三次元多環式化合物に対する触媒的官能基化反応の開発
概要
【序論】
医薬品は、人類の健康を維持し、また疾患をコントロールし治療するために必要不可欠なものである。現代においても、新規に承認される医薬品の多くは、経口投与が可能であり、製造コストが低い低分子医薬品である。その一方で、低分子医薬品は、タンパク質製剤と比較して、標的としていないオフターゲットとの間の非特異的な相互作用に起因した毒性が発現するリスクが高い。医薬品開発中断の要因となる毒性発現を回避するために、医薬(候補)品の構造と毒性発現リスクの関係を解析する目的で様々な研究がなされてきた。その結果、芳香環の数が一定以上増えると、CYP阻害やhERG阻害が増す傾向にあり、毒性発現のリスクが上昇することが判明した1。また、芳香環を多用した平面的構造は、溶解性、融点など物性に関しても悪化する傾向にある。そのような背景のもと近年の創薬化学では、安全性・物性のリスクを低減するために、立体的に嵩高い環構造を有する三次元多環式化合物の重要性が増している。しかしながら、三次元多環式化合物の合成化学は一般に電子的・立体的に困難を伴い、汎用性が高い官能基化反応の開発が必要とされている。
以上の背景を踏まえて筆者は、ベンゼン環やt-ブチル基などの生物学的等価体として近年注目を集めるビシクロ[1.1.1]ペンタン(Figure 1、以下、本文中でビシクロペンタン、図中でBCPと略す。)、1個の炭素と11個のホウ素からなるアニオン性クラスター分子であるMonocarba-closo-dodecaborate(Figure 2、以下、C1カルボランアニオンと略す。)を対象とした「三次元多環式化合物に対する触媒的官能基化反応の開発」に取り組んだ。
【本論】
1. ビシクロペンタンへの非対称二置換導入法の開発2
近年の創薬化学において、重要性が増している三次元多環式化合物の代表例であるビシクロペンタンは、フェニル基やt-ブチル基などの生物学的等価体として知られ、溶解性・代謝安定性・膜透過性などの幅広いプロファイルを一挙に改善することができる非常に有用な構造である。
しかし、ビシクロペンタンは高度に歪んだ多環構造を有するために、その合成化学は一般に困難を伴い、入手・利用可能なビシクロペンタン誘導体の置換パターンは限定的であった。特に、三位置換ビシクロペンチルアミン構造は、非常に有用なビルディングブロックであるにも関わらず効率的な合成が困難であった。すなわち、ビシクロペンタン合成の原料として汎用される[1.1.1]プロペラン(以下、プロペランと略す。)から対称二置換体を中間体として合成した後に、非対称化する合成法が主に用いられていた。本合成法の問題点として、対称二置換体を非対称化するために多段階反応が必要であり合成コストが高いこと、置換基を持つ芳香環の導入が困難であること、置換位置を制御した芳香環の導入が困難であることなどが挙げられる。これら問題点を解決すべく、ビシクロペンタンへの直截的な非対称二置換導入法の開発を検討することとした(Figure3)。
プロペランの中央の結合は高度に歪んでおりラジカルの付加で容易に開裂すること、その結果生じるビシクロペンチルラジカルは比較的安定であること(環開裂のエネルギー:~26kcal/mol)に着目し、ラジカル多成分反応を検討することとした。その際、プロペラン同士の重合反応の制御が課題であるが、モデルDFT計算(UM062X/6-31G*)の結果、アゾカルボン酸ジ-tert-ブチル2がラジカルトラップ剤として適することが示唆された。さらに、炭素ラジカル源としてヒドルヒドロペルオキシド(TBHP)/炭酸セシウムの組み合わせを最適化条件として見出した(Table1)。
本反応は、グラムスケールで実施可能であり1.6g(71%)の非天然アミノ酸誘導体4aを与えた。また、アリールヒドラジンを用いて基質一般性の検討を行った結果、電子求引基をはじめとする幅広い官能基に対して適応可能であった。さらに、ピラゾール、ピリジン、ピラジンパターンの非対称二置換化された誘導体を直截的かつ効率的に合成することに初めて成功した。さらに、本反応により得られる生成物は、合成化学的に非常に有用であるアミン、ヒドラジンに容易に変換可能であることを確認した。最後に、実験と理論計算を用いて反応機構について検証した結果、合理的なラジカルサイクルを支持する結果が得られた(Figure4)。
2. C1カルボランアニオンの炭素頂点におけるクロスカップリング反応の開発と機能創出
様々な特徴的性質を有しており機能性分子としての応用が期待されているC1カルボランアニオンに関する新たな反応の開発に取り組んだ。これまで、一位炭素頂点における実用的な芳香環導入法は事実上なく、クロスカップリング反応の開発は困難であるとされてきた。実際に、汎用されるホウ素試薬や亜鉛試薬を用いるクロスカップリング反応を検討したが、反応は全く進行しなかった。この原因は、C1カルボランアニオン骨格に由来する特異な立体構造・電子状態にあると考え、一位炭素頂点の金属種の検討を行った。詳細な検討の結果、一価銅試薬8を用いた際に副反応を伴うことなく目的とするカップリング体10aを選択的に与えることが判明した。反応条件を検討した結果、酢酸パラジウム/トリス(o-メトキシフェニルホスフィン)(L1)の組み合わせを最適化条件として見出した。また、生成物のX線結晶構造解析を行うことで、アリール基は目的とする1位炭素頂点上に導入されていることを確認した(Figure5)。
得られた最適化条件を用いて基質一般性を検討したところ、電子的・立体的に幅広い官能基を持つ芳香環、ホウ素頂点をハロゲン化したC1カルボランアニオンに対して適応可能であった。さらに、多価アニオンの創製についても検討したところ、反応性を損なうことなくジアニオン体、トリアニオン体の合成が可能であった(Figure6)。開発した反応により幅広い新規C1カルボランアニオン誘導体の効率的な合成が初めて可能になった3。
その結果、C1カルボランアニオンの特徴に立脚した、下記のような幅広い応用研究に繋げることができた。
・医薬化学:アニオン性ファーマコフォアを持つ生理活性物質の創製3
・材料化学:イオン液晶の創製4
・基礎化学:「σ芳香族」であるC1カルボランアニオンと「π芳香族」である芳香環との間に存在する「σ-π共役」の実証5
【総括】
ビシクロペンタン、C1カルボランアニオンを対象にした「三次元多環式化合物に対する触媒的官能基化反応の開発」に取り組み、以下の結果を得た。
1) プロペランのラジカル多成分反応を開発することで、幅広い置換パターンの非対称二置換化されたビシクロペンタン誘導体を、直截的に合成することに初めて成功した。得られた生成物は、合成化学的に非常に有用であるアミン、ヒドラジンに容易に変換可能であり、医薬品のみならず機能性材料など幅広い産業への応用が期待される。
2) 1位炭素頂点上における汎用性の高い芳香環導入反応として、一価銅試薬を利用したクロスカップリング反応を開発した。本手法により1位炭素頂点上にアリール基等が導入された幅広いC1カルボランアニオン誘導体の効率的合成が初めて可能になった。その結果、C1カルボランアニオンの特性に立脚した新たな機能性分子の創製・新たな電子非局在化の実証に繋げることができた。