Study on the molecular evolution of insulin and seasonal control of metabolic regulators in the Japanese gecko
概要
研究の背景と目的
羊膜を獲得し、陸上適応を遂げた脊椎動物の一群は羊膜類と呼ばれる。このうち内温性の哺乳 類と鳥類が常に体温を一定の範囲内に保つのに対し、爬虫類と総称される外温性の動物は気温に よって体温と活動を制限される。一方、爬虫類のエネルギー利用効率は内温性動物と比べてはる かに高い。内温性動物は摂取エネルギーの実に98%を体温維持のため熱産生に投資しなければな らないが、爬虫類には熱産生のコストが存在しないため、餌資源の量が限られた生態的地位にも 適応することができる (Pough, 2016)。この特徴をもっともうまく利用していると考えられるのが、有鱗目と呼ばれるグループである。現在、有鱗目は 9,000 種以上が記載されており、分布域も熱 帯から亜寒帯までと幅広い (Utez, 2015)。この多様性は、有鱗目が自身の生息環境に適したエネル ギー代謝を行っていることを示唆する。しかし、有鱗目のエネルギー代謝を支える分子機構につ いては先行研究が乏しい。そこで、本研究で私は、有鱗目が生息環境に対してエネルギー代謝機 構を最適化していることを示すため、代謝制御因子の遺伝子配列と発現制御からのアプローチを 実施した。
本研究の構成
第1 章ではインスリンの分子進化に注目した。インスリンは脊椎動物の同化作用に中心的役割を果たすホルモンで、生理機能の重要性からアミノ酸配列の保存性が高いことが知られてきた。しかし、研究室内での先行研究で、ヤモリ下目ヤモリ科のニホンヤモリ(Gekko japonicus)が例外的な数のアミノ酸置換をもつことが分かった。私は、この配列変化がエネルギー代謝機構を最適化する過程で生じた可能性を考えた。そこで、アミノ酸置換の蓄積が有鱗目の系統内にどの程度広がっているかを調べる目的で、様々な有鱗目からインスリンを分子同定した。また、アミノ酸置換を生じた進化的背景を探るため、解析プログラムPAML4 (Yang, 2007)を用いて非同義置換/同義置換比 (ω)を算出し、分子進化にはたらく選択圧を推定した。
第2 章では、第1 章でインスリンの適応進化が示唆されたニホンヤモリに注目した。系統や生態学的特徴より、ニホンヤモリは熱帯性種を祖先として温帯性気候に適応してきたことが示唆されている (Ikeuchi, 2004; Rösler et al., 2011)。一般に、熱帯性の有鱗目は年間のエネルギー代謝が安定しているのに対し、温帯性種の代謝は冬季の休眠と繁殖活動への投資を中心として変動する (Derickson, 1976)。そのため私は、ニホンヤモリのエネルギー代謝は休眠と繁殖に対して最適化されていると推測し、これらの現象に対する肝臓での遺伝子発現を調べた。休眠についてはエネルギー摂取量低下への対処に注目し、3 週間の絶食実験を行った。繁殖活動については繁殖期と非繁殖期の野生個体を比較した。また、特にメスの卵形成に注目し、卵形成を惹起するエストロゲンの効果を調べる目的で、オスにエストラジオール (E2)を腹腔内投与する実験も行った。
結果と考察
1. 第1 章
分子同定により、有鱗目インスリンのアミノ酸配列は従来知られていた以上に多様であることが示された。また、有鱗目で推定された ω の値は他の爬虫類や鳥類よりも大きく、有鱗目インスリンが他の羊膜類と異なる分子進化を遂げたことを示唆した。さらに、有鱗目の中でも複数の系統で独立に ω の上昇がみられた (図1)。これは、インスリン配列の多様性が系統ごとに異なる分子進化によって生じたことを示唆する。そのような系統のなかで、ニホンヤモリとミナミヤモリ (Gekko hokouensis)はω の値が特に大きく、適応進化が強く示唆された。これらの種は熱帯性のヤモリ属のなかで例外的に亜熱帯から温帯域に生息することから、インスリンが環境適応に寄与した可能性が考えられる。
2. 第2 章
3 週間絶食させたニホンヤモリの肝臓では、アミノ酸を基質とする糖新生を担う pck2 の発現が有意に低下した。一方、グリコーゲン分解酵素 pygl とトリアシルグリセロール (TAG)分解酵素 ATGL をコードする pnpla2 の発現に有意差は認められなかったことから、絶食中はタンパク質の利用が抑制され、グリコーゲンと TAG がエネルギーとして利用されると考えられる。そのようなエネルギー代謝は絶食中の脊椎動物と共通しており(Wang et al., 2006)、休眠中のニホンヤモリは脊椎動物に共通する絶食適応的なしくみを利用していると考えられる。
一方、繁殖期と非繁殖期の野生メス肝臓で遺伝子発現を比較したところ、繁殖期には糖新生と放出を担う pck2、g6pc1-1、g6pc1-2 や TAG 分解酵素 pnpla2 の発現が有意に低い一方で、超低密度リポタンパク質(VLDL: very- low-density lipoprotein)を構成する apob の発現が上昇していた。このような遺伝子発現には、糖新生を抑制し、基質を脂肪新生に転用して TAG 合成量を増すと同時に、ATGL による TAG 分解も抑制することで主な TAG 利用を VLDL 合成に切り替えるという意義が考えられる。肝臓の糖新生とATGL によるTAG 分解は個体の生命活動にエネルギーを供給する一方、VLDL は卵巣内の卵に TAG を輸送するというちがいがある (Ong et al., 2011; Price, 2017)。このことから、繁殖期には親の生命活動が抑制され、卵形成に優先的にTAG が供給されると考えられる (図2)。こうした繁殖期メスの遺伝子発現様式は、E2 を投与したオスと一致した。そのため、繁殖期のメスでは血中エストロゲン濃度の上昇に応答して、生命活動と卵形成のトレードオフが起こると考えられる。温帯性気候の下では、ニホンヤモリの産卵に適した時期は1 年のうち4 か月程度しかない (Ikeuchi, 2004)。そのため、ニホンヤモリは卵形成を短期間に済ませるために、このようなトレードオフのしくみによってエネルギーを集中投資する可能性がある。
興味深いことに、グルコース放出を制御する g6pc1 の重複遺伝子のうち、g6pc1-1 の発現が E2投与により有意に低下したのに対し、g6pc1-2 は変動しなかった。この意義として、g6pc1-1 が「バルブ」としてはたらき、生理状態に応じてグルコース放出量を調節するのに対し、安定的に発現する g6pc1-2 が生命活動に最低限必要なエネルギーを供給する「安全装置」としてはたらく、という機能分化が考えられる (図 2)。このような分業は、生命活動-卵形成間のトレードオフ下での生存に重要であると考えられる。本研究ではさらに g6pc1 重複の進化的背景を探る目的で、肉鰭類の g6pc1 周辺のシンテニーを比較するとともに、MEGA7 (Kumar et al., 2016)による分子系統樹の作製と、mVISTA (Frazer et al., 2004)による遺伝子上流配列の比較を行った。その結果、羊膜類のうち爬虫類がいずれも 2~3 個の重複遺伝子を保持するのに対し、内温性のグループには重複がみられなかった (図3)。このため、 g6pc1 の重複には外温性のエネルギー代謝に何らかの寄与があると考えられる。外温性動物では、繁殖へのエネルギー投資過多による生命リスクが大きいことが知られている (Wieser, 1985)。そのため、重複の意義としてニホンヤモリと同じような「バルブ」と「安全装置」の分業が考えられる。
まとめ
第 1 章より、有鱗目の適応放散にインスリンの分子進化が寄与したことが示唆された。特に、ニホンヤモリでは適応進化が強く示唆された。また、第2 章ではニホンヤモリのエネルギー代謝制御を担う遺伝子が、温帯域での生活史に適した発現制御を受けていることが示唆された。以上より、ニホンヤモリは代謝因子の分子特徴や遺伝子発現を調整することで、エネルギー代謝を生息環境に最適化したことが示唆される。この知見は、有鱗目が繁栄を遂げた背景を探るうえで、エネルギー代謝機構からのアプローチが有効であることを示す点で重要である。