沖縄トラフの伊平屋北フィールドにおける人工および天然の熱水チムニー中の微生物膜脂質
概要
九州大学学術情報リポジトリ
Kyushu University Institutional Repository
Microbial lipids in artificial and natural
hydrothermal chimneys of the Iheya North field,
Okinawa Trough
宝来, 俊育
https://hdl.handle.net/2324/6787418
出版情報:Kyushu University, 2022, 博士(理学), 課程博士
バージョン:
権利関係:
(様式3)
氏
名
:宝来
論 文 名
:
区
:
分
俊育
Microbial lipids in artificial and natural hydrothermal chimneys of
the Iheya North field, Okinawa Trough
(沖縄トラフの伊平屋北フィールドにおける人工および天然の熱水チ
ムニー中の微生物膜脂質)
甲
論
文
内
容
の
要
旨
2010 年 9 月に沖縄トラフの伊平屋北海丘で実施された IODP 第 331 次航海による科学掘削によ
り,熱水マウンドの頂上と斜面の 2 つの掘削孔(Hole C0016A, Hole C0016B) で硫化鉱物に富むチ
ムニー(人工チムニー)の急成長が観察された。新たに形成されたチムニーへの微生物のコロニー形
成はあまり理解されていないが,数例の実験的研究では,短期間(<14 日)でコロニーを形成して定
着することが示されてきた。しかし,掘削後 11, 18 か月の人工チムニーには検出可能な微生物群集
が未発達であったことが報告されており,現在もその発達状況は不明である。人工チムニーの急成
長は掘削で生じた膨大な熱水流量と海水との緩やかな混合により促進されたとされている。また,
その噴出熱水は CO2 や H2 などの揮発性成分に枯渇した化学組成をもつことが報告されている。そ
のため,人工チムニーの微生物群集の発達は特異な形成過程と熱水化学組成により律速されたので
はないかと推測した。そこで本研究では,人工チムニーの微生物群集組成とバイオマスを特徴づけ,
その発達履歴の解明を目的とした。
本研究では,掘削後 8 年の 2018 年に採取した人工チムニー(AC-C0016A, AC-C0016B),同熱水
域の 2 つの 天然 チム ニ ー(NC-HSC, NC-HRV)およ び対 照試 料と して 海底 に沈 殿し た硫 化鉱 石
(RF-SO)と変質堆積物(RF-AS)の合計 6 試料を用いた。微生
物群集組成と発達履歴は,生きた微生物の指標となる極性膜
脂質(IPLs)と過去の微生物の遺骸として残存するコア脂質
(CLs) の分布に基づいて推定した。これには,本研究で開発
した一度の測定で試料中の IPLs と CLs の分析可能な順相高
速液体クロマトグラフ/高分解質量分析計による一斉分析法
を応用した。また,バルク有機元素と炭素同位体組成から有
機物の起源とバイオマスを推定した。さらに,これらの分析
結果と鉱物組成やチムニーの観察の情報を統合し,人工チム
ニーの微生物群集の発達状況を天然チムニーと比較検討した。
人工チムニーAC-C0016A と AC-C0016B の IPLs と CLs
の分布は明確に異なるが,それぞれ,天然チムニーNC-HSC
と NC-HRV とは共通性が認められた(図 1)。熱水環境での
CLs の変質挙動の知見はほとんどないが,CLs は過去の微生
物群集と最近死滅した細胞の両方に由来する可能性があり,
その組成は群集組成の変化や環境適応のための膜脂質組成の変化に加え,生分解や続成分解などの
過程を経た結果を反映すると考えられる。従って,2つの人工チムニーには互いに異なる微生物群
集が発達したが,同熱水域の天然チムニーとは共通した群集組成をもち,同様の群集構造変動や脂
質の変質過程を経たと考えられる。
人 工 チ ム ニ ー の 全 有 機 炭 素 (TOC) ・ 全 窒 素 (TN) 濃 度 ,
TOC/TN 比, TOC の炭素同位体比は,いずれも天然チムニーの
値の範囲内で,対照試料とは明瞭に異なっていたため,人工チ
ムニーの有機物の起源は天然チムニーと共通しており,対照試
料とは異なることが示唆された(図 2)。人工チムニーと自然チム
ニーの TN と TOC の濃度が強い正の相関を示し,TOC/TN 比
(~5.5)が微生物細胞の範囲(4-7)内であるため,これらの有機物
が主に微生物細胞由来であると示唆された。そこで人工と天然
チムニーのバイオマスを,TOC と TN 濃度を天然の好熱性微生
物群集から得られている細胞炭素窒素含有量を用いて細胞数に
換算して推定した。南部マリアナトラフ(SMT)のチムニーから
報告された TOC と TN 濃度も同様に細胞数に換算し,同研究で 16S rRNA 遺伝子のコピー数から
推定された全菌数と比較して妥当性を検討した。人工と天然チムニーのバイオマスはそれぞれ,
~10 8 cells/g, ~107-108 cells/g と見積もられ、SMT のチムニーでは遺伝子のコピー数による全菌数
と整合的な値が得られた。
Hole C0016A は裸孔であることと熱水噴出部が浅いため,高温であったと推測される。一方,
Hole C0016B はケージングパイプが挿入されており,チムニーが水平方向に成長していたことから,
パイプ内が熱水殿物で詰まるにつれて熱水の流れが拡散し,比較的低温になっていたと推測される。
この違いは,AC-C0016A と NC-HSC は硫化鉱物のみで構成され,AC-C0016A と NC-HRV はそれ
ぞれ炭酸塩鉱物と硫酸塩鉱物が含む鉱物学的特徴からも裏付けられた。以上から,人工チムニーは
特異な形成過程と熱水化学組成を持つが,8 年以内に同熱水域の天然チムニーと量質ともにほぼ変
わらない微生物群集が発達し,その発達に熱水流路構造とそれに伴う熱水噴出様式が密接に関係す
る可能性を示した。本研究により,ほとんど理解されていないチムニーの微生物群集の発達過程に
おけるタイムスケールの 1 例とそれを支配する環境因子の新しい知見を提示した。また,海底熱水
鉱床の開発に伴う生態系影響の理解にも貢献するものである。