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動物供養の倫理を考える―動物解放論からの疑問―

金谷 実可子 東北大学

2020.02.29

概要

1) 研究の背景
(1) 完全菜食主義
今日、世間にはありとあらゆる食べ物があふれている。そのさまざまな食べ物の中から自分で何を食べるかを選択するという行為は、我々にとってあたりまえのこととなっている。何を食べるか選択することは何を食べないか選択することと同義である。一般的に、人々は各々の嗜好によって「食べるもの」を選択する。しかし一方では、宗教、健康、倫理等の理由から「食べないもの」を選択するという人々も存在する。その一例として、「肉を食べない」と選択するいわゆるベジタリアンと呼ばれる人々の存在がある。

日本ではあまり認知されていないが、一言でベジタリアンといっても実にさまざまな種類がある。植物性食品に加え、卵や乳製品も食べるラクト・オボ・ベジタリアン(Lacto-Ovo- Vegetarian:乳卵菜食)、乳製品は食べるが卵は食べないラクト・ベジタリアン(Lacto- Vegetarian:乳菜食)、動物性の食品は一切食べないヴィーガン(Vegan)などこの他にも細かな分類がある。最後に挙げたヴィーガンと呼ばれる人々は、動物性食品のみならず、動物製品(革製品・シルク・ウール・羊毛油・ゼラチンなど)や生産の過程で動物実験が行われた製品(化粧品・医薬品など)までも拒絶する。このことから、ヴィーガンの立場は完全菜食主義(Veganism)と呼ばれる。

この完全菜食主義では動物を利用した製品(動物の産業利用)に関して拒絶する立場がとられるが、その立場をとる理由を次項でみていく。

(2) 動物解放論
宗教や健康上の理由から、とある動物性食品を拒否することは納得できる。しかし、動物の産業利用を拒む理由は宗教や健康上の理由からは外れると考える。ではヴィーガンとなる理由とは何か。本稿ではその理由、すなわち完全菜食主義を裏付けるものとして、哲学者ピーター・シンガーの著作『動物の解放』をあげる。

シンガー(2009)は、人間が他の動物を利用してもよいのかという議論の根拠となる概念「種差別(speciesism)」について述べている。「種差別(speciesism)」とはその名の通り生物種による差別のことである。人間は他の(とりわけ産業利用をしている)動物を差別している。シンガーによれば、人間の利益を「人間だから」という理由で優先して、動物には「動物だから」という理由で配慮しないことは、その存在が属している生物種によって配慮するかしないかを非合理的に選択する、種差別(生物種による差別)であるとしている。そして、これは、白人の利益を「白人だから」という理由で優先して、黒人には「黒人だから」という理由で配慮しないという、人種差別と同じような問題である、という。シンガーが『動物の解放』で動物に関して主張していることは、動物に苦痛を与え殺害することによって成り立つ肉食という慣習を放棄し菜食主義者になるべきであること、毛皮製品や開発に動物実験が用いられた化粧品などの不買運動を行うべきであること、研究の場における動物実験について厳密な規制を実施すべきであること、などである。以上のシンガーの主張は動物解放運動につながり、この動物解放論は完全菜食主義を裏付ける代表的なものになっている。

上述したシンガーの主張により、動物の産業利用を拒む理由は明らかになった。しかし、 動物に対する種差別の完全撤廃を主張するこの動物解放論は明らかに極端すぎる。人間が 動物に対して種差別を行っているのは事実であるかもしれないが、種差別の根絶を目指す ことは人間がこれまで構築してきたこの世界のありかたを大きく変えることと同義である。断定はしかねるが動物の産業利用を完全になくすことは不可能に近いといえる。

2) 研究の目的
本稿の目的は、上述した動物解放論の極端すぎる主張に対して新たな見方を提案することである。 動物解放論は論述としては筋が通っている。しかし、疑問を抱く者も少なからずいるはずである。日本というより西洋以外の文化圏で動物解放論を受け入れることに抵抗がある者が多いと推察される。なぜなら、動物解放論の考え方は西洋における倫理的思考から展開してきたものであるからだ。シンガーの動物解放論の背景となる倫理的思考は、特に 20 世紀にイギリスやアメリカで発達してきた英米倫理学のなかの規範倫理学理論の帰結主義にある。本稿では第 2 節第 2 小節で規範倫理学について述べるが、この倫理理論が背景にあることによって生じる特徴がいくつかある。そのひとつは、ある倫理的判断(xすべきだ/してもよい/してはならない)をそれ以上さかのぼれない第一原理ではなく、最大幸福原理や他者の尊重など、より根本的な原理から導出することである。シンガーの考えでは、利害というものを倫理の基礎(原理)に据えている。人間についてのことだけでなく、動物についてもこのような原理へとさかのぼって考えるという方法は西洋以外の人々(少なからず日本人)にとって馴染みのないものではないだろうか。

現存する道徳から動物の産業利用の是非を結論付けることは容易ではない。重要なのは、異なる立場にある人間同士が折り合いをつけることのできる新たな規範を用意することである。この新たな規範を、動物供養・慰霊という日本的な動物に対する態度またはその倫理について考えながら、他の既存の倫理観からもヒントを得て見出していきたい。

3) 検討課題
本稿では、日本では広く普及している動物の供養・慰霊について考えることで動物解放論に対する新たな視点を拓いていく。ここで、なぜ動物供養・慰霊を取り上げたのかを説明する。自分たちが命を奪った動物を供養または慰霊するというのは、まったくないわけではないものの、欧米にはあまり見られない風習である。それに対し、日本では現在でもペットだけでなく、家畜や実験動物のための供養・慰霊が供養・慰霊碑や慰霊祭などのかたちでほぼ必ず実施されている。よって、動物供養は西洋にはない、日本独自の動物に対する態度が色濃く反映しているはずである。

動物解放論の考え方は西洋で展開されたことから西洋の動物観からも影響を受けていると考えられる。よって動物供養という日本的な視点を取り入れることは、この議題の解決につながる糸口をみつけるものとなりうるだろう。

以降、動物供養・慰霊について、「動物供養」と呼ぶ場合と「動物慰霊」と呼ぶ場合では、「霊」の存在を意識するかどうかなど、背景となる考え方に差がある可能性があるが、本稿ではとくに区別しない。便宜上、本稿では「動物供養」という言葉で両者の儀式を統合的に扱う。また、本稿で考える動物供養は主に産業動物に対して行われるものを取り扱い、ペットなどの愛玩動物に対する供養については一切触れないものとする。

参考文献

ギリガン,キャロル(1986)『もうひとつの声―男女の道徳観の違いと女性のアイデンティティ』(岩男寿美子監訳) 川島書店.

ヨナス,ハンス(2000)〔1984〕『責任という原理―科学技術文明のための倫理学の試み』 (加藤尚武監訳) 東信堂.

ハーツォグ,ハロルド(2011)『ぼくらはそれでも肉を食う』(山形浩生訳) 柏書房.

石田戢・濱野佐代子・花園誠・瀬戸口明久(2013)『日本人の動物観』東京大学出版会.

コールバーグ,ローレンス(1987)『道徳性の形成―認知発達的アプローチ』(永野重史監訳)新曜社.

中村生雄(2010)『日本の宗教と動物観』吉川弘文館引用及び参考文.

西川哲・森下直貴(2011)「実験動物の慰霊祭について考える―アンケートの結果から」『静岡実験動物研究会会報』37(1),別冊:pp.2-6.

野林厚志編(2018)『肉食行為の研究』平凡社.

品川哲彦(2007)『正義と境を接するもの―責任という原理とケアの倫理』ナカニシヤ出版.

品川哲彦(2015)『倫理学の話』ナカニシヤ出版.

シンガー,ピーター (2011)『動物の解放〔改訂版〕』(戸田清訳) 人文書院.

打越綾子編(2018)『人と動物の関係を考える―仕切られた動物観を超えて』ナカニシヤ出版.

ウエストン,アンソニー(2004)『ここからはじまる倫理学』(野矢茂樹訳) 春秋社.

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