清酒オリゴ糖に関する研究
概要
米,麹,水のみを原料とする清酒は,糖化と発酵が同時に進行する並行複発酵により造られる,日本の伝統的な酒である。糖化工程において,麹由来のアミラーゼ系酵素が原料の米に含まれる澱粉に協調的に作用することで,グルコースやオリゴ糖,デキストリンが生成する。生成したグルコースはアルコール発酵の基質となり,酵母によりアルコールへと代謝される一方,上槽時でも 1–4 %残存し清酒に甘味を付与する。一方,オリゴ糖はグルコースに次いで多く,清酒には重合度 (DP) 2–3 のオリゴ糖が約 0.65 %,DP≥4 のオリゴ糖が約 0.2 %含まれると考えられており,甘味の付与の他,味の調和に寄与すると考えられている。清酒中オリゴ糖に関する詳細な研究は,糖転移による生成が予想されている DP=2–3 のオリゴ糖を中心に進み,構造や含有量をはじめとして,醪中の消長や貯蔵中の変化などが報告されている。一方で,DP≥4 のオリゴ糖は含有量が少ないことと,夾雑物の多い清酒から高感度に分析する方法がなかったことから,その他のオリゴ糖として漠然と捉えられ,構造や含有量など未解明な点が多いままとなっていた。
本研究では, 親水性相互作用クロマトグラフィー / 飛行時間型質量分析計 (HILIC-TOF/MS) による清酒中オリゴ糖の網羅的な分析方法の構築と構造解析,生成メカニズムの解明に取り組んだ。
1. オリゴ糖分析法の構築
第 1 章では,清酒に含まれるオリゴ糖の全体像の把握を目指し,HILIC によるオリゴ糖の分離と,エレクトロスプレーイオン化法 (ESI)及び TOF/MS による検出によるオリゴ糖分析法の構築を行った。構築した分析法は,Shodex Asahipak NH2P-50 4E カラムを用いることで重合度ごとにオリゴ糖の分離が可能であり,また,移動相に Li+を添加することで Li+付加体としてDP=2–8 のマルトオリゴ糖を検出限界 0.03–1.02 ppm で検出することができた。本方法による市販清酒の分析から,DP=4-8の清酒中オリゴ糖を初めて定量することができ,その濃度が2,000-5,000 ppmと,これまで報告されている濃度より2倍以上高いことが明らかとなった。DP>9のオリゴ糖については,標品が入手できないため定量はできないものの,清酒より,マルトオリゴ糖と質量電荷比{m/必が一致するDP=18までのピークを検出した。MS/MSフラグメントパターンからこれらはグルコオリゴ糖と予想されたことから,清酒にはDP=2から少なくともDP=18まですべての重合度が存在することを初めて明らかにした。
2. 構造異性体の分離
第1章では,清酒にはDP=2-18のオリゴ糖が存在することを示したものの,重合度以外の構造情報については不明であった。清酒中のDP=2のオリゴ糖にはイソマルトース,コージビオース及びサケビオースが,DP=3のオリゴ糖にはイソマルトトリオースとパノースが報告されていることからも,DI^4のオリゴ糖についても,同一重合度の構造異性体を含む可能性を検討する必要があると考えた。そこで第2章では,清酒中オリゴ糖の構造異性体の分離・検出法を検討した。Shodex SUGAR SZ 5532 ( SZ 5532 ) カラム, 及びShodex HILICpakVN-50 4D (VN-50 4D)カラムを用いたオリゴ糖の分離と,ポストカラムでLi+を添加するTOF/MSによる検出法を検討した結果,SZ5532カラムではDP=2-4のオリゴ糖標品の構造異性体を,VN-50 4DカラムではDP=5-7のオリゴ糖標品の構造異性体を分離・検出することができた。そこで本方法により清酒を分析したところ,DP=2及びDP=3のオリゴ糖について構造異性体を分離して検出することができ,DP=3のオリゴ糖については清酒で既知のオリゴ糖の他に,新たに2つのピークを検出した。DP=4-12のオリゴ糖については,各重合度のオリゴ糖で複数のピークが検出され,多様な構造異性体の存在を明らかにした。また,本法による清酒の分析から,主要なピークでありながら清酒成分として報告の無い2っの新規配糖体の存在が示唆された。麹菌酵素によるin κίかα合成試験と構造解析から,これら化合物は天然からは初めての単離となるエチル-α-イソマルトシド及びエチル-α-マルトシドであることが明らかとなった。
3. 構造解析
第2章までに清酒中オリゴ糖が多様な重合度と構造異性体から構成されることを明らかにしたことから,それらオリゴ糖の構造に興味が持たれた。そこで第3章では,清酒中オリゴ糖の精製と構造決定に取組んだ。VN-50 4Dカラムにおいて明瞭なピークとして検出されたDP= 6 - 8 のオリゴ糖に注目し, 溶出時間順にDP 6 - 1 , DP 6 - 2 , DP 7 - 1 , DP 8 - 1 , DP 8 - 2として精製を行った。市販清酒1Lを脱エタノール後,80gの活性炭と混合し,5%エタノール3 Lで洗浄後,オリゴ糖を40 %エタノール1Lにより抽出し,濃縮物をShodex Asahipak NH2P-90 20Fカラムにより重合度別に分取した。さらに,VN-50 4Dカラムにより精製することで,DP6-1, DP6-2, DP7-1, DP8-1及びDP8-2をそれぞれ約3 mg取得し,Ή-, 13 C_NMR及び2次元NMRによるスペクトルの測定を行った。その結果,DP6-1はマルトテトラオースを主鎖とし,非還元末端及び隣接グルコース残基それぞれにグルコースが(1-1,6結合した構造,DP6-2は主鎖のマルトテトラオースの非還元末端にイソマルトースがα-1,6結合した構造と決定した。DP7-1とDP8-1は,非還元末端から2, 3番目残基に DP6-1と同様の隣接した分岐を有した主鎖長が異なるオリゴ糖であった。DP8-2はDP6-2と類似した非還元末端の分岐を持ち,かつ,隣り合わない分岐を持つグルコオリゴ糖であった。DP6-1, DP7-1, DP8-1及びDP8-2はこれまでに報告がない新規のグルコオリゴ糖であった。また,DP6-1, DP7-1及びDP8-1は,これまでに報告のない隣接した分岐構造を持ったグルコオリゴ糖であった。
構造決定したすべてのオリゴ糖の非還元末端がβ_リミットデキストリンの構造であったことから,清酒中オリゴ糖がすべて同様の構造であるかを調べるため,清酒からグルコースを除いた粗精製オリゴ糖に対して,β_アミラーゼ消化試験を行ったところ,マルトースは生成しなかったことから,清酒中オリゴ糖は共通してβ・リミット構造,すなわち,主鎖の非還元末端又はその隣接グルコース残基に分岐を持つ構造であることが明らかとなった。また, DP6-1はα-1,4及びcrl,6結合のみで構成されるにもかかわらず,糸状菌のグルコアミラーゼで40 °C, 25時間の消化でも84 %が残存することが示された。この特性は非還元末端の分岐構造が影響していると考えられた。以上より,清酒中オリゴ糖は共通した特徴的な構造を有するオリゴ糖群であることが示されことから,これらオリゴ糖を「清酒オリゴ糖」とした。
4. 清酒オリゴ糖の生成メカニズムの推定
第3章の構造解析から,清酒オリゴ糖にはDP6-1とDP6-2に代表される2つの分岐パターン,すなわち隣接した分岐及びイソマルトースの分岐,が存在することが分かった。これら分岐パターンは米澱粉の部分構造として報告がないことから,糖転移活性をもつ麹菌α-グルコシダーゼにより清酒醸造中に生成したと考え,麹菌の主要なα-グルコシダーゼである AgdAとAgdBの遺伝子破壊による影響を調べた。清酒小仕込み試験の結果,DP6-2はagdA破壊により顕著に減少したことから,DP6-2の末端のイソマルトースの分岐がAgdAにより生成することが示唆された。一方,DP6-1は遺伝子破壊の影響は無かったことから,DP6-2とは異なるメカニズムとして米澱粉に由来する可能性について検討した。米澱粉をα-アミラーゼ(from porcine pancreatic)とグルコアミラーゼ(from Rhizopus sp.)により消化し,消化産物中にDP6-1が含まれるかを調べたところ,DP6-1とカラム保持時間が一致するピークが検出された。この化合物を精製し,構造解析した結果,DP6-1と1HNMRスペクトルが一致したことから,DP6-1は米澱粉に由来すると考えた。
米澱粉の分岐構造の研究からは,DP6-1の主鎖上の隣接したα_1,6結合は同定されていないことから,本結果は米澱粉の構造に関わる新規知見である。清酒の醸造工程中で,麹菌酵素による米澱粉の長時間に及ぶ消化の結果,消化されにくい澱粉の分岐構造が残存することでDP6-1が生成したと考えられた。
以上の結果より,清酒オリゴ糖は麹菌酵素による糖転移と米澱粉の分解という2つのメカニズムにより生成されると結論づけた。
5. 総括
HILIC-TOF/MSによるオリゴ糖の網羅的分析法と定量方法を構築し,清酒にはDP=2から少なくともDP=18までのすべての重合度のグルコオリゴ糖が存在することを示した。さらに,DP=2-8のオリゴ糖の含有量を初めて明らかにしたほか,これらオリゴ糖はβ-アミラーゼ耐性を持つ多様な構造異性体から構成されることを見出した。DP=6-8のオリゴ糖についてはNMR解析により構造を決定し,非還元末端側に隣接した分岐,またはイソマルトースの分岐を持つユニークな構造であることを示した。またDP6-1はグルコアミラーゼ難消化性の特徴を有するオリゴ糖であった。以上を踏まえ,清酒オリゴ糖の生成メカニズムの解明に取り組み,麹菌酵素による糖転移成と米澱粉の分解が,清酒オリゴ糖の生成メカニズムであるとした。本研究は,漠然と捉えられてきたDP>4の清酒オリゴ糖について,網羅的分析法の構築から構造決定,生成メカニズムにまでに及ぶ基盤的かつ包括的な知見を提供するものであり,清酒醸造における糖化工程の分子レベルでの理解に多大に寄与する重要な成果である。