化学療法誘発性末梢神経障害におけるhigh mobility group box 1の役割に関する研究
概要
痛みの中で急性疼痛(侵害受容性疼痛)は、生体に危害を加えうる危険からの回避、傷害を受けた組織部位の検知等、人が安全に生きていくために重要な警戒信号として働いている。一方、疼痛の中でも組織の損傷が治癒し、明らかな原因がないにもかかわらず長期間持続する慢性疼痛は、警戒信号としての役割意義を果たしていないだけでなく、患者のquality of life(QOL)を著しく損なうため、積極的に治療することが必要とされているが[1]、既存の鎮痛薬が効果を示さない難治性の慢性痛も少なくなく、新たな作用機序を持った次世代鎮痛薬の開発が切望されている。難治性疼痛の一つである化学療法誘起末梢神経障害[chemotherapy-induced peripheral neuropathy (CIPN)]はパクリタキセル、ビンクリスチン、オキサリプラチン、ボルテゾミブなどの抗がん剤の使用に伴って高頻度で発現する[2]。現在、CIPNの治療には選択的セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬のデュロキセチンや電位依存性カルシウムチャネルブロッカーであるプレガバリンなどが用いられているが、十分な効果が得られないことも多く、抗がん剤治療の中断や減薬といった対策がとられているのが現状である[3,4]。CIPNの発症メカニズムは完全には明らかにされていないが、基礎研究において、神経-免疫細胞の相互作用[5]、ミトコンドリア機能不全[6]、活性酸素種(ROS)の蓄積[7]および脊髄、脊髄後根神経節(DRG)あるいは末梢感覚ニューロンにおけるカチオンチャネルの発現誘導あるいは機能増強[8,9]などの関与が報告されている。
High mobility group box1 (HMGB1)は、3つのシステイン残基(C23、C45、C106)を持つ215残基のアミノ酸より構成された非ヒストンDNA結合タンパク質であり、核内においてクロマチンの構造の安定化、遺伝子の転写調節などの役割を担うタンパク質として同定された[10-12]。一方、HMGB1は細菌感染や炎症、物理的な外傷などに伴い壊死細胞から受動的に、また活性化したマクロファージなどから能動的に細胞外に分泌されることでdamage-associated molecular patterns (DAMPs)として機能し、炎症反応や痛みを誘起することが知られている[13,14]。HMGB1は核内ではすべてのシステイン残基のチオール基が還元状態であるall-thiolHMGB1(atHMGB1)として存在し、傷害時や炎症時に細胞外へ遊離されるとreceptor for advanced glycation end-products (RAGE)を活性化するほか[15]、C-X-C motifchemokine ligand 12(CXCL12)と複合体を形成することでC-X-C chemokine receptor 4 (CXCR4)を介する受容体シグナルを増強する[16]。細胞内外において、at-HMGB1はフリーラジカルなどにより酸化されると、C23とC45がジスルフィド結合したdisulfide HMGB1 (ds-HMGB1)に変換され、これがToll-like receptor 4 (TLR4)を活性化して強い炎症シグナルを惹起する[17]。近年、神経損傷などにより末梢神経に炎症が生じるとその周囲にマクロファージが集積し、HMGB1を含む炎症性メディエーターを放出することで神経障害性疼痛などの神経疾患の病態に関与すると考えられている[18,19]。マクロファージからの能動的なHMGB1遊離はhistone acetyl transferase (HAT)によるアセチル化や、JAK/STAT系、Ca2+/calmodulin-dependent protein kinase (CaMK)Iαなどにより促進的に、histone deacetylase(HDAC)による脱アセチル化により抑制的に調節されている[20-23]。
近年、川畑らのグループは、抗がん剤シクロホスファミドにより誘起される膀胱炎に伴う膀胱痛、パクリタキセルやビンクリスチンの反復投与によるCIPNの発現・維持にHMGB1が関与することを報告している[24-26]。しかし、HMGB1の由来細胞、標的細胞や受容体およびその下流シグナルなどについては未解明な部分が多い。そこで本研究では、CIPNの発症・増悪におけるHMGB1役割とそれに関与する分子メカニズムを解析し興味ある知見を得たので、その詳細を以下に述べる。本研究の第一章および第二章では、抗がん剤パクリタキセル誘起CIPNへのマクロファージ由来HMGB1の関与と、このHMGB1遊離に関与する上流および下流シグナル、ならびに知覚神経との関係を解析し、パクリタキセル誘起CIPNにおける神経系―免疫系クロストークの役割とそれに関与する液性因子の解明を試みた。第三章では、オキサリプラチンを投与した患者において稀に認められる類洞閉塞症候群(sunusoidalobstruction syndrome)に着目し、オキサリプラチン投与がん患者における肝障害とCIPNの関係を解析するとともに、実験的に肝障害を発症させたマウスにオキサリプラチンを投与した場合のCIPN発症への影響と内因性HMGB1の関与を検討した。
第一章では、抗がん剤パクリタキセル誘起CIPNにおけるマクロファージ由来HMGB1の関与について検討した。パクリタキセルを反復腹腔内投与したマウスでは明らかな侵害受容閾値の低下(アロディニア)および坐骨神経へのマクロファージの蓄積が認められた。パクリタキセルによるアロディニアは、抗HMGB1中和抗体、HMGB1を不活性化する遺伝子組換えヒト可溶性トロンボモジュリン(TMα)およびマクロファージからのHMGB1遊離を阻害するethylpyruvate、マクロファージ/ミクログリア活性阻害薬minocyclineの反復前投与、およびliposomalclodronate投与によるマクロファージ枯渇により完全に阻止されたことより、マクロファージ由来HMGB1がパクリタキセル誘起CIPNの発症に関与することが示唆された。さらに各種阻害薬を用いた実験により、パクリタキセル誘起CIPNの発症には、RAGEおよびCXCR4などの受容体、活性酸素種(ROS)およびNF-κB系のシグナルが関与することが分かった。そこで、マウスマクロファージ様RAW264.7細胞を用いてパクリタキセル刺激の影響を検討したところ、パクリタキセル1µMの刺激により明らかなHMGB1の細胞外遊離が誘起された。各種阻害薬の効果および細胞内シグナルの検討から、このHMGB1遊離にはROS産生/p38MAPK/NF-κB系を介したHATの発現誘導が関与することが示唆された。次に、マクロファージと神経系の相互作用について明らかにするため、RAW264.7細胞と神経前駆様NG108-15細胞を用いて検討した。パクリタキセル50nMはRAW264.7細胞、神経前駆様NG108-15細胞いずれにおいてもHMGB1遊離を誘起しなかったが、両細胞を同一プレート上に共培養、あるいはTranswellassay系を用いて上段にRAW264.7細胞、下段にNG108-15細胞を培養した条件下では、パクリタキセル50nM刺激により有意なHMGB1遊離が認められた。また、パクリタキセル50nM存在下で培養したNG108-15細胞の上清(conditioned medium, CM)を、RAW264.7細胞に添加してパクリタキセル50nMで刺激するとHMGB1遊離が見られた。一方、パクリタキセル50nMで刺激したRAW264.7細胞のCMをNG108-15細胞に添加した後に50nMのパクリタキセルで刺激してもHMGB1遊離は認められなかった。以上の結果より、パクリタキセル誘起CIPNには、マクロファージにおけるROSの産生亢進に伴うp38MAPKおよびNF-κBの活性化を介するHATの発現誘導を介したHMGB1の遊離と、細胞外に遊離されたHMGB1によるRAGEおよびCXCL12/CXCR4シグナルの活性化が関与することが示唆された。また、マクロファージからのHMGB1遊離は神経細胞から放出された液性因子により促進されることが明らかとなった。
第二章では、第一章で示唆されたパクリタキセルによるマクロファージからのHMGB1遊離を促進する神経由来液性因子について、神経-グリア細胞間の情報伝達を担う物質として注目されているATPに焦点をあてて検討を行った。第一章と同様に、Transwellassay系でRAW264.7細胞とNG108-15細胞をそれぞれ上段と下段に培養した条件下、50nMパクリタキセル刺激で誘起されるHMGB1遊離は、P2X7阻害薬A438079およびAZ10606120あるいはP2X4阻害薬5-BDBDにより有意に抑制された。パクリタキセル50nM刺激はNG108-15細胞からのATP放出を促進させたが、RAW264.7細胞ではこのような効果は認められなかった。また単独無効濃度の100μMのATPと50nMパクリタキセルの共刺激はRAW264.7細胞からのHMGB1遊離を誘起した。マウスにおけるパクリタキセル誘起CIPNは、A438079および5-BDBDの反復前投与により抑制された。以上より、パクリタキセルはマクロファージに直接作用してHMGB1を遊離させるが、この作用は神経細胞から放出されるATPなどの液性因子によって増強されることが示唆され、パクリタキセル誘起CIPN発症への神経-マクロファージ間の相互作用の関与が明らかとなった。
第三章では、臨床研究および基礎研究により、オキサリプラチン投与患者におけるCIPNに及ぼす肝障害の影響を検討した。はじめに、生長会府中病院においてオキサリプラチンを含むレジメンでの治療を受けたがん患者の情報を収集して後ろ向きに解析を行ったところ、オキサリプラチン投与後に肝胆系障害マーカーが上昇した患者では、その後、CIPNが重症化することが統計学的に明らかとなった。そこで、マウスを用いて実験的肝障害を誘発し、オキサリプラチン投与後のCIPN発症に及ぼす影響を調べた。マウスに四塩化炭素(CCl4)あるいはエタノールを投与すると、肝傷害マーカーである血清ASTおよびALTと、HMGB1濃度が上昇した。次にCCl4あるいはエタノールを処置したマウスに、オキサリプラチンを単独無効量の1mg/kgの用量で投与すると明らかなCIPNが発症し、肝障害も増悪した。この肝障害マウスにおけるオキサリプチン誘起CIPNの増強は抗HMGB1中和抗体あるいはTMαの前投与により阻止された。一方、ヒト肝がん由来HepG2細胞、ラット肝星細胞HSC-T6細胞および不死化マウスKupffer細胞由来ImKC細胞において、オキサリプラチンはすべての細胞からHMGB1を遊離させ、CCl4はHepG2細胞およびImKC細胞からのHMGB1遊離を誘起した。以上の臨床・基礎研究の結果より、オキサリプラチン投与後、肝胆系障害を発症した患者では、その後、CIPNが重症化することが示唆され、その原因の1つとして、オキサリプラチンにより肝組織から遊離されるHMGB1が関与する可能性が示唆された。
本研究により、CIPNの発症や重症化にHMGB1が極めて重要な役割を担っていることが判明した。しかし、CIPNの発症メカニズムは、用いた化学療法剤の違い(今回はパクリタキセルとオキサリプラチン)によっても異なっており、オキサリプラチン誘起CIPNに関与するHMGB1はマクロファージ以外の細胞に由来すると報告されているのに対し、パクリタキセル誘起CIPNにはパクリタキセル自体と神経由来ATPとの協力作用によりマクロファージから遊離されるHMGB1が中心的役割を果たすことを証明することができた。一方、オキサリプラチン投与により発症する肝胆障害の程度が大きいと、その後、CIPNが重症化する可能性が高いことが臨床基礎融合研究により明らかとなり、このCIPN重症化にもHMGB1が関与することが示唆された。既に第二相臨床試験においてオキサリプラチン誘起CIPNに対するトロンボモジュリン製剤(TMα)の有効性が証明されており、臨床応用が視野に入りつつある。今回の結果は、TMαの標的分子であるHMGB1が、CIPNの発症やリスク因子による重症化において中心的役割を果たすことを裏付けるものと考えられ、臨床的にも意義深い知見であると思われる。