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広島大学学術情報リポジトリ
Hiroshima University Institutional Repository
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奈良, 勝司
拓蹊 , 3 : 4 - 10
2020-05-30
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Self DOI
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Right
Relation
https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/00049172
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国の議会制史を整理してみたらどうだろうと思ったのです。
それで、レジュメにポイントとして「民意」の政治への反映と書いてありますが、これは
「民主主義的要素」ということで選挙により保障される。一方、「自由主義的要素」という
のは、「権力の分立と抑制」を意味するものであり三権分立などによって保障されるわけで
す。そして、両者を結びつけるものが「議会」であるという視点ですね。この視点から見る
と、「議会専制」の歴史とは、民主主義的な要素を過度に強調しようとする議会観、つまり
議会権力を一方的に強化しようとする議会観が、権力の分立すなわち議会と政府の権力的
な均衡と抑制を重視する自由主義的な議会観・構想を圧倒していった歴史、として捉えられ
るだろうと整理できます。
それから第 4 点として、中国における「国情」論的主張への異議申し立てと書いていま
す。これは、中国史・中国論をやっている人には自明のことかもしれませんが、近年の中国
では西欧的な価値観、例えば権力分立などは中国の国情、つまり国のあり方、国の歴史・伝
統には適合しないのだということで、現在の人民代表大会制なども正当化していくわけで
す。しかし、本書の立場は、西欧的価値観は中国の国情に不適なのだということではなく、
権力の分立すなわち議会の自由主義的要素は、もはや西欧的な価値観を超えて普遍的な意
義を有するようになっているのだという立場から議論をしたい、そうすることによって孫
文の国民大会構想や共産党の人民代表大会制に対する批判的な視点も成り立ち得るのだ、
という意図を持っているということです。
以上の 4 点を、書いた側の立場から、少し念頭において議論していただけたらと思い、お
話させていただきました。以上です。
丸田
どうもありがとうございました。それでは早速、奈良先生の方から書評報告をよろしくお
願いいたします。
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奈良勝司
奈良勝司(広島大学大学院 以下、奈良)
それでは始めさせていただきます。今の説明を聞いて、自分の頭の中で改めて整理ができ
たので非常にありがたかったです。レジュメは A31 枚で 2 頁からなっています。ご確認く
ださい。レジュメの構成は、本書の構成・特徴の部分と、私が勉強になった部分、および疑
問点・聞いてみたい点という 3 点からなっています。
で、まずですね、先ほどのご説明でもあったように、本書自体が明確な分析視角に基づい
て書かれていることを第一印象として感じました。そのことは、私のように隣接分野に従事
している、中国近代史が専門ではない門外漢の立場としても、中身の具体的な史実の検証に
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は立ち入れないという限界はあれ、論争的な面も含めて、議論を可能にしていると思いまし
たし、事実色々と刺激を受けて、非常に面白く拝読いたしました。読み間違いなどがあれば、
悪しからずご容赦いただければ幸いです。
構成・特徴としては、先程の説明にもあったように、まず何よりも議会専制という分析視
角が掲げられていることが第 1 の特徴として挙げられます。これに基づき、中華民国から
中華人民共和国にかけての議会や議会構想、議会を巡る憲法議論、草案などを体系的に分析
されているんですけど、そこで前近代から続く天命観念とのつながりに着目されているこ
とが、興味を引きました。私も日本の幕末維新史をやっているのですが、幕末維新史という
のは日本史における近世から近代への移行期なので、それがどのように移行したかという
のは古くて新しい問題、課題です。そして今まで、連続説や断絶説など様々な議論がなされ
てきたんですが、私が近年やっている幕末維新期の公議研究というのがあるんですけれど
も、これは人々が広範に意志決定に参加していく現象を扱うものです。代表的には、議会制
度に結実していくものとして古典的にイメージされてきたのですが、西洋的な議会制を輸
入していく動きと並行して、江戸時代までの正当性観念や、公の観念というものが、実は非
常に密接に関わっているという側面がありまして、そういう点からもこの天命観念との関
連付けは、非常に興味をひかれました。逆に言えばここは本論の部分では、本格的に掘り下
げられていないとも同時に思いましたが、それは無いものねだりかもしれません。
参考までにいえば、幕末維新期の公議の問題は、単に民主主義として議会制を導入すると
いう話では、到底収まらない問題でして、いろんな問題が表出します。ひとつ目は、熟議と
決断というものの関係性です。時間をかけて物事をじっくり決める、熟議という方法がひと
つある。他方で、幕末に西洋的なスピード観念が持ち込まれて国家的な意思決定を迅速にし
なくてはいけなくなると、強力なリーダーシップによる決断というものも要請される。この
両方がどういう風な関係にあるのか、またせめぎ合いをしていくのか、というのが 1 点で
すね。もう 1 点は、衆議と至当ということでして、幕末の人々は同じ公議という表現を史料
上では使いながらも、多くの人による衆議という意味合いで使う論者もいれば、正しい議論
という意味で使う論者もいて、その定義が混在する形でせめぎ合いながら状況が進展しま
した。これも幕末維新期の公議論の特徴です。こうした明治維新期の日本の問題との関連も、
意識しながら読ませていただいたということを、日本史研究者として最初に紹介させてい
ただきます。
3 つ目の中黒の箇所に行きます。これも先ほどご説明がありましたが、私は法制史ではな
い文学部の日本史の立場で研究を行ってきたので、改めて新鮮に感じたのは、民主主義と自
由主義を分析概念として明確に区別した上で、その二つの緊張関係から事態の推移を検討
している点です。これも本書の大きな特徴と感じました。
自由主義というのは、これも先ほどの待鳥さんの定義によるものということなのだと思
いますけれども、三権分立的なものを指しています。それと民主主義は必ずしも一致するわ
けではなくて、相反したり矛盾したりするケースもあるし、むしろそこを見ていくというの
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が、本書のひとつ重要な縦糸になっているということですね。民主主義的要素と自由主義的
要素という表現もされています。( )の後の数字は本書の頁数を示しています。また引用
中の太字や下線部は私の方で振ったものです。
4 点目として、戦前と戦後の連続性の視点を打ち出されています。日本史でも、かつては
1945 年までとそれ以降を断絶とみて、分けてとらえる議論が古典的に通説として定着して
いたわけですが、近年ではそこを連続性の下で読み解こうという視角が出ています。これは、
西洋史のナチスドイツにおける総力戦体制の研究から援用されたものですが、それらとも
対応するかたちで、中国においても戦前から戦後への影響・連続性を見通して行こうという
視角が読み解けるということですね。
以下の部分では、こういうことを感じるに至った本文の箇所・表現をいくつか紹介してお
きます。このあたりはちょっと適宜にとばして行こうと思いますけれども。
分析対象は中華民国がメインですが、最後の部分で共産党体制にも言及されているので、
そのところを少し読み上げておくと、5 頁の部分で「日本の中国政治に対する認識に必要な
のは、近代中国とくに中華民国が、立憲政治を追求した『共和国』であったという事実を受
け止め、その歴史的流れのなかに中華人民共和国の政治を位置づけるという歴史的視点の
導入であろう」とあります。すなわち、共和国の質を解明する手段・手法として、議会分析
が位置づけられているという構造になっています。
また 2 頁では、
「一党独裁体制と性格づけられる現在の共産党体制が、実はそうした立憲
的志向の行き着いた到達点であったという歴史的な逆説」が予見されています。これはです
ね、先ほどあげた中国前近代の天命という正統性観念が、西洋近代が不可逆的に定着してい
く状況下でも、第一義的な主体性を失わないまま、別の表現をすればそれを引きずって、変
容展開していく推移を見通したものといえます。
11 頁以降では、
「本書の基本的立場は、議会の民主主義的要素を過度に強化しようとする
『議会専制』の志向が支配的で、国会と政府の間に権力均衡と相互抑制の自由主義的関係が
なかなか実現できなかったところに、近代中国における議会制と立憲政治の特徴を見出そ
うとする」と、改めて本書の視角がまとめられています。
次に勉強になった点です。これも構成・特徴の部分と被るのですが、やはり議会専制です
ね、この議会の決定が強大な力を持って専制の様な、力を持ったことを示されたのは、これ
は分析視角そのものでもありますが、非常に勉強になりました。
具体的には、中国史では常識なのかもしれないですが、古典的な国民党と袁世凱の関係に
対する理解などにも、再考を迫るような示唆・刺激がありました。これは、議会民主主義の
古典的イメージの相対化・見直しでもあろうかと思います。
そしてこれもまた繰り返しですが、自由主義を三権分立論と捉えて、民主主義とはある意
味区別して分析する。その上で、民主主義が成立している、しかも過剰に成立している状況
においては、そうであるがゆえに自由主義が未成立ないしは未成熟な状態におかれるとい
うことですね。これは例えば、共産党であれば民主集中制という理念があるので、そこを念
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頭におけば珍しくもない発想なのかもしれませんが、日本近代史、とりわけ前期を中心に行
っている身としては、刺激を受けた構図です。
そして次には、戦前と戦後の連続性ですね。レジュメの 2 頁に移りまして、以下ではその
連続性の議論の中でも私がみてとった二つのラインをあげています。
一つは、議会専制の系譜を時系列に見ていくということで、辛亥革命から 13 年間、曲が
りなりにも続いた西欧的議会の時期のですね、その議会の系譜あるいは運用を巡る実態で、
それが途絶した後に、孫文が新たに政治構想を打ち出した際の国民大会の位置づけ。さらに
は戦後に中国共産党が政権を取って、そこで全人代の制度が打ち出されていく時期。こうい
う中期スパンで見た時に、議会専制という傾向・系譜として一本筋を通せるという、そうい
うものが提示されていると思います。
それと並んで、またこれとは別の方向性が、台湾における中華民国に受け継がれたことが、
現代史にまで通じる射程で見出されています。すなわち、議会専制という民意至上主義的な
一元主義に対する抵抗・反発、ないしはこれを是正する運動が粘り強く行われていたことが、
知識人や他の活動を介して紹介されています。西洋的な三権分立主義が議会専制に対峙す
るかたちで、なされた克服の試みというものがもう一本の縦糸として分析の俎上にあがっ
ている。具体的には、中華民国の憲法案が変遷していく様であったり、国民党が絶対視して
いた孫文の構想というものが、単純に引き継がれているように見えて、実は換骨奪胎されて
いたことなども、213 頁などで指摘されています。また、立法院を事実上の国会に改めてい
こうという動きが粘り強く持続し、ある意味実現していくという推移も、議会専制の系譜が
貫徹するという縦糸とは対極にあるもう一本の縦糸として、示されているという風に捉え
ました。
その下はまた引用で、被るところはちょっと飛ばしますが、史料で面白かったのが、57 頁
の国会議員の発言で、
「人民は株主であり、国会は理事会である」
「民国の精神は全て国会に
ある。国会は主権を行使する機関であって、その権力は内閣・総統を全く超越している」な
どです。このあたりの文言は、今まで紹介してきた本書の骨子・テーゼが、同時代史料とし
て象徴的に表現されていると思いました。
レジュメには書いていないのですが、日本史との絡みで興味をもったのは、先ほどの熟議
と決断の話に関わって、議会専制のような議事機関に過剰な権力を持たせようとする志向
は、他の権力や機関に対して暴走する危険性に加えて、物事を決められない、決断できない
という内在的問題もあるのではないかという点です。明治維新ではこれが潜在的な問題に
なるのですが、本書では果してどうだったのでしょうか。もちろんこれは、本書では体系的
に掘り下げて分析されていたわけではありませんが。本書では、党派の分立、合従連衡・離
合集散の常態化が指摘されたり、あるいは国会が開かれても、1 年足らずで閉会断絶してし
まい、落ち着いた運用ができなかった状況がその都度示されていますが、議会そのものが原
理的に、多人数が集まって議論すると、いろいろ意見が集まって、素朴にいうと中々決めら
れない問題を抱えている。そこでの決定の仕方というのは、議会論の実は要諦になってくる
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のですが、議会専制の系譜を牽引していた人たち、イデオローグたちはその点をどう考えて
いたのか。これもちょっと後に書いたのですけれども、非常に気になったところです。
幕末維新期の状況をもう少し具体的に言及しますと、在野から議会論ばかりが出てきま
す。つまり、幕府の一部の老中が政治を専断しているのはけしからんという議論が広がりま
す。長州藩とか薩摩藩とか、民衆や志士など、今まで阻害されていた我々を政治の意思決定
に含めろという、そういう志向が様々な政治活動の底流をなして政治参画枠の拡大をずっ
と訴えていく。これまで例えば 3 人で決めていたのを 30 人に、30 人で決めていたのを 300
人にと、分母・裾野を拡大させる衝動が反幕運動の背景にある。だから議会論がすごく盛ん
に、その意味でもなるんですね。
但しこれはですね、本書でもあげられてる坂野潤治さんが端的に批判しています。どうい
うことかというと、そこには内閣に関する発想がない。多人数で議論さえすればうまくいく
というオプティミズムに満ちていて、議論を決定にどう昇華するかという回路の具体的発
想がない。行政をどうするのか、執行をどうするのか、内閣を幕府に代わる形でどう作るの
か、という発想が幕末段階で全くなくてですね、立法機関である議会をつくれば、行政を含
む政治が上手く回っていくというですね。そういうオプティミズムの発想の指摘がありま
して、私も全くその通りだと思います。
そういうことがあるので、慶應 3 年末に維新政権ができると、維新政権は困ってしまい
ます。つまりみんなでの話し合いは実現するのだけれども、一方では戊辰戦争を遂行して行
かなきゃいけない。1 分 1 秒の決断をしていかなきゃいけない。
平時以上に迅速な決断も要請される情況下で、その決断を担保する理論の蓄積がぜんぜ
んない。政治機構も未整備という事態に、草創期の維新政権は直面します。
有栖川宮という人が総裁に選出されますが、彼にも全権はない。制度としても総裁が専決
できる訳じゃなくて、総裁も含めた複数人で会議をする。そして会議がそのまま政府である
ような体制で、戊辰戦争下の新政権は出発する。しかしそれでは到底まわらないので、実際
には大久保や西郷あたりがリーダーシップを発揮して、しばしば独断にもとづき超法規的
に物事を進めていくと。この両方がせめぎあいながら、綱渡り的に新政権は現実運用されて
いく。このように、会議の場を通して議論はできるんだけれども、決定と執行はそのままで
きるわけじゃないっていうことが、議会専制という系譜の中で問題として浮上したのか、あ
るいはしなかったのか、当事者たちはどういう意識だったのか。刺激を受けただけにすごく
気になった部分です。
179 頁と 180 頁の引用は、戦中・戦後の連続性の議論に関するものです。
続いて、もうフライングしてしまっていますが、疑問点や聞いてみたい点に入っていきま
す。本書ではある種確信犯的に、論理的・問題掲示的な構成にされていると思いますので、
いろんな質問や聞いてみたい点が出てきます。そしてそのこと自体が、ある意味本書の狙い
の一つの成功ということでもあるのかなと感じました。
以下では、自分の力量の範囲で、さしあたり 3 点提示させていただきました。
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1 点目は、
「伝統的な『天命=民意』的統治観念」からの「横滑り的移行」として、議会制
度設計を見られる(279 頁)わけですが、その伝統的観念の具体的様相が、19 世紀末から
20 世紀初頭、辛亥革命の前後ぐらいの時期に、現地ではどのようなものであったのか。そ
れは同時代人とか当事者によって、どのように言及されたり、考えられたりしていたのか。
そこの部分を、以後の考察の前提として知りたいと思いました。これは思想史的な問題なの
で、運動史主体だった研究史に対して法制史に親和的な憲法運用史的アプローチをされた
本書では、自覚的に削ぎ落とされたところかもしれませんが、もし分かれば教えていただき
たいというのが 1 点ですね。
2 点目としては、議会専制において各所で指摘される機能不全の問題の原因は、擬制・見
せかけの多発によりそもそも議会専制が本当の意味では実現できなかったことによるのか、
それとも実現したがゆえの構造的・原理的問題であったのかという点です。つまり、本書で
は議会専制がその原理自体に孕んでいる問題性、桎梏のようなものが明確に意識されてい
ると思うのですけれども、それとは別に、議会がちゃんと機能しない周囲の環境由来の問題
についても、具体的に事例をあげられていると思うのです。例えば第Ⅱ章の安福国会の事例
では、絶対多数をとったが故に、民意を代弁しているようにみえて、実際は民意から乖離す
る現象が紹介されている。具体的には、中国銀行に介入を試みた時、輿論がかなり反発する
という話ですね。この部分では、議会が本当に民意を代弁しているのかという問題が提示さ
れています。
あるいはⅧ章の最後、245 頁のあたりでは、立法院の実態が問題あるものとして紹介され
ています。国共内戦下の立法院が、党派の比率的には国民党の占める率が圧倒的なんだけれ
ども、党議拘束が機能しない。各人が個人事業主みたいにてんでばらばらに勝手なことを言
うために、圧倒的多数派の一党による独占議会でありながら機能しないという、矛盾が示さ
れている。史料では、
「委員各々が登壇して行うのは〔質問ではなく〕演説であり、1 人が
ああ言えば別の 1 人はこう言い、時には両者の意見が全く逆になったりする。行政院院長
はいったいどちらに対して返答すべきなのだろうか」という委員の言葉が引用されている。
「蒋介石もその対立を制御できないほど『党』としての政治的一体感が失われていた」とも
指摘されています。これらをみて思い出したのは、フランスの影響を受けたベトナムが、ベ
トナム戦争のころに 1 人が 1 党を作るような感じで、党が乱立して全然機能しなかったと
いう話です。
このⅡ章やⅧ章などで指摘されている問題は、議会が機能しているが故の問題というよ
りは、どちらかといえば、それが真に機能していないが故にですね、いろいろと現れている
問題なのだと思います。他方でそれとは別に、議会専制そのものが内包している内在的な問
題、民意が正常に反映されるがゆえに生じる原理的な問題もある。この議会の問題の所在が、
本質からの逸脱ゆえに起こったのか、つまり機能不全に陥った、あるいは擬制化されてしま
ったが故の問題なのか、それともそうではなく、議会専制そのものが三権分立との関係で本
来的・原理的に孕んでいた問題が表出していたものなのか。この二つの側面について、本書
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はどのように捉えているのか、気になったところです。またそれと関わるかも知れませんけ
れども、大陸の方では、1954 年以降に全人代が成立して曲がりなりにも「安定」して現在
に至っている。半世紀以上この状態が継続しているということに対しては、どう評価するの
か。
最後に 3 点目として、議会専制というのは中国近代史における特別な要素なのか、それ
とも権力追求の一つの形だったのかという点が疑問に残りました。本書としては特別な要
素と位置づけているようにみえるのですが、その一方で、袁世凱などの側から見ると、大総
統府が自らを統治権中枢として肥大化させ、自立化を目指す動きを執拗に続けていたこと
が指摘されています。
「顧問院は人事上において議会の掣肘を受けず、国務院からも相対的
に自立した大総統直属の執行機関に肥大化する可能性を秘めていた」
(44 頁)
、
「その後も大
総統府の肥大化と自立化をめざす動きは止まる気配を見せなかった」
(45 頁)
、
「新約法下の
国会の権限は臨時約法と天壇憲章に比べて大幅に削減され、逆に大総統の国会に対する掣
肘は立法・行政両権の均衡を損なうほど強化されていた」
(48 頁)といった具合です。つま
り、議会専制と同じような形で、それに対抗する行政権の方も、自らの絶対化・肥大化への
志向が見られる。
そして結論部分ではこうした状態について、
「抗争する勢力が競い合うかのように立法権
ないし行政権を強化しようとし、両者の志向が両極端に奔る傾向が強かった」
(278 頁)
、
「『議会専制』をめざす立憲的志向と、行政権の独立・強化をめざす立憲的志向の対立」
(279
頁)などとまとめています。そうなると、これは袁世凱の一時期の話なのかもしれないので
すけれども、ちょっとバトルロワイヤル的な、各々の権力機関が互いに権力拡大を図って、
相互に戦っている状態の様にもみえます。
そこで聞いてみたいことの一つは、先ほど前近代の天命観念の影響について触れました
が、行政権の側でも見られた肥大化志向においても、天命にかかわるような歴史的背景とか
淵源があったのか、ということです。そして二つ目は、このように議会の側でも大総統府の
側でも自らの権限を絶対的なものと解釈して権力の肥大化を志向する、言ってみればどっ
ちもどっちのような状況があったのなら、改めて、議会専制という志向は近代中国の特別な
特徴なのか。それとも、諸機関が各々の立場に則して肥大化を図り、極端な権力強化志向が
各所に乱立したことこそが特徴で、議会専制はその一つの表れであったと解すべきなのか。
ここのところを、補足・解説いただければと思いました。1 分ほど残っていますけれども、
私のほうでは以上です。
丸田
ちょうどの時間でありがとうございました。奈良先生の今のご報告でレジュメに即して、
補足とかご質問等がありましたら少しだけ時間を取りたいと思います。無いようでしたら、
引き続き森川さんにお願いします。お手元にレジュメが 2 枚あります。