小児注意欠如・多動症の薬物治療の実態と心血管疾患発生リスクに関する研究
概要
注意欠如・多動症(Attention-deficit/hyperactivity disorder、以下 ADHD)は、重症になると学校生活や社会生活に支障を来たす不注意・多動性・衝動性が主症状の発達障害の1つである。不安障害等の併存症が多く、二次障害を合併しやすい。ADHD の診断に有用な生物学的マーカーは特定されておらず、Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders(DSM、精神疾患の診断・統計マニュアル)[1]の基準に基づいて診断が行われている。精神障害と同様に診断の客観性に乏しく、日本では患者の症状を客観的に評価する目的でADHD Rating Scale-Ⅳ(ADHD-RS-Ⅳ 日本語版)[2]やConners3[3](Conners3 日本語版)などの評価尺度も用いられる。ADHD は前頭前野などの機能低下や神経伝達物質であるドパミンやノルアドレナリンの調節異常などの脳の機能的要因、遺伝要因、環境要因が絡み合って発症すると考えられているが、そのメカニズムは未だ不明である。
ADHD の病態は、報酬系強化障害および実行機能障害とされている[4]。画像診断技術の進歩によって、報酬系期待時の側坐核の血流量を評価する脳画像試験では、健常群に比べ ADHD 群で有意に血流が低下し、ADHD における報酬系の障害が示唆された[5]。また、動物実験で、ドパミン・ノルアドレナリンによる実行機能への影響が確認された[6-11]。実行機能と報酬系にはドパミン神経系が密接に関与しており、神経活性の低下が実行機能と報酬系の機能低下をもたらし、ADHD の中核症状を形成すると考えられる。
2013 年に公刊された DSM 第 5 版(DSM-5)で、ADHD の確定診断にあたって発症年齢が引き上げられるなど、小児 ADHD の診断基準が変更された[12]。小児 ADHD の有病率は 5%とされるが(DSM-5[12])、近年、小児 ADHD 患者数、治療薬の処方割合の増加が指摘されている[13,14]。 また、小児 ADHD は女児よりも男児に多く、男女比は 2:1 とされている(DSM-5[12])。
日本の小児 ADHD 患者数に関する医学的な統計や研究は行われていないが、文部科学省が行った調査によると、通級による指導を受けているADHD の児童生徒数は4,013(1998年)、10,324 名(2013 年)、18,135 名(2017 年)、24,709 名(2019 年)と増加傾向であった[15]。日本においても、患者割合の増加が推察される。
ADHD の治療は重症度に応じて異なり、環境調整に始まる種々の心理社会的治療を優先し、効果不十分の場合に薬物療法が考慮される[16]。ADHD ではシナプス間隙のドパミンやノルアドレナリンの種々の症状への関与が指摘されており、これら神経伝達物質の調節が薬物療法の中心である。海外では、小児ADHD の治療にアンフェタミンやデキスメチルフェニデートなどの中枢神経刺激薬を中心に、数種類の医薬品が使用されている(表 1)。表 1 主な小児 ADHD 治療薬の比較2006 年まで日本では小児 ADHD の適応を有する医薬品はなく、中枢神経刺激作用を有するうつ病治療薬であるメチルフェニデート塩酸塩速放錠(リタリン®)の適応外使用が多かったが、リタリン®は過剰投与により多幸感や気分高揚が得られることから、不正使用や薬物乱用が社会問題となった。このため、2007 年に徐放製剤であるメチルフェニデート塩酸塩- Osmotic controlled Release Oral delivery System, OROS(コンサータ®)が小児 ADHD の適応を取得すると共に、ナルコレプシー以外の疾患に対するリタリン®の処方は禁止された[17]。服用後の血中濃度が急激に上昇するリタリン®に対し、コンサータ®は錠剤に浸透圧を利用した放出制御システムを応用したもので、長時間血中濃度が安定し、薬物乱用リスクは低い。その後、2009 年に非中枢神経刺激薬のストラテラ®(アトモキセチン塩酸塩)が小児 ADHD の適応を取得し、2017 年にインチュニブ®(グアンファシン塩酸塩)が承認されるまでは、この 2 剤が日本の小児ADHD の治療薬として位置づけられていた。日本の小児ADHD 治療ガイドラインでは、コンサータ®とストラテラ®が第一選択薬として推奨されているが[16]、海外のガイドラインでは、速放錠であるリタリン®を含むメチルフェニデート塩酸塩が第一選択薬で、他にもアンフェタミン類など選択肢が多い[18,19]。アトモキセチン塩酸塩に対しては、メチルフェニデート塩酸塩等の中枢刺激薬の方がよりエビデンスのある薬剤と位置付けられ、効果が現れるまで服用後 4~6 週間程度を要することから、第一選択薬として推奨しない地域や学会もあるが[16]、日本では 2 剤の使い分けに関するエビデンスの集積過程にあり同等に推奨している。
メチルフェニデートやアトモキセチンは、神経シナプス前終末細胞膜におけるドパミントランスポーター(DAT)、ノルアドレナリントランスポーター(NET)の阻害作用を有し、ドパミンおよびノルアドレナリン濃度を上昇させる。メチルフェニデートは DAT および NET を阻害するだけでなく、直接脳を刺激し、神経細胞内のシナプス小胞からのドパミンの放出を促進する。側坐核のドパミン濃度上昇で脳内報酬系回路が賦活化されるが、過度に継続して活性化されると依存を形成する。徐放製剤のコンサータ®は速放錠のリタリン®に比べて、血中濃度の立ち上がりが遅く、変動も小さいことから依存リスクは低い。一方、アトモキセチンは選択的に NET を阻害する。前頭前野では NET が多く存在し細胞外のノルアドレナリンと一部のドパミンを神経終末へ取り込んでおり、アトモキセチンはこれを阻害するが、側坐核ではNET が極めて少なく作用しない。
ドパミン、ノルアドレナリンは末梢においては交感神経に作用する(α1、α2、β1 受容体刺激作用)。α1、α2 受容体を介して血管平滑筋の収縮がおこり、末梢血管抵抗が上昇し、収縮期、弛緩期、および平均血圧が上昇する。また、β1 受容体刺激により心収縮力、心拍数が増加して頻脈となるが、一方で、1 回心拍出量が増加して血圧上昇による圧受容器興奮を介し、遠心性迷走神経が興奮して心拍数・心収縮力が減少して、結果的に徐脈が発生することもある。このように、小児ADHD 治療薬使用により動悸、不整脈、血圧上昇などの心血管系の副作用が懸念される。高血圧症や不整脈は、より重篤な心血管イベントの発生に繋がる可能性があり、小児 ADHD 治療薬処方と心血管疾患発生リスクとの関連の評価は重要である。
米国やカナダで小児 14 名を含む ADHD 治療薬使用患者の心突然死が報告され[20]、 ADHD 治療薬に関する情報に重篤な心血管系有害事象が記載されるようになった[21]。米国食品医薬品局(Food and Drug Administration, FDA)がADHD 薬使用と心血管疾患発生リスクに関する大規模研究が計画され(2007 年)、Cooper らにより、2~24 歳の ADHD患者 120 万人を対象に、4 つの医療保険データベースを使用したコホート研究が実施された[22]。主要評価項目は突然死・心筋梗塞・脳卒中の重篤な心血管イベントであり、イベント発生は 81 件であった(ハザード比[HR]=0.75[0.31-1.85])。小児 ADHD 薬使用と重篤な心血管リスクが関連するエビデンスは示されなかったが、95%信頼区間の上限から ADHD治療薬使用により約 2 倍リスクが高まる可能性は否定できない。しかしながら、重篤な心血管イベントの発生率は 10 万人・年当たり 3.1 件であり、リスク上昇があったとしても絶対リスクは低いといえる。本研究での対象薬は、メチルフェニデート塩酸塩、デキサメチルフェニデート、ペモリン、アンフェタミン塩類、デキストロアンフェタミン、アトモキセチン塩酸塩であり、日本で承認されている 2 剤も含まれている。
小児ADHD 治療薬の処方動向は海外でも報告されており[23-25]、5 つの西欧諸国におけるメチルフェニデート類とアトモキセチンの処方割合に注目すると、デンマークで 81.3%および 17.8%、ドイツで 91.0% および 8.6%、オランダで 94.2% および 3.7%、英国で86.6%および 12.5%、米国で 52.9% および 5%であり、各国ともメチルフェニデート類の処方割合が高かった[24]。一方、日本では、18 歳以下の小児に対する向精神薬処方の経年変化の調査で、2002~2004年に対する 2008~2010 年の ADHD 治療薬の処方オッズは 6~12 歳で 84%増、13~18 歳では 2.49 倍増と、ADHD 治療薬の処方が増加している[26]。さらに、小児 ADHD 患者における医薬品の処方動向の調査では、18 歳未満の ADHD 患者に対する処方割合はコンサータ®が 19.5%(2008 年)から 31.2%(2010 年)に増加し、ストラテラ®も 3.8%(2009年)から 13.0%(2010 年)に急増した[27]。しかしながら治療薬の発売後間もないデータも含まれており、精度の高い調査には 2011 年以降の処方動向を考慮する必要がある。さらに、小児 ADHD に適応をもたない種々の向精神薬が小児 ADHD 患者に処方されていることが指摘されており、小児 ADHD の薬物療法の実態把握も重要である。医薬品の使用実態把握や安全性評価の方法の 1 つとしてadministrative database が活用されている[33,34]。 Administrative database は診療報酬明細書(レセプト)に代表され、サンプル数が大きい、レセプトに基づいた処方記録や診療行為を把握できる、などの特徴をもつ。そこで、第 1 章では、まず複数の健康保険組合から寄せられたレセプトデータベースであり、患者の偏りが少なく、転院や複数施設受診があっても追跡可能な JMDC Claims Database を用いて、本邦における小児ADHD 治療薬の処方動向を調査することとした[35]。
なお、2012 年以降は日本でも小児 ADHD 治療薬が 18 歳以上の青年・成人期の ADHD患者に処方可能となったが、青年・成人期については病態が小児期と異なるなど未解決の課題が多い。日本の注意欠如・多動症 –ADHD– の診断・治療ガイドライン[16]は 18 歳未満ADHD 患者の診療指針と明記されていることから、本研究では、研究対象を 18 歳未満の小児 ADHD 患者とした。
また、小児 ADHD 治療薬と重篤な心血管疾患発生との関連は示されなかったが、その後の研究で小児ADHD 治療薬の使用による血圧上昇や不整脈発生リスクとの関連が報告され ている[28,29]。国内でも小児の ADHD 治療薬使用と心血管疾患発生リスクについて評価さ れているものの、小児では臨床研究の計画や同意取得等に特有の配慮が必要であるなど大 規模研究の実施は難しく、症例報告や単施設での研究が主である[30-32]。小児 ADHD 治療 薬は、その薬理作用から心血管系の副作用の可能性があり、リスク評価が必要であるものの、日本では小児 ADHD の適応をもつ医薬品が 2016 年時点では 2 剤に限られており(表 1)、
海外での研究結果を単純に外挿することは難しい。
そこで、第 2 章では日本の処方実態に基づき、小児 ADHD 治療薬処方と心血管疾患発生リスクとの関連を評価することにした。