔温範囲で遊泳実験を⾏ない，各⽔温で安静時の代謝速度である休⽌代謝速度(Resting metabolic rate, RMR)と酸素消費速度の最⼤値である最⼤(有酸素)代謝速度(Maximum (aerobic)metabolic rate, MMR)を測定した．また，測定したMMRとRMRから温度パフォーマンスの指標である有酸素代謝余地(Absolute aerobic scope, AAS)を算出した．

RMRの温度係数(Q10)は北上川のサケでは2.6，甲⼦川では2.3を⽰し，他の外温動物で報告される2–3の値の範囲から外れず，どちらの群も⽔温上昇に対して同じ上昇率でRMRが亢進することがわかった．⼀⽅で，北上川のサケのRMRは同じ⽔温で測定した甲⼦川のサケのRMRと⽐較して低い値を⽰した．⼀般化線形モデルによる解析の結果，RMRと⽔温には集団差も含めたモデルが選択され，RMRと⽔温(T)の関係式は，北上川のサケはRMR=0.71e0.088T，甲⼦川のサケはRMR=0.92e0.088Tと推定され，北上川のサケのRMRと⽔温の関係は甲⼦川のサケのRMRと⽔温の関係を⾼⽔温側にずらしたものとなることがわかった．MMRは両群ともに⽔温上昇に伴って上昇していったが，北上川⽔系のサケは20°C付近で頭打ちになったのに対して，甲⼦川⽔系のサケは16°C付近で頭打ちとなっていた．活動できる⽔温の最⼤値であるCTmaxは北上川のサケは27.8°C(n=4)，甲⼦川のサケは24.9°C(n=5)であり，北上川のサケは甲⼦川のサケよりも⾼いCTmaxをもっていた．

AASとCTmaxの値からAASの温度パフォーマンス曲線を北上川のサケと甲⼦川のサケで推定した．AASが最⼤となる⽔温である⾄適⽔温(Optimal temperature for AAS, ToptAAS)は北上川のサケは17.6°C，甲⼦川のサケの14.0°Cと推定された．またAASが⾼い値を⽰す⽔温である適⽔温範囲は北上川は12.8–20.8°C，甲⼦川のサケは10.7–17.5°Cと推定された．以上のことから北上川のサケと甲⼦川のサケでは異なる適⽔温範囲を持ち，北上川のサケは甲⼦川のサケと⽐較して⾼い⽔温帯で⾼いパフォーマンスを発揮できることが⽰唆された．しかし，実際に両群のサケが遡上，産卵時に経験していた⽔温と温度パフォーマンスを⽐較すると，どちらの群も⾼いパフォーマンスを発揮できる⽔温の範囲内ではあったものの，ToptAASを超える⽔温を経験することはほとんどなかった．

また，推定されたToptAASを中⼼として，RMRとMMRのデータを並び替えると，集団間で⾒られていたRMRとMMRの差がほとんど無くなった．このことはサケが⽔温と代謝速度の関係をシフトさせる代謝速度の補償的応答(温度補償)で適⽔温を変えていることを⽰唆している．

温度パフォーマンスと流速環境に応じたサケの遡上⾏動の関係
サケがToptAASよりも低い⽔温で遡上する⽣態的な意義を考察するために，代謝測定によって得られたパラメーターをもとに有酸素代謝によるエネルギー供給の制約を組み込んだ遊泳モデルを作成し，移動コスト(Cost of transport, COT)を最⼩化する速度である最適遊泳速度(Optimal swimspeed, Uopt)とUoptにおける移動コスト(minimum COT, COTmin)に⽔温や流れの速さが与える影響を検討した．この遊泳モデルは，遊泳時のエネルギー要求量が有酸素代謝から供給されるエネルギー産⽣速度の上限を超えた時に，不⾜分を無酸素代謝から補うという遊泳モデルである．無酸素代謝から供給されるエネルギーの量には限りがあるため，無酸素的な代謝を動員するような遊泳速度では，⿂が遊泳できる時間に限界が設けられている．つまり，このモデルでは有酸素代謝からのエネルギー供給速度の制限と無酸素代謝の容量の⼆つを組み込むことで，持続可能な遊泳速度(Critical swim speed, Ucrit)を超えて泳いだ場合には，⿂は休息しなければならないという効果を表現したモデルである．流れのない状況下では，休息を伴うような遊泳速度Ucritをとることはないが，強い流れを遡上する状況下では，UoptがUcritを超えることが先⾏研究により報告されている．

実際の代謝測定によって推定された代謝パラメーターをもとに遊泳モデルを作成したところ，持続可能な遊泳速度は適⽔温範囲内では⼤きく変わらなかった．また，⽔温だけを変化させても，流れがない状況下ではUoptがUcritを超えることはなく，適⽔温範囲内のCOTminも1.3–2.0kJkm–1kg–1であった．次に，⽔温をToptAASに固定化し0–1.5ms–1の流速を与えて移動コストを計算したところ，流速が1.1ms–1の以上の流速環境下ではUcritを超える遊泳速度がUoptとなった．また，与えた流速条件下の中でCOTminは1.4–16.7kJkm–1kg–1となった．次に⽔温と流速の⼆つの条件を変えて計算したところ，適⽔温の範囲内であれば，UoptがUcrit以上となる流速は1.0–1.1ms–1と推定された．休息時間割合についても適⽔温の範囲内であれば，回復時間割合が75%に達するのは1.2–1.3ms–1の流速条件下であった．

COTminに注⽬するとUoptがUcrit以下となる流速条件下でのCOTminは適⽔温範囲内では⼤きく変わらなかった．⼀⽅でUoptがUcrit以上となる流速条件下でのCOTminはToptAASの低⽔温側(Tpej,Lower)と⾼⽔温側(Tpej,Upper)で⼤きく異なると推定された．流速1.0ms–1の流速条件下でTpej, Lower，ToptAAS，Tpej, UpperにおけるCOTminはそれぞれ7.0,7.1,9.0kJkm–1kg–1と推定され，流速1.5ms–1では14.7,15.8,18.2kJkm–1kg–1と推定された．そして，この差分はRMRと回復時間，過剰コストを乗したものである回復コストに⼤きく由来すると計算され，⽔温上昇に伴ったRMRの増加は⾼流速環境下での移動コストに⼤きな影響を与えることが⽰唆された．

実際のサケの遊泳⾏動データでも，⾼流速環境下を遡上するサケは時間割合にして17–48%を休息していた．このことから遊泳モデルが⽰した休息時間割合は現実的な値であり，⽔温変化にともなったRMRの値の変化は遡上コストに⼤きな影響を及ぼすと考えられる．以上の結果から，2河川のサケはがToptAASよりも軽度に低い⽔温帯で遡上，産卵をおこなうことの利点としては，⾼いパフォーマンスの維持とエネルギー消費量の削減が考えられた．同時に，本研究でみられた温度補償による適⽔温範囲のシフトは同じくエネルギー消費量の削減という点で合⽬的的な適応様式であることが⽰唆された．

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