New approach for reproductive management using body temperature dynamics in cattle
概要
報告番号
※
第
主
号
論
文
の
要
旨
New approach for reproductive management using body temperature
dynamics in cattle
論文題目
(ウシにおける体温変動を利用した繁殖管理のための新たな取り
組み)
氏
名
尾崎 理穂
論 文 内 容 の 要 旨
ウシは世界で最も重要な家畜の一種であり、ヒトの健康に必要な動物性タンパク質
を乳や肉として供給している。経済発展とそれに伴う所得水準の向上により、牛肉や
牛乳の需要は今後さらに高まると予想されている。食料安全保障の観点から、持続可
能かつ効率的な方法で畜産物の需要を満たすことは農学の最大の課題である。そのた
めに効率的、持続的なウシの増産が望まれるが、産肉成績の高い形質や高泌乳の形質
を求めた育種改良が長年行われてきた結果、生産病や繁殖障害などの弊害が問題とな
っている。
畜産現場でのウシの繁殖管理において最も重要なのが発情の観察であり、畜産従事
者は発情時に現れる特異的な兆候や行動を基準として発情を検出する。発情とは、雌
が 雄 に 対 し て 性 的 受 容 を 示 す こ と を 指 し 、一 般 に 、雌 は 排 卵 に 先 立 ち 発 情 行 動 を 示 す 。
そのため、発情は、畜産従事者が人工授精や胚移植を行う際に、最適なタイミングを
知らせる重要な現象である。これまでに多くの研究が、ウシの繁殖成績の世界的な低
下は、明確な発情兆候や行動が見られない無発情や微弱発情によるものと結論づけて
おり、無発情や微弱発情がウシの繁殖効率を低下させる要因として大きな問題となっ
ている。無発情は、生理的機能障害と管理失宜からなる、動物側および管理者側の多
様 な 要 因 が 複 雑 に 関 連 す る 問 題 で あ る 。無 発 情 の 生 理 学 的 要 因 と し て あ げ ら れ る の は 、
高泌乳や高産肉を求めた遺伝的改良の要因、泌乳や妊娠、出産などに関わる負のエネ
ルギーバランスなどの栄養学的要因、環境やストレスなどの飼養管理的要因など様々
である。これらの様々な要因は、発情の強度と発情持続時間の両方を低下させ、結果
として管理者に微弱発情や無発情として認識されている。また、近年の牛群規模の拡
大や労働力不足などが管理者の発情検出をより困難なものにし、管理失宜の要因とな
っている。すなわち、微弱発情や無発情の中には動物が発情兆候を示しているにもか
かわらず、管理者が観察できていない場合が多く含まれると考えられる。
こ れ ま で に 、発 情 検 出 の た め に 様 々 な 方 法 が 開 発 さ れ 、畜 産 現 場 で 利 用 さ れ て き た 。
最も古典的な方法は目視観察である。正確な発情を識別するためには時間と回数、観
察者の経験が必要とされる。この問題点を解決する手段として、活動量計、乳汁や血
中のホルモン分析、生殖器の超音波検査など、発情検出のための補助装置や技術が開
発・適用されてきた。しかし、既存の方法は動物の体に侵襲的な場合が多く、導入や
維持のコスト、作業労力や動物・管理者の拘束時間がかかることなどの問題が存在す
る。そのため、発情を効率よく、最小限の労力で、低コストかつ非侵襲的に検出する
新しい技術が強く求められている。そこで本研究では、繁殖管理の効率化を目指し、
排卵の際に特異的な生理学的現象である生殖器の温度変動に着目した。
過去の研究より、正常に排卵した乳牛において、排卵時に卵巣の温度は子宮や直腸
と比較して有意に低下することが示されている。このことから、卵巣温の低下は排卵
の成功に不可欠な現象であり、排卵を検出するための信頼性の高い生理学的現象であ
ると考えられる。また、繁殖成績と生殖器温度の関連については、正常な繁殖機能を
示すウシでは、子宮から膣までの生殖管内に温度勾配が存在し、子宮角、子宮体部、
子宮頸部、膣の順に温度が高く維持されていることが報告されている。さらに、発情
周 期 中 に お い て 、 卵 巣 ホ ル モ ン の 一 つ で あ る プ ロ ジ ェ ス テ ロ ン ( P4) の 血 中 濃 度 が 高
い時期には生殖器の温度が有意に上昇することも確認されている。このことは、生殖
器 の 温 度 が 末 梢 血 中 の P 4 濃 度 と 正 の 相 関 を 示 す こ と を 示 唆 し て い る 。以 上 よ り 、生 殖
器の温度変化を捉えることが発情・排卵を検出するための信頼性の高い指標になり得
ることが考えられる。しかし、生殖器の温度を経時的に記録することは畜産現場への
応用として現実的ではない。
以上のことより、子宮および卵巣といった動物体内の生殖器の温度変化を、画像セ
ンシングによる体表面の温度変化から検知することを着想し、ウシの体表温変動を利
用した繁殖管理のための新たな技術開発に資する生理学的現象を明らかにすることを
本研究の目的とした。
第 2 章では、ウシの子宮および卵巣の温度動態を理解するため、子宮および卵巣温
度の持続的な記録法を確立した。黒毛和種経産牛 3 頭を用いて外科的処置により温度
計測プローブを骨盤腔内に留置し、子宮および卵巣温をデータロガーに記録した。ま
た 、膣 内 留 置 型 P 4 製 剤 に 温 度 計 を 装 着 し 、膣 内 の 温 度 を 同 時 に 記 録 し た 。こ の 新 た な
手法により、非拘束下で発情周期中の長期的かつ経時的な子宮および卵巣の温度計測
が可能となった。また、従来の方法では不可能であった温度測定中の発情行動の観察
や直腸検査も可能となり、子宮および卵巣温は発情周期を通じて膣温よりも常に低い
と い う 温 度 勾 配 を 明 ら か に し た 。さ ら に 、子 宮 お よ び 卵 巣 温 と 膣 温 は 日 内 変 動 を 示 し 、
06:00-08:00 に 1 日 で 最 も 低 い 温 度 と な る こ と が 明 ら か と な っ た 。
第 3 章では、発情期に特異的な子宮および卵巣の温度変化を検出した。黒毛和種経
産牛 6 頭を供試し、第 2 章で確立した手法を用いて子宮および卵巣に温度計測プロー
ブを留置した。発情同期化のためのホルモン処置を行い、黄体期と卵胞期にかけて子
宮 温 、卵 巣 温 お よ び 膣 温 を 記 録 し た 。プ ロ ス タ グ ラ ン ジ ン F 2 α 投 与 の 翌 日 か ら 4 日 間 、
1 日 2 回発情兆候を観察し、発情行動に関するスコアで発情兆候の強度を評価した。
ま た 、頸 静 脈 か ら 1 日 1 回 14:00 に 採 血 を 行 い 、血 漿 中 P 4 濃 度 を 二 抗 体 法 エ ン ザ イ ム
イ ム ノ ア ッ セ イ に よ り 測 定 し た 。 P 4 濃 度 は PGF 2 α 投 与 後 に 有 意 に 低 下 し 、 黄 体 期 か ら
卵胞期への明確な移行を確認した。また、卵胞期において子宮温および卵巣温が黄体
期と比較して午後では有意に低下することが明らかとなった。一方、過去に多くの報
告がある膣温に関しては、本章では有意な変化は見られなかった。
第 4 章 で は 、眼 球 表 面 温 度 が 生 殖 器 の 温 度 変 動 の 指 標 と な り 得 る こ と を 示 す た め に 、
発情周期中の眼球表面温度と子宮および卵巣温度の変化とその関連を検討した。眼球
表面温度は、他の体表部位と異なり、外気温など周辺環境の影響を受けにくく、深部
体温の指標となる可能性が報告されている。そこで本章では、眼球表面温度を赤外線
サ ー モ グ ラ フ ィ( IRT)で 撮 影 し 、眼 球 表 面 の 温 度 と 生 殖 器 の 温 度 の 観 察 を 行 っ た 。黒
毛和種経産牛 6 頭を供試した。第 3 章と同様に発情同期化を行い、子宮および卵巣に
温 度 計 測 プ ロ ー ブ を 留 置 し た 。IRT で 撮 影 す る 眼 球 表 面 は 、そ の 解 剖 学 的 構 造 に よ り 、
目 頭 側 の 結 膜 、目 頭 側 の 虹 彩 、瞳 孔 、目 尻 側 の 虹 彩 、目 尻 側 の 結 膜 の 5 点 に 区 分 し た 。
黄 体 期 か ら 卵 胞 期 に か け て 8:00 と 16:00 の 1 日 2 回 、 上 記 の 眼 球 表 面 の 5 点 と 鼻 梁
表 面 を IRT で 撮 影 し 、温 度 を 測 定 し た 。ま た 、頸 静 脈 か ら 1 日 1 回 14:00 に 採 血 を 行
い 、血 漿 中 P 4 濃 度 を 測 定 し た 。P 4 濃 度 は PGF 2 α 投 与 後 有 意 に 低 下 し 、黄 体 期 か ら 卵 胞
期への明確な移行を確認した。眼球温は 5 点すべてにおいて卵胞期に黄体期と比較し
て午後に有意に低下した。鼻梁温は卵胞期において午前・午後ともに黄体期と比較し
て有意に低下した。以上より、眼球表面温度が卵胞期に子宮および卵巣温と同様の変
化を示すことを明らかにした。
本研究では、ウシの子宮および卵巣の継時的な温度測定手法が確立され、生殖器の
温度勾配が生体内で常に維持されていることが明らかとなった。また、本研究で確立
された測定手法を用いることで、黄体期と卵胞期における生殖器の温度変化が検出で
き た 。さ ら に 、深 部 体 温 の 指 標 と し て ウ シ の 眼 球 表 面 温 度 を IRT に よ り 測 定 し た と こ
ろ、眼球温は生殖器と同様に卵胞期に温度低下を示すことが明らかとなった。また、
これまでの発情検知技術はウシの行動を基準としており、内分泌学的視点からの検討
が少なかった。家畜の行動には個体の性格や飼養環境なども影響すること、また、こ
れまで用いられてきた多くの手法では動物に検出機器を装着する必要があり、少なか
らず侵襲性があることや、群飼による機器破損のリスクがあった。一方、本研究にて
検討した眼球温は生理学的に深部体温の変化を反映し、個体の性格や飼養環境の影響
を 受 け に く い 可 能 性 が あ る 。 本 研 究 で 検 討 し た 眼 球 表 面 の IRT に よ る 温 度 測 定 法 は 、
ウシが比較的頭部を動かさない状況での運用を検討する必要があるものの、非接触で
検出を行うことから動物に対して非侵襲的であり、動物福祉の面からも推奨できる手
法と考えられる。以上、本研究により、ウシの眼球温は子宮および卵巣の温度動態を
示す指標となり、非侵襲的に発情や体温変化を伴う生理学的イベントを検出できる可
能性が示された。