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「電気パン」実験の教育史

内田 隆 東京薬科大学

2022.03.31

概要

1.はじめに
 小麦粉、砂糖、食塩、ベーキングパウダーに水や牛乳などを加えて溶いたものに、2枚の電極板を入れて交流100Vの電圧をかけると、電解質である食塩や炭酸水素ナトリウムが含まれるため電気が流れてジュール熱が発生し、パンができる。この電気パンは、理科実験教材として長い間幅広く活用されてきた。これまでに筆者は、戦前の陸軍炊事自動車から現代のパン粉製造に至るまでの電極式調理の歴史1)や、電気パンの教育活用の実際と教育的意義2)について調査し報告してきた。本稿では、電気パンが理科実験教材として教育の場に取り入れられたきっかけ及び普及に至るまでの経緯について報告する。

2.終戦直後の電気パンの教育活用の状況
 終戦直後、食糧・物資が乏しく混乱が続く状況下で配給された小麦粉を調理する器具として、多くの家庭で廃材などから電気パン焼き器が製作され、電気パンがつくられた。学校でも製作されており、小学校で実際にパン焼き器を作って家に持ち帰り、自宅でパンをつくって食べたことが書かれた絵日記も残っている3)。
 電気パン焼き器の自作法は、家庭の主婦向けや4)、電気の専門家向け5)の雑誌や書籍に書かれているだけでなく、子供向けの雑誌にも取り上げられており『少年工作』創刊号(1946年10月発行)の「家庭用電気パン焼き器の設計」には、ヒューズが飛ぶ理由の解説と、ヒューズが飛ばない電気パン焼き器の設計方法が3頁にわたって解説されている6)。
 教科書に準ずる書籍である『科学自由研究文庫理化科学』(1947年9月発行)では、電極式のパン焼き器を製作したうえで「メリケン粉と水の交ぜ具合」「食塩の加えかげん、ぜんぜん加えないときはどうか」「重曹(たんさん)の多いとき、少ないとき、まったく加えないとき」「イーストパンと重曹パンのひかく」「極板の間隔をいろいろにかえて」「焼けるまでの時間のひかく」「どんな種類の極板を使えばよいだろうか(鉄銅・アルミニウム・トタン・ブリキなど)、有毒なものはないか」「手入れの仕方」について、電流計・電圧計・温度計を使用して実験を行い、その後食塩水の電気伝導性や電解質の学習へと続いている7)。つまり、終戦から2年後の1947年9月には、電極式のパン焼き器が食糧不足時の調理器具としてだけでなく、理科の学習教材としても活用されていたのである。
 電気パンをつくるための諸条件について実際に研究した生徒も存在し、成蹊中学校3年生が1947年の夏休みに行った電気パンに関する研究成果「電気パン焼き器の実験」が『科学と教育』に発表されている8)。
 そして、民主的・文化的な家庭生活を営むために、これまでの裁縫家事の教授とは異なる新しい家庭科を目指して、東京女子高等師範学校附属小学校の教諭によって書かれた『小学家庭科の学習指導』(1949年発行)では「自分のことは自分でできるようにする」を目標とする単元が設けられ「家庭用品の製作、修理」の章で電気パン焼き器が取り上げられている9)。
 しかし、終戦から5年が経過する頃には、薪炭不足の解消、ガス等のインフラの復旧が進み、電極式のパン焼き器は次第に使用されなくなったためか、これ以降1970年代後半まで、電気パンに触れた教育関連の書籍・雑誌等は見られなかった。

3.高度経済成長期以降の電気パンの教育活用
(1)NHKテレビ番組「みんなの科学」で放映された電気パン
 1950年代から70年代後半までは、学校の実験教材としての電気パンの活用記録はないが、1963年から1980年までの17年間放映されたNHKの科学番組「みんなの科学たのしい実験室」で、以下の3回にわたって電極式のパン焼き器が取り上げられている10)。
 この番組制作に関わっている科学実験グループの協力で発行されている通信『みんなの科学たのしい実験室ファンクラブ』(1978年11月号)には、放映された電極式蒸しパン器の作り方が掲載され「御両親またはおじいさん、おばあさんたちに質問してごらんなさい。30年程前には、日本中ほとんどの家庭に、それぞれ工夫をこらしたこの蒸しパン製造器があったということです。みなさんも、自分なりの工夫をこらして、ためしてごらんなさい」11)と紹介されている。ここでは、電極式パン焼き器が食糧不足時の調理器具としてではなく、子供向けの科学工作・電気工作として取り上げられている。
 なお、1975年4月から司会者となり、1978年10月放映の「蒸しパンをつくる」で聞き手役を務めた安井幸生氏は、放映当時は高校の理科教員であった。安井氏に確認したところ、高校の理科の授業で電気パンを取り上げたことはないと語っていたことから12)、TV放映された電気パンは、関心度の高い子供向けの科学・電気工作として紹介されたもので、この時期はまだ学校の理科実験教材としては活用されていなかったと考えられる。

(2)成城学園初等学校理科研究部による電気パンの教材化
 1972年から1977年にかけて成城学園初等学校では、理科の原理的な法則を教育内容として科学とは何かを把握する「科学科」と、飼育・栽培・製作・採集などの総合的技術的側面を主流にした「経験科」の設置を試みており、1978年以降は「経験科」を独立させずに理科の中で「科学教材」「経験教材」に分け、実践的に研究を行っていた13)。「経験教材」は「自然科学の基礎的な知識を教え」「できる自信を育てる」14)ための教材で、ベッコウアメ、針穴写真機、カイコ、ジャガイモなどの教材化が進められ、その一つとして電気パンが検討されている15)。
 成城学園の1979年8月現在のカリキュラムの5年生3月の教材として電気パンが記載されており14)、NHK「みんなの科学」で電気パンが放映された1978年10月と時期が重なる。この番組制作に成城学園の上廻昭が関わっており、成城学園での電気パンの実践をもとに番組が制作されたのか、番組制作をきっかけに上廻が理科授業に取り入れたのか、どちらが先かは定かでないが、いずれにせよ電気パンを教材として扱うようになったきっかけは、成城学園の上廻とNHKテレビ番組「みんなの科学」であるといってよいだろう16)。
 成城学園では、この電気パンを小学校の理科実験教材として活用できるように、電気パン焼き器と電極板の素材や大きさ、材料や分量などの諸条件について立木和彦、纐纈和義、森山朋子らが工夫・研究を重ねて教材化をすすめ16)、経験教材のテキストを開発した。その内容は、電気パン製造器の製作と、自作した製造器でパンをつくるものであり、技術的・経験的要素に主眼が置かれている。
 開発した電気パンのテキストを小学5年生35名に実践し、授業者と児童の両方から評価・検討を行った結果、子供からの歓迎度が5段階評価の5が24名(68.6%)、4が8名(22.9%)、3が3名(8.6%)であった。児童の感想文には「一番おもしろかったのが“電気パン”。これは、電気パン製造器をつくってからその中へ小むぎこなどを入れた。電気パン製造器は木でつくってあって、木と木のつなぎ目を、くぎでつなぐところが一番難しかった。少しでもすきまがあると、パンの原料がもれてしまうから。はんの中でパンを作って食べたあと製造器の方は家へ持って帰った。家で何回もパンを作って食べた。」17)と書かれ、製作した達成感や道具としての有用感が児童の印象に強く残っていることが感想からうかがえる。授業を行った教員2名(立木和彦、上廻昭)は、作成したテキストを「このまま授業で使える」と判断しており17)、電気パンは『経験教材テキスト集1981年版』(成城学園初等学校理科研究部)の5年生の教材に掲載された。
 その後「科学教材」「経験教材」といった考え方は使われなくなり、電気パンのテキストは、パン製造機の製作やパンづくりといった技術的・経験的要素に加え、パン製造機と電球を接続した回路を用いて、水道水やベーキングパウダーを溶かした水の電気伝導性を調べるといった、科学的要素も含む教材として改良され、『技術教材テキスト集1983年版』(成城学園初等学校理科研究部)の5年生の教材に掲載された。
 成城学園初等学校の電気パンの実践を参考に、暁星小学校では、図工の時間に図工担当の教員が木工を、理科の時間に吉村七郎が電線の取り付け等の電気工作とパン焼きを行い、「製作できる自信」を育てるための経験を重視する教材として、1982年に実践している20)。
 終戦直後の学校で電気パンが行われていた時期を除いた、高度経済成長期以降の学校の授業で電気パンが理科実験教材として活用された記録は、管見の限り成城学園初等学校の実践が最も古いものである。当時の成城学園初等学校「科学科」では、仮説実験授業を中心にした授業が実践されており、成城学園初等学校の庄司和晃、上廻昭、暁星小学校の吉村七郎が、仮説実験授業の提唱者である板倉聖宣や研究会員らと共同で研究していたことから、電気パンの教材活用も仮説実験授業に関わる教員間で広く共有されていたと考えられる。また、成城学園初等学校では公開の研究会を毎年開催し、そこで電気パン実験が掲載されている『技術教材テキスト集』等の紹介・配布をしていたことから、電気パンが成城学園を起点として多くの教員たちに広まっていったと考えられる。
 なお、元中学校教員、元京都市青少年科学センターの職員であった杉原和男は、1981年に中学校の職員室で電気パンの使用経験がある教員と座席が隣になったことをきっかけに、電気パン焼き器の再現・教材を試みたと語っている21)。成城学園での電気パンの教材化の時期と重なるが、杉原が成城学園について言及していないことから、成城学園の実践を参考にしたのか、独自に開発したのかは定かではない。杉原は、科学教育研究協議会、京都パスカルなどに参加し、電気パンの実験器具の作り方や実験方法の紹介、『おもしろ実験・ものづくり完全マニュアル』(1993年出版)22)の電気パンの執筆を担当している。さらに京都市青少年科学センターの職員として、様々な科学実験・工作等の普及啓発を行っていることから、杉原も電気パンの普及に大きな役割を果たしていると考えられる。

(3)1980年代の電気パンの実験教材としての普及
 電気パンが掲載されている初期の書籍・雑誌として、大阪府私立中学校高等学校理科教育研究会・日本化学会近畿支部が執筆に関わった書籍『化学を楽しくする5分間』23)や、科学教育研究協議会の雑誌『科学教室』24)や、仮説社の雑誌『たのしい授業』25)があり、それぞれ1984年に出版されている。80年代には、仮説実験授業研究会や科学教育研究協議会をはじめ、さまざまな研究会や大会等で電気パンの実験教材としての有効性が共有され、理科授業での活用法等について工夫・検討されていたことが推察される。
 この頃は、1974年に高校進学率が9割を超え進学率向上による学力・学習意欲の低下や、1978年の「理科Ⅰ」必修化による物理履修者の減少など、様々な要因による理科離れが懸念されていた時期である。その打開策の中には、理科の学習事項と日常生活を結びつけたり、学習事項を活用したものづくりを通して有用性を体感させたりする実験教材の検討も含まれ、その一つとして電気パンが共有されたと考えられる。
 さらに、80年代は終戦から約40年が経過した頃で「このパン焼き器は終戦直後のサバイバル用として各家庭で自作して用いられたもので、55才以上の方はこれを用いてパンを焼き、飢えをしのいだ経験を持つのではないだろうか」26)や「使用体験のある同僚の先生の手振りでだいたいのサイズと構造を再現しました」22)にあるように、終戦後に電気パンを実体験した人が、現役のベテラン教員として活躍している時代であったことも、教育現場に普及した一因であろう。
 1980年代も半ばになると、一部の熱意ある教員の間だけで共有されていた電気パンを多くの教員に紹介して共有するために、雑誌や書籍等でも報告されるようになる。この電気パンを教育現場に広く普及拡大させるきっかけとなった1980年代に発行された文献を以下に5つ挙げる。

①「ホットケーキを焼く-電解質水溶液の電導性」(化学教育編集委員会)『科学を楽しくする5分間-手軽にできる演示実験』化学同人、1984年4月23)
②「電気パンやき」(黒田弘行)科学教育研究協議会編『理科教室』新生出版、1984年9月号24)
③「電気パン焼き器」(高村紀久男)仮説実験授業提唱の板倉聖宣が編集代表の雑誌『たのしい授業』仮説社、1984年11月号25)
④「電気パン焼き器を用いた生徒実験」(後藤道夫)『SUT ULLETIN』24、東京理科大学出版会、1986年6月27)
⑤「パン屋もびっくり電気パン」(長野勝)愛知・岐阜物理サークル編『いきいき物理わくわく実験』新生出版、1988年28)

 これらの執筆者が、①中学・高校の化学教員、②小学校教員、③・④・⑤高校物理教員であることから、対象が小学校から高校まで、目的や内容が理科から化学・物理まで広範にわたっていることがわかる。
 この5つの文献で紹介されている電極式のパン焼き器は、容器の材料が異なっている。成城学園初等学校や暁星小学校の電気パン焼き器は「製作できる自信」を育てる教材であるため、終戦直後の電気パン焼き器と同じように木製で、木や釘を使用して製作させている18)19)20)。また、杉原が『おもしろ実験・ものづくり完全マニュアル』で紹介した電気パン焼き器も、同僚教員の終戦後の使用体験を再現するところから教材化を試みているため木製である22)。そして、②『理科教室』、④『SUT ULLETIN』も同様に電気パン焼き器は木製である29)。
 一方、この時期は多くの教員・生徒が手軽に1日に複数回の実験が行えるように、汎用性を高めるための工夫も行われており、①『化学を楽しくする5分間』、③『たのしい授業』、⑤『いきいき物理わくわく実験』では、木製容器ではなく牛乳パックを利用した電気パン焼き器が紹介されている。しかし、それぞれ使用する牛乳パックの大きさや加工方法が少し異なる。
 ①『化学を楽しくする5分間』では、1L牛乳パックをそのまま縦置きにした容器と、500mLパックを横置きにした容器の2種を、③『たのしい授業』も500mL牛乳パックを寝かせて横置きにしたものに開口部を設けた容器を使用している。成城学園の『理科テキスト1989年版』の電気パン焼き器は、1L牛乳パックを寝かせたパン焼き器で、この牛乳パック製のパン焼き器を各児童が製作して持ち帰り、自宅でも電気パンをつくっている(このテキストでは、電気伝導性等の実験を木製容器で、電気パン焼き器の製作とパンづくりを牛乳パック容器で行っている)。
 そして、湘南学園小学校の高橋愼司の1987年度関東地区研修会理科部会の報告30)や、⑤『いきいき物理わくわく実験』では、縦置きにした500mL牛乳パックの上部を水平に切断して作成した容器をパン焼き器として使用する、現在最も一般的な方法が紹介されている。これらが現在主流になっている牛乳パック縦置き容器を使用した電気パン焼き器の先駆けだといってよいだろう。
 上記の5つの文献は、さまざまな理科教育サークルや研究会や大会等で共有されていた電気パンを多くの理科教員に広めるきっかけとなり、500mL牛乳パックを使用した汎用性の高い電気パン焼き器の登場が、さらに普及を拡大させたと考えられる。
 さらに、電気パンの普及には雑誌・書籍等だけでなく、それぞれの執筆者やその周辺教員らの活動の影響が大きいことも推察される。
 ④『SUT ULLETIN』で「電気パン焼き器を用いた生徒実験」を報告した後藤道夫は、当時工学院大学附属高等学校物理教諭で、理科離れ対策の一つとして1991年に開催された「中学・高校生のための科学実験講座」(日本物理教育学会主催)や、翌1992年から現在まで全国各地で実施されている「青少年のための科学の祭典」の設立に関わり、科学技術博物館で行われた全国大会の実行委員長を務めた人物である31)。また、いわゆるお楽しみ・おもしろ実験を集めて掲載した書籍の先駆けとなる『いきいき物理わくわく実験』の執筆者は愛知・岐阜物理サークルに所属する物理教員で、彼らは「中学・高校生のための科学実験講座」に先駆けて1990年に「親子で楽しむ科学広場」(岐阜物理サークル主催)を開催し1000人以上の参加者を集めている32)。これらの教員による実践報告・イベント・書籍等が、生徒に響く教材を探していた関心度の高い教員どうしの人的交流・情報交換を促進したと考えられ、教員間のネットワークの拡大が電気パンの普及に大きな役割を果たしたといえよう。

(4)1990年代以降の電気パンの普及拡大・定着と近年の減少
 90年代になると、『イベントを盛りあげる科学実験お楽しみ広場』(1992年)33)、『おもしろ実験・ものづくり完全マニュアル』(1993年)22)、『たのしくわかる化学実験事典』(1996年)34)、『たのしくわかる物理実験事典』(1998年)35)のように、イベント・ものづくり・化学・物理の多様な実験書など、30以上の書籍や雑誌で電気パンが取り上げられ、理科授業、文化祭や科学部の活動、科学館等での科学教室等で実施される定番実験として多くの教員に共有された。
 2000年代には、高校の教科書「理科基礎」(東京書籍、2002)36)「科学と人間生活」(第一学習社、2011)37)にも掲載され、電気パンは理科実験教材の一つとして広く知られ定着した。
 その一方で、ステンレス電極板からの金属の溶出、小麦粉・牛乳等のアレルギー、病原性大腸菌O157等による食中毒などの理由から、実験でつくったパンを食べることの危険性や、感電事故の危険性等の問題が指摘されるようになる。さらに、保護者やマスコミなどから学校の安全管理への要求が一層高まり、近年は理科授業で電気パンはあまり実施されなくなっている。

4.おわりに
 本稿では、本やWebサイトなどに多く紹介され、学校や科学館等で行われる定番実験の一つである電気パンについて、1979年頃に成城学園初等学校で理科の実験教材として教材化がすすめられて以降、多くの教員よって試行されて普及に至るまでの経緯を調査した結果をまとめて報告した。
 教材化のきっかけに着目したのは、電気パンの有用性の再確認だけでなく、教材のつくり手としての教員の営みにも触れたかったからである。教材の有効性や活用法、教員の教え方について語られることは多いが、科学の原理や法則をわかりやすく目に見える形で示す教材、体験しながら気付きを促すような教材、理解を深めるような教材を探して試行・評価・改良する、教材のつくり手としての教員の役割や功績が語られることは少ない。電気パンの教材化の経緯を記録として残すことで、教材をつくる教員の職責に改めて焦点をあてたい。教科書・書籍・Webサイト等に掲載されている様々な実験教材には、開発に関わった教員達の思いや工夫が詰まっている。敬意を表しつつ活用し、子供達や学校等の実情に合わせて改良しながら継承する、利用者とつくり手の両視点を忘れないようにしたい。
 最後に、成城学園初等学校元校長立木和彦氏、理科実験助手森山朋子氏、NHK「みんなの科学」の司会者であり元東京都立高等学校長の安井幸生氏に、貴重な資料を拝見させて頂いたり、お話を聞かせて頂いたりしたことに改めて感謝致します。

参考文献

1) 内田隆(2020)「炊飯を起源としパン粉製造に続く電気パンの歴史(1)-陸軍炊事自動車と厚生式電気炊飯器とタカラオハチ-」『東京薬科大学研究紀要』23、1–14 内田隆(2021)「炊飯を起源としパン粉製造に続く電気パンの歴史(2)-終戦直後の電気パンの普及から現代のパン粉製造まで-」『東京薬科大学研究紀要』24、1–16

2) 内田隆(2018)「『電気パン』実験の教材的意義の考察」『東京薬科大学研究紀要』21、41–48

3) 山中和子(2001)『昭和二十一年八月の絵日記』、13、トランスビュー

4) 以下に文献の例を示す。川口武豊(1946)「手軽にできる電極式パン焼き器の作り方」『主婦の友』5 、37、主婦の友社関口守次(1946)「標準型電気パン焼き器の作り方」『主婦と生活』1(3)、105、主婦と生活社

5) 以下に文献の例を示す。赤見昌一(1947)「電極式蒸しパン器」『電熱器の設計及製作法』、83–84、電気日本 早尾卓・田中正士(1948)「電流の熱作用-電気パン焼き器」『初等電気学』、35–36、府中書院

6) 小林喜通(1946)「家庭用電気パン焼き器の設計」『少年工作』1、14–16、科学教材社

7) 京都師範学校男子部附属小学校科学教育研究部 大槻隆一(1947)『科学自由研究文庫 理化』7–14、高桐書院

8) 小林秀年(1948)「電気パン焼き器の実験」『科学と教育』3、83–87、科学と教育刊行会

9) 東京女子高等師範学校附属小学校教諭 堀七蔵・二見美喜・阿部廣司(1949)『小学家庭科の学習指導』、174–176、明治図書

10) NHK アーカイブス「みんなの科学」https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009040076_00000 NHKの Webサイトの放送記録には、1972年 4月 13・14日、7月31日、8月1日放映の「みんなの科学『たのしい実験室』パンを焼く」(講師:桂田実・安井幸生・田中穂積)があるが、この回は電気パンではなくオーブンを使用した一般的なパン焼きを扱っている。また、表1の1967年10月の放映回の内容は電気パンかオーブン等でのパン焼きかは不明である。「みんなの科学・たのしい実験室 – 想い出の広場」http://mkagaku.jugem.cc による。

11) NHK 教育テレビ「みんなの科学」-たのしい実験室・科学実験グループ(1978)『みんなの科学 たのしい実験ファンクラブ』2(12)、8–9、じっけんクラブ

12) 安井幸生氏へのインタビュー調査による。

13) 庄司和晃(1975)「仮称科学科経験科への志向」『教育改造』54、14–15、成城学園初等学校

14) 上廻昭(1982)「私の教育実践:自信と楽しさ与える理科教材-科学教材と経験教材による実験研究は成立した」『月刊教育の森』7(2)、119–123、毎日新聞社

15) 立木和彦・田沢与光・上廻昭・杉田博之・間橋朋子・纐纈和好(1980)「理科教育における経験教材の開発と教育実験」『成城学園教育研究所教育年報』3、114–126

16) 成城学園初等学校元校長立木和彦氏、理科実験助手森山朋子氏へのインタビュー調査による。

17) 立木和彦・田沢与光・上廻昭・杉田博之・間橋朋子・纐纈和好(1981)「理科教育における経験教材の開発と教育実験(続)」『成城学園教育研究所教育年報』4、55–128

18) 成城学園初等学校理科研究部『成城学園初等学校 経験教材テキスト集 1981 版』は、元成城学園小学校理科実験助手森山朋子氏が保管していた資料をお借りしたものである。

19) 成城学園初等学校理科研究部『成城学園初等学校 技術教材テキスト集 1983 版』は、湘南学園小学校の高橋愼司教諭が保管していた資料をお借りしたものである。

20) 吉村七郎(1982)「成城学園小学校の経験教材について-および電気パンの紹介」仮説実験授業研究会編『授業科学研究』12、83–91、仮説社

21) 杉原が作成した以下の Web サイトに書かれていたが、現在はこのページは閉鎖されている。電気パンの基本:http://web.kyoto–inet.or.jp:80/people/sugicom/kazuo/neta/butu8.html

22) 杉原和男(1993)「電気パン焼き器」左巻健男編 『おもしろ実験・ものづくり完全マニュアル』、21–26、東京書籍

23) 化学教育編集委員会(1984)「ホットケーキを焼く-電解質水溶液の電導性」日本化学会編『科学を楽しくする 5 分間-手軽にできる演示実験』、165–169、化学同人

24) 黒田弘行(1984)「電気パンやき」科学教育研究協議会編『理科教室』27(9)、86–87、新生出版

25) 高村紀久男(1984)「電気パン焼き器」『たのしい授業』20、74–77、仮説社

26) 後藤道夫(1991)「電気パン焼き器でパンを焼く」(財)日本私学教育研究所編『楽しい実験室女子高生のチャレンジ (グラフィック理科実験室)』、105–109 、日本教育新聞社出版局

27) 後藤道夫(1986)「電気パン焼き器を用いた生徒実験」『SUT BULLETIN』3(6)、50–51、東京理科大学出版会

28) 長野勝(1988)「パン屋もびっくり 電気パン」愛知・岐阜物理サークル編『いきいき物理わくわく実験』、115、新生出版

29) ④『SUT BULLETIN』の後藤のパン焼き器は、パンの取り出しが容易になるように木製容器の側面に蝶番を付けて開閉が容易になるように工夫されている。

30) 高橋愼司・高橋亮平(2018)「電気パンの可能性」『子どもと自然学会誌』13(1)、51–58

31) 後藤道夫(1991)「第 1 回『中学・高校生のための科学実験講座』からの報告(学会報告)」『物理教育』39(4)、296–298、日本物理教育学会

32) 後藤道夫(1991)「第 1 回『中学・高校生のための科学実験講座』の開催について(学会記事)」『物理教育』39(2)、116–119 日本物理教育学会

33) 高橋匡之(1992)「電気パンをつくろう」本間明信・小石川秀一・菅原義一編『イベントを盛りあげる 科学実験 お楽しみ広場』、78–79、新生出版

34) 後藤富治(1996)「蒸しパンづくり」左巻健男編『たのしくわかる化学実験事典』、398–399、東京書籍

35) 古川千代男(1998)「物に電流を通じると必ず発熱する」左巻健男・滝川洋二編『たのしくわかる物理実験事典』、322–324、東京書籍

36) 上田誠也 他12名(2002)高校教科書『理科基礎』、130、東京書籍「流れる電気・見える電気」の章で、電気エネルギーの熱エネルギーへの変換例として実験方法が記載されている。

37) 中村英二 他9名(2011)高校教科書『科学と人間生活』、65、第一学習社「熱や光の科学」の章で、ジュール熱の利用の例として実験方法が記載されている。「電極板付近のパンを食べないこと」と注意書きが添えられている。

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