温故知新 日本の家畜防疫の幕明け(3)
概要
温故知新 日本の家畜防疫の幕明け(3)
著者
雑誌名
巻
号
ページ
発行年
URL
木田 克弥
北海道獣医師会雑誌
64
8
12-14
2020-08
http://id.nii.ac.jp/1588/00004661/
(
【資
)
府県藩に命じ、太政官布告の予防法を一掃厳重に励
料】
行せしめている。(法令全書明治四年四七〇頁)
四.悪性伝染病予防注意の事
温故知新
日本の家畜防疫の幕明け⑶
明治
年
月
日
民部省第
号を以て左のごとく悪
性伝染病予防に関し注意書を各府県に布達された。
今般シベリア海岸ヨリ悪性伝染疫流行ノ趣相聞候間予
山脇圭吉著 日本家畜防疫史
(昭和 年文永堂書店発行)
防法之儀此程一般ニ御布告相成候ニ付追ッテ相達候
府
藩県ニ於テ左之通取締相立可申且沿海港湾有之地及避僻
之郷ニ至ッテハ注意可致事
現代字版編集
木
田
克
弥
(帯広畜産大学 家畜・植物防疫研究室)
布達文の訳: 今般シベリア海岸より悪性伝染疫流行
の趣、相聞こえ候あいだ、予防法の儀、このほど一般に
御布告相成り候につき、追って相達し候まで、府県藩に
以上を通覧するに本布告は伝染病の感染経路、予防制
おいて左の通り、取締り相立て申すべし、且つ、沿海港
圧の対策、保健衛生思想の涵養、防疫制度の啓発という
湾有するの地および避僻の郷(へんぴな土地)に至って
点について、明治初頭我が国医学および獣医学会に投ぜ
は注意いたすべしこと
られた第一弾であって、実に暗夜の黎明と言うも差し支
えないのである。日本文化の進展がすべて西洋文化の模
一、牧畜場有の地は言うに及ばず市在共、斃畜取り扱い
倣により拙速に行われた当時の模様が、こうした方面に
伺いの儀、総て予防法に掲載有の候通り、屹度(きっ
までも現れているのは止むを得ないとしても、獣医、家
と:確実であるさま)取締り相立て候様所置致し、時々
畜衛生がこの時代にようやく重要視せられ、予防医学が
官員巡視懇篤(こんとく:親切丁寧で心がこもってい
リュンドルペストにより科学的且つ組織的に進展してき
ること)相諭すべし事
たことはまことに欣快(きんかい:非常にうれしいこ
一、総て病により斃れし禽獣を売買いたし、或いはその
肉を自他の食料に充て、またはその皮を剥ぎ用い候儀、
と)とするところである。
本法発布当時において、リュンドルペストは家禽獣類
厳重に禁止いたすべき事
のみならず人にも伝染するものと考えていたことは、右
一、もし、前条の禁止を違犯する者有の候は、厳重に取
予防法内容によって推定されるのであるが、これが一面
りただし罪名を伺うべし。且つ、他より訴え出し候者
において本病のようやく重大視せられ、予防に焦燥した
有の候は、その賞(ほうび)の為、鳥目(ちょうもく:
原因の一つであらねばならぬ。而して本予防法中には特
中に穴があって鳥の目に似ていることから銭の異称)
に海港家畜検疫制度の濫觴とも見られ、すべき規定が設
貫文即時に差し遣うべし候、右これを兼ねて触れ示
けられ、殊に厳原藩に対し牛皮の輸入禁止を通達せられ
すべし事
ているなど、なるべく厳重に防疫に力を尽くしていると
一、港湾など商船輻輳(ふくそう:物が一カ所に集中し
ころよし推せば、既に当時牛疫ますます志那、満州、シ
て混雑している状態)の地は、輸入の諸品を篤と検査
ベリア、朝鮮に蔓延猖獗を極め、ようやく本邦に侵入せ
いたし、皮革の類陸揚げの儀は厳禁令(いいつくる)
んとの危機をはらんでいたものと思われる。
べし事
(注)本布告の公布日が
月
前記訳文警告の日付が
日とあるにかかわらず、
月
日とあるは、後者の太
陽暦日によりたるに対し、本邦においてはまだ旧暦
陸を許し、時疫に類する病者はみだりに上陸を許さず
相当の処置あるべし事
によったのである。太陽暦の改正は明治
年
月
一、総て輸入品改め方厳重に相成り候上は、内外蜜商の
日
年
月
懸念少なからず候間、沿海の地は右取締りの筋に専ら
太政官布告第三三七号により、明治
日を以て明治
年
月
日となすとありて改暦され
さらに前記太政官布告に次いで民部省(明治
月
日官制制定さる)より
月
年
日付布達を以て、
リュンドルペスト予防に関し、左の通り取締方を各
獣
会
誌
注意致すべし事
一、伝染疫に類する病者有の候は、医員を以て篤と検査
ている。
北
一、船中もし病者あらば検査の上他の病に係るものは上
(
)
いたすため、そこ患いの徴候を詳密に記載し、早速届
け出るべし事
ただし、患者治療の方法および看護の者心得を不日(ふ
(
)
死解剖説と治法とを載せたり。近日上海在留外務省官員
じつ:すぐであること)頒布相成すべし事
右の外、総て予防法の旨趣(ししゅ:趣旨)に基づき
の報知によれば、今年この病専らシベリア地方に行われ、
これがために獣畜の斃るること甚だ多しという。蓋し
(け
厳重に処分致すべし事
だし:まさしく)牧畜盛んなる地に一牧場に数千頭を牧
以上悪性伝染疫注意書によれば、斃死禽獣の取り扱い
し、一柵中に数十頭を飼うゆえに、もし一獣この病に感
から輸入品の検査など、随分厳重な規定を設け、皮革の
じてそのし尿、唾液の秣(まぐさ)飲水等に混ずる時は、
輸入禁止は勿論、下手をすれば人の上陸まで禁止しかね
他獣必ずこれによって感染し、駿々として(早いこと)
まじき情勢であった。これは主として本文に見ゆるがご
満場満野に及び、ついに全国に蔓延す。皇国の如きは牧
とく、本病の人に伝染するを恐れたことが重大原因をな
場広くし獣畜少なく、したがってこの憂いもまた大なら
していることは、誰しも推し得られるのであって、科学
ずといえども、方今(ほうこん:ちょうど今)朝廷さら
の幼稚な時代には、こうした不合理な事柄が各方面に繰
に牧養の業興さんと給い、庶民もまたようやくこの業に
り返されていたであろうと言うことは、この一事につい
就きしものなれば、忽に(おろそかに)すべからず。元
てうかがわれるのである。
来、生霊を健全に保ち疾病を未発に防ぐ者、我が道の本
旨なれば予め予防法を記し、以て四方に布かずんばあら
【第二章
五.リュンドルペスト(牛疫)説の訳文頒布によせて】
そもそも牛疫とはどのような病気なのか、おそらく当時の
ず。しかれどもこの疫、未だ皇国に流伝せざるを以て親
ら(みずから)病屍を剖検して病理を考究することを得
大部分の人は承知していなかったと思われます(かくいう私
ず。故にこの
は主に「ステーゲルワルド」氏の説を訳
自身、知っているのは病名だけです)。そんな中、大学東校(東
記し、次に上海報知の症状を録す。その他なお精密の方
京大学の前身)の研究者がヨーロッパの文献をもとに本症の
法においては海外の再報を待つのみ
解説をされており、本症の進行に伴う症状の変化に関する詳
病
論
細な記述は、文字からもその恐ろしさが伝わってきます。さ
リュンドル疫の病たる年齢および時令(じれい:時
らに後段の 予防法 のところで、人は牛疫の病毒を伝播はす
節)かかわらず、その流行に方れば(あたれば)殆ど免
るが、感染・発病はしないことも説明されています。これは
れるもの少なし。しかれども、一回これに患えば終生再
牛疫の病原性(体)の正しい理解につながった反面、人への
感することなし。その病性、猖獗にして伝染速やかなれ
危害がないことが分かったためか牛皮などの輸入禁止の解除
ども、幸いにして常に流行甚だ稀なり。その流行するや
を行い、その結果、後年、国内での牛疫大発生につながって
殊に戦争の後、自国の家畜を
いる。
く)尽くし、他方より死畜を輸入する時、この流行を伝
り(ほふり:体を切り裂
来することあり。昔年嘗て(かつて)「ポドリー」(地名)
五.リュンドルペスト説の訳文頒布
太政官第三二九号を以て
「オンカリー」
(地名)より死畜をドイツに輸入し、更
牛疫予防に関して左のごとき訳文頒布の布告を発せられ
に和蘭(オランダ)に輸送せし時、独蘭(ドイツ・オラ
て追々本病の病性が明瞭になり来たったのである。(法
ンダ)の二国に大いに流行せしことあり。和蘭において
令全書明治四年二七七頁)
は
その後、明治
太政官布告
年
月
第三二九号
日
年代の初めと
ヵ年前とに流行し、普漏生国(プ
ロイセン国?)にては去年仏蘭(フランス)と戦争の時
明治四年七月五日
先般御布告ニ相成候伝染病疫之儀ニ付猶又大学東校ニ
この流行に
えりという。
症状および経過
於テ別冊之通訳述候條頒布候事
布達文の訳: 先般御布告に相成り候伝染病疫の儀に
病初に寒熱を発し、頭首を震掉(しんとう:震わせる
つき、なおまた大学東校において別冊の通り訳述候すじ、
こと)し、あるいは憔悴困臥(しょうすいこんが:くた
頒布候こと
びれて寝ること)するものあり。或いは、頓躁(とんそ
う:こうふん)悶死するものあり。あるいは、四足にて
地上を叩き或いは伵
リュンドルペスト説
(こうが:歯ぎしり)して以て苦
述
状を現す。而して漸く咳嗽を発し体温変換し、初めは鼻
リュンドルは角獣類、ペストは時疫の儀にして、即ち
口乾燥して熱し、眼は湿して乾燥せざれども、終には鼻
大学小助教
石黒
忠直
獣類伝染病の儀なり。和蘭レーデン府第一等獣畜医「ス
テーゲルワルド」氏所著家畜治療書にその症状並びに病
眼共におびただしく粘液を流するに至る。但し、病初
、
日はなお食思ありて、まぐさを食べども、平日のごと
北
獣
会
誌
(
)
(
)
く反芻すること能わず。口内を検すれば唾充満し、舌口
となしと言う。これ以てその人に伝染せざるの左証とす
蓋歯齦肉の表面に小さき胞瘍を発し、破開すれば紅色の
べし。
痕を遺し、微く(ちいさく)出血す。もし腰椎の辺りを
圧せば必ず基部を下に牽曲す。また四足を一所に集めて
臥し、以て背を屈鈎す。病機漸く亢進すれば下痢を発し、
尾を動揺し皮下に気腫を生じ、
日乃至
日にして斃る。
以上、リュンドルペストに関して、大学東校に洋書を
翻訳せしめ予防施設の指導を為さしめたるは、先に文久
年「コレラ」流行に際して洋書取調所教授方ををして
上海報知によれば獣畜、リュンドルペストに罹れば筋
蘭書を翻訳せしめ、その予防治療に関する所説をあつめ
肉、殊に頸背の諸筋に痙攣(けいれん)搐搦(ちくじゃ
て上梓し、これを一般に知らしめたる故知に倣ったので
く:ひきつること)を発し、戦慄の状を見、背を屈し四
あると言われている。
肢を一所に集め大いに煩渇(はんかつ:しきりに欲しが
る)して食嗜なく眼の内皆に脂粒を結び、第
て下痢を発し、下痢亢進すれば赤痢となり、第
日に至り
日の後大いに衰弱し、経過急なるは
に至るその流行の病性軽き時は
匹の病獣中
日
乃至
匹は回復し得可(うべ)けれども病性重きに至りては、
中
を掴み得たものの如く、爾来リュンドルペストは専ら家
畜の伝染病として、諸藩の政令も公衆衛生上に及ぼした
日第
日、慢なるは
右翻訳により、大体においてリュンドルペストの本体
るものなく、純然たる家畜伝染病予防法の根幹として活
用されるに至った。然して、この間、公衆衛生方面にお
いてはコレラ侵入し、これに対する諸藩の予防規定がよ
うやく設けられんとするに至った。
死を免れず。
然るに同年
病屍解剖説
月に至り、民部省は「リュンドルペスト」
獣屍を剖視して著目すべき症状は、「プーク」胃甚だ
の予防を当初重要視したほどの必須事でもないと考えた
膨張して、且つ硬く中に乾きたる糜爛物を含み胃粘膜の
のか、または畜産物の需要に迫られて輸入関係に考慮を
表面に黒色を現し、乾燥し剥離しやすく、「レグ」胃お
払うに至ったのか、将又(はたまた)人類に感染しない
よび腸はきんしょう(からだの一局部が赤く腫れ、熱を
ということが判明してきたためであるか、左記の通り同
もっていたむこと)の症徴を現し、あるいは壊疽に傾く
省布達第五一八号を以て各海港における輸入禁止の解除
ものあり。脾は蒼白色に変じ、あるいは弛緩し、あるい
を命じた。恐らく必要欠くべからざる畜産物の需給関係
は縮小す。肝は赤色にして軟らかに変じ、胆のう中には
と人類に感染せずということがこの結果を生んだものと
大量の胆汁を充満す。肺臓その他全身諸部別に異常なし。
推察されるのであるが、更に、明治
年
月には太政官
但し、筋肉の色鮮紅ならず。
布告第七六号を以て同四年六月十四日付
民部省布達第
予防法
一四号を緩和して、斃獣の皮骨肉の利用をむしろ奨励せ
それ此の病性の猖獗なると伝染の迅速なるとを以て未
るが如きは、当時国民の家畜衛生思想乏しく、獣医学術
だ確たる治法あらず。もし、この疫病に罹れる獣畜あら
の幼稚なりし時代において、しかも対岸諸国に恐るべき
ば、ただ速やかにこれを殺し、その屍を焼き捨て、以て
牛疫流行の警告あるにかかわらず、無謀なる朝令暮改の
伝染を防ぐの策あるのみ。然れども、全部全国牧養を業
殷鑑(いんかん:戒めとすべき失敗の前例)は、遠から
とする民多き時は、また、政府より厳令を下して普く(あ
ず同年七月の頃、牛疫侵入大惨害を見るに至った。ため
まねく)その伝播を防ぎ、以て予防法を守らしむべし。
に漸次発達の機運に向かいつつありし我が家畜業も、こ
上海の新報によれば、この毒の伝染は他の伝染病のご
こに一頓挫を来すに至ったことは、その侵入蔓延の動機
とく大気の媒介によって数百里外に伝播するものに非ず。
があるいは不可抗力であったかも知れないにしても、当
故にその予防法また太だ(はなはだ)難しからず。もし、
時の為政者の気持ちが当初の緊張から漸く緩んできて、
一獣この病に罹れば速やかにこれを捕らえ、別に隔絶せ
不幸なる認識不足に陥り事態を楽観し過ぎた罪として非
る柵中に畜い(飼い)
、且つ、その獣触れる所の秣、飲
難の咎を受けても致し方はあるまい。まことに遺憾の次
料水は決して之を他畜に与うべからずと言う。以上挙ぐ
第である。
る所は畢竟(ひっきょう:最終的な結論として)ただ家
獣の伝染病にして復(また)人に伝染するものに非ず。 ...