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<論説> AI への法人格付与に関する私法上の覚書 (1)

岡本, 裕樹 筑波大学

2020.08.24

概要

論説

AI への法人格付与に関する私法上の覚書⑴

岡 本 裕 樹
Ⅰ 本稿の考察内容
Ⅱ AI に法人格を付与することの可能性
 1 AI と自然人との違い
 2 AI への権利能力の付与に資する法技術
Ⅲ 権利能力を承認するための契機
 1 権利能力平等の原則の歴史的背景
 2 法人の法人格の基礎
Ⅳ 動物の「法的地位」
 1 「物」としての動物
 2 「特殊な物」としての動物
 3 動物法人論(以上、本号)
 4 議論の整理① ─ 法人格を認められるべき「動物」の意義
 5 議論の整理② ─ 他の法的選択肢
 6 議論の整理③ ─ 動物に法人格を認める際の諸問題
 7 小括
Ⅴ AI に法人格を付与するべきか
Ⅵ まとめに代えて

Ⅰ 本稿の考察内容
現在は第 3 次の AI ブームが落ち着きはじめ、そこで得られた新規技術が着
実に実用化されつつある段階となっている。ブームは、その只中にある人々に
高揚感を与えるとともに、普段はブームの対象に馴染みのない者にも、その存
在を知らしめる。AI について、後者に属する筆者にとっては、AI に関する基
礎知識を持ち合わせていないこともあって、実態の把握がおぼつかない。
まず、AI と呼ばれるべきものは、どのようなものなのだろうか。Artificial
1

論説(岡本)

Intelligence(人工知能)の省略表記であることは、少し以前の映画のおかげで、
一応は認識している。しかし、その次の話である AI の定義と、何がこれに当
てはまるものと評価されているのかについて、門外漢の筆者には全く見当がつ
かない。もっとも、そもそも AI 研究の領域でも、現時点での AI の厳密な定義
が定まっていないとされる 1)。未だ開発途上の技術であるので定義も固まりよ
うがないのが実情であろう。その意味で致し方ないところではあるが、雲をつ
かむような印象は否めない。
そのため、筆者の専門から関心が生じる AI の私法上の取扱いについて検討
しようにも、その際に基本モデルとして想定すべき AI がどのようなものであ
るのか、確定しようがない。「ターミネーター」や「AI」などの映画にみられ
る人型であるのか、ドラえもんのような動物型であるのか、そうした人体のよ
うな装置を備えていないロボットなのか、それは工作機械であったり、ドロー
ンであったり、自動運転技術を備えた車であったりするのか、そもそも有体物
でもないコンピュータ・ プログラムそのものであるのか。さらには、人の能
力を超えたものである必要はあるのか。これらのうち、何を想定するかによっ
て、論点も考察の方向性も変わってくる。実のところ、「AI」と一括して論じ
ることに無理があり、個々の「AI」と呼ばれる技術ごとに、議論を進めていく
よりほかないのかもしれない。
このような混沌した状況において、ときに、法人格ないし権利能力、すなわ
ち、私法上の権利・ 義務の帰属主体たりうる資格を、AI に付与すべきではな
いかとの問題提起がみられる 2)。もっとも、ブームの高揚感に乗せられ過ぎて
か、あるいは、この雰囲気に意図的に便乗してのことか、新たな技術に対する
過度に思える期待をもとにした「思考実験」も散見されるところである。そこ
では、人間と同等またはそれ以上に様々な事象に対して自律的判断をすること
のできる「汎用人工知能」
(あるいは「強い AI」
)の開発、ないしは、人間の能
1)

内閣府・ 統合イノベーション戦略推進会議『人間中心の AI 社会原則』
(2019)1 頁。日

本の人工知能の専門家による諸見解については、松尾豊『人工知能は人間を超えるか ディー
プラーニングの先にあるもの』
(KADOKAWA、2015)45 頁を参照。

2

AI への法人格付与に関する私法上の覚書⑴

力を超えた人工知能により人間と機械が統合された世界(「シンギュラリ
ティ」3))の到来を、ある程度現実的に想定した考察がされている 4)。非常に好
奇心をくすぐる言葉が並んでいるが、人工知能に関する研究者の多くは、近い
将来における「汎用人工知能」・「強い AI」の「誕生」や「シンギュラリティ」
の到来について否定的である 5)。また、内閣府は、AI を「Society 5.0」
(先端技
術が社会に実装され、今までにない新たな価値を生み出し、多様な人々がそれ
ぞれの多様な幸せを尊重し合い、実現でき、持続可能な人間中心の社会)の実
現にカギとなる技術と考え、あくまでも「人間の道具」として活用されるべき
ものと位置付けてたうえで、「人間中心の AI 社会原則」を提唱している 6)。
こうした状況の中、本稿は、人の能力を凌駕しつつある AI を広く抽象的に
想定しながら、そうした AI への法人格付与の可能性について、私法の観点から、
将来に向けた一里塚としての基礎的検討を行うこととする。AI が「人間の道具」
であり続けるならば、そうした議論は不要であるように感じるかもしれないが、
2)

羽生善治=NHK スペシャル取材班『人工知能の核心』
(NHK 出版、2017)130 頁。
なお、斉藤邦史「人工知能に対する法人格の付与」情報通信学会誌 35 巻 3 号(2017)

19 頁以下は、その論題からやや離れて、人工知能を用いた事業に際しての責任を限定する
ための法人スキームの提案(ただし、法人の業務執行に際して人工知能を用いるのか、人
工知能を用いた役務を提供するための事業スキームなのか、判然としないところがある)
と外国で法人格を認められた人工知能の日本での取扱いを主題としており、人工知能その
ものへの法人格の付与を論じたものではないため、本稿の関心から外れることから、同論
稿の内容についてはここでは立ち入らないこととする。
3)

レイ・ カーツワイル(井上健監訳)
『ポスト・ ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知

性を超えるとき』
(日本放送出版協会、2007)。
4)

青木人志「「権利主体性」概念を考える ─ AI が権利をもつ日は来るのか」法教 443 号

(2017)54 頁、大屋雄裕「外なる他者・内なる他者 ─ 動物と AI の権利」論究ジュリ 22 号(2017)
50 頁脚注 11)

5)

松尾豊『人工知能は人間を超えるか』
(KADOKAWA、2015)203 頁、鳥海不二夫『強い

AI・弱い AI ─ 研究者に聞く人工知能の実像』
(丸善出版、2017)45 頁以下〔山田誠二発言〕

135 頁以下〔我妻広明発言〕・ 191 頁〔栗原聡発言〕
、アジェイ・ アグラワル「AI は国のあ
り方をも問う」日経ビジネス 1991 号(2019)40 頁。
6)

内閣府・統合イノベーション戦略推進会議『人間中心の AI 社会原則』
(2019)1 頁・4 頁・

8 頁以下。

3

論説(岡本)

後に触れるように、
自然人と並んで私法上の法主体性を認められている法人も、
「人間の道具」に過ぎず、人間中心社会の発展を支えてきた。そのため、「人間
の道具」としての性質は、その法主体性を必ずしも否定するものではない。
AI の法人格について論じた先行研究では、憲法上の人権や刑法上の責任能
力を考察対象とするものもある 7)。本稿がこれらに立ち入らないのは、筆者の
専門領域から外れるという能力不足の問題も当然あるが、異なる理論的・ 哲
学的・ 法政策的観点から構成されている各種の法的地位を単一の場で考察す
ることにより生じうる議論の錯綜を避けるためである(そうした錯綜状態が生
じることも筆者の能力不足が原因ともいえるが)。また、同様の理由から、日
本国内を想定した検討とする。
なお、予め本稿の立場を示しておくと、「AI に法人格を付与することは可能
か」という問いを立てるのであれば、その回答は「法技術的には可能」となる
と考える。しかし、「AI に法人格を付与するべきか」という問いを立てるので
あれば、法人格を有する AI を運用していくうえで、
「AI 固有の利益」を想定
しうる状況にはないことから、AI への法人格付与は時期尚早と解する。

Ⅱ AI に法人格を付与することの可能性
1 AI と自然人との違い
はじめに、AI への法人格付与が可能であることを確認するために、AI と自
然人との違いを検討してみよう。
まず、AI には肉体がなく、生命を宿していない。そのため、自らの意思で
7)

人権の共有主体性について、青木・ 前掲注 4・55 頁以下、刑事責任について、今井猛

嘉「自動車の自動運転と刑事実体法」山口厚ほか編『西田典之先生献呈論文集』
(有斐閣、
2017)519 頁以下、深町晋也「ロボット・AI と刑事責任」弥永真生=宍戸常寿編『ロボット・
AI と法』
(有斐閣、2018)217 頁以下、川口浩一=佐久間修「特集・ AI と刑法」刑ジャ 57
号(2018)4 頁以下。また、スザンネ・ ベック(只木誠監訳・ 冨川雅満訳)
「ロボット工学
と法」比雑 50 巻 2 号(2016)95 頁、根津洸希「スザンネ・ベック「インテリジェント・エー
ジェントと刑法 ─ 過失、答責分配、電子的人格」」千葉 31 巻 3・4 号(2017)117(162)
頁も参照。

4

AI への法人格付与に関する私法上の覚書⑴

移動することもできない。同じ「種」を増やすという点では、プログラムの自
動コピーは可能かもしれないが、コピー先となる媒体を自ら製作するというこ
とは、現時点で考えにくい。
次に、自律的な情報収集・ 認識・ 評価・ 判断が可能な範囲はどうか。これ
らにつき、AI は限定的である。いわゆる「特化型人工知能」であれば当然、
まだ見ぬ
「汎用人工知能」があらゆる事象に関する作業を処理できるようになっ
たとしても、外部から設定された作業の範囲から外れて、独自に関心を持つに
至った作業を行ったり、AI 自体のメンテナンスや作動に関わる事柄(ソフト
ウェアや物理的な不具合への対処、電源やネットワーク環境の確保など)につ
いて能動的に対応したりする機能まで備えるようになるのかといえば、依然と
して現実から完全に乖離した SF の世界の話であろう。
もっとも、こうした AI との比較に際しては、いかなる自然人を対置するか
という点で注意が必要である。
近代私法が制定される際、そこで前提とされた人のモデルは、
「経済人(homo
oeconomicus)」であったとされる。すなわち、合理的判断により自己の利益
を最大化できる知性や理性を備え、自らの意思により自由かつ自律的に自己の
私法関係を形成できる強く賢い人間が、法制度の基礎とされていたのである 8)。
こうした人間像を前提とする限り、権利能力を付与するために求められる AI
の性能は高度なものとなり、少なくとも、現在に存在する「特化型人工知能」
の全てについて、権利能力を認める余地がなくなる。
しかし、この近代法的な人間像はすでに、「虚構」9)ないしは「擬制」10)であ
ると喝破されている。つまり、現実の自然人のほとんどは、筆者を含めて、そ

8)

牧野英一「法律における抽象的人間と具体的人間」
『法律学の課題としての神』
(有斐閣、

1938)167 頁以下〔初出、1935〕
、星野英一「私法における人間 ─ 民法財産法を中心として ─ 」
同『民法論集第 6 巻』
(有斐閣、1986)7 頁・17 頁〔初出、1983〕

9)

グスタフ・ ラートブルフ著(桑田三郎=常盤忠允訳)
「法における人間」
『ラートブルフ

著作集第 5 巻 法における人間』
(東京大学出版会、1962)10 頁。
10) 牧野・前掲注 8・169 頁。

5

論説(岡本)

うした「強く賢い人間」からほど遠い。むしろ、「必ずしも自己の利益を正し
く認識するわけではなく」、「他人に動かされやすく、感情的、軽率で気も弱い
人間」
、すなわち「愚かな人間」であるとされる 11)。
こうした実情を前に、民法典の立場は現実的である。個々人の知性や理性、
身体能力、経済力や社会的地位などを問うことなく、出生した自然人全てに権
利能力を認めている(民 3 条 1 項、「権利能力平等の原則」)。自らの意思で移
動することも、自己の周辺事情を適切に認識することもままならない乳児でも、
負傷・ 疾病・ 障害・ 加齢などが原因で肉体的機能や認識・ 判断能力の低い成
人でも、権利能力が否定されることはない。また、民法 3 条 2 項の文言からは、
外国人の権利能力は、法令・ 条約の規定により制約されることが予定されて
いるようにも読めるが、同項の趣旨は、むしろ、民事実体法上、権利能力につ
いて「内外人平等主義の原則」を宣言した点にある 12)。さらにいえば、日本人
であっても、政策的見地から、法令により個別的に権利取得が制限される場合
もあり、このことは外国人に限ったことではない 13)。つまり、外国人の権利能
力が制約されうるというのは、当然のことを述べているに過ぎない。
こうしてみてくると、権利能力を付与することの当否を判断する際、自己の
法律関係に関わる事柄全てを正確に認識し、それらに関する合理的判断をして、
その判断の内容を実行する諸々の能力が要求されるわけではない。これらのい
ずれかが不十分であったり、一部を欠いていたりしたとしても、権利能力を認
めることに決定的な支障とはならない。また、自然人と AI との間には、肉体
の有無、生命の有無について、なお本来的な相違が残るも、これらは、自然人
と並ぶ私法上の権利主体である法人にも当てはまる。

11) 星野・前掲注 8・38 頁以下。
12) 山野目章夫編『新注釈民法⑴ 総則⑴』
(有斐閣、2018)358 頁以下〔早川眞一郎〕。
13) 山野目・ 前掲注 12・369 頁〔早川〕
。たとえば、禁制品取引の無効(民 90 条)、相続欠
格事由による相続権の否定(民 891 条)、農業委員会の許可のない農地等の所有権移転の無
効(農地 3 条本文)などを挙げることができる。

6

AI への法人格付与に関する私法上の覚書⑴

2 AI への権利能力の付与に資する法技術
⑴ 法的人格の抽象的性質
ただ、AI が近代私法の想定した社会から外れた存在であることは、事実で
ある。そうした AI への権利能力の付与は、法的にいかにして可能となるか。
まず、権利能力を一般化するうえで「経済人」を想定したという事情が、自
然人以外の存在への権利能力の承認に積極的に働く。すなわち、現実離れした
「経済人」が想定されることにより、実際の個々人の知性や理性の程度、経済力、
社会的地位を捨象して、全ての人に法的人格を認めることとなったのであり、
その意味で、近代私法における法的人格は、抽象的性質を備えている 14)。この
ことを星野英一は、具体的な人間性全体から、
「法律の舞台において演ずる地位・
役割」の部分を切り離したものが法的人格であると表現した。そうした、まさ
に人間性と関係を有しない法律上の特別の資格であるからこそ、自然人ではな
い法人にも権利能力を承認することが可能であったというのである 15)。このこ
とは、とりわけ、人の集団ですらない財団法人において顕著といえる。
この法的人格の抽象的性質により、自然人とは異なる存在である AI に権利
能力を認めること自体についても、権利能力概念となんらの矛盾もきたすこと
はない。
⑵ 法人制度
また、既に言及してきた法人制度は、自然人以外の存在への権利能力の付与
を実現する法技術である。この制度の存在自体が、AI にも権利能力を付与す
る可能性を示している。
そして、法人については定義規定がないことにも注目すべきである。これは、
教科書的な定義を避けるという民法起草時の一般的方針の現れである 16)。その
結果、法人の定義はア・ プリオリに画定されておらず、逆に言えば、法律さ
14) 牧野・前掲注 8・167 頁。
15) 星野・前掲注 8・7 頁・10 頁以下。
16) 法典調査会民法主査会議速記録第 4 巻 11 丁表以下(学振版)


7

論説(岡本)

え認めれば、その限りで AI も法人の一形態となりうるともいえる。この点、
日本の法人制度が、営利法人と公益法人に始まり、個別の特別法に基づく各種
法人の承認、NPO 法人や中間法人の制度拡張を経て、現在において一般法人
法により非営利法人の設立が広範に認められるに至ったことは、参考に値する。
⑶ 権利能力の範囲の限定
さらに、逆説的ではあるが、AI が自然人でないことは、権利能力を付与す
る際の支障を小さくもする。
自然人であれば、法の下の平等(憲 14 条)が基本原則として憲法上要請さ
れるところであり、それは私法の領域においても変わりない(民 2 条)。その
ため、自然人について権利能力を限定することには、十分な正当化根拠が求め
られる。他方で、法人については、その能力は、法令の規定や定款等で定めた
目的によって、権利を有し、義務を負う範囲が限定されることとされている(民
34 条)
。つまり、法人の能力は限定的なものでありうるというのが、法の基本
的な態度であり、この点で自然人と根本的に異なる。
AI についても、同じように考えることができる。AI ごとの機能や役割に応
じて、限定的な権利能力だけを与えるというのも、選択肢の一つとなりうるの
である。もちろん、民法 34 条をめぐっては、いくつかの解釈問題がある。そ
こで限定される法人の「能力」は権利能力か否か、法人類型ごとに限定する際
の基準が異なりうるか、あるいは、「能力」の限定は不法行為責任の負担を妨
げうるのではないか、といったことが、これまで議論の対象となってきた 17)。
ただ、これらはいずれもすでに議論の蓄積がある分、AI について新たに論じ
るべき事柄はほとんどないであろう。そもそも、同条を法人の権利能力を限定
した規定とする見解 18)の存在自体が、自然人以外の法的主体の権利能力を予め
限定しうることを示している。

17) 林良平=前田達明編『新版注釈民法⑵ 総則⑵』
(有斐閣、1991)220 頁以下〔高木多喜男〕

山野目・前掲注 12・ 730 頁以下〔後藤元伸〕。

8

AI への法人格付与に関する私法上の覚書⑴

⑷ 意思決定や現実の行為を行う代理人の設置
こうした権利能力の範囲に関わりなく、AI 自体には、その機能や肉体の不
存在により、活動範囲が必然的に制限される。その処理能力から外れる事柄に
関する判断や現実的な行為が必要となる場面において、AI 単体では対処でき
ない。しかし、こうした点も、乳児や法人などと同様、代理人を置くことで対
処可能である。
⑸ 取引類型ごとの補整
そのほか、AI の特性に伴う実際上の不都合を補整する方法としては、自然人・
法人に対する関係で、AI が定型的に不利な立場となる取引類型につき、当該
取引類型における AI にとり不合理な不利益を実質的に払拭するための規制を
設けることも考えられる。一部の自然人が行為能力を制限されるように(民 5
条・ 9 条・13 条・ 17 条)、AI もその個々の性能や判断可能領域に応じて、一定
の取引について代理人に同意権や取消権を付与しておくこともできよう。ある
いは、労働法制や不動産賃貸借法制、消費者保護法制などが整備されているよ
うなことを、必要に応じて AI を当事者とする取引についても準備するという
のも、一つの選択肢かもしれない。たとえば、契約締結前の情報提供や契約書
の作成をする際、AI に認識されうる一定の書式を使用することや、AI の存続
に必要なインフラに関わる契約(とりわけ、預金契約や電気供給契約、あるい
は自然人にとっての診療契約に相当する点検・ 修補契約など)について、イ
ンターネット上で AI 自身が申込みできるようなシステムの構築を義務付ける
というようなイメージである。

18) これが現在でも「通説的見解」と位置付けられており(山野目・前掲注 12・731 頁〔後
藤〕
)、また、判例の立場でもある(最判昭和 27 年 2 月 15 日民集 6 巻 2 号 77 頁、最判昭和
30 年 10 月 28 日民集 9 巻 11 号 1748 頁、最判昭和 45 年 6 月 24 日民集 24 巻 6 号 625 頁など)。

9

論説(岡本)

Ⅲ 権利能力を承認するための契機
1 権利能力平等の原則の歴史的背景
このように、AI に私法上の権利能力を認めるための法技術は、既に存在する。
したがって、問題は、AI に権利能力を付与するという選択をすべきかである。
このことを考えるために、現状において、権利能力が認められている存在、あ
るいは認められていない存在が、そうした取扱いを受けている要因を確認して
おこう。
まずは、自然人についてである。今でこそ、少なくとも日本では、権利能力
平等の原則が確立している。しかし、歴史的にみれば、自然人であっても、奴
隷制度や人種差別政策のもとで、私法上の法的主体性が否定・ 制限されるこ
とも稀ではなかった 19)。そこで、既に広く知られているところではあるが、ど
のように権利能力の一般的承認へ至ったのかについて、少し振り返ってみる。
これまでの定説的な理解においては、権利能力平等の原則が近代に打ち立て
られた歴史的背景について、主としてエーアリッヒの『権利能力論』20)を参照
しながら、説明されてきた。これによると、すべての者に完全な権利能力を認
めることの思想的・ 哲学的基礎とされているのは、個人主義(各個人の独立
と不拘束への努力)であり、これは革命期に突発的に生じた理念ではなく、数
世紀にわたり様々な分野で現れていった社会的潮流であった 21)。フランスでは、
中世以降、神の前における人間の平等性を説くキリスト教が、宗教的・ 道徳
的意義において、人間の尊厳の思想を基礎づけ、18 世紀になり、近代的・ 世
俗主義的な個人主義・ 自由主義的色彩を持つ啓蒙哲学や近代自然法論が、フ
ランス革命における人権宣言へと結実したとされる 22)。
19) 能見善久「人の権利能力 ─ 平等と差別の法的構造・ 序説 ─ 」平井古稀『民法学におけ
る法と政策』
(有斐閣、2007)69 頁以下。
20) Eugen Ehrlich, Die Rechtsfähigkeit, 1909. エーアリッヒ著(川島武宜=三藤正訳)
『権利
能力論』
(岩波書店、改訳版、1975)。
21) エーアリッヒ(川島=三藤訳)
・前掲注 20・91 頁以下。

10

AI への法人格付与に関する私法上の覚書⑴

加えて、権利能力の一般化は、先行的な理念のみを頼りに近代国家が制度と
して社会に定着化させたというものではない。より重大な影響を及ぼした経済
的事象として、社会を構成する中間団体としての各種協同体の崩壊と、商品経
済の発達による自給自足生活の崩壊が挙げられている。
中世において人々は、様々な協同体に複層的に属していた。各人は、農民、
商業・ 手工業を営む市民、貴族、さらには都市部の無産労働者の経済的集団
である等族(Stand)のいずれかの構成員であり、各等族内で、さらに小さな
職業的・ 地域的な協同体(Genossenschaft)に分化していた。いずれの協同体
に属するかにより、土地所有権の取得や営業の自由の享受などの可否が異なり、
これらが認められる共同体の外部の者の権利能力を制限する結果となってい
た 23)。また、人々は家協同体内で生活し、財産を取得することはできた。しか
し、家構成員が財産を取得できるのは、相続・ 贈与という特定の原因がある
場合に限られ、その他の原因によるときには、家産の中に組み入れられた。こ
うした家産について、裁判所において家協同体を代表し、あるいは、法律行為
による処分が可能だったのは、家長だけだった。のみならず、家構成員自身の
財産は家長の用益権に服し、家長が家構成員に自由な処分を認めた財産(特有
財産)などを除き、この家構成員の財産を処分できたのも、家長だけだっ
た 24)。男子の家構成員が、自己の財産について完全な能力を持ちうるのは、家
長である父の家協同体から去って、自分の世帯を起こし、自己の経営体を創設
したときであり 25)、女子の家構成員は、婚姻の際に財産が引き渡され、この女
子は新たな家協同体に属することとされた 26)。つまり、家構成員は家協同体に
留まる限り、基本的には、家協同体の外部との関係において財産についての権
利を有しないこととなっていた 27)。
22) 星野・前掲注 8・10 頁。
23) エーアリッヒ(川島=三藤訳)・ 前掲注 20・72 頁以下。
24) エーアリッヒ(川島=三藤訳)・ 前掲注 20・69 頁以下。
25) エーアリッヒ(川島=三藤訳)・ 前掲注 20・49 頁。
26) エーアリッヒ(川島=三藤訳)・ 前掲注 20・78 頁。

11

論説(岡本)

しかし、国家の権力が強大になるにつれ、教育制度、経済上の諸政策、社会
政策といった、それまでは各共同体が担っていた任務を国家が遂行するように
なった。これにより、国において個人と交渉する官庁を組織する必要が生じた
結果、個々人を中間団体に集団化する力が弱まり、旧来の協同体が徐々に瓦解
していった 28)。他方で、商品経済が発達すると、自給自足生活をしていた農民
も職人や商人から商品を購入するようになり、そのための金銭を調達するため
に自己の農産物を売るようになった。こうした生活の変化は、財貨の生産と消
費の単位であった家から、財貨生産の機能を奪うこととなり、家協同体の結合
を弛緩させた 29)。さらに、大工業の発達に伴い、人々は農村部の協同体から離
れ、都市部で生活するようになり、その多くは工場での労働に従事し、そこで
得られる賃金により生活をした 30)。ここに至り、家協同体から離脱した個々人
に、雇用や消費生活に関する契約上の権利義務の帰属を広く認めることが不可
避になったのであった 31)。
こうした変遷から、近代民法において権利能力平等の原則をもたらしたとさ
れる要因として、差し当たり 2 つの事象を書き留めておこう。一つには、長い
時代を経て熟成された思想的・ 哲学的基盤の存在であり、もう一つには、協
同体内部で生活し、外部と財産上の接触を行うことのなかった個々人が、広く
協同体の外に出て独立した世帯を持ち、新たに取引の主体として活動するよう
になったという社会構造の変化である。

27) 星野・前掲注 8・10 頁。
28) エーアリッヒ(川島=三藤訳)
・前掲注 20・83 頁以下。
29) エーアリッヒ(川島=三藤訳)・ 前掲注 20・86 頁以下、川島武宜「民法における「人」
の権利能力」同『川島武宜著作集⑹』
(岩波書店、1982)30 頁〔初出、1942〕。
30) エーアリッヒ(川島=三藤訳)・前掲注 20・89 頁以下。
31) 星野・前掲注 8・10 頁。

12

AI への法人格付与に関する私法上の覚書⑴

2 法人の法人格の基礎
⑴ 法人理論の展開
次に、法人である。法人の制度はすでに中世より存在していたが、近世にな
り著しく発達した。そのため、近代に民法典を編纂する際に、法人制度も民法
典に取り込まれるようになった。日本では、民法典制定以前は団体に独立して
財産を所有させることができなかったが、団体の法人化に対する需要があり、
ヨーロッパの民法(とりわけドイツ民法草案)に倣って法人制度が導入され
た 32)。こうした法人の法制化とともに、法人の本質をめぐる法人理論が勃興し、
その中で、法人が私法の世界において、自然人以外の法人格を備えた存在たり
えていることの基礎についても論じられてきた。この議論の推移も周知ではあ
るが、その概略を示しておく。
古くは、ドイツ法学説とフランス法学説の影響を受けて、日本でも法人理論
において対立がみられた。その中での諸見解は、権利義務の主体は自然人に限
るべきで、自然人以外に権利義務の主体たりうるのは、法律の力によって自然
人に擬制されたものとする法人擬制説、法人には構成員個人や財産のほかに社
会的実体がなく、多数主体者の活動を単一化して処理するための法的帰属点と
して法人制度が用いられているに過ぎないとする法人否認説、ならびに、法人
を独立の統一体としての社会的実在であることを承認する法人実在説に分けら
れ、さらに、法人実在説に属するものとして、法人の社会的実在性を、個人の
結合体が一体として社会的有機体を構成し、固有の団体意思を有することにあ
ると解する有機体説、固有の意思を持つ存在であることを不要とし、法律的に
意思を主張しうるよう編成された、法的価値評価に耐えうる組織体であればよ
いとする組織体説と、これらに加えて、独立の社会的作用を担当するための法
主体として社会的価値を有するものと評価されることに求める社会的作用説に
整理されてきた 33)。

32) 富井政章『訂正増補民法原論 第 1 巻 総論(大正 11 年合冊版復刻版)』
(有斐閣、1985)
217 頁以下。

13

論説(岡本)

⑵ 議論の止揚
ただ、私法学においては、法人理論の所説を対立的に把握する態度に対して、
かなり以前から否定的な評価が定着している。その主唱者である川島武宜は、
これらの所説は、
それぞれの歴史的時代環境の中でのその時々の課題に対して、
別々の方法論やアプローチで答えようとしたものであり、異なる平面で議論を
展開しているために、無批判に同一平面において並列してその優劣を論ずると
いうことは妥当ではないとする 34)。こうした理解のもと、法人を成り立たせる
契機には、社会的・経済的観点からみて、取引の主体となるのに適した実体(社
団・ 財団)が存在するという実体的契機、政策的見地からの価値判断により、
その社会の歴史的・ 社会的事情のもとで取引の主体となるに値するものと判
断される価値的契機、ならびに、自然人でない存在を権利義務の統一的な帰属
点たらしめる技術であるという技術的契機の 3 つがあるとする四宮和夫の分
析 35)が、支配的な支持を得ている 36)。
⑶ 法人の技術的契機の具体的内容
このような段階を経て、議論の対象は、技術的契機の観点から、いかなる団
体にどのような要件のもとでどのような効果を与えるべきかに移ってきた。こ
の点、川島は、近代法における法人について、社会集団の権利義務をその集団
の複数の構成員に帰属させず、団体という単一体に集中帰属させ、この権利義
務関係の単一的帰属に対応させて、権利義務関係を団体の構成員等の権利義務
関係から分別して処理する技術であると分析し、さらに進んで、団体(特に社
団)が存在しなくても、財産関係の分別と独立とがあるかぎり、そこに法人化
33) 林=前田・ 前掲注 17・ 3 頁以下〔林良平〕
・ 281 頁以下〔前田達明=窪田充見〕
、山野目
章・前掲注 12・ 649 頁以下〔後藤〕

なお、こうした整理方法の成り立ちについては、海老原明夫「法人の本質論……その
一∼三」ジュリ 950 号 12 頁・ 952 号 10 頁・954 号 12 頁(いずれも 1990)を参照。
34) 川島武宜『民法総則』
(有斐閣、1965)88 頁・92 頁。
35) 四宮和夫『民法総則(第 4 版補訂版)

(弘文堂、1996)75 頁。
36) 山野目・前掲注 12・ 650 頁以下〔後藤〕。

14

AI への法人格付与に関する私法上の覚書⑴

への社会的条件が存在すると説いた 37)。
これを受けて星野は、「財産関係の分別」が具体的に意味するところを問う
たうえで、「構成員の個人財産から区別され、個人に対する債権者の責任財産
ではなくなって、法人自体の債権者に対する排他的責任財産を作る法技術」で
あると結論付けた。もちろん、法人がその名において、契約の締結、権利の取
得、義務の負担を行い、その権利義務のために訴訟当事者となることの重要性
も認める。しかし、権利については、構成員の帰属としても相手方にとり総構
成員が原告となる場合とで結果に変わりなく、法人側の便宜の問題にすぎない
として、法人の債務、特にその責任財産の問題がより重要であると説く。その
うえで、
「団体に提供された財産が、団体に対する債権者の優先的な責任財産
となり、構成員に対する債権者からの追及を免れるという点に、法人の意義が
ある」と強調した 38)。ただ、その一方で、団体構成員の有限責任については、
団体が法人であることによって当然に生じる帰結ではなく、別個の要請から認
められる効果として位置づけて、有限責任が認められるのは、「団体に対する
債権者がその責任財産として団体財産だけをあてにしていて、構成員個人の財
産を差し押さえることができないと覚悟しており、またはそう考えるのが妥当
であるような団体に限られる」とし、
「構成員に対する債権者による団体債権
の執行を断ち切っておくこと」と「資本充実の原則が存在すること(脱退が持
分払戻を伴わないこと)」が有限責任制度に必要であり、構成員が利益配分の
請求権を有するか否かも考慮要素となるとの立場を示した 39)。
⑷ 
「法人の理想型」を措定した見解
この星野の問題意識に賛同しつつ、結論において異なる立場を示すものとし
37) 川島武宜「企業の法人格」同『川島武宜著作集⑹』
(岩波書店、1982)45 頁・52 頁以下〔初
出、1952〕

38) 星野英一「いわゆる「権利能力なき社団」について」同『民法論集第 1 巻』
(有斐閣、
1970)270 頁以下〔初出、1967〕。
39) 星野・前掲注 38・ 271 頁・294 頁以下。

15

論説(岡本)

て、上柳克郎の研究がある。ここでも、財産法における法人の法人格の目的を、
「法人自身の財産とその構成員・ 機関構成員等の財産とをきりはなし、法人と
いう独自の財産の主体を創り出すことにある」との見解が基礎とされる。これ
をもとに、法人財産の独立性が最も純粋に貫徹された場合としての「法人の理
想型」に際しては、
①ⓐその名において権利を取得し義務を負うことができる、
ⓑその名において民事訴訟の当事者となることができる、ⓒその名義の債務名
義によって、かつ、そのような債務名義によってのみ、その財産に対して強制
執行ができる、②Ⓐ法人の財産は専ら法人の債権者に対する責任財産とされ、
法人債権者以外の者が法人財産に対して強制執行することは許されない、Ⓑ法
人格の承認に随伴し、その効果を補強する法的技術として、法人財産の充実維
持のために種々の形態の法的規制が加えられる、③法人財産以外の財産、なか
んずく、人の団体が法人とされる場合の構成員の財産は、法人債権者の追及を
免れる(
「社員の有限責任」)といった諸属性があるとの整理がされた 40)。こう
した上柳の主張は、①ⓐⓑⓒ・②Ⓐにおいて、星野の見解に従っている。ただ、
③を法人の属性に含め、さらに②Ⓑを②Ⓐや③と並列的に位置づけており、こ
れらについて星野説と本質的に対立している。この点について上柳は、③も法
人財産の独立性を実現するための法的技術である点で②Ⓐと同性質であるこ
と、ならびに、②Ⓑは②Ⓐの実現しようとする目的と実質的に同一方向の目的
のための法技術であることから、③と②ⒶⒷの 3 つ問題は、実質上相互に密接
な関連があるとの理解を、その根拠としている 41)。
⑸ 本稿で確認すべき点
さて、こうした議論に際して、本稿はいかなる態度を採るべきであろうか。
本稿は、法人理論や法人構成員の有限責任に関する要件論を対象とするもので
はなく、自然人以外の存在に法人格を認めることの法的基礎を探ることを目的
40) 上柳克郎「法人論研究序説」同『会社法・手形法論集』
(有斐閣、1980)1 頁以下〔初出、
1972〕。
41) 上柳・前掲注 40・ 5 頁以下。

16

AI への法人格付与に関する私法上の覚書⑴

として、法人をめぐる議論を参照したところであった。そうした本稿の視角か
らすると、団体の立場から法人格を認められるための必要条件を確認できれば
よく、法人のあるべき「理想型」の検証に立ち入ることは不要である。また、
現在でも、
無限責任社員が存在する合名会社(会社 576 条 2 項)と合資会社(同
3 項)があり、構成員の有限責任は法人格の付与と切り離されている。加えて、
星野説も上柳説も、社団に関する見解であるところ 42)、社員の存在しない財団
にも法人格が認められている。
これらのことから、本稿では、法人構成員の責任の範囲について立ち入るこ
とはしない。法人制度をめぐる議論の中からここで本稿が確認しておくべき点
は、法人制度は近代私法以前より存在しており、日本でも団体の法人化に対す
る需要に対応する形で、近代私法制度の一部として民法典に取り込まれたこと、
また、法人制度は「構成員の個人財産から区別され、個人に対する債権者の責
任財産ではなくなって、法人自体の債権者に対する排他的責任財産を作る法技
術」として機能論の見地から把握されるようになったこと、ならびに、そうし
た法技術が認められる前提として、取引主体性を基礎づける団体の財産があり、
かつ、取引の主体に値するものとの社会的および政策的な価値的評価が求めら
れることである。

Ⅳ 動物の「法的地位」
1 
「物」としての動物
続いて、法人とは異なり、また、AI と同様に、未だ法人格を認められてい
ない動物について、その法的取扱いを確認する。この議論の考察は、後に AI
への法人格付与の妥当性を検討するに際し、有益なものとなろう。
まず、人と物を峻別する近代私法の下では、動物は物(有体物)に分類され
ている。物である限り、権利義務の客体であり、主体とはなりえない。こうし
た理解は、現在でも未だ覆されていない。そのことを示すのが、著名な「オオ
42) とりわけ上柳は、営利法人を念頭に置いている。上柳・ 前掲注 40・ 8 頁。

17

論説(岡本)

ヒシクイ訴訟」43)と「アマミノクロウサギ訴訟」44)である。
前者では、 城県の一定の地域で越冬するオオヒシクイの地域個体群を原告、
城県知事を被告とした住民訴訟が提起された。その中で、「原告の代理人」
を名乗った弁護士らからは、「原告」とされたオオヒシクイの当事者能力につ
いて、「自然物一般につきその存在の尊厳から、一種の権利(自然物の生存の
権利)が派生する、その自然物の生存を図ろうとする自然人等が存在せず、あ
るいは現行法上当事者適格を認められるものが存在しない場合には、当該自然
物自体が訴訟に直接参加することが当該自然物の生存のための究極、最善、不
可欠の手段であることから、右権利の実定法的効果として自然物の当事者能力
が認められる」旨の主張がされた。これに対し、第一審の水戸地裁は、当時の
民事訴訟法と民法その他の法令上、「自然物に当事者能力を肯定することので
きる根拠は、これを見出すことができ」ず、「事物の事理からいっても訴訟関
係の主体となることのできる当事者能力は人間社会を前提にした概念とみるほ
かなく、自然物が単独で訴訟を追行することが不可能であることは明らかであ
り、自然物の保護は、人が、その状況を認識し、代弁してはじめて訴訟の場に
持ち出すことができるのであって、自然物の存在の尊厳から、これに対する人
の倫理的義務を想立しても、それによって自然物に法的権利があるとみること
はできない」と判示した。また、東京高裁も控訴審において、「およそ訴訟の
当事者となり得る者は、法律上、権利義務の主体となり得る者でなければなら
ず、このことは民法、民事訴訟法等の規定に照らして明らかなところというべ
きであり、したがって人に非らざる自然物を当事者能力を有する者と解するこ
とは到底できない」と断じた。
後者では、アマミノクロウサギ・ アマミヤマシギ・ ルリカケス・ オオトラ
ツグミという奄美に野生する希少野生動物・ 絶滅危惧種の動物が原告として
43) 第一審は水戸地判平成 8 年 2 月 20 日、控訴審は東京高判平成 8 年 4 月 23 日(ともに判タ
957 号 194 頁)

44) 第一審は鹿児島地判平成 13 年 1 月 22 日 2001WLJPCA01229002、控訴審は福岡高宮崎支
判平成 14 年 3 月 19 日 2002WLJPCA03199003。

18

AI への法人格付与に関する私法上の覚書⑴

挙げられたが、第一審の鹿児島地裁は動物の種名を原告とした訴状部分を却下
したことから、自然人の原告の表示を「アマミノクロウサギこと○○」
(「○○」
は人名)と変更して訴訟を継続したとのことである 45)。そのため、この訴訟で
主要な争点となったのは、ゴルフ場開発の許可が争われた林地やその周辺に居
住しているわけではないが、当該地域で動植物の生態観察や自然保護等の活動
を行っている個人や団体の原告適格の有無であり、動物の権利能力ないしは当
事者能力ではなかった。そのような訴訟において、鹿児島地裁は、原告らがア
マミノクロウサギをはじめとする奄美の自然を代弁しようとしたことに積極的
な意義を認め、原告らの主張内容にある程度まで同調している。しかし、そう
した立場からも、「わが国の法制度は、権利や義務の主体を個人(自然人)と
法人に限っており、原告らの主張する動植物ないし森林等の自然そのものは、
それが如何に我々人類にとって希少価値を有する貴重な存在であっても、それ
自体、権利の客体となることはあっても権利の主体となることはないとするの
が、これまでのわが国法体系の当然の大前提であった(例えば、野生の動物は、
民法 239 条の「無主の動産」に当たるとされ、所有の客体と解されている
……)
」ことから、
「現行の行政訴訟における争訟適格としての「原告適格」を、
個人(自然人)又は法人に限るとするのは現行行政法の当然の帰結と言わなけ
ればならない」との判示がされている。
これらの訴訟の後、民事訴訟や行政訴訟の制度改正を経たが、現在において
も、動物に権利能力ないしは当事者能力を認めないのが定説である 46)。
2 
「特殊な物」としての動物
もっとも、動物は、その特性から、法律上の特別な保護の対象とされている。
これは他の有体物に見られない、動物の法的特殊性といえる。こうした特別扱
45) 環境法研究会「いわゆる「アマミノクロウサギ訴訟」について ─〈一〉第一審判決 ─ 」
久留米大学法学 42 号(2001)115 頁〔宗岡嗣郎〕。
46) 高橋宏志『重点講義民事訴訟法上〔第 2 版補訂版〕』
(有斐閣、2013)174 頁。六車明『環
境法の考え方Ⅰ ─「人」という視点から』
(慶應義塾大学出版会、2017)223 頁以下も参照。

19

論説(岡本)

いが容認される背景には、古くより一部の動物が人間と共生してきたことがあ
る。動物は人と同様に感覚・ 感情を有する生物と認識されながら、多くの動
物がペット動物として人に飼育されており、中には真の意味で人間との家族関
係を形成しているものもある。また、馬や牛などの人より大きな動力を発揮す
るものは、輸送手段として活用されてきた。人よりも優れた嗅覚を持つ犬は、
捜索や捜査に役立てられている。そのほか、様々なショービジネスの場で人と
共演したり、あるいは、一定の状態にある人を補助する側として働いていたり
することもある。これらの事実は、動物にも一定程度の知能が備わっており、
かつ、一部の能力については人を上回っていることの証左でもある。
こうしたことから、とりわけ飼主からの愛情を受けるペット動物について、
他の財産とは異なる法的評価がされることがある。具体的には、ペット動物が
負傷・ 殺傷させられた場合に、損害賠償の範囲について特別な考慮がされる。
通常の財産侵害であれば、財産的損害の回復により精神的損害も填補されるも
のとして、慰謝料は発生せず、また、修理費が損傷した財産の時価を上回る場
合には、財産の時価が賠償範囲の上限となる。これに対し、ペット動物につい
ては、慰謝料請求 47)や、時価を超える治療費の賠償 48)が認められることがあ
る 49)。
制定法としては、日本では動物愛護管理法が、「動物の虐待及び遺棄の防止、
動物の適正な取扱いその他動物の健康及び安全の保持等の動物の愛護に関する

47) 東京地判昭和 44 年 3 月 1 日判時 560 号 73 頁、東京地判昭和 45 年 7 月 13 日判時 615 号 35
頁、東京地判平成 16 年 5 月 10 日判時 1889 号 65 頁、名古屋高金沢支判平成 17 年 5 月 30 日判
タ 1217 号 294 頁、名古屋地判平成 18 年 3 月 15 日判時 1935 号 109 頁、東京高判平成 20 年 9
月 26 日判タ 1322 号 208 頁、
大阪地判平成 21 年 2 月 12 日判時 2054 号 104 頁など、牧野ゆき「財
産権侵害事例における慰謝料請求の可否」上法 50 巻 1 号(2006)43 頁以下・51 頁。大阪
地判平成 9 年 1 月 13 日判時 1606 号 65 頁も参照。
48) 名古屋高判平成 20 年 9 月 30 日交民 41 巻 5 号 1186 頁。
49) 吉田克己「財の多様化と民法学の課題 ─ 鳥瞰的整理の試み」吉田克己=片山直也編『財
の多様化と民法学』
(商事法務、2014)14 頁以下、吉井啓子「動物の法的地位」同書 254 頁
以下。

20

AI への法人格付与に関する私法上の覚書⑴

事項」を定めている。これにより、動物の所有権者であっても、その処分や管
理の自由が制約されている。こうした愛護・ 管理を要請する動物の特性とさ
れているのは、
「命あるものであること」
(同 2 条 1 項)である。ただし、同法
は動物所有者・ 占有者と動物販売業者の一般的責務や刑事罰を定めているも
のの、基本的には行政法規として位置づけられるべきものであり、私法上の法
的取扱いを直接的に規律するものではない。
そのほか、日本法の外に目を向けると、ヨーロッパのいくつかの国では、民
法典の中で、動物がその他の物とは区別されるべき存在であることを明示する
規定が設けられている。その先駆者としての役割を果たしたのが、オーストリ
アであり、「動物は物ではない」と定めた(ABGB285a 条 1 文)
。ドイツとスイ
スがこれに続き、同様の規定を置いている(BGB90a 条 1 文、ZGB641a 条 1 項)

また、最近になって、フランスでも、動物を「感覚を備えた生命ある存在(des
êtres vivants doués de sensibilité)」とする規定(C.c. 515−14 条)が盛り込ま
れた 50)。
しかし、
私法上の動物の「法的地位」は、
人のそれに近づけられるまでに至っ
てはいないのも、また事実である。動物を一般的な有体物とは異なる存在であ
ることを明示するヨーロッパ諸国の法においても、法的取扱いの点では、結局
のところ、
「物(Sachen)」
(ABGB285a 条 2 文、BGB90a 条 3 文、ZGB641a 条 2 項)
ないしは「財産(bien)」
(C.c. 515−14 条後段)に準じる。そのため、動物を
単純な物と区別する明文の規定があっても、未だ象徴的な意味しかないとの評
価もある 51)。

50) 青木人志『動物の比較法文化』
(有斐閣、2002)164 頁以下、吉井・ 前掲注 49・ 258 頁以
下、吉井啓子「民法における動物の地位 ─ フランスにおける議論を中心に ─ 」伊藤傘寿『現
代私法規律の構造』
(第一法規、2017)234 頁、

橋明香「動物の法的地位 ─ 2015 年のフラ

ンス民法典改正 ─ 」瀬川=吉田古稀『社会の変容と民法の課題[上巻]

(成文堂、2018)
55 頁以下。なお、C.c. 515−14 条の規定の和訳に際しては、吉井によるものを参照した。
51) 吉井・ 前掲注 50・ 250 頁。椿久美子「ドイツのペット事情」法時 73 巻 4 号(2001)17
頁以下も参照。

21

論説(岡本)

3 動物法人論
そうした中、こうしたヨーロッパ諸国(特にフランス)における議論を参考
として、動物を法人として取り扱い、動物への法人格付与に向けた議論の必要
性を主張する見解が、青木人志によって示されている 52)。その内容を要約する
と、次のようなものである。
まず、この見解の前提となっているのは、人・ 物二元論を基礎とする日本
の民法は「人」にしか権利主体性を認めておらず、かつ、人とは自然人か法人
でなければならない中で、ヒト(ホモ・ サピエンス)ではない動物は自然人
と呼べない以上、動物が法律上の「人」たりうるのは、動物を「法人」にする
よりほかないとの認識である 53)。このように動物を法人と構成する際、末弘厳
太郎の見解 54)を援用し、法人は権利主体のないところに権利主体性を認めるた
めの技術であり、社団・ 財団に限定する必要はないため、原理的な障害はな
いとし、その当否は法人技術を用いる実用的な意味があるかにかかっていると
する 55)。この点、動物法人には自然人と同じ権利が全て付与されるわけではな
く、「動物の権利」として語られてきたものが主として個体動物の虐待防止を
内容とするものであったことを踏まえ、
「不必要に殺されたり虐待されたりせ
ず天寿をまっとうする権利」に限定されるという 56)。ただし、こうした権利主
体性を動物に認めるとしても、権利侵害に際しては、現実に自身で裁判を起こ
すことのできない動物法人に代わって自然人や団体が訴訟提起する必要があ

52) 青木・前掲注 50・249 頁以下、同『法と動物 ─ 一つの法学講義』
(明石書店、2004)232
頁以下、同『日本の動物法』
(東京大学出版会、2009)218 頁以下。動物への法人格付与に
関するフランスにおける議論については、吉井・ 前掲注 49・262 頁以下、同・ 前掲注 50・
246 頁以下も参照。
53) 青木・前掲注 52『動物法』
・ 218 頁。
54) 末弘厳太郎「実在としての法人と技術としての法人」同『末弘著作集Ⅱ・ 民法雑記帳
上巻』
(日本評論社、第 2 版、1980)104 頁以下〔初出、1941〕
(青木が引用しているのは、
107 頁以下)。
55) 青木・前掲注 50・ 266 頁以下、同・ 前掲注 52『動物法』・ 219 頁以下。
56) 青木・前掲注 50・ 267 頁、同・前掲注 52『動物法』
・ 219 頁以下。

22

AI への法人格付与に関する私法上の覚書⑴

る 57)。青木は、ここに、日本法で動物法人を議論する限界に突き当たる。なぜ
なら、フランスやイギリスと異なり、日本では、動物保護団体に動物虐待関連
犯罪における私訴権や訴追権限が認められていないため、動物保護団体を動物
法人の機関としうる制度的基盤が存在しないだけでなく、動物保護団体にフラ
ンス・ イギリスと同じ機能を期待できる社会的基盤も整っていないからであ
る 58)。そのため、動物法人は日本の現行法の解釈では認められず、立法論にと
どまるとする 59)。
こうした青木の動物法人論については、以下の検討の中で分析していくこと
とする。
(おかもと・ ひろき 筑波大学ビジネスサイエンス系教授)

57) 青木・前掲注 52『動物法』・ 220 頁。
58) 青木・ 前掲注 52『動物法』・224 頁以下・ 248 頁以下。青木は、これに加えて、フラン
ス法の議論をそのまま日本法上の解釈論として展開することを阻害する前提的相違とし
て、フランス民法理論は日本と違って法人法定主義を採用しておらず、法人に帰属させる
べき固有の利益があることと、その法人の集団的意思表示の機関があることの 2 つの条件
さえそろえば、法人格が広く認められていることを挙げる(青木・ 前掲注 52『動物法』・
224 頁)
。この点については、次の 2 つのことを指摘しておきたい。まず、日本では、民法
に基づく法人の設立が事実上限定的にしか許可されてこなかった時期に、
「権利能力なき
社団」論が展開され、社団としての実質がある限りそれに対応して法人と同様に取扱うこ
とが、判例・ 通説として広く認められてきた。また、一般法人法が制定された現在、法人
法定主義が法人設立を妨げているという事情は、広範に解消されている。なお、フランス
におけるアソシアシオンへの能力付与については、大村敦志「
「結社の自由」の民法学的
再検討・序説」NBL767 号(2003)60 頁以下を参照。
59) 青木・前掲注 50・ 265 頁以下、同・前掲注 52『動物法』
・ 218 頁以下。

23

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