近代以降の日本が追求した「書の美」に関する研究 : 「革新派」及び「伝統派」の分析を通じて
概要
本研究は、近代以降の日本において展開された、様々な方向性における書の分析を通じて、同時期に追求された「書の美」を言語化しようとするものである。「書の美」とは何かという問いに対しては、中国を含めこれまで数多くの分析があった。しかし制作者や評価者によってその「美」を言語化されていない作品について、そこに見過ごされている「書の美」があるのではないかという観点で取り組まれる研究は少ない。本研究はこの課題意識の下に、これまで見過ごされてきた「伝統派」の「書の美」に特に着目するものである。今回「伝統派」として挙げる 4 人の書家(豊道春海・西脇呉石・松本芳翠・沖六鵬)は、書の世界で無名の人物ではない。彼らはそれぞれ没してから半世紀ほどを経過しているが、今も各方面で名のある人々である。しかし、これまでその作品に対する評価基準はあいまいで、そのために支持者からも批判者からも細かな分析がなされず、その評価が真逆になることがままあった。本研究は彼らの制作思想を分析し、実作品の評価も通じてその「書の美」を改めて考察することで、近代以降の日本における「書の美」に対する理解の基盤を広げようとするものである。
また、戦後になって書が日展という大型美術展にようやくその居場所を獲得すると、新機軸を打ち出した各種の制作が展開されるようになった。この制作は、「伝統派」とは明らかに異なる思想によってなされ、当時の書道界に混乱をもたらした。この新しい制作を展開した書家たちについては、現在もその孫弟子やひ孫弟子が書壇で多く活躍していることも影響して、これまで各種の先行研究や一般書籍が取り上げてきた。本研究では、この「新機軸を打ち出した」書家たちを「革新派」と呼び、「伝統派」と対比させて両者の芸術性を同時に描き出していく。なお、「伝統派」「革新派」という名称は著者が独自に名付けたものである。
次に本研究全体の流れを概観した上で、各節の概要をまとめる。本研究は全 3 章及び序論と結論から成る。まず序論において、現在の課題認識と本研究の目的、さらに「革新派」と「伝統派」について簡潔にまとめる。第 1 章「「革新派」による書の制作理念」では、先に述べたような「新機軸」がどのような思想背景を持って生まれてきたものであるのか、「革新派」の各書家の発言と、その思想を支えた美学者の井島勉の思想を中心に考察する。第 2 章「「伝統派」による書の制作理念」では、「革新派」における井島のようなブレーンを持たなかった「伝統派」について、その制作思想に関係すると思われる各種の発言を整理し、その背景にある思想を考察する。そして第 3 章「書の評価」では、まず評価の前提となる書の分類を示し、用語の整理を行う。
そして第 2 章までにまとめたそれぞれの制作理念を念頭に、「革新派」「伝統派」それぞれの作品について実際に評価を行う。本研究の示す基準によって「伝統派」作品を評価するのは過去にない試みであるが、一方の「革新派」作品についても、これまでよりも深い視点に立った分析を試みている。本研究はこの構成によって、この時代に追及された「書の美」についてのより広い俯瞰図を描くものである。同時に、これまであいまいだった「伝統派」の評価手法に一定の基準を与え、「革新派」と共に改めて書という芸術の中に位置づけ直すものにもなっている。また結論では、本研究を通じても未だ近代日本におけるその「書の美」を分析できない分野についても言及し、今後の方向性を示唆した。
最後に本研究を構成する全 11 節について、個別にその概要をまとめていく。
〇第 1 章第 1 節「「革新派」登場に至るまで」
戦後に新機軸を打ち出した「革新派」は、突然現れたわけではない。明治初年に「美術」の概念が輸入されると、各種の芸術はその中に取り込まれていったが、西洋にない書という芸術は「美術」の中に居場所を得られずにいた。本節では明治初年以降のその状況をまとめると共に、書が近代芸術としてのアイデンティティを確立する上で必要とした展覧会について、書の関わり方を検証する。さらに、実際に西洋美学の枠組みの中に書を位置づける余地があるのかについても考察する。
〇第 1 章第 2 節「「革新派」の発言にみるそれぞれの制作思想」
「革新派」は、その多くが「現代書道の父」といわれる比田井天来の門下から出ている。そこで比田井を「革新派」の源流として位置づけ、まずその発言をまとめる。続いて「革新派」それぞれの発言から、彼らが当時の書に対してどのような問題意識を持ち、どのような制作を目指したのかを考察する。
〇第 1 章第 3 節「井島勉の書道観とその問題点」
「革新派」は自身の展開する新機軸を打ち出した制作について、学問にその裏付けを求めた。そして学術研究の側でそれを引き受けたのが、美学者の井島勉である。本節では井島の芸術観及び書道観が分かる発言を抽出し、井島が理想とした書のあり方をまとめる。その上で、井島の伝統的なものの捉え方に内在する問題点を指摘し、「伝統派」の作品評価にはその書道観を適用できないことを論じる。
〇第 1 章第 4 節「久松真一の禅芸術思想」
禅学者の久松真一は、書道雑誌等において井島勉の対談相手としてしばしば登場するが、「革新派」の森田子龍は井島と並んで久松にも強い影響を受けたと述べている。そこで、久松の考える禅と芸術の関係についてまとめ、その思想に実は「伝統派」の制作を考える上でのヒントが散りばめられていることを示唆する。一方で実際の作品評価においては、久松の見方には問題があることも指摘する。
〇第 2 章第 1 節「「伝統派」の思想の整理」
「伝統派」は著者が本研究において初めて一つの派として形を与えたものであるため、当然その思想がこれまでまとめて整理されたことはない。本節ではまず、そもそも戦前の書が非常に偏ったイメージで語られていることを挙げ、「伝統派」各人の発言からそれが妥当でないことを示す。さらに、「伝統派」が採用しない「伝統」について考察し、最後に「伝統派」の共通項をまとめる。
〇第 2 章第 2 節「書道史上における「伝統派」の位置づけ」
「伝統派」といっても、その構成員は全員近現代の人物である。そこで彼らの思想が、実際に中国や近世までの日本の書の「伝統」とどう関連するのか、各種の書論からその位置づけを考察する。これによって、「伝統派」は確かにそれまでの「伝統」を引き継ぐ面がある一方、前節でも具体例を挙げたように、引き継がなかった面もあることを確認する。
〇第 2 章第 3 節「「伝統派」の背景にある思想」
本節では「伝統派」の書の制作理念をまとめる。まず著者が重要視したのが「幽玄」という語である。これは「伝統派」だけでなく、井島勉も「美の類型」の一つに挙げており、両者をつなぎうるものとして取り上げた。現在一般に「幽玄」の代表例と捉えられ、著者も長年携わってきた能楽を例にしつつ、そこに絡む「道」や「禅」についても解きほぐし、前々節でまとめた「伝統派」の共通項の背景にある思想について考察する。
〇第 2 章第 4 節「西脇呉石の芸術書観」
「伝統派」4 人の中で、現在書家としては知名度がやや低い西脇呉石について、その芸術書観が確かに「伝統派」のそれであることを示す。これによって、豊道のように政治手法にも長けた人物や、松本や沖のようにその作品の評価がある程度高い人物以外にも、「伝統派」が存在することを示す。また、西脇のあり方を詳細に辿ることで、現代は「伝統派」の成立地盤自体が揺らいでいる時代であることも明らかにする。
〇第 3 章第 1 節「書の評価と分類」
本節では、実際に書の評価を試みる前に、作品を評価するとはどういうことなのか、またその現状をまとめ、著者がとる評価のスタンスを「解釈」と「鑑賞」というキーワードによって提示する。ここでは、書の評価に際して制作者の制作背景を組み入れるか否かという切り口から論を展開する。続いて、27 種類の書の分類を挙げて個別に解説を加え、本研究の中だけに止まらず今後多くの人が書という多層性を持った芸術をより深く観られうようその視点を整理する。
〇第 3 章第 2 節「書を評価する語としての「韻」と「個性」」
「韻」という語は「幽玄」と異なり、井島勉も「美の類型」の中には挙げておらず、かつあいまいさを多分に含んでいる。しかし主に戦前までは、この語やここから派生した語によって書は評価されてきた。本節ではこの「韻」と、現在それに代わって評価で用いられる「個性」という語について、まずその概念を確認する。続いて、「個性」の用例が「韻」以上にその内容に幅があり混乱を生む原因になっていることを、個別の発言を精査しながらまとめる。
〇第 3 章第 3 節「実際の作品評価」
前々節で、著者が書の作品を評価する際にとるスタンスをまとめたが、本節ではそれによって実際に個別作品の評価を試みる。初めに古典の仮名書及び漢字書の評価を通じて、これまでの鑑賞の視点を確認する。続いて「革新派」の作品について、特に手島右卿の作品とその発言から、解釈と鑑賞による評価を行い、さらに手島作品とは異なる意味合いを持った「革新派」の作例も示す。最後に「伝統派」の 4 人の作品について、これまでの全節の展開を踏まえ評価を行う。