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大規模診療報酬情報データベースを用いた歯科・口腔外科領域の臨床疫学研究

石丸, 美穂 東京大学 DOI:10.15083/0002005019

2022.06.22

概要

エビデンス（科学的根拠）に基づく医療（EBM, evidence-based medicine）を実現するため、近年、大規模診療報酬情報データベースを用いた臨床疫学研究が世界中で行われている。大規模診療報酬情報データベースとは診療報酬の支払い内容についてのデータなどを収集したものである。リアルワールドの診療データであることや症例数が多いことなどの利点により、様々な診療科において大規模診療報酬情報データベースを用いた臨床疫学研究が行われている。

しかし、歯科・口腔外科領域においては、大規模診療報酬情報データベースを利用した臨床疫学研究はほぼ存在しなかった。歯科・口腔外科は、(i)う歯・歯周病などの全年齢層で発生割合が高い疾患の治療、(ii)頭頸部がんの中でも口腔内に発生する舌がん・歯肉がん、頰粘膜がんなどの狭い領域の悪性腫瘍に対する治療、(iii)顎骨の良性腫瘍に対する摘出術や顎骨の形成術などの外科的治療、等を行う診療科である。

本邦では、診療報酬制度が医科（医師・看護師等）によるものと、歯科（歯科医師・歯科衛生士等）によるものがあり、両者はデータの区分は異なる。医科の大規模診療報酬情報データベースでは医科の全ての診療科についてデータを得ることができるが、歯科のデータを得ることはできない。そのため、歯科のデータを含む大規模診療報酬情報データベースはほとんど存在せず、研究を行うことが困難な状況にあった。

本研究は、口腔外科領域について、医科で行われたDiagnosis Procedure Combination (DPC)データベースを用いて治療の効果比較研究を行った。また、2011年度から研究利用が開始したレセプト情報・特定健診等情報データベース（NDB: The National Database of Health Insurance Claims and Specific Health Checkups in Japan）を利用して、世界的にも報告が少ない歯科領域の効果比較の臨床疫学研究を行なった。さらに、歯科・口腔外科領域における大規模診療報酬情報データベースを利用した臨床疫学研究の有用性と欠点について考察した。

行った研究は以下の二つである。

【研究①：頭頸部がん患者への放射線照射療法併用セツキシマブ治療と従来治療の放射線照射療法併用シスプラチン治療を比較した人工栄養投与との関連】
分子標的薬セツキシマブは局所進行性の頭頸部がん領域で使用される薬剤であり、本邦では2012年から使用が承認されている。放射線照射療法併用セツキシマブ治療（CetRT）は従来からの標準治療である放射線照射療法併用シスプラチン治療（CCRT）と比較すると、有害事象の発症が少ない可能性が指摘されてきた。本研究の目的は、局所進行性頭頸部がんに対して、放射線療法併用セツキシマブ治療（CetRT）と放射線療法併用シスプラチン治療（CCRT）を行った患者における人工栄養依存状態発生割合について比較することである。本研究はDiagnosis Procedure Combination（DPC）データを利用し、2012年12月から2014年3月までに頭頸部がんの病名が存在する患者で、入院中にCCRTかCetRTが行われていた患者を対象とした。主要アウトカムは（１）放射化学療法を行った日から30日間で人工栄養使用期間の有無、（２）退院日に人工栄養の投与の有無、の二つとした。傾向スコアマッチングをCetRT群とCCRT群で行った。統計解析は二値変数の場合はカイ二乗検定を行い、連続変数の場合はt検定を行った。主解析として、主要アウトカムについてはそれぞれ一般化推定方程式（GEE: generalized estimation equation）モデルを作成し、マッチングペアを考慮してロジスティック回帰分析を行った。11,739人の患者が最初に選択され、除外基準を適応すると、3,935人が解析対象患者となった。そのうち傾向スコアマッチングをすると250ペアの500人が最終解析対象患者となった。CetRT群はCCRT群と比較して、放射線併用化学療法を開始した日から30日以内に人工栄養使用があった割合が統計学的に有意に低かった。（25.6%対35.2%, OR=0.67[95%信頼区間0.46−0.97], p=0.023）また、退院時の人工栄養使用については二群で差が認められなかった。(7.2%対7.2%, OR=1.07[95%信頼区間0.52−2.17], p=0.861)CetRTとCCRT療法で直接的に生存率を比較した第Ⅲ相臨床試験が存在しないため、どちらの治療がより有効かについては未だに結論がついていない。その中で、有害事象の発生割合という点で比較検討した本研究は、二つの治療の有用性について検討する一つの材料となると考える。本研究は局所進行性切除不能頭頸部がんの治療について、新たなエビデンスを示す事ができた。

【研究2】がん切除術施行患者に対して行われた術前口腔ケアと術後肺炎の関連
がん手術直後の術後肺炎発症率は2.6%-3.5%程度であり、肺炎は重症化すると死亡率が増加し、入院日数が伸びると報告されている。術後肺炎発症の原因の一つとして、口腔内や咽頭に常在する細菌を含む唾液を気管内に誤嚥してしまうことが挙げられている。歯科医療従事者による専門的な口腔ケアは院内肺炎、特に人工呼吸器関連肺炎の発症を低減できる可能性が報告されていた。食道全摘術や心臓外科手術前の口腔ケアが術後肺炎発症の減少と関連がある可能性が示唆されてきた。しかしいずれも数十例程度の単施設調査や共変量を調整していない研究であり、効果比較を検討するためには十分な研究ではなかった。そこで本研究は、歯科医による手術前口腔ケアががん手術後患者の術後肺炎発症率や死亡率を減少させるかどうかについて調べることを目的とした。
2012年5月から2015年12月の期間で、頭頸部がん、食道がん、胃がん、大腸がん、肺がん、肝臓がんの切除術がDPC病院の入院下で施行された患者である。手術日から30日以内に周術期口腔機能管理料が算定されている患者を術前口腔ケアあり群とし、それ以外の患者をコントロール群と設定した。主要アウトカムとして、術後の肺炎発症と術後30日以内の院内死亡を評価する事とした。傾向スコア逆確率重み付け分析を行い、一般化線形回帰モデルを用いてリスク差を評価した。780,389人が本研究に組み込まれ、除外基準により最終解析対象患者は741病院に入院エピソードがある509,179人となった。そのうち歯科医師による術前口腔ケアを受けていた患者は81,632人（16.0%）であった。歯科医師による術前口腔ケアは術後肺炎発症の減少と有意に関連していた（3.28%対3.76%, リスク差-0.48%[95%信頼区間:-0.64, -0.32], p<0.001）また、歯科医師による術前口腔ケアは術後30日在院死亡の減少とも有意に関連していた（0.30%対0.42%, リスク差-0.12%[95%信頼区間:-0.17, -0.07], p<0.001）本研究によって歯科医師によって行われる術前口腔ケアの重要性が示された。歯科医療従事者による機械的な歯面清掃や歯周ポケット内の歯石の除去などによって、より多くの口腔内のバイオフィルムを減少させることができる。歯科医療従事者が口腔ケアに介入することの重要性は増加しており、今後もがんの医療チームに歯科医師が参入することでより良い口腔ケアマネジメントを行うことが期待される。

大規模診療報酬情報データベースを用いて臨床疫学研究を行う利点として、（１）施設数と症例数が多いこと、（２）実臨床に則したリアルワールデータであること、（３）既に集められているデータを二次的に利用するため、労力やコストが低いこと、などが挙げられる。症例数の多さは症例や治療内容などの全体像を把握するのみならず、治療の違いによる効果評価を行うことができ、また稀な疾患やアウトカムについても評価することが可能となる。またリアルワールドデータであることはRCTでは得られないような効果を評価することができる。RCTでは小児や高齢者・全身状態が悪い人などが除外されてしまうことが多く、理想的な環境下での結果を得られるものの、一般集団全体での効果を評価することはできない。そしてデータベース研究はデータの二次利用のため、臨床疫学研究を行う上で労力やコストが低いことで、臨床疫学研究を行うfeasibilityが飛躍的に向上する。二編の研究を通して、歯科・口腔外科領域における大規模診療報酬情報データベースを利用した臨床疫学研究を行う有用性を示す事ができた。歯科臨床疫学研究を行うのが困難である事の理由に、医科の臨床疫学研究は病院単位で行われる場合が多いが歯科は個人クリニックの診療が主であり、一般病院や大学病院などで務める歯科医師が多くないことが考えられる。大規模レセプトデータベースを利用することでこの問題を克服でき、様々な臨床疫学研究ができると期待される。大規模診療報酬情報データベースを用いた欠点として、記載されたコードの妥当性が不明であることと、交絡になる可能性がある変数を得られないことが挙げられる。本研究の中では診断コード・処置コード・薬剤コードを利用しているが、それぞれのコードの妥当性研究は行われておらず、本邦では一部の疾患や処置に対しての研究のみ存在する。今後更に大規模診療報酬情報データベースを利用した臨床疫学研究が増加する上で、妥当性の研究は不可欠である事が分かった。

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